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「徒弟制」から「チームワーク」へ ─ 錦山窯・吉田幸央さん【クジラと考える ─ 日本らしい働き方 ─ 第参話】

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井康志による連載「クジラと考える─日本らしい働き方─」。日本の伝統文化に携わるキーパーソンへの取材を通じて、時代に左右されない「日本らしい働き方」の行方を、鯨井が探ります。

 

今回のゲストは、錦山窯の四代目で陶芸作家の吉田幸央さん。正式に錦山窯の四代として家業を継いだのを機に、トップダウンからチームワークへと仕事の進め方を変えたのだといいます。

 

吉田さんの語る九谷焼の特徴やその技術、窯元が直面する環境や課題から、どんな「はたらく」のヒントが見えてくるのでしょうか。

 

ものづくりは好きだけど、家業を継ぎたくなかった

石川・小松空港から車で15分ほど。住宅が立ち並ぶ一角に突如現れる一本道を進むと、黄金に光る石造りの建物がありました。そこは、九谷焼の窯元・錦山窯が2019年に開設したギャラリー「嘸旦(むたん)」。金箔張りの扉を開けると、自然光に照らされた作品の数々が並びます。

 

 

「こういう展示室だとだいたい器がスポットライトに照らされているけど、九谷焼を『飾る』のではなく、あくまで暮らしの一部として、自然に使ってほしいから、こんな場所をつくったんです」

 

そう話すのは、錦山窯の四代目で陶芸作家の吉田幸央さんです。

 

─吉田 幸央(よした・ゆきお)錦山窯 四代 陶芸作家
1960年石川県小松市生まれ。1982年金沢美術工芸大学工芸科卒業後、石川県立九谷焼技術研修所入学。1985年朝日陶芸展奨励賞、1986年石川県立九谷焼技術研修所卒業、1988年錦山窯に入る。1992年伝統九谷焼工芸展大賞受賞。2007年錦山窯四代となる。2009年伝統九谷焼工芸展大賞受賞。2010年日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞。2016年から小松九谷工業協同組合理事長を務める

 

九谷焼の産地のひとつである石川県小松市にある錦山窯は、1906(明治39)年に初代吉田庄作が開業し、約110年に渡って作陶を続けてきました。九谷焼の産地では基本的に素地づくりと上絵付が分業化されていて、錦山窯は上絵付を専業とする窯元です。

 

「九谷五彩」と呼ばれる鮮やかな色づかい、金彩をあしらった「金襴手(きんらんで)」、白絵の具で凸状に模様を描く「白盛」など、九谷焼にはさまざまな特徴や技法がありますが、錦山窯では特に金彩の技法を得意としています。

 

吉田さんが独自に編み出した金襴手の技法による作品は、まるで印象派の絵画のような淡い色彩と、磁器としては珍しく器肌に凹凸があり、やわらかく手になじみます。「素地の段階で薄く磁土を叩きつけて、素焼きしたあと撥水剤をまだらに塗って本焼きをするんです。すると、土もの(陶器)みたいに表面に表情が出るんですよ」

 

-取材中にいただいたお茶の器は吉田さんの作品。手触りが独特の温かみを感じます。

-取材中にいただいたお茶の器は吉田さんの作品。手触りが独特の温かみを感じます。

 

錦山窯では吉田さんのほか、吉田さんの父親である三代の美統(みのり)さん、妻のるみこさんが作陶活動を行なっています。美統さんは「釉裏金彩(ゆうりきんさい)」の名手として、人間国宝(国指定重要無形文化財保持者)の認定を受けています。

 

明治時代には「ジャパンクタニ」と称され、海外でも広く評価されてきた九谷焼。錦山窯もニューヨークやロンドン、パリや台湾など海外でも展示を行い、吉田さんの作品はイギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館やアメリカのインディアナポリス美術館などに収蔵されるなど、高い評価を得ています。

 

