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「やめる」は逃避でも敗北でもない。システムの外に一歩踏み出すための撤退論

やめたいけれど、やめられない。
やめる決断ができないから、先送りにする。

仕事はもちろんプライベートでも、こんな葛藤を抱えたことのある人が多いのでは。

一度決めたことをやめる=「撤退」という選択肢を、「逃げ」や「負け」のように感じる人もいるでしょう。

けれども今、アカデミズムの現場では「撤退」の重要性を捉え直すべきだという声が上がっています。

「撤退」という選択肢を持つことは、ビジネスの現場や私たちの人生にどんな価値をもたらすのか。奈良県立大学 地域創造研究センターの「撤退学研究ユニット」メンバーであり、東吉野村で私設図書館「ルチャ・リブロ」を運営する青木真兵さんにお聞きしました。

青木真兵(あおき・しんぺい)
1983年生まれ。人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海市(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。社会福祉士。2016年より奈良県東吉野村在住。知的撤退の可能性を研究と実践を通じて提起する「山學院」を運営。奈良県立大学の堀田新五郎教授らと共に「撤退学研究ユニット」の一員として活動。

「撤退学」って何ですか?

「撤退」を学問として研究する「撤退学」は、そもそもどのように誕生したのでしょう?

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青木

「撤退学」を提唱しはじめたのは、当時奈良県立大学の副学長を務めていた堀田新五郎教授です。

堀田先生のご専門は政治思想史ですが、大学教授って研究にあてる時間だけでなく、事務手続きなどのペーパーワークや、組織のしがらみに奪われる時間も非常に多い仕事なんですね。

いわゆる「ブルシットジョブ」(「不必要でどうでもいい仕事」のこと。アメリカの研究者であるデヴィッド・グレーバー氏が提唱した)ですね。

本来やるべき業務がそちらに食われてしまい、本末転倒になってしまう。

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青木

そうです。なぜ、やめたいのにやめられないのか。この本末転倒な状況からなぜ自分は抜け出せないのか。

そうしたやむにやまれぬ葛藤が、堀田先生が「撤退学」という研究プロジェクトを開始した動機だそうです。

そうして誕生した「撤退学研究ユニット」に、なぜ青木さんも参加することに?

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青木

僕自身も「撤退」に近い経験があるからです。

僕は大学院を卒業後、兵庫県神戸市に住んで大学の非常勤講師や塾講師、それ以外にもいろんな仕事をしながら古代地中海史の研究論文を執筆していました。

ところが当時、研究する動機が大学にポストを得るためということに矮小化されてしまってる気がして、モチベーションが上がらなかったり、そもそもあまりにも仕事が忙しかったこともあって体調を崩してしまったんです。

それは大変でしたね……。

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青木

さらに僕だけでなく、図書館司書をしていた妻も同時期に体調を崩してしまった。

神戸から引っ越した西宮市は利便性の高い都市でしたが、「もう少し落ち着いたところに引っ越したいね」と夫婦で話し合い、以前に訪れたことがあった奈良県東吉野村への移住を決めました。

そんな「撤退」に近い経験を経て、私設図書館「ルチャ・リブロ」を立ち上げました。

人文系私設図書館「Lucha Libro(ルチャ・リブロ)」。自宅の一部を開放しながら、図書館司書であるパートナーと一緒に運営しているという。

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青木

それと同時に師匠で思想家の内田樹先生が編著を務めた書籍『撤退論』(晶文社)にお声がけいただき、そのご縁もあって研究ユニットにも参加することになったのです。

青木さんは「撤退」というキーワードをどんな風に捉えていますか。

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青木

正直、僕自身の実感としては「撤退」というより、「下野」と呼ぶほうがしっくりくるんですね。

「野に下る=中央権力から降りる」という意味の「下野」ですか?

