パクチーブームの火付け役が辿り着いたのは房総半島の銀行跡地? 佐谷恭さんが描く、誰もが交わる場所づくり(パクチー銀行)
世界各国のスパイス料理で欠かせない食材「パクチー」。ハーブの中でもとりわけ個性的な香りと味わいにやみつきになる人も多いのではないでしょうか。
そんなパクチーが日本に定着したきっかけのひとつが、2007年に東京都世田谷区にオープンしたパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」だと言われています。
オーナーの佐谷恭さんのパクチー尽くしの料理や毎晩8時9分の「パクチータイム」にゲスト全員で乾杯する演出などで、連日満席となる盛況ぶりでした。
しかし、パクチーハウス東京は、89日後に閉店するという突然のアナウンスの後、2018年3月に閉店。その後、佐谷さんは2019年から千葉県鋸南町で新しい活動を始めることに。
それがJR内房線保田(ほた)駅目の前の旧銀行跡を使った「パクチー銀行」です。一体どんなところなのでしょうか。異なる形で、人が交流する場をつくり続ける佐谷さんに場づくりのコツについて伺いました。
佐谷恭(さたに・きょう)
株式会社旅と平和の代表取締役社長。1975年、神奈川県秦野市生まれ。京都大学総合人間学部卒業後、英国ブラッドフォード大学大学院(平和学専攻)を修了。富士通、リサイクルワン、ライブドアを経て、2007年に「株式会社旅と平和」を創立。世界初のパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」をオープン。東京初のコワーキングスペース・PAX Coworking主宰。モットーは「肩書きは自分で作れ」。
カフェにアートギャラリー?「パクチー銀行」の中身とは
パクチー銀行に足を踏み入れてみると、そこら中からパクチーの香りが漂ってきます。早速ですが、パクチー銀行はどんなスペースなのか教えてください。
佐谷
ここの表向きの顔は、房総ジビエを使ったパクチー料理などが楽しめる不定期(気まぐれ)営業のカフェです。
ただ、コワーキングスペース兼アートギャラリーとしても利用できます。使い方は自由です(笑)。
佐谷
そして、ここは「パクチー銀行」のリアル店舗でもあるんです。
リアル店舗とはどういうことですか?
佐谷
2007年から、パクチーの種を無担保で融資するシードバンク「パクチー銀行」という取り組みを実施しているんです。
パクチーを「銀行」と名付けることで、パクチーの種は融資となり、もらった人は何か返済をしたいという気持ちになります。
佐谷
融資と言っても、パクチーの種は利息や返済する必要はありません。種をもらった人は自宅の庭やベランダで育てて、誰かに料理を振る舞ったり、SNSにあげたりしてみてほしくて。
自分が渡したパクチーの種が、いろいろな人に渡ってほしいんです。返してもらうより、全然知らない人のところにつながってほしい。パクチー銀行は顧客を支配したり、コントロールするという発想がありません。
看板にはそういった想いが……。
佐谷さんが個人で配り始めたパクチーの種が全国に広がっているんですね。
原点は学生時代にした旅の経験
もともと、佐谷さんは大きな会社で働いていたわけですよね。
どうして会社員からパクチー料理専門店の店主になったのでしょうか?
佐谷
私は大学時代、バックパッカーで世界中のゲストハウスを泊まり歩いていたんです。その時、ゲストハウスのロビーでは他の海外旅行者と色々と話す機会があって。
今まで知らなかった国の文化や価値観について触れることができたんです。
佐谷
そこでの体験がすごく楽しくて……。
いつの間にか観光名所巡りよりも「人と出会うこと」が旅のメインになっていました。
分かります……!
