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コスパとしあわせ ( 好きな自分でいられるように )| 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

●「自分を好きじゃない人が、人に好きになってもらったり、楽しい職場を作ったりすることは難しいですよね。パチさんの“自分を好きになろう”は凄く共感しました。」

●「“好き”を軸にして、お仕事され、状況が変わってもその軸をブレさせない。そんなエピソードがとても印象的でした。」

●「ご自分の強みを自身でしっかりと認識され、さらに周囲からも認められるくらいに活動していたから根拠と説得力があると感じました。」

●「圧倒的な自信の裏付けによる勇気ある行動にアッパレ!」

これは先日、平日21時から開催した「参加したい社員だけご自由にどうぞ」というオンラインのIBM社内イベントに登壇した際にいただいた参加者アンケートへのコメントです。

「人があまりやらないようなことにチャレンジした経験を、20分間で自由にシェアしてください」というリクエストをいただき、せっかくなら参加者である社員の役に立つ話で、かつリラックスして楽しみながら聞けるものをということで、再び社内転職の話をパブリック・ナラティブしました。

(この話はこちらに掲載されています。ぜひ読んでみてください。『パブリック・ナラティブと社内転職』

終わった後、「ひょっとしたら若干ドヤり気味に聞こえてしまったかも?」と少し心配していたのですが、数日前に参加者アンケート結果をいただき、冒頭でいくつかピックアップした声が代表的なものだったのですっかり安心しました。そして「マネしてみたい」と何人かが書いてくれていたので、すごく嬉しくなりました。

あなたは、自分のことをどれくらい好きですか?

一方で、今回のアンケートに答えてくれた人たちのコメントを読んでいると、「パチさんのように自分を好きになれれば良いのですが…」とか「私も、もっと自分に自信を持てるようになりたいです…」とか、そういう声も少なからずありました。

どうやら、自分のことがあまり好きじゃない人が少なくないようです。

今回に限らず、「あなたは、自分のことをどれくらい好きですか?」 と質問すると、結構な割合で「好きどころか自分が嫌いです」とか「うーん、まあ少しは好きなところもあるけど」みたいな答えが多い気がします。

じゃあ私はどうかというと、(きっと皆さんの予想通り)大好きです! …とは言え、昔からそうだったわけでありません。はっきりとこう答えられるようになったのはここ数年です。その前は「まあ少しは…」だったし、さらにその前は「大嫌い!」でした。でも、ちょっと考え方を変えて、行動を変えてみたんですよね。そうしたら、徐々に変わっていきました。

考え方を変えようと思ったきっかけがなんだったのか、正直、今はもうはっきりと思い出せません。ただ、「しあわせに生きたい」と強く願い、そのための方法を探している中で、「自分を好きな人の方がよりしあわせに生きられる」ことは間違いなさそうな気がしていました。

でも、どうすれば自分を好きになれるのでしょうか? 「xxxx式自己肯定力を上げる方法」みたいな本を手にしてみたり、「自分を好きになるための10の方法」みたいオンライン記事を目にしたりするたびに、いろいろと試してもみましたが、「探していたのはこれだ!」というような、ズバリ感の高いものはありませんでした。

そんなあるとき、自分が、意外と「過去に目を向ける」人間であるということに気がつきました。具体的には、自分が「嫌な」「好きになれない」行動や選択をしてしまったことを後で思い出し、案外とそれをグズグズ後悔する面があるな、と気づいたのです。

私は元来、打算的です。「損か得か」「成功か失敗か」「正解か誤りか」「楽ちんか苦労か」ということを、瞬時に考えてしまうところが多い、いわゆる「コスパ意識」が高いタイプです。でも、その判断基準でずっと仕事をしたり暮らしたりしているうちに、「嫌いな」「好きじゃない」行動や選択を重ねてきていやしないか? と思えたんですよね…。

そしてどうやら、損得とか正誤とか苦楽とかは、実は「幸福感」とは関係していない。いやむしろときには逆の効果を及ぼしているという感じがしたんです。つまり、そのとき得しても、あるいは成功や楽したりできたとしても、それはあまり自分のしあわせに対して重要なことではないと思えたのです。

