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系統の分断を乗り越え、新しい「膜」を創造する ― NOSIGNER・太刀川英輔

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。

デザインストラテジストの太刀川英輔は、新しい未来とは「系統的な思考」と過去への敬意によってかたちづくられると語る。江戸文化を支えた共同体「連」の現代への適応性を、系統的な思考から探る。

―太刀川英輔(たちかわ・えいすけ)
NOSIGNER代表。デザインストラテジスト。産学官のさまざまなセクターの中に変革者を育むため、生物の進化という自然現象から創造性の本質を学ぶ「進化思考」を提唱し、創造的な教育を普及させる活動を続ける。著書に『進化思考』(海士の風、2021年)などがある。

私は、新しいデザインとは系譜のなかに新しい歴史をつくることにほかならないと考えています。それは、創造の歴史的文脈を知り、その文脈に潜む願いを引き受け、現代への適応性を探るということです。 

しかし日本を振り返ってみると、江戸時代の公用書体であった御家流(くずし字)の廃止などにより、私たちは数百年にわたって積み上げた文化のリソースにアクセスできないという「文化における系統の分断」も経験しています。さまざまな社会危機に直面する我々にとって、いまサステナブルな江戸(過去)から問い直すという視点は非常に大きな意味をもつはずです。

「長屋」「連」にみる越境を誘発する曖昧さ

江戸時代の文化コミュニティを語るにあたって、興味深いと感じるのは長屋の構成です。道路沿いの表店(おもてだな)の裏に住居の「裏長屋(裏店/うらだな)」があって、複数の家が住まいを共にしながら台所やトイレ、井戸も共有していました。つまりコミュニティハウスそのものです。狭い家屋ですし、子どもは共同で外で育てることも自然とあったでしょう。 

あらゆるリソースが足りないなかで、互いに信頼関係を築かないと成り立たない超過密な都市居住のあり方は、シェアリングエコノミーを必然的に生み出します。「シェア」の前提にある相手との「関係性」が常に複数存在し、自己や家族を隔てる境界線が曖昧さをもちながら文化を形成した時代が江戸でした。共通の趣味・文化に集う、偽名を許容する文化コミュニティである「連」も、曖昧な個の境界線を示す集団のあり方といえます。 

そして連の曖昧な境界線は、職業などのクラスター間の「越境」を引き起こします。数学者・社会学者のダンカン・ワッツは「複雑ネットワーク理論」のなかで、知り合いを6人たどれば地球上のほぼ全員とつながるとした「スモールワールド現象」の数学的理由を証明しました。世界を狭くするのは「越境者」の存在だったのです。長屋や連のような共同体がもつ自他の曖昧さは、文化的越境の連鎖を生み、変化を加速する結節点だったのではないでしょうか。

現代社会に求められる、「文明の皮膚」のデザイン

こうした自他の曖昧な領域は、バッファ、余剰、緩衝地帯といった言葉にも形容されます。近代社会は、実のところ全体性を支えていた曖昧さを排除することで一見合理化されてきました。人間と自然の関係性をとりもっていた東京湾の干潟が埋め立てられていったのも明治時代に入ってからです。人間は、衣服や建築物などから余剰を取り除いて、もはや膜というよりも硬い殻(壁)を次々とつくり上げてきました。 

その強固な殻で隔てられた関係では、隣人や外部環境に「異変があったらすぐ気づく」というようなセンサーが作動しにくくなります。一方、長屋や連といった多様な緩衝地帯は、そのセンサーとして機能していた可能性があるのです。 

現代社会においては、この膜と余剰の再設計、つまり「文明の皮膚」のデザインが非常に重要だと思っています。私の知人に、キノコ研究者で、世界最高レベルの音質のスピーカーをつくっている不思議な友人がいます。彼はゴルフの打ちっぱなし場も経営していますが、そこには柵が存在しません。彼によれば、「ゴルフボールが飛ぶ範囲の山を買って自然のまま放置している。その方が安い」というのです。膜ではなく距離で解決するその発想に驚いたのですが、膜の存在を問うことは、「センサー」の働く緩衝地帯が実装された回復性・復元性をもつ社会、あるいは都市を構築するのに有効な知恵です。

NOSIGNERオフィスの天井の建材には、内装解体直後に廃棄された軽量鉄骨が活用されている。

閾値を超える、コミュニティのサイズ

では「これからの膜」といった新しい価値を社会に実装するために、私が生業とするデザインには何が求められるでしょうか。デザインの役割のひとつは、まだ見えないビジョンを具体的に可視化すること、もうひとつは実際に具現化することにあります。人間が関わるもののすべてにはヒトの創造性があり、デザインの境界線はそもそも非常に曖昧です。現代では専門分化され、デザインの範囲が著しく狭くなってしまいましたが、異なる領域をビジョンによってつなぐのが、これからのデザインなのだと思います。 

ビジョンの可視化や、具体的な解決があらゆるセクターに求められるなかで、創造性は現代のすべての人の課題です。誰もが創造的な解決策を生み出す広義のデザイナーになることが求められている、ともいえます。 

創造性の観点から連について触れてみると、創造的なコミュニティのサイズ感もまた重要です。個人的に提唱したいのは、コミュニティとは「3.5」の乗数で広がるということです。プロジェクトチームは3.5人くらいがちょうどいい。密なコミュニティは3.5の2乗。これはキリストの使徒13人と一致します。クラスのサイズは3.5の3乗で40人くらい。そして3.5の4乗が150で、人が安定的な社会関係を維持できる上限とされる「ダンバー数」と一致します。つまりひとつのコミュニティが膨張するのではなく、少人数の創造的な集団が自発的に増殖し、文化が閾値を超えて広がるのではないか。そして、まさに江戸の長屋や連のような共同体のあり方が、そうしたエコシステムへの大きなヒントなのだと思うのです。

普遍の願いを引き受ける

江戸時代は、混迷極める戦国時代を経験し、人口増加や森林伐採による環境破壊、資源の少なさ、度重なる飢饉などの困難があったはずの時代でした。そこには生活を営む人々や社会の切実さがあり、それが現代でも参照されるサステナブルで多様な文化に満ちた社会のありようを生み出す一端となったのでしょう。実感を伴う切実さがなければ、適正な社会にはなかなか近づけないのかもしれません。 

江戸時代の人々が実感していた切実さは、今日のパンデミック、気候危機、戦争、あらゆる社会問題が押し寄せ、既存の社会基盤に限界を迎えている私たちと共通する普遍の願いがあるように思います。もちろん、江戸時代が理想でその仕組みそのものが現代にそのまま当てはまるのがいい、とは思いません。しかし、当時の願いを再びわたしたちが引き受け、現代への適応性を探ることは、いま私たちに求められる失われた過去への態度であり、それが次の持続可能な世界へと近づく鍵となるはずです。

2022年5月取材

テキスト:和田拓也
写真:山口雄太郎