働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

イノベーションを生み出す人材や組織をどう育てる? 変容する時代に価値を届けるデザインの視点 ━ 今を問い直し、新たな未来を創るデザイン #4

数十年の間に、私たちの世界はたくさんの「想定外」に直面してきました。インターネットの登場、それに伴う大規模な産業変化。気候変動による災害や、世界規模のパンデミックが発生。世界はますます不確実になっています。

企業は安定した価値の供給から、不確実な世の中で社会へ新しい価値を提供することが求められるようになりました。新しい価値を提供する「イノベーション」が、近年の企業にとって非常に重要なテーマとなっています。

同時に、イノベーションを起こすツールとしてさまざまな方法論が生まれています。その中でも特にデザインやデザイン思考がイノベーションに有効だと注目されています。

しかし、イノベーションを起こすためには、デザインの方法論を取り入れるだけでなく、方法を実践し、プロジェクトをリードできる人材や組織を育てていくことが必要不可欠です。

では、そのような人材や組織はどのように育成していけるのでしょうか?

2023年1月31日(火)、産総研デザインスクール主催で「Designing for alternative futures~今を問い直し、新たな未来を創る」を開催しました。全5回のシリーズのうち4回目となる今回は「経営のデザイン」をテーマに、ゲストにはTakram代表取締役の田川欣哉氏をお迎えしました。

田川氏はプロダクトからサービスまで幅広くデザインを手がけられ、2018年に政府から出された「デザイン経営宣言」策定のコアメンバーとして参加するなど、幅広い領域で活躍するデザインエンジニアです。

今回は田川氏とともに、経営やビジネスにおいてデザインがどのような役割を果たすのか。そして、イノベーションを起こしていく人材やチームをどのように育成し、生かしていくのかを探求しました。本記事では、シンポジウムの様子をお伝えします。

田川欣哉 (たがわ・きんや)
Takram代表取締役。プロダクト・サービスからブランドまで、テクノロジーとデザインの幅広い分野に精通するデザインエンジニア。これまで手がけた主なプロジェクトに、日本政府の地域経済分析システム「V-RESAS」のディレクション、メルカリのCXO補佐などがある。経済産業省・特許庁の「デザイン経営」宣言の作成にコアメンバーとして関わった。グッドデザイン金賞、 iF Design Award、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエータ認定など受賞多数。東京大学工学部卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程修了。2015年から2018年まで英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート客員教授を務め、2018年に同校から名誉フェローを授与された。経済産業省産業構造審議会 知的財産分科会委員、日本デザイン振興会理事、東京大学総長室アドバイザーを務める。

産業潮流に合わせて変容してきたデザインの役割

シンポジウム冒頭は田川氏のキーノートセッションから始まりました。田川氏はデザインの歴史を紹介しながら、デザインは産業潮流とともに進化してきたことを示します。

産業において最初の転換点である第1次産業革命は、大量機械生産を可能としました。一方で大量生産へのアンチテーゼとして「アーツ・アンド・クラフト運動」が起きるなど、ものづくりへの姿勢が問われる時代でもありました。 大量生産が主流となる中、機能的かつ洗練された製品をどう作っていくのかが模索される過程で、プロダクトデザイナーの仕事が確立します。後に広告が重要になり、広告をデザインするグラフィックデザイナーも登場し、デザイナーの核となる2つの職業が生まれました。

その後、幾度かの産業革命の中でデザイナーの役割が変化していきますが、デザインにとって大きな転機となったのがインターネットの登場でした。

田川「インターネットの登場前後で、顧客との接点に体験価値が重要視されるようになりました。ビジネスモデルもユーザーに買ってもらい収益を得る形から、ユーザーに使い続けてもらうことで収益を得る形に変化しました。つまり、ユーザーにとって使いやすいサービスをつくることがビジネスの鍵になります」

デザイン領域には、ユーザー中心の考え方でプロダクトやサービスを設計するスキルや手法が蓄えられていたため、イノベーションにデザインを活用する潮流が生まれました。

インターネットの登場をきっかけに、デジタルやサービスなど媒体の使いやすさをデザインするUXデザイナーやサービスデザイナーという仕事が生まれます。ビジネスにおいてデザインは顧客と継続的な関係性を結ぶために、欠かせない存在となっていきます。

2018年には経営にデザインの視点を取り入れることを提案した「デザイン経営宣言」が政府から出され、経営においてもデザインの視点が必要であることが紹介されました。デザインの役割がものづくりにとどまらない可能性を秘めていることを象徴しています。

