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目指すのはエベレストよりも難しい山。リーマン登山家・深川健太さんに聞く、仕事もやりたいことも諦めない働き方

普段は都内のIT企業に勤務し、新規事業の推進と所属事業部の財務チームのリーダーを兼任する深川健太さん。会社員として多忙な毎日を過ごす深川さんですが、実はプライベートではアフリカ・南米・欧州・アジアの名峰を登頂してきた「リーマン登山家」でもあります。リーマン登山家として掲げている最終目標は、エベレストよりも登山の難易度が高いK2(8611m)登頂。

しかし、ごく普通の会社員が海外の高所登山を目指すとなると、時間や費用の捻出から仕事の調整にいたるまで、現実にはさまざまな高い壁がそびえ立ちます。仕事と好きな登山、深川さんはどのように両立させているのでしょうか。両方を諦めないためのヒントを伺います。

深川健太(ふかがわ・けんた)
1994年生まれ。都内のIT企業に勤務。職場では新規事業の推進と所属事業部の財務チームのリーダーを兼任。ピーク・レーニン(7134m)をはじめ、アフリカ・南米・欧州・アジアなどの高所登山を経験。2023年現在、難易度ではエベレストをはるかに凌ぐK2登頂を「リーマン登山家」としての最終目標に掲げている。

失恋をきっかけに山登りにハマる

登山に興味を持ったきっかけは何でしたか?

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深川

めちゃくちゃ格好悪いんですけど、失恋です。高校の時から付き合っていた彼女にフラれて。その直後、彼女はバスケがうまいイケメンと交際を始めたんですよ。

それがきっかけとなって、「自分を変えたい」という気持ちが湧いてきて。

それは大きな衝撃ですね……! それで、なぜ登山を選んだんですか?

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深川

運動は昔から苦手で、それが長年のコンプレックスでもありました。常に学年でビリか下から2番目あたりが定位置。中高時代は水泳とハンドボールをやっていましたが、どちらもベンチを温める要員で、先天的なセンスがない自覚もあった。

でも、登山ならば愚直に体力をつけていけば、運動神経が悪くともなんとかなるかもしれない。じゃあ、まずはキリマンジャロ(5895m)に登ってみようと思ったんです。

アフリカ大陸最高峰・タンザニアのキリマンジャロ(提供写真)

登山未経験者が最初に掲げる目標としては相当ハードルが高い気が……。

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深川

フラれた反動だったので、エネルギー量がすごかったんです(笑)。

登山を始めた理由にはもうひとつあって、学生時代にバックパッカーだったことも関係しているんです。ただ、当時はすでに40カ国くらいを旅していて、きれいな風景にちょっと飽きていたんですね。

だから高い山に登れば、また違う美しい風景に出会えるのでは、との期待もありました。旅先で会った人がキリマンジャロに登頂した話も聞いたので、「自分でも頑張れば行ける」と思えたことも大きかった。

キリマンジャロ山頂の様子。深川さんいわく、「実は高度な登山技術は必要なく、高度順応さえうまくいけば夏の富士山と同程度のスキルで登れる海外登山デビューにおすすめの山」だそう。(提供写真)

深川

とはいえ、もちろん最初からキリマンジャロに挑んだわけではありません。ランニングで体を鍛え、北アルプスを登り、ツアー添乗員のアルバイトとして富士山を10数回登るなどした末に、ようやくキリマンジャロに挑戦できました。

登頂したときの達成感は格別でした。高所登山の本当の魅力に目覚めたのはそこからです。

人生は有限。だからこそ欲張りたい

そのまま就職後もずっと登山を趣味に?

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深川

いえ、現在勤めるIT企業に入社が決まった段階では、趣味としての登山はいったん終わらせるつもりでした。会社勤めをしながら海外の山に登るのはさすがに無理だろうと思っていましたから。

仕事での目標は、「30歳までに0→1で事業を作る」。それで、20代のうちから事業づくりに携わることができると感じた今の会社を選びました。

なぜ事業づくりに携わりたいと?

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深川

まず、せっかく働くのであればフルコミットで頑張りたいという気持ちがありました。学生時代から熱量を持った仲間と、イベントやカフェなどをゼロから作るのが本当に楽しかったので、就職してからもそんな働き方をしたいなと。

あとは、大学在学中に東日本大震災のボランティア経験をしたことも大きく影響しているかもしれません。がれき拾いをしながら見た震災後の風景を前に、僕自身はすごく無力感を抱いてしまったんです。

けれども、現地にはさまざまなアプローチで課題解決に取り組む社会起業家の方々がいた。その姿を間近で見たことで、事業づくりに興味を惹かれていきました。

今は、どんな仕事を担当されているのでしょうか?

