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会社員とジャーナリズム | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

月とすっぽん。ハチミツとクローバー。アリとキリギリス。アナと雪の女王。北風と太陽。トムとジェリー。老人と海。世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド。

2つのものが並べられると、人は、その違いや似たところについて無意識に考えてしまいます。2つの違いの幅が大きくて見当がつきづらいものほど、脳は興味を覚え、勝手にその関連についての推測を深めていきます。…いや、実際には、必ずしも推測をはじめるということはなく、逆に興味を失ってしまうことも。この辺り、脳のご機嫌伺いは難しい…。

さて、それでは「会社員とジャーナリズム」はどうでしょう? 脳は勝手に動きだしているでしょうか?

「会社と社会の間にズレがあるのはしょうがない」のか?

堅実。飼い犬。単身赴任。上下関係。ネクタイ。諦め。面従腹背。

高校をどうにかこうにか卒業し、そこから約20年間フリーターをやっていた私にとって、会社員のイメージは決していいものではありませんでした。

「サラリーマンですから上司の命令には…」と言って、嫌な仕事も納得のいかない命令も聞き入れる。会社員に対して、そんなステレオタイプのイメージを持っていました。

ただ実際には、フリーター生活で多くのサラリーマンと一緒に働く中で、それが単なるイメージに過ぎず、人によっても職場によっても全然違うし、そんなに単純なものではないことも理解していました。

それでも、「会社員」を否定的に捉えることで、それまで自分が20年近くやっていた「フリーター生活」を正当化したいという気持ちが上回っていたのです。

さらには、当時はそれを自覚できていませんでしたが、自分の心の奥底に会社員に対する「羨ましさ」があることを認めたくないという気持ちや、もし自分が会社員になってしまったら、会社という複雑な組織の中で複雑な仕事をこなす能力が自分にはないということがバレれてしまうのではないかという恐怖も感じていたのでしょう。

(ところで、今は全国の小中高校生の「なりたい職業ランキング」の第1位が会社員なんですね。ちょっとびっくり。参考: 第一生命保険 第33回「大人になったらなりたいもの」調査結果を発表)

こんなひねくれた気持ちを隠しつつ、縁あって30代も中盤を過ぎてから会社員を始めた私ですが、現実には恐れていた飼い犬になることも、面従腹背をしなければならないこともありませんでした(ただし、自分が十分な能力を持っていないことは隠せませんでしたが)。

それは職場で感じる「社会とのズレ」を入社後も表明し続けてきたからではないかと思うのです。 そして多くの場面で、そのズレをどうにかするための行動を呼びかけ、実践してきたからではないかとも思うのです(そんな私を認めて支援してくれたリーダーや上司には感謝しかありません)。

会社には社会課題に向き合ってほしい

中立。取材。真相。本質。問題提起。オピニオン形成。

これが私が「ジャーナリズム」に対して抱いているイメージを言語化したものです。そしてこの6つはすべて、現代社会に必要なものだと感じているし、多くの人が今後一層求めるものとなっていくのではないかと感じています。

ここ10年にわたり、私がIBMで「コラボレーション・エナジャイザー」という肩書きを持ちながらやってきた仕事は、社内SNSのコミュニティーマネージャーとオウンドメディアのライター兼編集者です。

この2つは範囲や対象が「社内」と「社外」という違いこそあるものの、どちらもコミュニケーションと発信がその仕事の中心にあります。そしてどちらも「良い場を作り上げ拡げていくための仕組み」だと私は捉えています。

そこで、求められるものは、多くの社員や社外のステークホルダーから聞こえてくる声に対して真摯に向き合うこと。その際に求められる姿勢は、まさに中立、本質。そして仕事の進め方は取材、問題提起、オピニオン形成です。

もちろん、そこにはきれいごとばかりではない妥協や計算も求められます。だからと言って、中立、本質、問題提起を中心に置かなければ、社内でも社外でもまともに受け取ってはもらえません。

仕事は人をしあわせにするものであり、その過程と結果が会社のしあわせと社会のしあわせである。

−− そんな「仕事の本質」を体現していなければ、その仕事が失敗に終わる可能性は今後ますます高くなっていくのではないでしょうか。逆に言えば、その考え方に沿って仕事をしている社員の多い組織は、今後より多くの人に受け入れられ、より強く求められるようになるでしょう。

今、すでにそうなりつつあることを感じさせられるのが、広告業界における「ブランド・ジャーナリズム」という考え方やアプローチ、そして世界的に広がりつつある「株主・CEO・従業員アクティビズム」という潮流です。

それぞれを細かくは説明しませんが、全体を大きく捉えて説明すると「ブランドや会社は、社会的責任を果たすべきだという」考えを基盤として、それに関わる人(株主、CEO、従業員)が実際にそのための行動を起こすこと、あるいは周囲がそれを求めることを意味しています。

世界でそのうねりが大きくなり続けている一つ大きな理由は、社会における優先課題の存在がSDGsのおかげで広く知れ渡ったこと。そしてそれに呼応するかのように、企業評価の中心軸がESGとなったことでしょう。