必ずしも「万能薬」ではないデザイン

「デザイン経営宣言」から5年。近年では経営層にデザイナーを起用する企業が増え、企業の競争力が高まるなど具体的な効果も現れ始めています。今やさまざまな企業がデザインに注目していますが、田川氏はデザインやデザイン思考が全ての企業や組織に大きな効果を与えるわけではないと話します。

田川「デザインやデザイン思考は万能薬ではありません。頭痛薬が腹痛には効かないように、デザインの使い方やどこに効果があるかを知っておくことが非常に重要です。デザインの効き目が特に期待されるのは、デジタル要素がありエンドユーザーを持っているところ。エンドユーザーを持っていないデジタル領域、BtoBのSaaS領域などは効果が少し弱くなります」

どんなツールも得意分野があり、すべてを改善することはできません。デザインに関しては、人間の感情や行動がビジネスの成功を左右する領域では大きな効果を発揮します。

業界や状況によっては、ロジカルシンキングや生産技術の改善などの方が効果的な場面もあります。デザインが効果を発揮する要因や方法を理解した上で、適材適所で適用していくことが重要になります。

イノベーションに必要な人材とチームに必要な要素

デザインにも得意不得意があり、デザイン単体ではイノベーションを起こすことはできません。では、イノベーションを起こすために、人材やチームに必要な要素はなんでしょうか?

戦略や企画などのビジネスの視点、エンジニアリングなどのテクノロジーの視点、デザインなどのクリエイティビティの視点。田川氏は、これら3つの視点を理解し、柔軟に駆使する「BTC人材」が必要だと話します。

田川「BTC人材はビジネスとテクノロジー、クリエイティビティの3つの視点を柔軟に駆使しながら、プロダクトやサービスを生み出す人を指し、イノベーションを生み出すキーとなる人材です。イノベーションにおいては、この3つの視点を行き来できる架け橋のような人材やチームが必要です。

チームで取り組む際も、最初からビジネスやテクノロジー、クリエイティビティに専門性がある5〜7名のタスクフォース型で進めていきます」

また、イノベーションに関するプロジェクトの進行プロセスも従来とは異なります。

田川「プロダクトやサービスの開発段階では旧来のリニア型ではなく、フィールドリサーチ・仮説構築・プロトタイプによる検証を繰り返し、価値創造と社会実装を行き来しながら進めていきます。

メンバーはビジネスやテクノロジーの専門性を持ちつつ、他の専門性や分野へと触手を伸ばし、自分と違う重心を持っている人に理解を示しながら進めていくことが求められます」

前回の第3回シンポジウムでは、デザイナーのマイケル氏が「これからのデザイナーは深く人間を理解しつつ、様々な領域を巻き込めるT字型の人材が必要だ」と言及していました。

BTC人材に必要な要素は、イノベーションを起こすチームにおいて、T字型のような人材はデザイナーだけでなくビジネスパーソンやエンジニアにとっても必要なスキルセットになることを示唆しています。

自分の専門性を深く理解しつつ、違う視点への広い関心を持ち巻き込めるマインドセットがイノベーションにおいても必要になります。

BTC人材を育成する最初の一歩は?

ビジネス・テクノロジー・クリエイティビティ3つの視点を備えたBTC人材を育成するプロセスは非常に時間がかかります。育成するためには何から着手すれば良いのでしょうか?

田川氏はBTC人材を育てる最初のステップはユーザー理解とプロトタイピングを鍛えることだと話します。

田川「BTC人材を育成する最初のステップとして、ユーザー理解の方法を実践し使いこなせることが重要です。具体的には観察やインタビュー方法を学ぶことを指します。ユーザー理解を経て実際にプロトタイプをつくり、仮説をテストできる状態を繰り返す力を鍛えあげると、チームでも活躍できる人材になりえると思います」

BTC人材の育成プロセスは、起点となる専門性がテクノロジーにあるのか、ビジネスにあるのかで少しずつ異なります。特に、日本ではテクノロジー分野の人がキャリアアップする過程で、ビジネスの視点を習得し、BT型の人材になることが多いそうです。

それでもユーザー理解とプロトタイピングの力は共通してBTC人材の基盤となります。人間を深く理解し、問いをたて、テストできる装置を作る。このサイクルを回して発展することが、BTC人材へと変化する最初の1歩となるのです。

アイデアが社会に実装できない意外な落とし穴

対談セッションでは、現在産総研デザインスクールで学んでいる宮島さんから「自分が所属している研究所では、テクノロジー分野以外の人が多く、他の観点を入れることが難しい。開発段階でビジネスやデザインの視点を補完できる方法はあるか?」との質問が投げかけられました。

