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人の手で楽譜を作る「写譜」は、人間ならではの思いやりがあふれる仕事(藤川千愛さん)

音楽番組でよく耳にする、「今夜だけのスペシャルバージョンを生演奏でお届けします」なんてフレーズ。どのように準備されているのか、ご存知でしょうか?

実は、その日だけ使われる「楽譜」が存在するからこそ、実現できるのです。その楽譜を作るのが「写譜(しゃふ)」というお仕事です。

限られた時間で細かく正確に楽譜を書き起こす「写譜」には高い集中力に加えて、初見でも演奏しやすい楽譜を作る工夫も求められます。

今回は、写譜を専門に行っている株式会社東京ハッスルコピーの藤川千愛さんに、写譜のお仕事の魅力や奥深さ、そしてAIが台頭しても大切にしたいビジネスマインドについて教えていただきました。

藤川千愛(ふじかわ・ちあき)
写譜や楽譜制作を専門とする株式会社東京ハッスルコピーのディレクター。現場で使用される楽譜制作のディレクションを主に行っている。

「写譜」された楽譜の寿命は、一夜限り!?

そもそも「写譜」とは、どのようなお仕事なのか教えてください。

藤川

そもそも楽譜には、「浄書(じょうしょ)」と「写譜」の2種類があるんです。

「浄書」とは、音楽の教科書に掲載されていたり、出版物として使用されていたりするすでに完成された楽譜のこと。多くの方が楽譜と聞いてイメージされるそのものですね。

「写譜」とは、音楽番組やコンサートなどの現場で、主にプロのミュージシャンが使う楽譜を作る仕事のことです。作られた楽譜はその場限りのものがほとんどなので、一般の方が触れる機会は少ないかもしれませんね。

実際に「写譜」した楽譜

その場限りなんですか? こんなに丁寧に書かれているのに、もう使われることがないなんて、なんだかもったいない気持ちになります……。

藤川

音楽番組の特番を例にあげると、「今夜だけのスペシャルコラボ」や「ヒット曲メドレー」のような生放送かつ生演奏は、その場限りで一度だけ演奏されるもの。なので、楽譜もその後使われないことがほとんどですね。

他にもテレビCMやドラマ、映画での楽曲収録、コンサートでの特別アレンジ楽曲などでも写譜をした楽譜が使われています。

どのようなスケジュールで作成されているのでしょうか?

藤川

実は結構タイトでして……(笑)。仕上がるのは、生放送の音楽番組など場合によってはリハーサル前日の夜、なんてこともあります。

●仕事の流れ
1. 編曲者が、すべての楽器の楽譜がまとめられた楽譜「スコア」を作成
2. スコアをもとに、楽器ごとの楽譜「パート譜」を作成(写譜)
3. 写譜された楽譜を校正後、製本して現場に納品

編曲者が作成する「スコア」。登場する楽器(パート)の演奏内容がすべて記載されている楽譜。これを抜き出す形で写譜を行い、楽器(パート)ごとの「パート譜」が作られる。

藤川

写譜の作業は、ご要望に合わせてコンピューターか手書きで仕上げます。割合で言うと半々ですね。それぞれに良さがあるので、奏者のニーズに合わせて作成する必要があります。

急ぎの場合は、これらの工程を2時間で終わらせるなんてこともありますよ!

2時間!?

藤川

また、リハーサル中に歌手の方の調子に合わせて「今日は喉の調子が悪いので、キーを半音下げてください」など、本番直前でも全体的に修正が入る場合もあります。そうなると、パート譜もすべて作り直しで……。

いつでも変更に対応できるよう、私たちも収録現場に足を運んでいるんです。

演奏しやすい楽譜は人間にしか作れない?

そんな苦労があったとはっ……! 何気なく目にしていた音楽番組の見方が変わりそうです。

藤川

ありがとうございます(笑)。黒子のような裏方仕事ですから、目立たなくていいんです。

謙虚……! こんなに大変なお仕事なのに藤川さんはなぜ、楽譜づくりのお仕事に就かれたのでしょうか?