金沢美術工芸大学工芸科卒業後、石川県立九谷焼技術研修所で学び、28歳のときに錦山窯に入った吉田さんですが、「家業は継ぎたくなかった」と振り返ります。

 

 

「ものづくりが好きで、焼きものを学んで、作家活動をはじめたけど、家業を継ぐことには抵抗があったんです。小さい頃、傍らで工房の様子を見ていると、一日じゅうNHKのAMラジオが鳴っていて、ずらっと職人たちが並んで座って、黙々と作業をしている。それがもう、一生続いていくのか。そういう家業に入っていくのかと考えると、逃げ出したくなるような気持ちでした」

 

多くの職人を雇い、絶対的な師弟関係のある“徒弟制”に違和感を覚えながらも、少しずつ「窯を継ぐ」ことに向き合っていきました。

 

「エイヤと飛び込んで、いろんなことに抵抗しながらやってきましたが、いま思えばわりと自由にさせてもらいました。はじめのうちから作家として活動していましたし、窯には新たな設備投資もいらず、職人もいて、学ぶこともたくさんある。少しずつ面白くなってきたんです。そうやって過程を踏みながら自分の立ち位置を見つめて、うちの窯の特徴や貴重な部分を認識するようになって、やる価値のある仕事だと思えるようになったんです」

 

「言われたことをやる」から「主体的に働く」へ

ー工房にて試作中の様子

 

吉田さんが錦山窯に入った前後で、九谷焼を取り巻く外部環境は少しずつ変化してきました。九谷焼では、素地づくりを行う窯元と上絵付を行う窯元、そして卸業者や販売業者などが分業化されています。70年代半ばには上絵付の転写技術が導入され、さらに効率化することで大量生産・大量流通を行う業者も出てきました。

 

けれども国内需要の減少や他産地との競合激化などを背景に、産地としての生産高は1990年をピークに年々減少し、厳しい状況に直面するようになりました。その間、一貫して芸術性の高い作品を中心に作陶を続けてきた錦山窯も、環境変化と無縁ではありませんでした。

 

「以前なら、流通側がそれぞれの窯元の特徴をわかっていて、『こういう商品が売れるから、この納期でこの窯元に頼もう』と、発注があって、それに応じていた。流通が力を持っていたんです。昔のほうがある種、余裕があったんでしょうね。流通側に『目利き』がいましたし、ギャラリーも先行投資していた。私も無名のときから応援してくださるギャラリーがいて、ずいぶん助けられました。

 

でもいまは流通サイクルが早くなって、ある程度売れる見込みがないとチャレンジすることができない。
ギャラリーも百貨店の画廊も、『作家に投資する』という感覚は薄れています。良い技術を持っているのに、知られずに埋もれていく。非常に悩ましいことです」

 

 

2007年、吉田さんは四代目として窯を継いだのを機に、少しずつ仕事の進め方を変えていったといいます。

 

「それまでは父が当主として、作家としての立ち位置を踏まえながら窯の方向性を取り仕切っていた。すべて自分が把握したうえで細かく職人さんに指示していました。でも僕が継いでから、『チームワーク』だ、と。職人ではなく『スタッフ』と呼び、彼らが主体的に仕事へ関われるよう、さまざまな情報開示を行うようにしました」

 

その最たる例は、ミーティング。それまで一切行なっていなかったのを、週に一度、進捗状況やこれからの方針、「嘸旦」で行う企画展のコンセプトやその狙いまで、細かく伝える情報共有の場を設けました。

 

 

「これまでのように流通側から発注されたものをつくるだけではなく、僕ら自身が展示会やイベントを企画して、コンセプトをつくり、作品づくりを行う。窯元を起点とした流れになってきています。うちにいるスタッフたちも昔のようにずっと勤めつづけるのではなく、『作家としていつか独立する』ことを前提に働いているから、技術だけでなく経営も学ばなければなりません。ですから、できるだけいろんなことを共有したり、勉強会をしたりしている。ときには嘸旦に来られたお客様をご案内して、作家として自立するために必要なことを学んでもらっているんです」

