変革を繰り返す和紙 – 長田製紙所・長田泉さん【クジラと考える – 日本らしい働き方 – 第六話】
働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井康志による連載「クジラと考える─日本らしい働き方─」。日本の伝統文化に携わるキーパーソンへの取材を通じて、時代に左右されない「日本らしい働き方」の行方を鯨井が探ります。
今回会いに行ったのは、福井県越前市の長田製紙所で和紙をつくる長田泉さんです。1500年もの歴史があり、つくれない和紙がないという越前和紙。この土地で生きる泉さんが教えてくれたのは、常に変革をし続ける姿勢でした。
やりたいことができる環境は、一番身近な家業にあった
北陸本線の武生駅から車を10分ほど走らせ立ち寄ったのは、紙祖神岡太神社・大瀧神社。日本で唯一、女性の紙の神様が祀られているというこの本殿は、江戸時代後期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
小さな山と山のあいだに人が暮らすこの集落は、越前和紙の里と呼ばれる和紙の産地。和紙に関連する会社が50も集まっているという中から、今回は長田製紙所の長田泉さんにお話をうかがうことになりました。
ー 長田泉(おさだ・いずみ)
福井県生まれ。関西大学進学後、東京の海外秘境を専門に取り扱う旅行会社にて3年半勤務。2017年12月、Uターンし、現在に至るまで実家の長田製紙所にて紙漉き職人となる為、修行中。神社ガイド、地域街歩きガイドとしても日々勉強中。
「創業者が私の5代上で、ずっと家族で続けてきた会社です。私が生まれたときから働いている職人もいて、全員が家族のような感じで接しています」
高校生までこの土地で過ごしたという泉さんは、大学進学を機に大阪へ。当時は特に、戻って紙づくりを継ごうと考えていたわけではなかったそうです。
「父もアメリカで過ごしていた時期があったりと、私も家族も、家を継ぐかどうかをあんまり考える感じではなくて。プレッシャーも感じず、のびのびと育ちました。私自身は旅行が好きだったこともあって、外国語学部に入って、イギリス留学も経験しています」
家業を意識するようになったきっかけは、大学3年生のときに参加したゼミで、商品開発の経験をしたことでした。
「お菓子メーカーと一緒に開発から販売までやってみるとか、いろいろな会社で商品が生まれる話、マーケティングの話を聞いたんです。そのうち、和紙ってもうちょっとできることがあるのかなって思うようになったんですね。自営業なのでわりかし自由にできるし、おもしろそうだなって。楽観的に考えていました」
「新しいことを自分でみつけて、お客さんのツボに入るところを発見して、商品として形にして販売するのがおもしろそうだと思ったんです。それを全部自分でできる環境が一番身近にあるのは、やっぱり実家なのかなって」
卒業後、福井に戻る前にやりたいことをやりきろうと考えた泉さん。
就職したのは、東京に拠点を持つ、世界の秘境専門の旅行会社でした。
「1ヶ月に1度は添乗員として一緒に行けるのが楽しくて、3年半働きました。だいぶいろいろな場所に回ったし、やりたいことはやったかなと思って福井に戻ってきたのが、4年ほど前のことです」
ヨーロッパの観光地やアジアの奥地など、いろいろな国をめぐり、その文化に触れてきたといいます。その中で、日本らしい和紙との関わりに気づくこともあったそうです。
「いろいろ見たけれど、ビニールコーティングもしていない紙、ましてや手漉きの紙を建築資材に使うような国はなかったように思います。その文化が醸成されているのは日本くらいしかなくて。日本の文化の上に私たちの職業は成り立っているんだなというのは、海外に行けば行くほど感じましたね」
時代に合わせて、自分たちができることを
泉さんが戻ってきた長田製紙所は、大判の和紙を手で漉くことを得意とする会社。以前は問屋から発注があった襖紙を大量生産していたものの、住宅のかたちが変わり、つくるものも変化してきました。
「初代が漉いていたのは無地の襖紙でした。もう少し手の込んだもの、機械ではできないものを手漉きでやろうということで、山や雲の柄を手で漉きながらデザインしていったのがうちの祖母です。昔ながらの絵柄ではありますが、うちの会社では主流の製品になっていきました」
まるで遠くの風景のように山が描かれたものや、金箔が散りばめられた雅なものまで、さまざまな襖紙。
どれもベースとなる紙を漉き、まだ乾いていない生の状態のところに違う色のものを絞り出したり、型を置いて紙の原料を流し込んだりして、手で描くようにデザインをつくっていくそうです。