質問に対し、田川氏は開発段階で「売る視点」から問いを立てる必要性を指摘します。

田川「イノベーティブなアイデアも、市場投入の方法を知らないために失敗することが多くあります。いくら使いやすい商品を開発しても、価格設定やチャネル設計などの初歩的なところで足元をすくわれてしまう。

だからアイデアを作る段階で、販売視点でも問いを立てておくことが重要です。例えば、ユーザーにプロダクトやサービスを届ける場所に実際に行ってみる。専門家に壁打ちをしてもらう。それを実践しても成功するかどうかは分かりませんが、何もしないことに比べれば、確率は大きく上がるはずです」

実際に実装する現場へのフィールドワークやユーザーテストの重要性を強調した上で、例外にも言及します。

田川「成功する例外としては、チームにユーザー当事者がいる場合があげられます。当事者ならユーザーにあった解消法を考えやすいですよね。だから、デザイン思考に非常に長けているチームか、ユーザー当事者がいるチームがプロジェクトを成功させる傾向にあると思います」

キーノートセッションや対談セッションを通して見えてきたのは、技術やアイデアを開発する段階で「人間への理解」が非常に重要であることです。新しいアイデアもユーザーにとって受け入れ難いものは、当然ながらイノベーションには至りません。

技術の進歩や突飛なアイデアも、もともとはその先にいる人に届けることが最終的な目標となります。開発段階でも製品の先にいるユーザーを見失わないことが重要になってくるのです。

人間への理解と課題解決の先に見据えるもの

多くの質問が飛び交ったイベントも終盤に差し掛かり、モデレーターの大本綾氏よりオルタナティブな未来を描くために何をデザインするか伺いました。

田川「私は『どうやったらイノベーションを連続的に生み出せるチームや人材をつくれるのか?』が自分にとって重要なテーマなんです。これからもそれは変わらないと思います。

チームメンバーの編成からプロセスのバランスなどを研究し、どんなテーマを出しても高い打率でイノベーションを起こせる再現性のある黄金律を突き詰めたいと思っています。イノベーション特化型のチームをデザインしていきたいです」

そのうえで、参加者に対する”問い”の贈りものをいただきました。

田川「最近は人工物や環境を作るうえで、人間と向き合う必要性を感じています。そのうえで問いとして『人間と向き合う切り口は、本当に人間理解や課題解決だけなのか?』と投げかけたいです。

人間の生活や文化が洗練されていく中で、課題解決だけではなく、その先にある美学や哲学が大切になっていくと思っています。食がお腹を満たすだけではなく、おいしさや美しさを求めていったように。人工物が食と同じくらいのレベルで多様で素晴らしいものになっていくのが、デザインの究極の形ではないでしょうか」

デザインの役割が確立した最初の産業革命から、人々はさまざまなアプローチを通して課題解決を試み、解決してきました。現在でも解決しなければならない問題はたくさんありますが、デザインが生まれた頃に比べると、対象は目にみえるモノから、目に見えないコトへと広がりつつあります。

何かをデザインして生み出していく中で見つめるべき視点は、課題解決1つのみではない。それを用いる人間が複雑な要素を持った存在であるからこそ、困りごとだけでは表せない、美しさや哲学を求めていく。人間に向き合い続けているデザインの次の可能性を感じる時間となりました。


このシンポジウムは5回シリーズとなっており、様々な分野の実践者のゲストと今を問い直すうえで必要な視点を探求していきます。最終回となる次回は、京都大学学際融合教育研究推進センター准教授の宮野広樹氏にご登壇いただきます。最終回のテーマは「問いのデザイン」です。自分を変え、コミュニティや社会を変えていく上で必要な問いとは何か?を宮野先生と探求していきます。後半の対談セッションでは、株式会社MIMIGURIのデザインストラテジスト小田裕和氏をお迎えし、未来社会をデザインするうえでの必要な「問い」を考えていきます。次回もお楽しみに!

Designing X – 今を問い直し、新たな未来を創る とは?

産業技術総合研究所が企画運営する産総研デザインスクール主催で開催しているシンポジウム。今年は「Desining X for alternative future〜今を問い直し、新たな未来を創る〜」と題し、今起きている状況を様々な視点から問い直し、新たな未来を創るデザインに必要な視点を探求していきます。シンポジウムでは毎回異なる領域「X(エックス)」で既存の分野に新たな軸を加えることで概念を変える活動をしているゲストをお招きし、今の世界を見るうえで必要となる視点や実践知をご講演いただいています。

2023年1月取材

テキスト:外村祐理子
グラフィックレコーディング:仲沢実桜