旅の醍醐味の一つは、行った先々で自分の知らない人や文化に出会うことですよね。
佐谷
はい。確実に旅の経験が今の自分を形成してくれました。大学卒業後は就職したのですが、ずっと旅の感覚が忘れられなくて……。
20代はキャリアについて相当悩みました。転職と旅、英国留学などをして、人生について考えました。
そんなふうに悶々としていた31歳の時に子どもが生まれたんですけど、「自分も子どもと同じスピードで成長したい!」と思い、自分にしかできない事業をつくることを決意しました。
佐谷
それで自分にできることを考えてみたんですけど、「人を集めて飲み会を開催すること」くらいしかないなって(笑)。
だけど、自分の能力を使って、知らない人同士が交流できる場所をつくったら面白いはずだと思ったんです。
旅先のゲストハウスのように。
佐谷
はい。自分なら来てくれる人に、お金の代わりに知識やネットワークを渡せる、と思っていましたね。
そして、当時は知名度の極めて低かったパクチーを組み合わせ、交流する飲食店をコンセプトに「パクチーハウス東京」をオープンさせました。
佐谷
飲食店は全くの未経験だったんですけど、パクチーブームも起き、何とか約10年間経営を続けることができましたね。
地中海沿岸生まれで、暑さに弱い!? 意外性の塊「パクチー」
素朴な疑問なのですが、佐谷さんはどうしてそこまでパクチーのことを好きになったんでしょうか……?
佐谷
パクチーは意外性の塊だからです。
20代前半の時、旅行で訪れたカンボジアで巨大化したパクチーを食べる機会があったんですけど、とんでもなく強烈な味がして衝撃でした。
確かに好き嫌いは分かれますよね……。
佐谷
ところがその後、別の国で通常サイズのパクチーを食べてみるところ、柔らかくて優しい味で、ハマってしまったんです。
それに、パクチーの正しい情報って日本であまり伝わっていないので、その事実をきちんと伝えたくて……。
パクチーの正しい情報?
佐谷
パクチーってタイやベトナムなど暑い国の食べものかと思いきや、実は地中海沿岸が原産で、モロッコやポルトガルの様々な料理でよく使われていて。ロシアや中南米でもよく見かけます。
また、暑さに弱く、熱で葉が溶けてしまうので涼しい場所で栽培されているんです。
他にも、パクチーは10世紀の『和名類聚抄』という書物にすでに紹介されていて、江戸時代の料理書には「すしの薬味」として紹介されていたんですよ。
どれも意外すぎます!
佐谷
初対面同士でこんなに盛り上がれるのも、パクチーの魅力のひとつです。
パクチーは「好き嫌いがハッキリ分かれる食べ物」とよく言われているんですけど、私はパクチーは好奇心を持って食べ続ければ必ず好きになると信じていて。
そうなんですか?
佐谷
良い土壌で丁寧に育てられたパクチーは甘みがあって、苦手な人でも食べやすいんですよ。
なので、パクチーの「ちょっと苦い」や「おいしくない」などの第一印象や先入観を克服して、ぜひ一度は食べてみてほしいですね。
東京のパクチー料理専門店を閉店して、鋸南に来た理由
パクチーハウス東京を閉店した後、どうして佐谷さんは鋸南町に新たな拠点をつくったのでしょうか?
佐谷
厳密に言うと、パクチーハウス東京は「閉店」ではなく、無店舗展開へのシフトチェンジでした。固定の店舗を閉じて、世界中で1日とか2日限りのポップアップ店舗を開いています。
とにかく出かけるのが好きなので、年に40〜50カ所ぐらいをふらふら訪問しています。鋸南町はそのうちの一つでした。
佐谷
日本中、世界中に魅力的な場所はいっぱいあるんですよね。どこに行ってもたいていは好きになります。「また来たいな」とも思うのですが、再訪する機会は意外となかなかありません。
ところが、鋸南町には縁があったみたいです。初訪問から半年後にあるイベントで講演の機会をいただき、2度目の訪問がありました。フレンドリーな町民やおいしい寿司屋と出会い、「また行きたいな」と思う気持ちがどんどん募りました。気づくと、初訪問から1年で、8〜9回も訪ねてしまいました。
すごい頻度ですね!
