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第3話「効率」から「創造」へ

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による連載コラムです。働く場や働き方に関するテーマを毎月取り上げ、『「〇〇」から「××」へ』という移り変わりと未来予想の視点から読み解きます。

無駄のかたまり

数学者の森毅 (もり・つよし)教授をご存知でしょうか。京都大学の名誉教授であり、ユニークで軽妙なコメントでマスメディアでも活躍していた方なのでピンと来る方も少なくないと思います。ある意味変わり者だった森教授は無類の読書家でもありました。そんな先生が提唱していたのが「快食快便読書術」。内容なんか読んだそばから忘れていいし、ちゃんと理解できなくてもいいので、とにかく数多くの本を読もう、という考え方です。 食事と排泄のサイクルのように、たくさん読んでいる間にほんの少しでも体に吸収できていればそれでOK。いつかひょんなところできっと何かの役立つに違いない。安直でとてもありがたいこの教えに私はうかうかと乗って、以来気楽にたくさんの本を読むことができるようになったのでした。だけど、森先生を信じたばっかりに、ある意味人生のかなりの時間を浪費してきたような気もします。

こんな具合に私は時間もお金もずいぶんと無駄にしてきた人間でして、自他ともに認める、とんでもない低生産性人間なんです。長い前フリになってしまいましたが、今回は「生産性」について考える回にしてみたいと思います。

ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』など。

生産性ってなんだろう

日本のGDPは世界の第3位。しかし国民ひとりあたりの生産性はとても低くOECD加盟34ヵ国中21位で、主要先進7ヵ国では20年間最下位だという体たらくぶり(公益財団法人日本生産性本部「日本の生産性の動向2015年版」による)。このことは、いろいろなところで取り上げられているので有名な話かもしれませんね。国民の生産性は豊かな未来を築くためにもぜひとも高めていかなければなりません。また、企業の経営者にとっても、社員一人ひとりの生産性を高めることは、利益を高め、企業の永続性を保つために重要なテーマです。

生産性は、「生産性=OUTPUT(産出量)/INPUT(投入量)」という式で表すのが一般的で、分母は生産物をつくり出すのに要した投入費用、分子はつくり出された生産物の価値になります。ですから生産性を高めるのであれば、分母の数値を減らすか、分子の数値を上げる、またはその両方を行えばいいのです。具体的に言うと、分母の投入費用を減らすためには無駄をいかに無くす、つまりは「効率性」を高めること。分子の価値を高めるには「創造性」を高めることが求められます。これらのことを行うことで生産性が高くなる、というのが 基本的な考え方になります。

ですから、生産性について語るとき避けて通れないのが、効率性と創造性というふたつの指標ということになります。そこで、このふたつの言葉とオフィスの関係について見てみることにしましょう。

効率性の向上 オフィスには場所と時間の無駄がある

このコラムの第1話でも取り上げましたが、単純な事務作業を行う場として誕生したオフィスでは、しばらくの間、そこで行われる作業をいかに効率よく進めるかが重要な課題でした。科学的経営論の父と呼ばれる19世紀の経営学者、フレデリック・テイラーが提唱したオフィスの管理法では、無駄を排除するためにできうることを科学的に研究し、運用することの大切さが説かれました。以降の100年ほどの間、わが国でもオフィス改善の最大のテーマは、効率性を高めること、言い換えれば、いかに無駄を減らすことができるかを考えることだったように思います。私が社会人になって、1980年からしばらくの間ですね。

オフィスの中で発生する無駄には、場所(賃料)の無駄と時間(人件費)の無駄のふたつがあります。
場所の無駄減らしの策として、かつては「背の低い収納キャビネットは天井までの空間が空いていてもったいないので、背の高い(天井に届くような)キャビネットが有効」というスペースセービング策がありました。近年では「人事異動があっても最初に組んだデスクレイアウトを崩さず、単に人だけが移動する。するとオフィスの変更工事が発生しないので、ランニングコストを抑えることができる」というユニバーサルプランと名づけられたオフィス運用などが盛んに取りざたされています。外出の多い営業職のオフィスに向けて、在席率に応じて人数分のデスクを用意しないフリーアドレスオフィスも場所の無駄を減らしてコストを抑える方策ですね。

効率的に配置されたユニバーサルプランのオフィス事例 bp vol.19より

一方で無駄な時間の削減策には、会議時間を短縮する方策や、ビデオ会議で遠隔地からの参加者の移動コストを減らすことがあげられます。近頃では、周囲から邪魔されない個人作業環境をつくって、そこで作業に集中させることで効率UPをはかるというのも効率性、つまり生産性の式の分母の数値を減らすことにつながるものと考えられます。

2000年頃から起こってきた創造性ブーム

過去から現在に至るまで、効率を上げるという課題を解決することは営々と繰り返されてきたわけですが、定型的な作業の多くをコンピューターに委ねる時代となった今、かつてに比べれば効率性について云々する機会は減ってきたように思えます。世の中にものが行き渡り、商品価値の寿命が短くなってきたことに気付かされた2000年あたりから、効率性にとって代わり創造性が注目されるようになってきたのです。これは、これまでに市場になかった新しい製品やサービスの商品化が企業の発展、継続のために欠かせなくなったからなのでしょう。