求めるものが「しあわせ」であり、「自分を好きな人の方がよりしあわせになれる」のであれば、「しあわせに近づく選択」を普段からしていけばいい。私は、どちらかを選ぶ、あるいはどんな行動を取るか決めるときの選択基準を、変えました。

「どちらを選ぶ人を自分は好きになるだろうか」、「どんな行動を取る人が自分の好みだろうか」。これが、私の新たな選択・行動基準となりました。

「自分を好きな人の方がよりしあわせになれる」のであれば、自分が好きな人がする行動を取ればいい — 実に単純な発想ですが、そうすれば、未来の自分が過去を振り返ったとき、「自分が好きな行動をとってきた人」に自分がなっているじゃないかということです。

自分を好きでいることが「しあわせに生きる」カギ

自分の選択基準を変えてからというもの、どんどん自分を好きになっていきました。また、自分が自分を好きになっていることを日常的に感じられるようにもなりました。

この「日常的に自分を好きでいられることが実感できること」の意味って、結構大きいんじゃないかと感じています。そしてそれがあるから、自分の得意なことや自信のあることを、素直にそう口に出せるし、行動で示すこともできる気がしています。

(…これ、伝わりますかね?「嫌なヤツである自分」が自信を示すと「嫌味」な感じを自分自身も受けてしまうんですけど、「好きな自分」が示す自信であれば「(自身でも)スッと自然に受け入れられる」感じなんです。自分の好きな人とそうじゃない人が自信を表したシーンをイメージしてもらえると分かりやすいかも。)

自分を好きになれないと、人を羨んでしまうことが多いのではないかという気もしています。

自分を好きになれないと、自分の足りないところに目が行きがちになる。そうすると自分の持っていないそれを持っている人や、それを苦にしていない人が羨ましくなっちゃう。自分を好きでいると「それを持っていない自分」に対しても「まあ、足りないものもそりゃあるでしょ、だって人間だし」といった受け止め方がしやすくなる気がします。

それから、自分を好きになれないと、結果にばかり気が向いてしまう気もします。

たとえば選択の結果、残念ながら大いに苦労することになってしまった。でも、そんな苦労も「幸せになるために選んだ結果の苦労だから、これって必要なプロセスじゃん」と思えるようになった気がします。あるいは失敗という結果になっても、しあわせになるための選択をした結果だから、「まあ失敗ということなのだろうが、自分はしあわせに近づいたのだ」と考えられるようになります(本当です! 負け惜しみ感なくそう感じられます)。

-冒頭の社内イベントで書いていただいたグラレコ(by Mai Takematsu)

「不幸にならないように生きる」のか「しあわせになるために生きる」のか

自分を好きでいること、そして好きでい続けられることを選ぶようにすることがどうしあわせにつながるのか。だいたい分かっていただけたでしょうか。「不幸にならないように生きる」のも「有り」だとは思いますが、私はもっと積極的に「しあわせになるために生きる」ことを選びたいです。

そして、今、しあわせであることと同じくらい、そのしあわせをサステナブルなものにできるかどうかは、これからの選択と行動にかかっていますよね。しあわせになりたい人は、みんな、もっと自分を好きになる選択と行動をしたらいいんじゃないかな。

そしてもし、人生で、想像を超えるような酷いことが起きてしまって、自分の大切な人や大好きな人が、そして自分を愛してくれる人がこの世からいなくなってしまったとしたら…。そんなときでも、せめてあなたを好きな人が、世界に一人だけでも存在しているように。

Happy Collaboration!

著者プロフィール

八木橋パチ(やぎはしぱち)
日本アイ・ビー・エム株式会社にて先進テクノロジーの社会実装を推進するコラボレーション・エナジャイザー。<#混ぜなきゃ危険> をキーワードに、人や組織をつなぎ、混ぜ合わせている。2017年、日本IBM創立80周年記念プログラム「Wild Duck Campaign - 野鴨社員 総選挙(日本で最もワイルドなIBM社員選出コンテスト)」にて優勝。2018年まで社内IT部門にて日本におけるソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。 twitter.com/dubbedpachi

2021年11月16日更新