佐谷
田舎暮らしや2拠点生活とかに全く興味はありませんでした。なので、拠点を探していたわけでもないですし、鋸南町で何かしようと思って通っていたわけではありません。
しかし、たまたま、巨大な空き物件がたくさんあることを知り、借り手がいないことを知りました。「こんな田舎で事業をやる人なんていない」という言葉を聞いて、誰もしないことをするのが大好きな僕の心に火がついたのかもしれません(笑)。
なるほど……。
佐谷
それで、気づいたら物件を借りることになっていました(笑)。
鋸南は都市部から1時間とアクセスもよかったので、「コワーキングとバケーションとアートの施設を作ったら、仕事と遊びを自由に行き来できて面白いはず!」だと思ったんですよ。歩いて綺麗な海と鋸山に行くこともできるし!
都市と自然の距離感がちょうどよかったんですね。
佐谷
そうなんです。そして、2019年にアーティストインレジデンスとコワーキングを中心とする施設『鋸南エアルポルト』をオープンしました。
ですが、契約の直後に令和元年房総半島台風で町の建物の多くが被害を受けてしまって……。被害のニュースを聞きつけ、私もすぐに駆けつけました。
なんと……。
佐谷
ボランティアの一環として被災家屋のガラスを拾ったり、住民の方の息抜きになるようにと週1ペースで飲み会を開いたりしました。
半年ほどして少しは落ち着いたかなと思い、本来の活動を始めようと思った時に……。
コロナウイルスですか……。
佐谷
そうです。人を集めて楽しいことをするのが趣味で仕事な僕としては、「集まらない」「騒がない」「ステイホーム」というのは絶望的な状況です。
鋸南町に通い始めたものの、活動を始めるにも至らず、都心に比べて安価とはいえ家賃負担も大きいし、「人知れず撤退」しかないのではと思い詰めたこともあります。
苦しいことが続きますね……。
佐谷
とはいえ、事態が落ち着くと友人が遊びに来たり、新しい方と知り合ったりも。鋸南町での活動は当初見込みに比べると細々としたものでしたが、「意義はあるから、なんとしてでも続けたい」と思っていました。
そんなときに、今のパクチー銀行になった建物で片付けをしている人を見かけたんです。気になったので尋ねてみると、「ここを貸し出したいけど、金庫が邪魔で誰も借りないのではと大家さんが心配しています」と。
金庫?
佐谷
この建物は、本当に以前は銀行として使われていたので、今も金庫があるんです。
佐谷
その時は、物件をもうひとつ借りることなど考える状況ではありませんでした。
ですが、「パクチー銀行」って看板をつけたら、2拠点居住者の私がいない時でも通りかかった人が笑ってくれる、訪問者にとっての鋸南町の印象が圧倒的に強くなるだろうと思い、契約を決めました。
「看板をつけたい」というのが一番の動機だったんですね(笑)。
作業は捗らないけど、仕事はめちゃくちゃ生まれる場所へ
ちなみに、パクチー銀行はコワーキングも併設されていますが、実際に仕事をする人もいるのでしょうか?
佐谷
都心に比べると圧倒的に少ないです。たまに来るという感じ。休暇中にオンライン会議が1本入っているというような方が一番多いです。
コワーキング利用希望の連絡があったとき、脇目も振らずに仕事しそうな雰囲気があればやんわり断ります。コワーキングって作業する場じゃないですよね?それならシェアオフィスにでも行けばいい。
やむをえない仕事はすればいいと思います。でも、ここにいる多くの時間は、アイデアを生み出したり他人から刺激をもらうことに費やしてほしい。
ここでしかできないことですもんね。
佐谷
だから、利用者には積極的に話しかけます。それを見た常連さんというか、鋸南在住の方も、新しい人を見るとすぐに話しかけています。フレンドリーな方ばかりです(笑)。
東京初のコワーキングとして世田谷の経堂で「PAX Coworking」を営んでいるときから言われていますが、「作業は捗らないけど、仕事はめちゃくちゃ生まれる」と言われています。
別の価値が生まれていますね!
いま、パクチー銀行の利用者はどんな人が多いのでしょうか?
