「自分の本音に従いたかった」 スタートアップ企業で執行役員を務めた村田晋太郎さんが、キャリアを手放して美大に入学した理由
ライフステージの変化によって、今まで積み上げてきたキャリアを手放す。そんな選択を迫られて、葛藤している方もいるでしょう。
旅のサブスクサービス「HafH(ハフ)」を手がける株式会社KabuK Style(カブクスタイル)で、執行役員を務めていた村田晋太郎さんは2022年に会社を退職し、今春から多摩美術大学の美術学部絵画学科に入学しました。
勢いのあるスタートアップ企業で順風満帆なキャリアを歩んでいた村田さんは、なぜキャリアを自ら手放し、美大に進学したのでしょうか。
今回は、多摩美術大学のオープンキャンパスに訪問。学内の優秀作品に選ばれた村田さんの作品を見せてもらいつつ、キャリアについてお話を伺いました。
―村田 晋太郎(むらた・しんたろう)
1984年、京都府生まれ。筑波大学を卒業後、東急不動産株式会社に入社し、不動産開発事業に携わる。2019年から旅のサブスクサービス『HafH』を展開する株式会社KabuK Styleに参画し、コロナ禍をきっかけに組織開発・人事を担う責任者として執行役員に就任。30代後半から趣味の一環で始めた絵を描くことを通じて感じ取ったアートの無限の可能性をもっと探求したいという自身の願いを尊重し、2022年7月末で株式会社KabuK Styleを退職。2023年4月から多摩美術大学 美術学部 絵画学科 油画専攻に在籍している。
一回り以上年下の同級生と過ごす、人生2度目のキャンパスライフ
わぁ、圧巻です! 木の壮大な生命力が感じられる作品ですね。
WORK MILL
村田
今日はわざわざ大学まで足を運んでくださり、ありがとうございます。
この絵は、「風景を描く」という授業の課題で描いたものです。どこで描こうかと構内をぐるぐると散策していたときに、この大きなイチョウの木が気になったんです。
村田
四方に葉っぱを茂らせながら悠然と生えていて、雄大で力強さを感じるとともに、この「ひこばえ」が印象的で……。
自分自身や次の世代が足元で育っていく姿のように見えて、その場面を描いてみようとまず『イチョウ/地』を描きました。
まだ小さいけれど、木に寄り添って生えているのが愛らしいですね。
WORK MILL
村田
そよ風になびく木の枝、ゆらゆらと揺れる葉っぱ、そこに光が木漏れ落ちてくる姿が美しく感じて、ここに通い、座りながら描いていました。
制作期間は炎天下だったのですが、木の日陰があったおかげでそんなにつらくなくて。今度は、自分がひこばえと同じ立場で、木に守ってもらった感覚を表現してみようと、100号のキャンバスを持ってきて『イチョウ/天』を制作しました。
オープンキャンパスも大盛況ですね。村田さんにとって二度目のキャンパスライフ、率直にいかがですか?
WORK MILL
村田
現在39歳なので、一度目の大学生活は20年前か……。そのときの同級生はもちろん同年代の人が多かったですが、今は20歳くらい年が離れていますね。
一応、さん付けで敬語を使ってくれますが、たまにタメ語で喋ってくれることもあって(笑)。同じ目線でいてくれるのはとてもありがたいし、年下の子たちと一緒に学べるのはうれしいです。
どういったスケジュールで学生生活を過ごしているのですか?
WORK MILL
村田
私は油画専攻で、現在は週5〜6日大学に通っています。基本的に午前中は大学で出た課題を中心に、一人ひとりに割り当てられた学内のアトリエで制作をしています。
美大の授業は、どんな様子なのですか?
WORK MILL
村田
油画専攻は少し特殊で、実技のみなんです。先生に手取り足取り教えてもらうというよりは、自分で実践しながら質問したり、フィードバックしてもらったり、能動的な学習姿勢を求められています。
午後は教養科目があるので、自分の興味関心に応じて授業を取ったり、それ以外の時間はオンデマンド授業を視聴したり、空いている時間は展示会や美術館を訪れたりしていますね。
興味はあったけど、今までスルーしてきたことを学んでみよう
前職のKabuK Styleでは、人事のご担当だったと伺いました。どういったきっかけで、アートを学んでみようと思ったのですか?