元来日本人は仕事をコツコツと効率化することが得意な民族なのかもしれません。対して創造することはどちらかといえば苦手。これは新しいアイデアやコンセプトは、古来から中世にかけては中国から、近年では欧米諸国 から輸入して、それを自分たちに合うように改良してきたという歴史的・民族的背景があったせいかもしれません。和魂漢才、和魂洋才なんていう四字熟語があるくらいで、新しい知恵は外から借りてくればいいという状況が長く続いてきたので、創造性を発揮する力が養われてこなかった、というと言い過ぎになるでしょうか。

そんな中で知識創造経営について研究し、世の中に大きな影響力を示したのが一橋大学の野中郁次郎 (のなか・いくじろう)教授でした。新たな価値を創造するプロセス論や実践事例などをしたためた多くの著作がありますので、お読みになった方も多いと思います。特に知識創造理論の中核をなす「SECIモデル」は企業経営の中で実践され、数多くの成果を残してきています。経産省でもこのモデルに着目し、2007年に一般社団法人ニューオフィス推進協会(当時は(社)ニューオフィス推進協議会)と連携して、知識創造を活性化するためにオフィスの中で行うべき活動を「12の知識創造行動」として発表しています。この行動の中で特に必要性が訴えられたのはコミュニケーションをとる行動でした。従来のオフィスに存在した会議室や打ち合わせ空間だけでなく、もっとカジュアルで偶発的なコミュニケーションをとるための空間についても必要性が説かれたのです。クリエイティブなワークスタイルを促進しようとするこの動きは「クリエイティブ・オフィス推進運動」と称され、こうした中で誕生したオフィスには、さまざまなコミュニケーション空間が設けられるようになっていきました。

次は「なに性」が来る? 個人のパフォーマンス向上か!?

創造性の向上が大いに注目されて10年以上が経ち、マネジメントの世界でも、オフィスづくりの分野でも、知識創造の促進はすっかり定着してしまった感があります。もちろんこれはブームとして終わらせてよいものではなく、これからもしっかりと考え続けていかなけければならない課題であることは言うまでもありません。前述の効率性の追求も創造性の向上も、生産性を高めていくためには欠かすことのできない重要な経営施策なのです。

しかしながら、効率性と創造性という生産性を向上させるための二大要素について考える土壌ができてきた今、私たちは次に何を求めていくべきなのでしょうか。とても難しい問題ですので軽々には申し上げられませんが、個人のパフォーマンスを高める施策を見直していくべきではないか、というのが私見です。一人ひとりの人間が自分の効率性を10%高めたり、新しいアイデアをひらめく頻度をほんの少しでも高めることができれば、オフィス全体の、企業そのものの生産性は確実に向上します。そのために今後企業のマネジメントに求められるのは、個人ごとの特性に応じた働き方ができるようにしていく施策であるように思うのです。人材に多様性が求められていく時代を迎えた今、感性や価値観、体格や行動特性が異なる働き手がオフィスの中で協働する機会が今後どんどん増えていくことでしょう。そうした中で、個人がイキイキと自分の力を十分に発揮することができるようにしていくことが、今後のオフィスには求められるのではないでしょうか。オフィス全体の効率性と創造性を高めつつ、次なる策として個人の効率性、個人の創造性を上げることで、オフィスの生産性がさらに向上するという作戦です。

効率と創造 お気に入りのエピソード

終わりに、東京造形大学の地主広明 (ぢぬし・ひろあき)教授から教えていただいた、効率性と創造性に関するお気に入りの話をさせてください。「小説家の先生が縁側でゴロゴロしながら原稿の草案を練っている。締め切りが迫っているのにいっこうに執筆を始めない夫に業を煮やした奥さんは『あなた、いいかげん仕事を始めたらいかがですか』と苦言を呈する。すると小説家は『おまえ、何を言っているんだ。俺は今まさに仕事をしているじゃないか』と返す。書斎にこもってカリカリと執筆すること(奥さんが思っている仕事)は、彼にとって最早機械的に進める単純作業だということなのです。」

小説家にとってはゴロゴロ状態こそが最も大切な時間であり、そのときに創造性が発揮されているのです。そしてカリカリの段階になればもうしめたもので、あとは以下に効率よく原稿用紙を埋めるかだけを考えればよかったわけです。人によって、職種によって、効率性と創造性のいずれがより求められるかは変わりますし、それらを発揮すべき場面も異なるのだ、ということを上の話は物語っているように思えます。

私がこの「クジラの眼」1話分を作成する時間のおよそ8割はゴロゴロ状態。私の職場の皆さん、私がゴロゴロ状態でボーとしているように見えても、どうか不審に思わないでください。どう見てもさぼっているように見えるかもしれませんが、実は頭の中でいろいろな思索をめぐらせているのです(いつもではないにせよ……)。

最後になりますが、そもそも効率と創造は相対するものではありません。どちらかが大切であるわけではなく、また両者の間に上下関係などないのです。生産性を高めるためには、どちらのことも等しくとらえて考えていかなければなりません。そうしてみると、今回の話のタイトル『効率』から『創造』へ」、は明らかに順番をつけている、あるいは両者を同じ時間軸に乗せている印象があるので、誤解を生むダメなタイトルでしたね 。反省しております。次回からは気をつけますので、今回に懲りず、また来月もここにお越しください。お待ちしています。

第3話 完

テキスト:鯨井 康志
写真:岩本 良介
イラスト:
(メインビジュアル)永良 亮子
(文中図版)野中 聡紀