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深川

主に新規事業の推進と、所属事業部の財務チームのリーダーを任っています。

新規事業チームのコアメンバーは2人だけなので、事業フェーズに応じてあらゆる領域を担当してきました。初期はゼロからアプリを作るためにプロダクトマネージャーとしてデザインやシステム全般を管轄しました。

そして拡販フェーズではアライアンスや営業も行い、最近は利益を出していくために分析や利用促進の施策も打ち出しています。

山に登る時間などまったくなさそうなほどお忙しそうです……。

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深川

ところが、入社2年目のころから「また山に登りたい」という欲望がふつふつと芽生えてきたんです。

山ってひとつ登るたびに、「次はあの山に登りたい」という新たな願望が生まれるんですよ。その欲求が次第に抑えきれなくなり、再び山に登り始めました。

そうして登山を再会し、山の難易度が上がるにつれて、知り合いが死んでしまうようなことも数回ありました。

否応なしに人生の有限性を突きつけられたことで、一度きりの人生を全力で生きたい、自分の情熱や直感に忠実になりたいと考えるようになり、これまで以上に登山にのめり込んでいきました。

発信、行動、撤退、そして新たな目標

その後、「リーマン登山家」と名乗るようになったきっかけは?

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深川

直接的な理由を言ってしまうと、円安に伴う資金難です。当たり前ですが、僕の登山は個人的な活動で、そのために資金集めをする気は一切ありませんでした。

ところが、2022年にエベレスト登頂のステップとしてブロードピークという8000m級の山を登るために着々と身体づくりを進めていたタイミングで、すさまじい円安によって遠征費用が激増してしまったんです。

結果、クラウドファンディングでやむを得ず資金を募らざるを得なくなってしまった。

必要な費用は約450万円。クラウドファンディングはもちろん、企業スポンサーも募った

深川

その際、自分のことを端的に伝えられるキャッチコピーがほしいと思い、先行事例の研究やマーケティングの本などでの学習を行なったうえで「リーマン登山家」としての発信を始めました。

発信をしながら周囲に協力を求めたことで、何か変化はありましたか。

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深川

ポジティブな影響がたくさんありましたね。

「深川さんのアクションに励まされました」と言ってくださる人もいたし、ありがたいことにクラウドファンディングに協力してくれる同僚や友人もたくさん現れた。

「自分だけで閉じなくていい、やりたいことをやってもいいんだ」と背中を押してもらえましたし、自分が行動することで、他の誰かの背中をもほんの少しだけ押せることもあると気づけたのは自分にとって大きな発見になりました。

通常は2カ月かかる登山期間を1カ月に短縮しての計画だったそうですが、ブロードピーク登頂は果たせましたか?

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深川

残念ながら体力、技術、高度順応の難しさなどから撤退という結果となりました。

5700mからの景色。滑落の危険がある急斜面にテントを設置するため、トイレに行くたびに命綱をつける必要性があった(提供写真)

深川

ただ、そこで新たな次の目標にも出会えました。

遠征の最中に、切り立った独立峰として圧倒的な存在感を放つK2を間近で見たことで、その格好良さに強烈に惹きつけられてしまったんです。もう夢にまで何度も出てくるくらいに、焦がれてしまった。

エベレストの次の目標としてK2を登頂しよう。それがリーマン登山家としての僕の現時点での最終目標となりました。

提供写真

登山は仕事の役に立つ?

仕事と登山、どちらも全力で取り組まれていますが、仕事のスキルが登山に役立つこともありますか?

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深川

これはもうめちゃくちゃあります。登山と仕事のプロセスって、実はよく似ているんですよ。

どんな業種であっても、制約時間の中で、最短距離で目標を達成するために努力する点はほぼ共通していますよね? 普段の仕事で鍛えられるこうした姿勢は、登山の場面でも大いに役立ちます。

ブロードピーク登山の起点となるベースキャンプ。(提供写真)

深川

たとえば、高所登山に必要なものは何かと考えると、おもに

・体力
・心肺機能
・登攀(とうはん)技術(※)

の3要素に分解できるんですね。

これらを可視化し、定量目標を設定して、試行錯誤しながら分析・改善していく。このプロセスは仕事のプロジェクトに向かう姿勢とほぼ同じです。

登攀とは、手足を使って急角度の壁面を登る技術のこと。山の場合、岩壁や氷雪などを道具を使ってよじ登る。(提供写真)

逆に、登山の経験が仕事に役立つパターンは?