「和紙は紙の原料の配分によって、いいものができるかどうか決まってきます。また、それぞれの原料の特性がわかっていないと、デザイン通りに作ることができません。祖母は洋裁学校でデザインを学んでいたこともあり、自分で漉きながら柄をつくっていきました。ほかの製品についても、うちではデザインからすべて、自分たちでやっています」
製品が展示されている部屋には、襖紙のほかにも、さまざまな作品が並べられています。紙の特性を活かしながら、お祖母様、そしてお父様がデザインから考え、手を動かしてきたものなんだそうです。
「父は襖紙ではなく、壁紙やインテリアとなる和紙をずっとつくってきました。継ぎ目をつけたくないというホテルの壁紙を漉いたり、書道家がライブペインティングで使う大きな和紙を依頼されることあります」
お父様がつくっているものは、基本的にすべてがオーダーメイド。ここだけでしかつくれないものという特性を活かし、付加価値のある商品を生み出し続けています。
「現在の主力商品はまだまだ襖紙ですが、和室の減少と合わせてもう需要が減っていることは目に見えています。ほかの産業もそうかもしれませんが、量を作ることが第一目的だった時代から変わった今、いろいろなことを私たちが変えていかないといけない。どうしたらいいかは、私もまだ明確にわかっているわけではないんですけどね」
考え、手を動かし、試してみる
実家に戻ってきた泉さんは、紙を漉くことを学ぶことと並行して、紙の売り方、流通の仕方についても考えることが多いそう。
紙を使ったアクセサリーをつくったり、和紙の端材をセットにして販売するなど、これまでになかった形での販売にも挑戦しています。
「和紙のかばんみたいなものがつくりたくて、風呂敷づくりに挑戦したこともあります。結局、世に出せるようなものにはできなくて。失敗しましたね。いろいろやっていくなかで、和紙としては邪道なものや適さないものがわかってくるようになりました」
「どちらかというと、私は一人で勝手に考えて、勝手にやっちゃうタイプです。ここだと企画段階から漉いて、売るとこまで自分でできるんですよね。もっと人を頼ったほうがいいとは思っているんですけど」
考え、すぐに手を動かし、試してみることができるのは、家業だからこその自由さなのかもしれません。
試行錯誤するなか、大きな挑戦となったのが、和紙を表紙に使った「トリノコノート」の販売です。
「うちだけでなく、周りの会社でつくっている和紙も集めて、100種類のなかから表紙が選べるノートをつくりました。この辺りにはさまざまな製紙技術があるので、いろいろな柄を揃えて、越前和紙のことを知ってもらいたいと思ったんです」
クラウドファンディングで応援してくれる人を募り、販売を開始したトリノコノートは大好評。イベントに出店した際には、その場で表紙や綴じ方などを選んで、自分だけのノートをつくることができるなど、いろいろな楽しみ方を提案しています。
「和紙はもともと、ノートの中に使う紙としてつくっていたものだったと思うんです。だけど今は価格も合わないし、そこまで求めている人も少ない。だったら表紙にランクアップして使ってもらったほうがいいんじゃないかというのが、つくるきっかけのひとつです」
「あとは、展示会の出店でポーランドに行ったときのことが大きなヒントになっていて。和紙を並べていると、紙好きの人はすごく興味を持ってくれるけれど、ほかの人は関係ないものという感じで通り過ぎていってしまうんですね。ノートは世界中で使われているものじゃないですか。こういう形にすれば、海外に行っても反応してくれる人が増えるんじゃないかと思ったんです」
日本、そして世界の人たちと和紙の接点を増やしている泉さん。さまざまな挑戦をするなかで、反応の変化を感じることはありますか。
「まだまだ何が変わってきたわけではないけれど、ノートをつくったときは『こんな会社があるなんて知らなかった』とか、『こういう技術があるんだ』って声を聞くことができました。ここに紙の産地があることに気づいてもらえるきっかけにはなっているのかな、と思っています」
変化に寛容な土地で、今変えないといけないことを
さまざまな挑戦を続けている泉さん。
1500年前から和紙をつくっているという歴史ある土地で、これまでになかったことをすることに、不安や反発の声が届くことはないものでしょうか。
「私がどうというよりも、ここはずっと新しいことを続けてきた産地なんです。親の世代、その上の世代から、新しい紙をつくったり、もう和紙と呼べないんじゃないかってくらい大胆なことをされる方もいます。新しいことをやったと思っても『それはあの人がやってたよ』って言われることもあったりして。昔から新しいことをやるのに、寛容な土地だと思います」
越前の和紙づくりはもともと写経をするための用紙をつくることから始まったそう。その後、大名が取り交わす公文書の用紙として重宝される時代を経て、襖紙をつくり始めたのは明治初期のころ。お札を手で漉いていた時代もあるといいます。
