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イノベーションは成長ではなく変化 ー 能楽師・安田登さん【クジラと考える ー日本らしい働き方ー 第壱話】

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井康志による新連載「クジラと「日本らしい働き方」を考える」。日本の伝統文化に携わるキーパーソンへの取材を通じて、時代に左右されない「日本らしい働き方」の行方を、鯨井が探ります。

今回のゲストは、能楽師の安田登さん。伝統芸能の担い手である安田さんの語る「文化が長く続く秘訣」「日本人らしさ」から、一体どのような「はたらく」のヒントが見えてくるのでしょうか。

能のイノベーションを支えてきた「初心」

ー安田登(やすだ・のぼる)
下掛宝生流能楽師。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も行うかたわら、論語などの古典を学ぶ寺子屋「遊学塾」を主宰する。「100分de名著(平家物語)」講師。『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)、『能 650年続いた仕掛けとは(新潮新書)、『役に立つ古典』(NHK出版)など著作も多数。Twitterは@eutonie

「なぜ、能が650年以上も続く文化になり得たのか。それは、続くための“仕掛け”が仕組まれているからです」

能の文化としての長寿っぷりを、何百年と経営が続く“老舗企業”になぞらえて語ることもある安田さん。文化や組織が長生きする背景には、「続くべくして続いた」と言えるような理由、仕掛けがあるものだと話します。

能において、続く“仕掛け”とはどんなものだったのか。その大きな要素のひとつとして、安田さんは「初心」という言葉を上げました。初心と言うと、一般に多くの人は「始めたばかりの頃の初々しさ」といったニュアンスを想像されると思いますが、能におけるその言葉の意味は、少し異なるようです。

「能で使われる『初心』は、“古い自分を切り捨て、新たな自己として生まれ変わること”という意味を持っています。身につけてきたものを臆することなく捨てることで、人は初めて次のステージへ上がっていける。誤解されがちですが、大事なのは“成長”でも“進歩”でもなく、環境に応じた“変化”です。この点については、また後で言及しましょう」

当日はオンラインで取材を行いました(2020年4月)

変化を恐れるなという教えが、体系的に組み込まれていること。この要素をもって、能はこれまで幾多の“存続の危機”を乗り越えてきました。

「能はその時々の為政者に重用され、彼らの一声で大きく在り方を変えなければならない場面を、何度も経験してきています。衣装の変更を強いられたり、上演する場所を屋外から屋内に変えろと言われたり……。これらを変えることは、動き方や見せ方など含め、それまで積み重ねてきた体系を根本から変えることと同義です。それでも先人たちは大きな流れに抗わず、外的環境の変化を受け容れながら、そこに能自体を適応させていくことで、文化として生き残る道筋を見出していきます。初心の精神を持って変化していくことは、現代的な言葉で表現するならば、まさに“イノベーション”と言えるでしょう」

「初心」という字(安田登さんの直筆)

昨今、ビジネスの文脈でも「イノベーション」という言葉は多用されています。多くの企業はそれを創出せんとして、新規事業のための部署をつくったり、新しい人事制度を導入したりと、さまざまな施策を展開しています。しかし、こうした新規事業開発に向けた取り組みはなかなかうまくいきません。

イノベーションは起こそうと思って、起こせるものではない――安田さんはピシャリとそう言います。一朝一夕で、組織や制度を整えれば生まれるものではない、と。能がなぜ、危機に立たされる度にイノベーションを起こすことができたのか。それは、“初心”などに象徴されるイノベーティブマインドを、ただ説いてきたからだけではありません。それらを単なるお題目に留めず、身体化させていくところまでを仕組み化したからこそだと、安田さんは強調しました。

イノベーティブマインドの身体化、その実装の仕組み

『船弁慶』2010年

イノベーティブマインドを身体に実装していく仕組みとして、能には「披き(ひらき)」というシステムがあると、安田さんは説明してくれました。稽古を始めて数年経つと、師匠からいきなり「来年のいついつに、あの曲(作品)を演じろ」と言われるそうです。

「そこでやれと命じられるのはとても難しい曲で、それまでの伸び率をはるかに超える急激な進化をしない限りは、絶対に発表までに間に合わないんですよ。すなわち、今までの稽古のみならず、自分の人生における経験則などを完全に捨て去って、新たな境地を見出していかねばならない。まさに、崖から突き落とされるような感覚ですね(笑)」

しかし、それは無責任な行為ではありません。師匠のほうは披きの頃合いを、精緻に見極めています。死ぬほど大変ではあるけれども、絶対に無理だと思っているようなことはやらせない。まさに的確なタイミングで、弟子を崖から落とすのだとか。

「こうした披きは、10年に一度くらいのスパンで繰り返されていきます。するとその中で、もう心持ち自体が変わってくるんです。『無理難題がやってきたら、崖から飛び降りてしまえばいい』とね。これこそが、変わるべき時に変化を恐れない、イノベーティブマインドの身体化です」