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深川

一見すると無謀なことでも、やってみれば意外となんとかなる。そうした楽観的なマインドを持てるようになったのは、僕の場合は登山のおかげでした。

たとえば、「登山未経験でキリマンジャロ登頂なんて無理だ」と言われていました。でも、小さな成功体験を積み重ねていったら、ちゃんと登ることができた。

途方もない目標に見えても、小さく分解してステップを刻んでいけば達成できる。新しい仕事に取り組む際には、そういった登山で習得したマインドがすごく役立ちました。

人生は理想ベースで考えていい

では、「働く」と「好き」を両立させたい人は具体的にどう動けばよいでしょう?

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深川

制約の中でやれることを洗い出すよりも、理想ベースで考えたほうが人生は楽しめるんじゃないかな、と僕は思っています。

できる・できないだけで判断せずに、まずは自分が叶えたい理想を決めて、どうすれば実現できるか逆算して考えていく。そのほうが実現可能性は高まるのではないでしょうか。

その上で大切なのはパッションです。今の僕であれば「どうしてもK2を登頂したい」という強い目的意識。その熱を普段から周囲に向けて発信することは、わりと意識的に行っています。

熱の発信とは、具体的にどんなことを?

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深川

たとえば、社内会議前の雑談で「最近はこんなトレーニングをしているんです」「なぜ自分は山に登りたいか」といったことを暑苦しく語ったり(笑)。

そこから、理解者や味方になってくれる存在が少しずつ増えてくれるといいなと思いますね。

深川さんのようなパッションあふれる人が社内に一人でもいると、チームの雰囲気も変わりそうですね。

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深川

そういう意味では、僕が「1カ月間、海外の山に登ってきます」という前例を作って以降、同程度の長期休暇を取るメンバーは増えたかもしれませんね。

休暇の目的は自分の研究だったり、技術探究のためだったりと、人によってさまざまですが。

とはいえ、会社員が1カ月間まとめて休むのはかなり難しそうです。会社に長期休暇制度などがあるのでしょうか?

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深川

いえ。海外登山のための休みは、自分の有給期間内で間に合わせています。

つまり、溜めに溜めた有給を全部まとめて海外登山に合わせる。それ以上のことをすると、周囲に説明がつかなくなると思うので、そこは自分で決めた最低限のルールを守っています。

通常は2カ月かかるブロードピークの登山。仕事の休みに合わせて登山期間を短縮するために、自宅に酸素発生器を設置し、高所の酸素濃度に体をならすトレーニングを行った。(提供写真)

会社員を続けながらやりたいことを守るために、自分なりのルールも定めているんですね。ほかに、工夫していることは?

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深川

仕事においての自分なりの工夫としては、属人化からの脱却です。「自分でなければだめだ」という仕事のやり方はしない。

海外遠征前に営業や運用関連をメンバーに引き継ぐ際には、トラブル予防のためにもとりわけ丁寧に行っています。

遠征が業務整理のいいタイミングになっているんですね。

WORK MILL

深川

とはいえ、個人の工夫にも限界があります。そうなると、一番重要なのはやはり周囲の理解ですよね。

僕の場合、入った会社がたまたまプライベートも含めて応援してくれる社風だったのは幸運でした。

ただ、組織が徐々に成熟していくフェーズにおいては、特定の誰かに属人化している業務をうまく分散し、面で対応できる体制を整えておくことは必要なプロセスだとも思っています。

理由はどうあれ、誰もが急なお休みを取る可能性ってありますよね。

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深川

ちょうど今、当社では妊娠・育児のようなライフイベントを迎える社員が続々と増えています。そうした意味でも、それぞれの事情で1カ月や3カ月ほど休んだ後でも、復帰できる体制を整えておくことは大切ではないでしょうか。

ブロードピーク(4850m)地点の景色。自然の中でしか見られない景色の美しさも、登山をやめられない理由の一つ。(提供写真)

深川

夢と仕事って決してトレードオフではないんですよ。どちらかを頑張れば、どちらかが必ず犠牲になるというわけではない。

たとえば、登山のために仕事を休んで海外に1カ月行ったら、確かにその間は仕事ができません。でもそれは短期的な見方であって、何かに一生懸命になった経験は、直接的な形ではなくとも必ず仕事や人生に活きてくる

だから、自分が好きなことは情熱を持ってどんどんすべきだと僕は思っています。

登山に限らず、「働きながら好きなことをやり続ける」ためのヒントをたくさんもらえた気がします。ありがとうございました!

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2023年2月取材

取材・執筆=阿部花恵
編集=鬼頭佳代(ノオト)