 

トップダウンからチームワークへ。「言われたことをひたすらやる」のではなく「主体的に働く」へ。それはある意味、「職人」と「作家」の違いと言えるかもしれません。

 

「どちらがどう、というわけではなく、それぞれに求められる仕事が二分化してきたんでしょう。作家は作家として、ある種“ブランド化”して、高く評価されるものをつくる。職人は職人として、売れるものをつくる。いまでも流通側はそういう職人を求めています。

 

一方で、九谷焼を学びに来る人のほとんどは作家志望として技術研修所に入ってきます。『いつか自分のブランドを持ちたい』と。でもすぐに作家としてひとり立ちするのは、容易ではありません。ですから、卒業してからどんな意識で過ごすか、どんな環境で働き、学ぶのか。それが問われるわけです」

 

「新しいことをとがめられない」多様で緻密な意匠

 

九谷焼の作品を見ていると、ひと言でその特徴を言い表せないほど、実に多様な意匠があります。錦山窯だけでも吉田さん、美統さん、るみこさんそれぞれの作風があり、淡いグラデーションをまとった作品もあれば、コントラストの強い鮮やかな色調の作品もあります。フラッグシップの「華鳥夢譚」に至っては、グラスや鉢など異なる器が塔のように積みあげられ、さまざまな色調や文様が混在しているのです。ましてや他の窯元の作品に目を向ければ、さらにその多様性は高くなります。

 

けれども吉田さんは、九谷焼の特徴を「多様性」と言い切ってしまうには、その本質を説明しきれないと語ります。「よく『九谷焼とは何か』と聞かれるのですが、これ、と答えづらいんです。九谷五彩のように鮮やかなものを想像されることが多いのですが、白盛や染付(白地に藍一色)だけのものなどもある。歴史のなかでさまざまな文化を吸収し、社会の変化に対応しながら新しいものを生み出してきた。その結果として多様な意匠が受け継がれてきた。それは確かです」

 

「ただ、何か特徴を挙げるとしたら、つい『やってしまう』というか。美大も技術研修所もありますから、焼きものをつくりたい人がいろんな地域からやって来るんだけど、みんな何かに取り憑かれたように、一様に模様を描きはじめるんです(笑)」

 

-緑色で塗られているように見える箇所も間近で見ると点描で1点1点緻密に描かれていることがわかる

 

「気質なのか、風土なのかよくわからないけど、古くはみんな半農半陶で、農閑期に作陶を行なっていました。冬は雪に閉ざされてどこにも行けないし、誰も来ない。だから、『やっちゃう』んでしょうね。昔の作品なんかを見ると、『ここまでやる?』というくらい、白磁がほとんど見えなくなるまで緻密に模様を描いているんです。日本古来の『余白の美』なんて、微塵も頭にないし、誰もとがめない。でもそれが、僕にとっては落ち着くんです」

 

「嘸旦」には吉田さんたちの作品だけでなく、蔵に収められていた初代、二代の時代の作品も展示されていますが、職人としての技術は彼らにかなわないと、吉田さんは語ります。

 

「昔の作品をモチーフに新たな作品をつくることもあるのですが、とうてい真似できないほどレベルが違う。当時は時間があったし、小学生から仕事をしていた。大学を出てから窯に入った僕らとはまったく違うんです。技術力としては退化していると言えるのかもしれません」

 

 

けれども産業技術の進化によって、「できるようになったこと」もあります。経験と勘で温度調整をしていた薪窯に代わり、コンピュータ制御で適切な温度設定をする電気窯が導入され、つきっきりで火の様子を見なくても済むようになりました。金箔をハサミでなくレーザーカッターで加工することで、より精細な形を表現できるようになりました。新たな技術によって表現の幅が広がる可能性があるのです。

 

