働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

なぜ令和のいま「江戸」が再注目されるのか? ― 江戸文化研究者・田中優子

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。

なぜ私たちは江戸の生態学――エドロジーに目を向けるのか? 「令和時代の循環型社会」の実現に向けて、学ぶべき“本質”に迫る。

ー田中優子(たなか・ゆうこ)
江戸文化研究者。法政大学第19代総長、同大名誉教授。『江戸の想像力』『近世アジア漂流』『江戸百夢』といった数々の著書を通し、江戸の新たな側面を世に提示してきた。2014年に法政大学総長に就任し、東京六大学では初の女性総長となった。21年に退任後、現在も精力的に執筆活動等を続けている。

「サステナブルな循環型社会だった江戸時代には、現代社会を豊かにしてくれる多くの教訓があります」

江戸文化の研究者として広く活動してきた法政大学前総長・名誉教授の田中優子は、いま江戸の生活に目を向けるべき理由について、そう話す。江戸時代のサステナビリティを理解するうえで、田中がまず解説するのが「江戸の人々の働き方」だ。

「春夏秋冬の1年サイクルで時間が循環する感覚をもっていた江戸時代の人々にとって、サステナブルに働くことは生きていくための前提でした。農地を開墾しすぎたり、木を切りすぎたり、あるいは魚を取りすぎると、翌年の生活がままならなくなる。自然は巡るものであり、その恵みを享受するためには自己コントロールが必要だと理解していたのです」

現代社会では行き過ぎた成長志向や競争が生み出す課題を解決するための動きが盛んになり始めているが、江戸時代の人々も環境への配慮を欠かさないことで、社会の持続可能性を高めてきた。

農業に支えられた幕藩体制
江戸時代は幕府と諸藩を単位として政治組織を構成し、米の生産量を基準として耕地に石高を割り当て、農民から米を年貢の形で徴収することを経済的・財政的基盤として維持していた。当時の職業別人口割合は農業従事者がおよそ8割、より効率的な生産を目指し、さまざまなイノベーションが行われた。(『四季耕作子供遊戯図巻』神奈川大学日本常民文化研究所蔵)

江戸の人々はまた、ただ自然と共存するだけでなく、イノベーションにも長けていた。その源泉となったのは「ネットワークと知の共有」だ。

「江戸藩邸を守る任務に当たった各藩の留守居役をはじめ、全国から江戸に集まった武士たちは盛んに情報交換を行っていました。また、農民の地位にある人たちは、『農書』という詳細なイラスト入りの農業マニュアルを作成し、出版することも多かった。『農書』が全国に行き渡ることで農業イノベーションが広がり、また新たな発想やアイデアが生まれる循環が形成されていきました」

コミュニティ「連」の力

江戸の人々にとって、仕事=生活でもあった。そのため、火消しや農村の道の補修、屋根を葺き替え、網を直す作業など、生活インフラを守る仕事を厭わなかった。稼ぎ仕事と、コミュニティを維持するための奉仕に境界がなかったのだ。

田中は、この「コミュニティの力」を改めて問うことが、日本の未来にとっても欠かせないと説く。

「コミュニティは、火事や天災など生活を脅かすリスクを抑える役割を果たす一方、ビジネスにおいても重要な位置を占めました。江戸時代には『家』が何より重要視されましたが、後継者に求められたのは能力だけではありません。組合など、コミュニティへの影響力と貢献度も資質として重視されたのです」

「仕事ではない組織」の活躍
江戸時代には、日本中に「連」「社」「会」「組」「座」などといった「仕事ではない組織」がたくさんあり、それらに属する狂歌師や画家などといった“自分が複数いる”構造があった。(『芭蕉肖像真跡』東京誌料 421-C2-5)

コミュニティは生きていくために必須な繋がりだっただけでなく、生活を豊かにするためのネットワークとしても機能した。例えば、江戸時代には、「遊び日」と呼ばれる祭りの日が増えたという。これは若者たちが長老たちに要求して実現したものだったと田中は言う。江戸時代のコミュニティは、世代間の利害調整やコミュニケーションを促進する重要な場でもあったのだ。

「祭りは貴重な息抜きになるだけでなく、踊りや歌など仕事以外の能力を磨いたり、人々が普段とは違った方法で協力する仕方を学ぶ貴重な拠り所にもなっていきました。都市部においては『連』というコミュニティが形成され、文化を発展させる貴重な苗床として機能していきます」

「多様展開」と循環の精神が新たなアイデアを生む

「2~3人が集まれば、すぐに連ができました。連は自分が生きている世界とは全く異なる体験を提供し、江戸の人々の自己を多様化させる機能を持っていました。ただし、一銭にもならないばかりか、むしろ出費がかさむことがほとんど。パトロンが文化の担い手となったヨーロッパとはまた違う構造です。そのため、必要な経費があれば連の仲間同士で出し合い、場所がなければ旗本に用意してもらう、また料理屋や出版社に協力を依頼するなど、連携して創作活動を行っていたのが特徴です」

江戸の人々は、現代でいうところのクラウドファンディングやシェアオフィスや企業とのタイアップなど、ネットワークや人の賛同や協力を得てクリエイティビティを発露させていたことになる。そして連は現状にとらわれない精神と、幾重にも重なる内面的な「アバター」を生み出すことにも寄与していた。江戸時代に身分制度や定められた仕事の枠を超えて多くの文化人が登場しているが、その背景に連の影響力があったと田中は分析している。

なお、連を通じて人々の創作意欲が高まっていた江戸時代には、古典の物語や絵画など、過去の文化をリスペクトする精神が発露する。

「江戸時代の文化の特徴のひとつに『多様展開』があります。現代社会でも、ひとつの物語を小説、アニメ、映画、ゲームなどにすることで若者文化が世界に広がっていますが、江戸時代にもリメイクやメディアミックスは多数行われていました。例えば、歌舞伎の仕組みを表す言葉に『世界』と『趣向』というものがあります。『世界』は物語の根幹を指し、趣向というのは新しい情報を取り入れて表現をアップデートする『変化』を指します。江戸時代の歌舞伎には、能や『平家物語』『太平記』などが使われていましたし、本阿弥光悦や俵屋宗達など当時の大アーティストたちも平安時代の文化から着想を得ていました」

古典を新しい技術と新しいセンスで蘇らせる多様展開、循環の思想は、ものづくりの世界にもつながっていく。職人たちは自らの技術に誇りをもち、他方でモノを消費する人たちはリサイクルを徹底した。

「モノを大切にする精神のなかから、傑作と呼ばれる創作物が生まれました。また着物や紙など使わなくなったモノはリサイクルやリメイクして別の用途に使われた。循環の精神は、仕事や生活だけでなく、文化や消費行動にも根付いていたのです」

循環の精神が隅々まで行き渡っていた江戸時代ではあるが、その輪は決して閉じていたわけではない。内側においても外部に対しても常に開かれていたと田中は強調する。

「江戸時代に『鎖国』という言葉は存在しません。これは、あくまで海外から持ち込まれた言葉であり表現。歴史の先入観やイメージを払拭し、多様で会った江戸の人々の暮らしに目を向けることは、令和の時代に循環型社会を実現するアイデアを得るきっかけのひとつになるはずです」

2022年4月取材

テキスト:河鐘基
写真:山口雄太郎
編集:千吉良美樹