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第4話「指定席」から「自由席」へ

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による連載コラムです。働く場や働き方に関するテーマを毎月取り上げ、『「〇〇」から「××」へ』という移り変わりと未来予想の視点から読み解きます。

指定席vs自由席

あなたは受験勉強をどこでしていましたか。学校、自宅、それとも図書館だったでしょうか。私はもっぱら行きつけの喫茶店でやっていました。そこで勉強が捗ったとか成果が出たのかどうかはさておき、私が自由意志のもとで知的活動を行った場所の原点は、疑いようもなく、喫茶店のお気に入りの席だったのです。無論高校生や予備校生の分際で席を予約するようなことはできなかったので、そこは「自由席」でしたが、首尾よくその席に座りさえすれば、集中して勉強ができた(正しくはできたような気がしていた)のです。

生まれてこの方、私たちはどのように席を決められていたのでしょう。小学校から高校までの12年間は、ときどき席替えはあったものの、席は決められていていました。言わば「指定席」で授業を受けてきたわけです。これが大学に入ると一転して「自由席」になるのですが、就職するとまた「指定席」に逆戻り。初出社の朝、「君の席はココね」と座席を指定されるのがよくあるやりとりですよね。そうしてみると多くの勤め人の場合、一生のうちで大学時代の4年間だけが自由席で残りの60年近くは指定席で過ごしていることになります。列車の旅や観劇するときは指定席の方が格(?)が上ですが、はたして席というものは決まっている方がいいのでしょうか。今回はオフィスにおける自席の扱い方、固定席(指定席)とフリーアドレス席(自由席)をテーマにして、そのことについて皆さんと考えてみたいと思います。

ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』など。

なぜオフィスでは指定席?

オフィスで席を固定して部署の単位で集まって働いているのはなぜでしょう。それには二つの理由があると私は思います。

業務目標と責任の共有

ひとつの部署には固有の業務目標があり、所属する人間はそれを達成するために日々働いています。この目標を常に確認し合うためには、みんなが近くにいるのが一番手っ取り早いやり方です。また、各人の業務遂行状況を互いに知ることも傍にいれば簡単にできます。仕事が遅れ気味な人がいれば、まわりの人がフォローする。そんなことも部署単位で机を並べて働いているからこそできることなのです。

業務遂行に必要なモノの共有

書類や書籍、電話や事務機器など仕事を進めていく上で使うモノはたくさんあります。これらは部署単位で共用するのが一般的です。こうしたモノが置いてあるところに集まって仕事をする方が効率的だし経済的であることは言うまでもありません。

そんなわけで私たちはオフィスの中で席を固定して働いてきました。ですが近年では、ある期間の業務目標を個人ごとに明確にして、その出来高で業績評価する人事評価制度を採用する企業が増えてきています。部署の評価の前にまず個人の評価がある。そうなれば「業務目標と責任の共有」を大事にする意識は薄まっていきます。

一方、ITの進展の恩恵を受けて私たちは、物理的なモノに拘束されることが激減しました。離れた場所にいても仕事に必要な情報は利用できるようになってきましたから、「業務遂行に必要なモノの共有」という考え方もさほど重要ではなくなりつつあります。

このような状況ですから、部署単位で各自の席を固定化する必然性は昔に比べればかなりの部分で失われたと言っていいでしょう。それを予見したかのように、1980年代の後半、世界に先駆けて「指定席」を「自由席」に切り替えるオフィスが日本に出現したのです。

オフィスから指定席が無くなった日

自席を廃して机をみんなでシェアして利用するという新しいオフィスの運用をはじめて試みたのは、ある建設会社の研究部門でした。研究員たちは日中実験施設に出かけてしまうため、彼らの自席があるオフィスはがら空きになります。どう見てもこれはスペースの無駄遣い。限られたオフィスを有効利用することを思い立った彼らは、座席数を在籍者数以下に減らし、その机をみんなで共有して使うことにしたのです。当然それまで机が占めていた面積は削減されますので、それによって余った面積は他の目的で使うことができます。ここから「フリーアドレスオフィス」と呼ばれる形式が広がっていくことになります。

今でこそフリーアドレスという言葉は多くの人が知っていて、その運用方法も常識になっています。でもその当時、オフィスの自席を無くすという考えはコペルニクス的転回だったのではないでしょうか。どんなことでもそうですが、それを最初にやった人は本当に偉い。勇気あるチャレンジだったと私は思います。

以降フリーアドレスオフィスという運用方式は世界に渡ってバリエーションを増やしながら進展していき、採用する企業を増やしていくことになります。次の項ではそのバリエーションについて少し触れてみましょう。

自由席のいろいろ

自席を設けず働く場所を共有する運用方式をフリーアドレスオフィスと呼んでいますが、これには次の三つのタイプがあると考えられています。

ーbp vol.5より

作業面共有型

デスクの作業面、つまりは机をみんなで共有する方式で、大きなテーブルを複数の人間でシェアして利用するやり方です。このタイプが「フリーアドレスオフィス」の代表選手。フリーアドレスと聞いて私たちが真っ先に思い浮かべるのはこの方式で、外出することの多い営業職や医薬品メーカーのMR職などのオフィスで採用されることの多いやり方です。もともとは、設けられているすべての机(作業面)をオフィスに在籍するすべての人で共有する「フリーアドレス」でしたが、近年では部署ごとに同じ場所に集まってその中で机(作業面)を共有する「グループアドレス」も生まれています。

作業席共有型

これは充実した個人作業席(ワークステーション)を共有する方式で、会計士やコンサルタントのようにクライアント先に長期間常駐して働く職種が主な対象になります。プロジェクトの進行中彼らが自分のオフィスに戻ることはきわめて少ないのでオフィスは共用の個人作業席のみで構成しておき、プロジェクトが完了して次の仕事に向けての準備を行うことになった段階で、作業するための作業席をオフィスに連絡して確保します。ホテルの部屋を予約するのに似ていることから、この方式は「ホテリング」と呼ばれています。