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青木

はい。今あるシステムから1回降りてみる。社会の中で評価されたりするものから、いったん距離を取る。そして実はその社会的な価値観は唯一絶対なものではなく、社会の外側には別の価値観があることに気が付くこと。それが現代の「下野」のポイントだと僕は思っています。

今、僕たちは資本主義という大きなシステムの中で働いていますよね。生きていくためには週5日、1日に8時間程度は働かざるをえない。

確かに、「企業で正社員として働く」=「週5日・8時間労働」が前提になっていると感じます。

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青木

でも、これは自分たちが強く望んでそうしているわけではないですよね。この回り続けるシステムに巻き込まれてしまった結果、自分の力だけでは抜け出せなくなってしまった。そう感じている人は少なくないはず。

僕たちの場合は、夫婦で体調を崩した結果、やむを得ず移住という選択によってこの巨大なシステムから出た。

でも、これがマイナスの意味としての「撤退」だとは思っていないんですね。

なぜでしょうか?

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青木

「撤退」という言葉は、そもそも資本主義というシステムが絶対に正しいもの、お金を多く得られる人が偉いもの、という前提で使われていると感じているからです。

でも、僕たちはそう考えないし、このシステムから降りられるのであれば降りたほうがいいじゃん、と思っています。

そのシステムの中にいることだけが正解ではない、と。

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青木

はい。システムを疑い、その外にいったん出てみる。一度外に出たからといって二度と戻れないわけではないし、システムの内と外を行き来することによって得られるものも多くあります。

もちろん、下野と撤退、どちらの表現であっても、大事なのは今いるシステムの「外」に出た後にどうするか、です。

撤退を困難にしているのは「空気」

ビジネスの現場では撤退=一度決めたことをやめる決断には、「負け」「逃げ」のようなネガティブな印象がつきまといます。

「始める」「続ける」と比べると、「やめる」決断はなぜ困難に感じられるのだと思われますか。

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青木

いや、そもそも撤退は難しいことでは決してないんですよ。決めてしまえば、簡単なはず。それが困難に感じられてしまうのは、おそらく「自分で決めていないから」だと思います

「やめる」という決断を自分で下していないから?

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青木

たとえば、事業には必ず責任者がいますよね。会社であれば社長だし、国であれば総理大臣のように。

では、その人たちが本当の意味での決定主体かというと、実はそうではありません。株式会社の社長は顧客だけでなく株主にも気を配る必要があるので、権限はごく限られたものになります。

一方、株主は株価の値動きを見ている。でも、株価なんて簡単にそのときどきの空気で上下するものですよね。企業で不祥事が起きたり、メディアがネガティブな報道をしたりすれば、すぐにガッと下がるわけです。

株式会社は一つの例ですが、そうした不確かなものに私たちは皆、振り回されている。

確かにそうですね。

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青木

では、誰が責任者なのかというと、そのときどきの「空気」が組織や人間の行動を規定している。まずはそのことを自覚しておくといいかもしれません。

空気を読むことが重視されてきた日本社会では、なおさらその傾向が強そうです。

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青木

太平洋戦争末期、出航すれば集中砲火を浴びて沈没することが明らかだった戦艦・大和は、それでも出航して撃沈しました。

作家の山本七平は著書『空気の研究』(文藝春秋)で、その理由を日本社会では人ではなく空気が最終決定者だったからと分析しています。 撤退の難しさとはまさにそこですよね。責任主体が空気だから、撤退という決断が下しづらい仕組みになっているんです。

男より女のほうが撤退しやすい?

決断や責任の主体を、意識的に「自分」にする。それが上手な撤退の第一歩のように思えてきました。

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青木

そう捉えると、あくまで傾向の話にはなりますが、男性よりも女性のほうが「撤退しやすい」ように僕は感じています。

それはなぜでしょうか?