とはいうものの、「ブランド・ジャーナリズム」も「株主・CEO・従業員アクティビズム」も、日本での広がり方は緩やかです。

これはおそらく、アクティビズムの特徴である「価値観や思想を強く打ち出すのみならず、特定の目的達成のために、積極的に行動を起こす」という行為が、日本における会社やその活動に対する一般的なイメージとはまだまだ乖離しており、「やり過ぎ」と捉えられてしまうリスクが高いと考えられているからではないしょうか。

言い換えると、日本社会は会社に「社会的な正しさの中に収まること」を求めてはいるけれど、「社会的な正しさの枠を作り変えていくこと」は求めていないと言えるでしょう。

つまり、「ジャーナリズム的アプローチは求めているけれど、アクティビズムまでは求めていない」ように私には思えます。

ここで一度これまでの話を整理してみます。

1. 「会社と社会の間にズレがあるのはしょうがないこと」という考えは色褪せてきている。
2. 会社には社会課題に向き合ってほしいという期待や意識は大きくなってきている。
3. でも会社が「社会的な正しさ」を形作っていくことには抵抗を感じている

誰だって、悪事には加担したくない。諦めに後戻りしたくない

「会社は営利組織なんだから中立にはなれない。問題提起やオピニオン形成なんて利益誘導に過ぎない。」こうした意見は今後も根強く残るでしょう。おそらくはこれからも。

ただ一方で、その考え方を超越した会社も、これから一層増えていくであろうと思うのです。

だって、誰だって悪事には加担したくないでしょう? 諦めに後戻りするのは嫌でしょう?

「自分が共感できない、間違っていると思う価値観で動いている会社とは関わりたくないし、一円たりとも使いたくない。」

「自分が正しいと思っている価値観を社会に拡げようとしている企業を応援したい。」

こうした声を、Z世代やミレニアルズ特有のものと考えるのは、誤りでしょう。

これらの言葉は、「会社と社会の間にズレがあるのはしょうがないこと」という諦めを葬り去った後に、人びとが向かう先を示しているのではないでしょうか。

会社には、その外側にある社会に対してだけではなく、社員たちに対しても誠実であって欲しいですよね。この考えは、すべての人に共通するものだと思います。

そして「株主・CEO・従業員アクティビズム」には行き過ぎを感じている人も、消費行動を通じて意見表明をする「消費アクティビズム」には抵抗がないようです。

(ただし、ここでも「アクティビズム」という言葉のイメージは強すぎるようで、「エシカル消費」や「サステナブル消費」という言葉を前面に出すことが日本では多いようです。また同時に、「スラックティビズム」「ホワイトウォッシュ」「美徳シグナリング」など、言行一致しない会社や個人を非難・揶揄する言葉を耳にすることも増えています。)

会社員にはもっとジャーナリズムが必要だ

会社の中で、どんな人がどんな思いを持って働いているのか。そこではどんなテーマに対してどんな会話や行動が行われているのか。代表的な立場の発言や発表が、社内ではどのように捉えられているのか。

さらには、中立性や本質を見極めようとする姿勢がその会社には備わっているのか。そして会社とその取り組みに対する声を、社内外を問わず十分に受け止め、それについて対話し行動変容も厭わないという意思や姿勢が示されているのか。

−− それを示すバロメーターが、会社の中の人たちの声であり、その根幹にあるジャーナリズムではないでしょうか。

…とは言うものの、社員誰もが「取材して本質を探り問題提起する」ことを、仕事の中心に置くという意味ではありません。

それは常に仕事と「共にある」ものであって、必要性や機会があるときにはそれを実行することであり、同時にその必要性に敏感であり続けるということです。

広報部門や専門職だけではなく、より多くの社員たちに「ジャーナリズム」が担われ、開かれていること。つまり「ジャーナリズムの民主化」が会社に組み込まれているということ。それが信用に足る会社かどうかのものさしではないでしょうか。

自社が関わるビジネスとそれを取り巻く社会環境や自然環境についての真実をきちんと把握しようとすること。それを調べて分析し、良い部分はそれがなぜ良いのかを分かりやすく(だが、やりすぎは逆効果)伝え、もし、悪い部分があれば「どうすればそれが是正されるか」を考え、そのための方法や現在の状況を自分の言葉で伝えようとすること。

そういうジャーナリズムの特性、あるいは美徳を備えた会社こそが、「本物」として選ばれていく。

もちろん、多くの人が本物を求める中で、「すべてにおいて完璧な会社も人も存在しない」ということに気づいてきています。

だからこそ、そこで使われる「ものさし」は、今現在の状態だけではなく「(今はまだ問題があったとしても)いい会社になろうとしているのか」という未来への視線と行動だと思うのです。

会社員にジャーナリズムを。

Happy Collaboration!

著者プロフィール

八木橋パチ(やぎはしぱち)
日本アイ・ビー・エム株式会社にて先進テクノロジーの社会実装を推進するコラボレーション・エナジャイザー。<#混ぜなきゃ危険> をキーワードに、人や組織をつなぎ、混ぜ合わせている。2017年、日本IBM創立80周年記念プログラム「Wild Duck Campaign - 野鴨社員 総選挙(日本で最もワイルドなIBM社員選出コンテスト)」にて優勝。2018年まで社内IT部門にて日本におけるソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。 twitter.com/dubbedpachi