ーbp vol.15より

機能空間共有型

ひとりでゆったりと構想を練る。こもって自分の仕事に没頭する。高機能な専用端末を利用する。オフィスの中で一人で進める作業にはいろいろな種類があります。さらに二人以上の人間が集まって共働する場合にも多くの働くシーンが存在します。こうした作業それぞれに特化した専用機能空間を設けておき、作業に応じて各自が働く場所を選択して利用する。これが機能空間共有型の運用方式です。このやり方を最近では「ABW(Active Based Working)」と呼ぶことが多くなっています。

自由席の功罪

ここ数年私はこの「機能空間共有型」のタイプで働いています。もともとは全員が普通の固定席で働いていましたが、今は8割の人間が自席を持っておらず毎日思い思いに最適な働く場所を選んで働いています。残りの2割の人は固定席にせざるを得ない事情があるので自席を継続している、そんなオフィスです。この働き方に切り替えて数ヶ月たったときにアンケート調査でフリーアドレス(自由席)であることを評価をしてみたところ、「仕事のしやすさが向上したか」という問いに対して「向上した」と答えた自由席の人の割合は、固定席の人を18ポイントも上回っていました。それだけでなく固定席の人にはできないけど、自由席の人はそれぞれの仕事をやりやすい場所で働けるのだからこの結果は当たり前かもしれません。でも、違う質問で「モチベーションが向上したか」という問いに対しても、自由に働いている人が場所を固定されて働いている人より9ポイントも高く「向上した」と回答したのです。自由席にはどうやらいろいろな効果があるようです。

フリーアドレスのタイプによって異なりますが、よく提唱される効果には、オフィススペースの削減、将来的なレイアウト変更コストの削減、作業の効率アップ、コミュニケーションの促進、モチベーションの向上などがあげられます。しかしながら、こうした甘いアメを期待して闇雲にフリーアドレスに切り替えることは危険きわまりないことです。「よそのオフィスでやっているからうちも導入したい」と安易に考えてしまうのが世の常ですが、ここは慎重にならなければなりません。なんといってもこれまで自分の席があってそれを専用できるのがオフィスの常識。何事においても、一度与えられた権利をはく奪されるとなると、そこに抵抗が生まれるのは必然です。これが原因で働く意欲が失われてもしたら何にもなりません。上に上げた効果のどれを狙ってフリーアドレスを導入するのか、それによって働き手が新たに手にするメリットは何かをしっかりと検討して、そのことを社内に十分に周知した上で導入に踏み切らなければなりません。そうした手続きをきちんと踏むことがフリーアドレスが成功する秘訣だといっても良さそうです。長年に慣れ親しんだ働き方を一変するには、相応の労力と時間がかかるのです。

どうする、どうなる自由席

そんなフリーアドレスというオフィスの運用方式はどの程度採用されているのでしょうか。最近の日経ニューオフィス賞受賞オフィスを見てみると、導入しているオフィスは、部分的な導入まで含めれば全体の20%ほどです。一般的なオフィスでは10%ほどだという報告もあります。採用率は増えているものの急速に伸びている状況ではない様子です。

しかし、働き手を自席に縛りつけて管理する必要性が薄くなり、逆に自由にすることによる効果に期待が集まっていることからすると、今後フリーアドレスの採用は確実に増え、ある閾値を超えたときに雪崩を打って急進するのではないでしょうか。

さらに、ワーカーが自由席として利用する場所は、オフィスの外にまで広がっていくとも予測されています。私たちは自社の他拠点は勿論のこと、出張時のホテルでも、図書館や街中のシェアオフィス、そして喫茶店でも働くことが可能になりつつあります。働き手に与えられる自由席の数はどんどんと増え、その種類はいっそう多様なものになっていくことでしょう。

もっと言えば、現在の日本の社会では社員の副業を認めていない企業が圧倒的に多く、働く人たちはある意味でオフィスに縛られています。これに対して、それぞれの人間は、各自が持っている知識や技術を有効活用する機会をもっと増やし、そうすることで更なる社会貢献を果たすべきだとする声が高まってきています。複数の組織に所属して活躍する副業OKの時代がそう遠くない将来到来するかもしれません。そのとき私たちは「自由席」ではなくて、「自由籍」で働くというようになるのです。

これって帰巣本能なの?

途中で紹介したように私はこの6年間というもの「自由席」で働いています。列車に乗るときと同じように、希望する席に座るためには他の人より早くオフィスに着いて席を確保しなければならない、という自由席ならではのちょっとした努力が毎朝求められます。また、40年近くも勤めてきたのに会社から与えられている専用スペースが40㎝四方の収納ボックスのみという状況は少し寂しい気もします。ですがその代わりに私には「自由」が与えられている。今オフィスの中で自由に選べるスペースには、普通のデスク席、一人でこもれる作業席、眺めのいい窓際のソファ席、そして喫茶店風のテーブル席と様々なところがあります。自席は無くなったのではなくて、それらすべてが自分の席だと考えて私は日々働いています。

そして、学生時代から精神的に成長していないこんな私のお気に入りの席は、還暦を迎えた今でもやっぱり、喫茶店風の席なのでした。

その喫茶店風の席で構想を練った今回の話はこれでおしまい。来月またお会いしましょう。それまでの間ごきげんよう、さようなら。

第4話 完

 

テキスト:鯨井 康志
写真:岩本 良介
イラスト:
(メインビジュアル)永良 亮子
(文中図版)野中 聡紀