そう、今あなたの身近に転がっている「イノベーション」には、“成長”や“進歩”といったイメージが付帯してはいないでしょうか。安田さんはそれらを、軽やかに退けるのです。

「成長や進歩という尺度には、第三者の主観的な評価が入り込んできます。評価とは時と共に移ろうものであり、絶対的ではありません。能は環境に応じた“変化”はしてきましたが、ユーザーである観客の評価におもねった“迎合”は一切してきませんでした。もしそれをしていたら、一時的には盛り上がったかもしれませんが、恐らくどこかで飽きられて、文化として衰退していたかもしれません。だから、進歩や成長なんてものは、正直に言ってどうでもいいのです。イノベーティブマインドの本質とは“状況に応じて、変化し続けていけること”にあるのですから」

本来の“日本人らしさ”とは、「同」ではなく「和」にあった

『一石仙人』時期不明(左)/『藤戸』2015年(右)

ここで少し話題を変えて、安田さんが感じている「日本人らしさ」とはどのようなものか、うかがってみました。

「いま皆さんが“日本人らしさ”として想像されるものの大半は、江戸時代、あるいは明治時代以降の文化に由来するものが大半です。なぜならば、現代において“伝統芸能”として認識されているものは、江戸、それも中期、後期以降に形になっているものが多いからです。その一方で、能の成立はもっと古く、室町時代にまで遡ります。現代の感覚からは少し離れていますが、私は能から感じられる“日本人らしさ”に、いま大事にすべき要素があるのではないかと思っています」

安田さんは、江戸以降の日本人らしさを形づくっているのは「“同”の文化」だと説明します。それは、お寺を中心とした檀家制度が浸透する過程で共有されていった、「みんなでまとまって何かをするのが良い行ないだ」という感覚です。これに対して、能が重んじているのは「“和”の文化」。“初心”と同様に、ここで語られる“和”も、私たちが一般的にイメージする意味とは大きく異なります。

「龢」の字(安田登さんの直筆)

「いま私たちが使う「和」は、昔は“龢”と書かれていました。3つの口と、何本もの笛を束ねた様子が示されているこの字は、『一人ひとりがバラバラでありながら協和している状態』を意味します。右へ倣えで全員が同じことをするわけではなく、みんなそれぞれ違うことをしているけど全体としてはいい感じにまとまっている、というイメージですね。

孔子は論語で『君子は和して同ぜず』と記していますが、これもまさに“龢”の意味に当てはまります。聖徳太子が重んじた『和を以て貴しとなす』という言葉も、おそらく“龢”的な意味だったのでしょう。

古くから大切にされてきた本来的な和の思想こそ、私たちが見つめ直すべき“日本人らしさ”ではないかと感じています。バラバラであることを良しとする――それは奇しくも、今の社会でよく耳にする“多様性”にもリンクしますね」

うまくいかない「めどき」は、大きな成果を生むための助走期間

成長を目指さないイノベーティブマインド、そして和の思想をひもとく一例として、安田さんは能のユニークな出演料のシステムについて解説してくれました。

「能の舞台の出演料は、完全な年齢制です。“年功”ではなくて“年齢”なんですよ。若手がたくさん台詞のある役をやっていて、60歳くらいの先輩の役がたったひとつしか台詞がなくても、出演料が高いのは後者なんです。面白いでしょう?(笑)」

これはなにも、上下関係が絶対的だからとか、先輩が理不尽だからとか、そういった理由からではありません。

ー文字の成り立ちをiPadで画面共有をして説明していただきました。

「これは上手下手は関係ありません。能の世界は、何百年という長いスパンで物事を捉えています。たまたまその時点では若手のほうが上手だっただけで、その先輩は80歳になった時に、劇的に花開くことがあるかもしれない。大事なものこそ、それが表に出てくるまでには時間がかかる。能の出演料は、このような考え方に立脚しているんです」

一定のレベルまで上達すると、その後に「やってもやってもなかなか変化が見えない時期」がある。それでも諦めずに続けていくと、ある時突然パンと扉が開けたように、上達を実感できる瞬間がやってくる。これは、スポーツや音楽などのほかの領域でも、しばしば起こる現象ではないでしょうか。

「なぜならそれは、脳がそういう構造になっているからです。ある程度の知識や経験の蓄積が積み重なり、それらが有機的にネットワークとして繋がって、初めて成果が現れるものがある。インプットしてからネットワーク化するまでに、時間がかかるんですね。こういった『いくらやっても変化が見えない停滞期』のことを、能の世界では“めどき(女時)”と呼びます」

勢いづいている勝負時の“おどき(男時)”に対して、何をやってもうまくいかない“めどき”。それは決して、ネガティブなものではありません。成果が現れるまでに必要な助走期間であり、むしろ大事に温めていくべきなのだと、安田さんは言います。

