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江戸時代の化粧が照射する、現代メイクの不自由 ― 化粧文化研究家・山村博美

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。

経済が安定し、庶民も化粧を楽しむようになった江戸時代。当時の化粧が持つ意味について、化粧文化研究家の山村博美に聞いた。

ひな人形に象徴されるような日本独特の化粧法=伝統化粧が確立された江戸時代。そもそも化粧史においてはどんな位置づけになるのか。 

山村によると、日本における化粧は、古墳時代から中国や朝鮮半島など大陸の文化を取り入れ模倣する形で発達してきたという。それが平安後期になると日本独自のスタイルを形成し始める。

「白粉(おしろい)に代表される『白の化粧』、眉化粧やお歯黒の『黒の化粧』、紅を使った『赤の化粧』。この3色の化粧が確立され、次第に上流階級から庶民に伝わっていったのが、江戸時代なのです」

『江戸姿八契』: 香蝶楼国貞 国立国会図書館所蔵

産業の発達と識字率向上により庶民にまで普及

江戸時代後期は、経済力をもった町人を中心に文化が花開いた。「同じように化粧も興隆を極め、完成期を迎えたといえます」と山村は話す。化粧文化の盛り上がりを支えた要因として、まず前提となるのは経済の安定。戦のない平和な世の中で、文化は興隆していった。また産業の発達は、商品の製造と流通にも寄与する。

「海路や五街道が整備されて、流通ルートも発達しました。白粉や紅が安定的に供給されるようになるのが、元禄時代。問屋による流通システムが整えられたのが、その時代です」 

さらに女性向けの教養本、化粧本なども流通するように。その背景には印刷技術の向上や寺子屋による女子識字率の高さ、貸本文化の広がりなどもあるだろう。化粧需要の拡大は、化粧品屋の店舗数増大からも読み取れる。

「元禄と文化文政期の買物案内を比較すると、元禄当時、江戸ではわずか3軒だった白粉屋が、文化文政期になると50軒を超えている。もちろん、書物に掲載されなかった店も多くあるでしょう。この数の飛躍を見るにつけても、庶民の日常生活に化粧が入り込んでいたことがわかります」

人気歌舞伎役者・松本幸四郎演じる幡随長兵衛のうちわの下に、「美艶仙女香」の白粉包みが描かれている。『役者当世団扇 幡随長兵衛 松本幸四郎』:香蝶楼国貞(歌川国貞) 東京都立図書館所蔵。

女性の属性を可視化する化粧

それでは江戸時代の化粧は、生活の中でどのような役割を果たしていたのだろうか。身分制度が強固な時代、化粧文化も最初は上流武家や遊女、富裕層を通って、町人に下りていく“トップダウン”だったという。

加えて、江戸時代の化粧が持つ大きな意味、それは「化粧が女性の社会的属性を可視化する」ということ。

「江戸時代は身分秩序を重んじる社会でしたから、女性の化粧もそうした社会のシステムに組み込まれていました。化粧を見ると女性の属性がわかる」 

結婚したらお歯黒をする、子どもが生まれたら眉毛を剃る……それらは「マナー」として江戸女性の内面に刷り込まれていった。

「江戸時代の女性向けの教養書を見てみると『化粧とは習得すべき身だしなみ、礼儀である』といったことが書かれています。化粧は針仕事と同じように、女性のたしなみとして啓蒙されていったのです」

現代のメイクは本当に自由なのか

当時最も多くの女性が行っていたのが「黒の化粧」だった。山村はその理由について「お歯黒は、米のとぎ汁や酒、ヌルデの虫こぶ(五倍子/ふし)やその代替植物など身近にある材料から作ることができたので、身分を問わず広く波及した」と解説する。黒く塗るほど美しいといわれたお歯黒とは対照的に、「白の化粧」の白粉は薄く塗るのがコツだった。

「江戸時代の美容指南書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』でも、一番大切なのは色が白いこと、とあります。ただ白いだけではなく、透明感があり真珠のようにキメが細かくツヤのある肌が理想でした」 

さらに「赤の化粧」の紅が彩りを添えた。「紅は、下唇には濃く、上唇には薄くつけるのが基本。下唇に塗り重ね、玉虫色に輝かせる“笹色紅”と呼ばれるメイク術がはやったことも。個性を表しにくいのが江戸時代の化粧の特徴のひとつなのですが、これは当時精いっぱいの自己表現だったのでしょう」と山村は話す。 

現代と比べると、さまざまなルールに縛られているように見える江戸時代の化粧。しかし山村は「『江戸時代は不自由』で『今は自由』とは言い切れない」と指摘する。お歯黒や眉剃りは通過儀礼だったはずがいつしか日常化していった。一方で、高価な笹色紅の代わりに予め下唇に薄墨を塗り、その上から紅を重ねて笹紅風にするなど、制約の中でもメイクを楽しむ工夫もあった。

「一見自由に見える私たち自身も、実は無意識のうちに社会の価値観にとらわれている。例えば、近年、画一化した就活メイクや就活ファッション。同調圧力という見えないルールに縛られてる点では、お歯黒や眉剃りと同じといえるのではないでしょうか」

ー山村博美(やまむら・ひろみ)
化粧品会社の文化研究所を経て、化粧史や結髪史をメインに研究する化粧文化研究家に。著書に『化粧の日本史―美意識の移りかわり』(吉川弘文館)。

2022年5月取材

テキスト:西澤千央
編集:佐伯香織