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青木

働き方や社会のルールが、明らかに「男性向け」に作られているからです。かつては男性が外で働き、女性が家を守り……という家族観が一般的とされていましたが、まだその名残があります。

だから、男性の方は進学して、就職して、家庭を持って……といわゆる「人生のレール」に乗り、この社会の中にすっぽり収まる道を選ぶ人が多いんですよ。収まりやすいから、むしろ撤退しづらい。

一方、女性は既存のシステム内での働き方に収まりづらさを感じているからこそ、地方移住や都市部への進出など、身軽に動く意思のある人が多い印象です。

責任主体を社会ではなく自分にしているからこそ、撤退の決断も下しやすいんです。

なるほど。たとえば、社会における頼り甲斐を示して「甲斐性」という言葉が男性だけに用いられるのも関係していそうです。

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青木

日本の高度経済成長期を支えたのは、まさにそうした男性原理のイデオロギーです。

男性はひたすら働いて、女性はそれを支える。90年代までは、社会やメディアがそうした価値観を意図的に作り上げてきました。

日本で特に男性の自殺者が多い背景には、こうした価値観に縛られて「撤退」という人生の選択肢を持てなかったことも無関係ではないはずです。

ただ、今の20~30代の多くはもうそんな価値観を信奉している人は少ないです。若い世代ほど、「撤退」という選択肢を「恥」や「逃げ」だとは感じていないし、上の世代よりも抵抗感を抱いていないかもしれません。

ルールも価値観も「絶対」ではない

今の状況から「撤退」したい。そう考えたときに柔軟に行動できるのがヘルシーな生き方だと思いますが、個人が撤退を実践する上でのヒントを教えてください。

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青木

まずは、意識することだと思います。自分が資本主義という大きなシステムの中にいること、そしてこのシステムのルールが絶対の正解ではないということに。それがファーストステップではないでしょうか。

そういう視点を持って周囲を見渡せば、違和感を抱いている人やいろんな生き方をしている人がたくさんいることに気づけるはずです。

もうひとつ、意識を変える上で僕が有効だなと感じているのは「時間がかかることをする」です。

時間がかかること?

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青木

たとえば、本を読むこと。今はSNSで手軽に情報が入手できますが、SNSや動画コンテンツの情報は次々に流れ去っていきますよね。でも、1冊の本を読むという行為は自分から主体的にならないとできません。

Web記事もそうです。時間をかけて文章を読んでいく過程で、「こういうことかな?」という気づきや、自分との対話が生まれていきますよね。

本を読む、イベントに出かける。日常の中でそうしたちょっとした一手間をかけるだけでも、意識の変化は促されるように思えます。

確かに、SNSでインスタントに大量の情報を摂取できても、それがすぐに自分の血肉になるわけではないですからね。

ヘルシーに撤退できる人生を

ではビジネスの現場におけるヘルシーな「撤退」の形とはどんなものだと思われますか?

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青木

「そもそも何のためにこのプロジェクトをやっているのか?」と原点に立ち戻ることだと思います。

ビジネスには必ず目的があります。それを叶えるために行動することの繰り返しでしか、ゴールにはたどり着けません。

もしも、目の前にあるプロジェクトがその目的にかなわないと判断したのであれば、それはもう素直にやめていいのではないでしょうか。

目的にかなうかどうか。

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青木

そうです。たとえば、老舗企業が「創業以来ずっと続けてきた事業だから」との理由から手を引けずにいるケースもあります。しかし、本当に大事なものは伝統ではなく、「そもそもなぜその事業を始めることになったのか」という原点の思いであるはず。

そこに責任を持って主体的に考えられるようになれば、選択肢のひとつとして「撤退」にも向き合えるはずです。

「自分ごと」として考える。仕事でもプライベートでも、納得できる生き方はそうした決断からしか生まれないのかもしれません。

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青木

そうですね。でも考えるためには、いろんな人に頼ったり、助けを求めたりすることも必要だと思っています。

「新たにスキルや何かを身につけて、自分をパワーアップさせよう」という考え方もありますが、僕は逆だと思いますね。

無駄なものはどんどん削ぎ落としていいので、その分いろんな人の力を借りたり、一緒に考えたりしながら生きていく。そのほうが人間の本来の姿に近い気がします。

さまざまな角度から「撤退」という選択肢にフラットに向き合うためのヒントをもらえた気がします。ありがとうございました!

取材・執筆:阿部花恵
アイキャッチ制作=サンノ
編集:桒田萌(ノオト)