「うちの場合、30年くらいのスパンで主軸になるような新しいものをつくっています。私が30歳で、父が60歳。受け継ぐというよりは、大変革みたいな感じで、ぜんぜん違うことに挑戦してみる。家族経営のところが多いから、同じようなスパンで入れ替わっているところが、産地に多いな、と感じています。」
時代や需要に合わせ、形を変えてきたこの土地での紙づくり。
今、なにを持って「越前和紙」と呼ぶのでしょうか。
「ここでは40ほどのメーカーがあって、名刺サイズから、うちがつくっているような大判のものまで大きさだけでもさまざまです。機械漉きもあれば手漉きもある。ここにない和紙はないと言われるくらい、多種多様な和紙が漉ける産地が、越前和紙なんだと思います」
「ノートをつくるからって、競合他社に自分のところの紙を売ることってそうないですよね。お互い違うことをしているからこそ、いい関係ができているようにも感じます。もっと、会社同士でお互いに適した仕事を紹介し合うようにできたらいいなと思っているんです。それが越前和紙の産地の強みにもなっていくんじゃないかって」
泉さんが最近行った取り組みが、産地みんなの製品を集めたオンラインショップの運営です。
「紙って観光業との結びつきが強くて、感染症の影響も大きかったんです。産地内でもオンラインショップを取り組む会社が多かったけれど、1社1社やってもお客さんがぜんぜん集まらないと思いまして。各会社毎となると商品数も限られますし。」
「みんな困ってるなら集まってやろうっていうことで、産地の若手有志で立ち上げたのが『ワシマ』です。実験的な部分も多くどうなるかわからないし、私がやりたいと言い出したので、事務的なところは基本やらせてもらいました。これまで産地で開催していた和紙祭りを知らない人もサイトを訪れてくれたことが、やってみてよかったことのひとつです」
自分の会社だけにとどまらず、産地全体を巻き込みながら次々と越前和紙を伝えていく方法を考え、実行に移していく泉さん。そのエネルギーはどこからくるものなんでしょう。
「誰でもできることしかやってないんですけどね。根性ですよ。やりきるかどうか」
「個人的にはやっぱり、今後この産地が続いていくために、流通のあり方をもっと探っていきたいというのがあるんです。このオンラインショップ等の取り組みで、独自の製紙技術を持つ職人が生き残っていけるなら、ぜんぜんやってやろうって思います」
今回のキーワード「伝統=革新」
日本三大和紙とは、美濃和紙、土佐和紙、そして今回取材させていただいた越前和紙。美濃和紙はむらが無いので障子に適している。土佐和紙はカゲロウの羽に例えられるぐらい薄く美しい。さて越前和紙はどうでしょう。丈夫で水に強いことが優れた点ですが、それよりも数多くの製法があり多種多様であることが越前和紙の特徴だとのこと。多様であるからこそ、逆に「越前和紙といえばコレ」が無いのが越前和紙なのです。最古の和紙である越前和紙は1500年の歴史の中で常に新しい製法を探し求め、時代のニーズに応じた紙製品をつくり続けてきたのです。創意工夫を脈々と続けてきた和紙界のイノベーター的存在。それが越前和紙のかもしれません。
家族経営が多い越前和紙の里で、はるか昔から伝承されてきた技術、先代が培ったノウハウを引き継いできた製紙所。親から子へと生業が受け継がれていく中で、大切に継承されてきたのは紙を漉く技だけでなく、こと越前和紙においては「進取の精神」だったのかもしれない。長田泉さんからお話を聞きながらそんなことを考えていました。代替わりするタイミングで、先人の教えを守りつつ自分がその上に築く世界を切り拓く。越前和紙の歴史はこの繰り返しで紡がれてきたし、これからもつくられていくことでしょう。
伝統は革新の積み重ねでつくられるのかもしれません。伝統に胡坐をかいたり現状に満足することなく、そのときその社会に見合った革新を引き起こす努力を怠らず邁進する。伝統を継承していく方からはそんな強い意志を感じとることができます。海外に比べ日本人のイノベーション能力は高くないとの評価をよく耳にしますが決してそんなことはありません。伝統文化の世界では、多くのイノベーションが今日も生み出され、次の時代へと受け継がれているのです。
ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』、『「はたらく」の未来予想図』など。
■クジラと「日本らしい働き方」を考えるシリーズ 過去掲載記事
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2021年8月19日更新
2021年7月取材