WORK MILL
村田
振り返ってみると、社会人になってから何かを学ぶのは、「仕事で必要だから」というケースがほとんどで。
でも、3年前にコーチングを勉強したのを機に、自分が興味のあることを学ぶ楽しさに改めて気づきました。コーチングの勉強も最初は仕事のためだったのですが、学んでいくにつれて、仕事だけでなく自分の人生も見直すことができ、とても新鮮でした。
好きだからではなく、目的が先行していたんですね。
WORK MILL
村田
そうです。それで、「今まで興味はあったけど挑戦してこなかったこと、スルーしてきたことを学んでみたい」と思ったんです。
そのときに、ぱっと浮かんだのが絵でした。ずっと興味はあったものの、うまく描けないし、どうせ才能もない。絵が上手な人なんて世の中にいっぱいいるし、それよりも他にやらなきゃいけないことがある……と、思考がそれより先に行かなかったのです。
2022年の春、まずは仕事しながら習ってみようと、軽い気持ちで社会人向けのイラストとデザインが勉強できる専門学校に入学しました。
村田
その専門学校で、描いた絵を人に見せる機会があって。そのとき、自分の絵を見て泣いてくれた方がいたんです。理由はいろいろあるのですが、それでもびっくりしてしまって……。
その涙を見た瞬間、今までの自分は人に想いを伝えるとき、言葉の力に頼りきっていたことに気づきました。
言葉の力?
WORK MILL
村田
絵は説明文ではないので、どう捉えるかは受け手の自由です。でも、人に何かを伝えるとき、言葉で表さなくても表現できることを実感して、その状態のコミュニケーションに興味が湧いてきました。
けれど、まだまだ絵の技術は拙い。だったら、アカデミックな場所に行って本格的に勉強してみるのもいいんじゃないかな、と。人生一度きりですし。
キャリアを手放すのは、すべてを失うことではない
「仕事を続けながら学ぶ」という選択肢はなかったのですか?
WORK MILL
村田
なかったですね。自分が不器用なだけかもしれませんが、時間もお金も労力も有限なもの。せっかくやりたいことが見つかったのなら、それをど真ん中に置いて、あとは余白で組み立てようと思いました。
幸い、会社勤めのときの貯蓄もありました。そのお金で時間を買って、創作活動することに一定期間思いっきり集中することにしたんです。
それでも、仕事をやめるには思い切りが必要そうです……。
WORK MILL
村田
正直に言うと、仕事を手放すことに対してはあまり恐れがなかったです。というのも、実はすでに一度キャリアを手放した経験があって。
一度目はどんな経験だったんですか?
WORK MILL
村田
新卒で大手不動産企業に就職しました。最初は仕事を覚えていく過程が楽しかったのですが、30歳くらいで「このままでいいのかな?」という気持ちを無視できなくなってしまって。
大手企業だし、条件も給料もいいし……と、自分を納得させようとした時期もありました。でも、そう思っている時点で自分の「立場」に執着しているだけで、心はすでに離れている、と気づいたのです。
恵まれている環境だったけど、ご自身の中には違和感があった……。
WORK MILL
村田
そんなモヤモヤを抱えていたとき、大学の先輩にたまたま再会して、新しくスタートアップを立ち上げるという話を聞きました。それが「HafH(ハフ)」を運営するKabuK Styleです。とても面白そうな事業で、思い切って転職することにしました。
とはいえ、10年以上かけて積み上げてきたキャリア、大企業に所属しているという「立場」を手放すのはもちろん怖くて、決断するまでに少し時間はかかってしまいましたけどね。
一度キャリアを手放した経験があったからこそ、今回の選択もできたんですね。
WORK MILL
村田
そうですね。自分の本音に従いたかった。死ぬ間際で「あのときこれをやっとけばよかった」と、後悔する人生にしたくないんです。
「心からやりたいことがある」ということ自体、自分にとっては素晴らしい状況。だったら、一歩踏み出してやってみればいいと思うし、現実的にそれが難しかったとしても、できるように自分を寄せていくのも大事なのかな、と。
村田
運がよければ、いつかやりたいことをやれる環境に行けるかもしれません。でも、待っているだけではそういった機会がいつ訪れるかは分からない。
後悔しないように生きるには、やっぱり自分でどんどん探して見つけて、耕していかなければいけません。自分にとって、不本意なことで隙間を埋めている時間は、非常にもったいないんですよ。
現在の村田さんを見ていると、先ほどおっしゃっていた「興味あることをスルーしていた時期もあった」というのがあまり結びつかなくて……。
やはりその変化は、スタートアップでの経験が大きかったですか?