佐谷
地元の人やパクチー料理好きの人、中には「地獄のぞき」で有名な鋸山の登山客や電車の待ち時間に寄る人もいます。
看板にインパクトがあるせいか、初めての人は「ここ何のお店なんですか?」って好奇心むき出しなことが多いんですよ。
きっと「パクチー」というフィルターをかけることによって、変わった人しか来ないんでしょうね(笑)。
編集部も迷い込んでしまったのかもしれません(笑)。
ちなみに、佐谷さんは東京にもご自宅があり、パクチー銀行は週に数回の営業ですよね。
普通はたくさん営業して人を呼んで……というのが経営戦略になる気がするのですが、どのようにしてお店を成り立たせているのか気になります。
佐谷
特に難しいことはしていなくて。
たとえば、都心部ではパッと見ただけでも1つのエリアに500件くらいのお店があって、競争率がすごく高いですよね。
確かにそうですね。
佐谷
一方で、店舗数が限られている鋸南なら世界中の人が来てくれて、印象にも残りやすい。幸いお店の家賃も都市部ほど高くはないので、毎日お店を開ける必要がありません。
それに、私はパクチー銀行があることで無限の人脈・金脈を得ています。
といいますと?
佐谷
パクチー銀行をオフィス兼作業場として使っていて、ゲストがいない余白には、やりたいことをずっとやり続けることができます。都内で仕事をするよりも、山や海に囲まれた鋸南の方がアイデアがどんどん湧いてきて、仕事の幅が広がったんですよ。
また、開放的な雰囲気でゲストがたくさんお話ししてくれるので、ヒントをもらいまくりです。
佐谷
もちろん、初めての店舗経営で短時間不定期営業で成り立たせるのは相当ハードだと思います。
ただ、個人的には長年飲食店業界で働いてきたので、キャッシュフローの読み方は知っているし、食材ロスも全く出しません。また、オンリーワン業態を貫いてきたので、独自のネットワークで世界中からお客さんを呼ぶことができます。
そんなふうに、過去の仕事での学び、旅の経験を鋸南町の活性化につながる仕事に置き換えて活かしています。
人はつなげるのでなく、つながっていくもの
これまで様々な場づくりに関わってきた佐谷さんですが、人と人をつなげる際に大切にしていることはありますか?
佐谷
あえて放置することですね。たとえば、私がイベントで人を集めたとしても全員のことを把握できるはずはないですよね。
だったら、「この人がこうで〜」と一人ずつ紹介するよりも、ときにはわざと自分は場を抜けて、参加者同士が会話せざるをえない状況をつくっています。
そしたら共通の話題が出てきて、僕が仕切るよりずっと、想像以上に会話が弾むものなんです。
佐谷
人はつなげるのものでなく、つながっていくものだと思っています。
他にも、緊張をほぐすために「乾杯!」って声を出させることも重要ですね。
「話したくなるきっかけづくり」が大事なんですね。
佐谷
そうなんです。また、場づくりって様々な人が混ざり合うこともポイントなんです。
それこそ、会社員時代に上司に飲みに誘われた時は「今日こういう友達を誘ってもいいですか?」って提案していたんですよ。
え、社内の人との飲み会に友達を?
佐谷
そうです。社外の人が入ることで、愚痴大会が多かった飲みの席が全く違う雰囲気になり、普段聞けないような話題まで出たりするんです。
たとえば、「忘年会に面白い人をひとり連れてくる」など、会社の人と外を巻き込むことができれば、その組織は間違いなく飛躍していきます。
面白そう……! ちょっと試したくなりました。
最後に、パクチー銀行がオープンしてから3年経ちますが、これからどんな空間になってほしいと思いますか?
佐谷
それこそパクチー銀行は最初から「パクチー好き」だけをターゲットにしていなくて。
地元の人やパクチー好きな人、登山客、僕が旅先や居酒屋で出会った人などが偶然鋸南で交わり、いい化学反応を起こしてほしいと思っています。
そのために、これからもパクチー銀行は色んな人が訪れる場であり続けたいですね。
取材・執筆=吉野舞
撮影=ヒロタケンジ
編集=鬼頭佳代/ノオト