「幸い、石川には漆器、染織などさまざまな伝統工芸が受け継がれ、職人さんがいますから、アンテナを張っているといろんなインスピレーションを受けるんです。こんな筆を使っているとか、こんなやり方があるとか。そうやってさまざまな人や技術、ものと出会いながら、これまで培ってきた技術を踏まえてどんなことができるかを考える。これまで継承されてきた技法と表現を解釈し、さらに新しい作品として表現とする。それが作家としてできることだと思うのです」

 

「ものづくり」だけでなく、本質的な価値を伝える

職人は黙々と自らの技術と技を磨き、良いものをつくりつづけていれば、その良さは自然と伝わる──。過去にはそんな時代もあったでしょう。けれども大量に押し寄せる情報に埋もれ、「目利き」不在の世の中において、つくり手自身が作品に対する思いや背景を、さまざまな人の手を借りながら、伝える必要があると、吉田さんは語ります。

 

 

「いまはネットやSNSで個人が気軽に発信することができるようになったぶん、どれが本物で、どれが“見せかけ”なのか。一見するとよくわかりません。僕らは長い時間をかけて、手間暇をかけてつくる『手仕事』だからこそ、それに見合った価格設定をし、その価値をわかってもらえるよう、しっかりと伝えていかなければならないのです」

 

吉田さんが志向するのは、作家のみならず、錦山窯としての「ブランド化」です。

 

「PRプランナーやデザイナー、写真家など信頼できるプロフェッショナルに任せて、自分たちのできないことはアウトソースして、錦山窯としてのブランディングを行う。そうやって、きちんと技術に対する対価をいただき、それを資本として外部の方と協力して商品開発や情報発信をして、新たなお客様と出会うきっかけをつくる。そういった循環が生まれなければ、伝統工芸は成り立たないものだと思うのです」

 

「嘸旦」はまさに、その考え方が反映された場所でもあります。作家が直接お客様と対話し、作品の背景やその技術を語る。作品を「飾りたてる」のではなく、生活のなかに「活かす」その方法を伝える。そうすることで、作品の本質的な価値や、良いものを長く使いつづけていくことの豊かさを、より深く理解してもらいたいという思いがありました。

 

「個展でお客様と話していると、『金彩は劣化するから、どう使えばいいかわからない』『割れたらもったいないから使えない』と、思いがけない言葉をもらうんです。でも、金が剥がれ、色が薄くなるのも、僕らにとっては『味』だし、割れたら金継ぎで直せばいい。経年変化によって、だんだんと手になじみ、『自分のもの』になる。金継ぎの跡も思い出の一つとして、自分のものになっていく楽しみは、本物でしか味わえません」

 

ー金継ぎが施されることでまた違った表情と思い出を刻む

 

「僕らにとって当たり前のことが、お客様にきちんと伝わっていないことに気づかされました。ですからここで食事会をしたり、ワークショップをしたりして、良いものを使いつづけることの良さ、九谷焼を日常的に使う良さを、知ってもらいたい。『割れたら持ってきてください』『あぁ、これは親父がつくったあのときの作品だね』って、作品を介して生まれる人とのつながり、年を経ることの喜びを、この場所を起点に伝えていきたいんです」

 

未来のために、他者と手を取りあい情報発信を

 

さらに吉田さんは2016年から、地元の上絵付専業窯元を束ねる小松九谷工業協同組合の理事長を務めており、九谷焼の産地としての将来に危機感をにじませます。「最盛期から比べると窯元の数も減少し、後継者がいないからと廃業するところも増えてきました。一方で美大や学校に通い、『陶芸作家になりたい』という人はまだ数多くいるんです。けれども雇用促進施策が不十分で、後継者育成につながっていない。そのジレンマを感じています」

 

「行政を中心に産業振興策として、各地でイベントが開催されているけど、その元手となる窯元が持続的にものづくりできる環境をつくらなければ、きっとどこかで息切れしてしまう。動員数やウェブサイトのPV数といったKPIは達成されても、果たしてどれほどの方が実際に九谷焼を手に取り、ご購入いただけたのかは見えてこない。産地としては、『未来のお客様』も大切ですし、『いま買ってくれるお客様』も大事なんです」