WORK MILL
村田
そうですね。以前は、既成概念にガチガチにとらわれていたのですが、スタートアップで働いたことで「〜すべき」「こうしなければならない」という思い込みからどんどん解き放たれて、本質的なことに向き合えるようになった気がします。
いったん手放してはいるけれど、全てを失ったわけではない。自分の中に、今までの経験やノウハウ、人との繋がりは存在しつづけます。
なるほど……。
WORK MILL
村田
だから、出そうと思ったら「ちょっと待ってね」と言って自分のカバンから取り出せるし、今までやってきたことを掛け算して「こういうことやってみよう」というのもできる。
自分自身は清水の舞台から飛び降りて挑戦している感覚でもないんですよ。
手放すといっても、自分の持ち物から完全になくなるわけではない。
WORK MILL
村田
いま絵をこうやって集中的に学んでいることに関しても「ちょっと違うな、もういいかな」と思った瞬間に、また次の何かが始まると思っていて。
手放すとスペースができるので、そこでまた次に自分のメインに置きたいものを置いて、それをまた茂らせてく。そんな感覚でしょうか。
自分自身のためにアートを学ぶ、その先に
手放すことは仕事に限らず、恐れを感じてしまう人も多いと思います。村田さん流のコツはありますか?
WORK MILL
村田
手放せない事情はそれぞれあると思いますが、解決できる方法は必ずあると思うんです。
たとえば、完全に手放さなくても握り方を少しソフトにしてあげる、利き手ではないほうに持ち替えてみる……。考え方や解釈、相手がいるのであれば距離感を変えてみることも有効だと思います。
答えは一つではないですよね。
WORK MILL
村田
はい、そのためには自分にとって要るもの、要らないものを仕分けするのも大事で。
「世の中的にやったほうがいいと思われていること」「みんなはやっているけど、実はやらなくてもいいこと」は意外とあると思っていて。
そういうのは思い切ってやらない、自分に取り入れない。ときには、そんな選択肢を持ってみるのもいいのではないでしょうか。
そんな村田さんが描く、今後のキャリアやビジョンが気になります。
WORK MILL
村田
絵に限らず、創作したり、表現したりすることは、ライフワークとして自分のペースで一生取り組んでいく予定です。
もう一つは、今までやってきたことと、まさに現在取り組んでいるアートを掛け算して、世の中や社会に対して価値や機会を提供する。それも、同時並行でやっていきたいです。
具体的にはどんなことですか?
WORK MILL
村田
少し話がそれちゃうのですが、美大に入学して衝撃的だったことがあって。同級生の中には、教職や学芸員の資格を取らなきゃと思っている人がけっこう多いんです。なぜかというと、内心では絵をメインの仕事にしていきたいと思っているのに、それは難しいと諦めてしまっているから。こんなに絵心があって才能豊かな学生ばかりなのに、その状況がもったいないと思いました。
自分は大学1年生でありながら、社会人経験がある。さらにアート業界ではない外部から来た人間です。その目線でこの状況を捉えたとき、ビジネスとして絵を売買できる場面を積極的に作っていけたら、もしかしたら絵で食べていける道を後押しできるかもしれないと思いました。
村田
たとえば、不動産の視点で考えるなら、世の中にたくさんある空いたスペースを、アートが発表できる場所にどんどん作り替えてみる。そこで、熱意あるクリエーターに個展や展示を開催してもらい、人々を呼んでそこで展示されている作品の売買を促す。
そういった場づくりをすることで、夢を諦めていっちゃう人たちが活躍する機会を作れたらいいなと今は思っています。
最後に、村田さんが絵を描いている、学んでいる理由を聞いてもいいですか?
WORK MILL
村田
絵を描くことで、自分の内側にアクセスができる。表現することで可視化できる、誰かと共有できる。そういったところが魅力なのかな。いや、何か違うな……。
ちょっと感覚的な答えかもしれませんが、自分自身が求めているんです。アートを学ぶことによって、次に繋がっていく、今までのやり方と組み合わせると絶対面白いことができる、そんな直感があって。
自分の内なる声といいますか、感覚に従って絵を描いているのだと思います。
役に立つからではなく、自分が求めているから。その先に面白いことが起こりそうだ、と。
WORK MILL
村田
結果的には、役立つと思うんですよ。でも、役に立たせるために学んでいるわけではなくて。
もちろん、描いた作品は誰かに見てもらいたいですけど、人に見てもらうため、認めてもらうために描くのではない。自分で自分を認めるため、納得させるため、人生を満足させるために描いているのだと思います。
2023年7月取材
取材・執筆=矢内あや
撮影=小野奈那子
編集=鬼頭佳代(ノオト)