「会社にも“めどき”のなかにいる人たちは、たくさんいるでしょう。彼らは一見、組織への貢献が足りないように見えるかもしれません。けれども、彼らはそれぞれに積み重ねているものがあります。助走が長ければ長いほど、その先に現れる変化も大きくなるかもしれない。こうした“めどき”に対する寛容が、今の社会には必要なのではないかと、私は感じています。短期的な成果だけを見て『何もしていないのにお金をもらっていて、あの人はズルい』などと思わないこと。これは『その時々で、一人ひとりにそれぞれの役割があることを尊重し合う』という本来的な和の思想、日本人らしさともリンクしますね」

“責任”とは「受け取って、酌量して、的確に反応する能力」

初心の心得、和の思想、“めどき”への眼差し――これらを私たちの「はたらく」の現場に生かしていくには、どうしたらよいか。その答えは、それぞれの場所で、それぞれ立場から見出していくべきことであり、ここで一概に答えらしきものを提示することは叶いません。その前提を踏まえた上で、最後に安田さんから、これまでの話と「はたらく」にひもづけるキーワードをいただきました。それは、“責任”という言葉です。

「“めどき”を受け入れる組織になるためには、責任を持てる人が必要です。責任という言葉は“責める”というニュアンスが前に出すぎているためか、昨今ではこの“責任”という言葉の意味が誤解されています。責任とは“responsibility”、つまり本来は『相手から受け取って、酌量して、的確に反応するという“レスポンス”ができる能力』を指すのです。この反対が、投げられたものを、すぐに投げ返してしまう”react”、リアクションです。現代は、すぐに反応できる人がいいという傾向があるように感じます。」

能の世界では、師匠が弟子に対して、この“responsibility”を存分に発揮していると、安田さんは語ります。普段の稽古の指導は鬼のように厳しかった師匠も、舞台の直前には必ず「暴れてこい、俺が責任を持つ」と背中を押してくれたそうです。若い頃に舞台で大失敗をしたときも「10年経てば誰も覚えていないから」と言ってくれたなと、目を細めます。

「師匠という存在は、俯瞰的な視座から、こちらの言動に対して的確な言葉を返してくれます。そうした教えを受けて育っていった人が、また誰かにとっての責任を果たしていくことで、大切なことが脈々と受け継がれていく。責任とは、長いスパンでの持続性を支えていく営みとも言えるのです。

今こそ、長期的な視座でいろいろな物事を考えていくチャンスではないでしょうか。ほら、ぶっちゃけてしまえば、短期的にはどうにもならない状況だったりするでしょう(笑)。昔の会社は『待ってください、10年見ててください』と株主に言えましたが、昨今はそうでもなくなってしまった。でも、外的な環境が大きく変わっている今こそ、初心を大切に、変化を受け容れていれることを提案できるのではないでしょうか」

「天命」という字(安田さん直筆)

今回のキーワード「和」

「和を以って貴しと為す」聖徳太子の十七条憲法が定められてからというもの、日本人のグランドコンセプトは終始一貫して「和」だったのかもしれません。今回お話しをうかがった能という芸能はまさに「和」を体現するもの。そして、本来の「和」は、皆と仲良くやっていくことではなく、一人ひとりがバラバラでありながら調和する状態を指すのだということを安田さんから教えていただきました。

そういえば、ラグビーの平尾誠二元日本代表監督も、チームワークは単に助け合うことではなくて、一人ひとりが自分のなすべきことをして責任を果たすことだと著書の中で述べておられました。チ-ムワークって実は「和」だったのですね。

さらに、組織管理の分野で最近注目されている「ダイバーシティ&インクルージョン」。これは、多様な人材が、お互いを理解し、認め合い、活かされ、組織に関われている状態を目指すものですから、こちらも「和」を実現する施策だと言えそうです。「和」というコンセプトは、聖徳太子の頃から現代の私たちに至るまで大切にしてきた道理なのでしょう。

「和」をもって議論することを考えてみましょう。意見を戦わせて白黒つけるディベートでなく、無難な落としどころを探ってコンセンサスを得るのでもなくて、「和」の議論というのは、そこから新しいことを創り出す「三人寄れば文殊の知恵」的なイノベーティブなものなのに違いありません。相手とガツガツやり合うのでもなく、仲良しクラブでもない、互いを敬い、自分と相手の立場をきちんと理解する中で組織としての最高のパフォーマンスを出していく。「和」の精神をもって能舞台で展開される能という歌舞劇はまさにこれだったのですね。

今回「和」の文化を支える能楽師の安田さんに、「和」という素晴らしいキーワードに気づかせていただきました。古より「和」を大切にしなければいけないと説かれてきた私たちは、本来の「和」の意味を再認識し、そして、初心に立ち返ってやっていかなければなりません。

今回タブレットを駆使しながらオンライン・インタビューに応じてくれた安田さん。取材陣の誰よりもテクノロジーを使いこなしていました(還暦を過ぎた私と同い年にもかかわらず…)。環境に応じて新しいものをどんどん取り入れて自らを変革していく。能の初心の精神には、ただただ脱帽するばかりです(鯨井)。

著者プロフィール

―鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』など。

2020年7月9日更新

テキスト:西山 武志
イラスト:うにのれおな
写真提供:安田 登さん