 

-CERABO KUTANIの広報担当・緒方康浩さんと談笑しながらも課題について真剣に意見を交わす

 

そんななか、2019年には小松市に新たに「CELABO KUTANI(セラボクタニ)」がオープン。磁器土をつくる製土工場にギャラリーや体験工房、レンタル工房などを併設した複合施設で、来場客は九谷焼を学び、作家を知り、作品を購入できるほか、ろくろや絵付けなどを体験することもできます。また、レンタル工房は若手作家の育成の場にもなっています。

 

「ここは九谷窯元工業協同組合が拠点にしていて、組合の関係で僕もよく来るんです。素地づくりの窯元と、上絵付を行う窯元。なんとなく気質も違っていて、僕らからすると『生地屋さんは真面目だなぁ』と思うんだけど(笑)、分業化が進んで、さまざまな関係者がいるなか、それぞれの立場や方向性を踏まえながら、未来のために手を取りあって何ができるか。新たな九谷焼の情報発信の場を起点に、これからも考えていきたいと思います」

 

今回のキーワード「創意工夫」

数百年の歴史を持つ日本の伝統文化。今回のインタビューで、長く続けていく秘訣をあらためて教えられたように思います。それは、先人が創り出したコンセプトや技を尊重し継承する一方で、常に新しい工夫を取り入れる努力を惜しまない気構えにあります。

 

九谷焼は室町時代から続く一大ブランド。このひとつの型に収まらない多様性を持つ焼き物がこれまで愛され続けブランドを維持してこられたのは、自主自立の精神で「創意工夫」する窯元がいつの世にもあったからなのでしょう。

 

北陸のかの地でなぜそうなったのか。気候や風土のせい、文化的な背景があったから…。理由はよくわかりませんが、吉田幸央さんの言葉からは「伝統を崩さず新しい作風を創り出す」「時代に合わせるのではなく、むしろ時代を創り出す」そんな「創意工夫」を絶やさないでやっていこうとする熱い思いが伝わってきました。

 

作り手の思いが込められたものは年を経ることでよりいっそうの魅力が生まれます。そして、私たちはそうしたものを長く使っているそのこと自体から喜びを感じるようになるのです。でもそれは、器などの「もの」に対してだけ言えることではありません。技術や作風、制作プロセスなどを常に革新しようとする営みを続けてきた九谷焼ブランド全体から、さらに言うなら、その伝統そのものからも感じるものなのでしょう。

 

私の曽祖父は600年の歴史を持つ和菓子屋の第13代当主でした。そのため我が家では普通の家庭よりも和菓子が身近にある生活をしてきたように思います。子供の頃楽しみにしていたのが正月に身内だけに配られる創作和菓子。毎年職人さんがその年の練り菓子を考案し、それまで誰も見たことのない素敵なお菓子を作ってくれるのです。

 

伝統に寄り添いながら、でもそれに甘えることなくチャレンジする心を忘れない。新陳代謝を繰り返して、自らを律しながらやっていくところに伝統は生まれ息づいていくのだと思います。伝統を維持していくのは本当に大変なこと。そこに「創意工夫」は欠かせないのです。

 

ですがこのことは文化・芸術の分野だけの話ではなく、私たちが生きているビジネスの世界でも同じことが言えそうです。サステナビリティとは結局は「創意工夫」を絶やさない仕組みから生まれるのに違いありません。守りながら攻める。伝統文化を見習って、私たちもこの精神でやっていきましょう!

ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』、『「はたらく」の未来予想図』など。

 

■クジラと「日本らしい働き方」を考えるシリーズ 過去掲載記事
【第壱話】イノベーションは成長ではなく変化 ー 能楽師・安田登さん
【第弐話】日本人はもっと、自由でいていい ー 着物デザイナー・キサブローさん

2020年11月27日更新

テキスト:大矢 幸世
写真 : totem
イラスト:うにのれおな
写真提供:錦山窯(嘸旦エントランス写真)

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