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なぜゴム製品メーカーがグラスを開発? 社員の「仕事への誇り」に向き合った錦城護謨の道のり

2019年4月発行のビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE04」では、世界中の「愛される会社」を巻頭特集としました。しかし、日本にも多くの「愛される会社」が存在しています。今回は伝統・文化が根付き、商業の街としても栄える関西エリアに注目。全6回の取材とトークイベントを通して、顧客や社員、地域社会との強い関係性をつくりだしている「愛される会社」を探求していきます。

普段、私たちが何気なく使っている家電やスポーツ用品。その材料として欠かせないのが「ゴム」です。大阪府八尾市に本社を構える錦城護謨(きんじょうごむ)株式会社は、そんな多様な製品に使われるゴム材料を生産してきました。

2020年に、BtoC向けオリジナルブランド「KINJO JAPAN」を立ち上げ、ゴムでできた透明なシリコーングラスを開発。これまでにない大きな反響を呼びました。

BtoB市場ですでに確かな信頼を得てきた同社は、なぜシリコーングラスを開発したのでしょうか。そこには、「閉塞感の漂う社内の雰囲気を変えたい」という思いがありました。代表取締役社長の太田泰造さんに、お話を伺います。

―太田泰造(おおた・たいぞう)
錦城護謨代表取締役社長。2001年、錦城護謨へ入社。土木事業部長、専務取締役を経て2009年、代表取締役社長に就任。就任後、既存事業に加え福祉事業を新たに立ち上げ、開発した視覚障がい者歩行誘導マット「歩導くんガイドウェイ」は米独の国際的デザイン賞を3賞受賞するなど、評価を受けている。また2021年には経済紙Forbes JAPANが選出する「今年の顔100人」の「2021 Forbes JAPAN 100」に選出。

OEMメーカーならではの課題と閉塞感

錦城護謨のこれまでの歩みを教えてください。

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太田

錦城護謨は、私の祖父が大阪市西区で1936年に材料商社として創業した会社です。

戦時中、ゴムは軍の重要物資として統制品になっていたため、民間企業が手に入れるのが非常に難しく、創業者はわざわざ横浜まで買い付けに行っていたそうです。

戦後の1962年に、現在本社を構えている八尾市に新工場を建設し、メーカーとして経営を本格的にスタート。1972年には、本社も八尾市に移転しました。

そして今日にいたるまで、家電や医療、スポーツなど、あらゆる業界・産業で使われるゴム製品の製造・販売を行ってきました。

2020年に発売したシリコーングラス「KINJO JAPAN E1」

長らくBtoB製品を手がけられてきましたが、2020年にBtoCブランド「KINJO JAPAN」を立ち上げ、ガラスのように見える透明なシリコーングラスを開発しています。どんな背景があったのでしょうか。

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太田

私たちは他社製品のゴム部品を手掛けるOEMメーカーとして、年間5000種類以上のゴム製品をお届けしてきました。おかげさまで、多くの分野のお客様に愛されてきたと感じます。

その一方で、エンドユーザーとの接点が非常に少ないという課題も感じていました。

自分たちが作っているゴム製品はあくまでも部品。だから、どんな商品として完成するのかが見えづらく、世の中に貢献できている実感がもてなかったんです。これが、会社全体の閉塞感にもつながっていました。

さまざまな金型を使い分け、細かいニーズに合わせたゴム製品を作っている

太田

社内に、やりがい不足の雰囲気が蔓延した結果、どうなるか。朝にタイムカードを押して、毎日同じ作業をして、夕方には帰っていく。そんな日々を繰り返すことになるのです。

ある社員に「何のために働いているの?」と聞いたことがあります。すると、彼は「お金のために働いています」と答えたのです。

もちろん、お金は必要です。しかし、一生のうち多く時間を占める仕事が、ただ工数をこなしてお金を得るためだけの作業になるのは、非常にもったいなく、寂しいことだと感じたんです。

ゴムの原材料を混ぜる工程。さまざまな技術が必要だという。

太田

しかし同時に「私たちの仕事には大きな価値がある」とも気づきました

なぜなら錦城護謨には、80年近くゴムの製造を続けてきた確かな技術や、社員一人ひとりのクラフトマンシップがある。その証拠に、たくさんのお客様に選ばれ続けてきたわけですから。

そのすごさが、一番わかってほしい社員たちに伝わっていなかった。そこで、錦城護謨の持っている技術を「見える化」する必要があると考えました。