藤川

小学生の頃からずっと音楽がある生活をしてきたんです。クラリネットをやっていたので、奏者としての道も考えたりしましたよ。

でも、奏者として表に立つだけでなく、音楽を支えるそんな仕事に就きたいと考えるようになったんです。

高校生の時、編曲をやっている先輩から「写譜の仕事」を教えてもらったことがきっかけで、現在に至っています。

藤川さんは、東京ハッスルコピーでどのようなお仕事をされているのでしょうか?

藤川

営業部のディレクターとして楽譜づくりを取りまとめる仕事を担当しています。

「この楽曲なら〇〇さんが得意そうだな」と写譜をお願いする方を決めたり、全体のスケジュールを担当者さんと決めたり、収録現場で何が起こってもいいようにスタンバイしていたり……。

楽譜に書かれた演奏を実現するためにできることなら、なんでもやっています(笑)。

楽譜を作る方は、何人くらい在籍されているのでしょうか?

藤川

手書きが15名、コンピューターで作成するメンバーが20名ほど在籍しています。

手書きの場合は、万年筆に似た写譜専用のペンを使って書いています。また定規を使う人、フリーハンドで書く人など書き方はさまざまです。

コンピューターを使わず緻密に書かれた楽譜

手書きとは思えないくらい美しい楽譜ですね!

藤川

ありがとうございます。

弊社では通信で写譜スクールもしていて、修了後そのまま写譜をお仕事にする人もいます。中には、写譜歴30年のベテランもいますよ。楽曲に合わせてチーム編成を行い、楽譜を作っています。

すごく不躾な質問かもしれませんが、これだけ大変なお仕事ならAIで楽譜をラクに素早く作ることはできるのでは?と思ってしまいます。

人間が楽譜を作ることにこだわっている理由を教えてください。

藤川

確かに、最新技術を使って素早く正確に楽譜を作ることは可能です。実際に、編曲家さんから送られてくるスコアも手書きよりコンピューターで作成されたものが増えてきました。

しかし、それによって出来上がったものがミュージシャンの方にとって演奏しやすい楽譜か……と聞かれると、必ずしもそうとはいえないんですよね。

え、そんな違いがあるのですか!?

藤川

そうなんです。そもそも写譜をする人の多くが、自身も音楽をやってきた人たちなんですね。だから、長年の経験から、演奏しやすい楽譜を知っていて。

「ここで譜めくりしたくないよなー」とか「割り付けが美しくないな〜」など、経験を通じて得られる“勘”を詰め込むためには、人間の手で作る必要があるときもあるんです。

楽譜が出来上がる素早さと正確さは、演奏のしやすさとイコールではないんですね。人間の手だからこそできる工夫は、具体的にどんなものでしょうか?

藤川

たとえば、音符と音符の間隔を見やすく配置する「スペーシング」は、コンピューターで再現すると時間がかかります。手書きの方が早くできて、見やすいこともあるんです。

音楽の流れやテンポ、タイミングによって、望ましい音符同士の間隔や小節の長さは異なる

藤川

スコアがコンピューターで作成されていても、「パート譜は手書きで納品してほしい」という方もたくさんいて、そのために東京ハッスルコピーに依頼してくださいます。

どんなに時代が進み、素早く正確な楽譜が作れるようになったとしても、原点である手書きの写譜は残っていくと思います

100点をとって当たり前の仕事との向き合い方

写譜は100点をとって当たり前というか、ミスが許されないお仕事ですよね。

藤川

なるべく間違えないように、校正もしっかり行うように努めていますが、どうしても出てしまうこともありますよ。その場合は、真摯に迅速に修正対応しています。

ちなみに「写譜」って、スコアをそのまま書き写せばOKなお仕事ではないんです。

そうなんですか?

藤川

編曲者さんによっては、番組や本番に向けて大急ぎで仕上げていただく場合もあるので、スコアに書かれているものが間違っている場合もあるんです。

そういった編曲者さんのクセや特徴を把握しつつ、こちらの判断で修正することもあります。

そこまで配慮されているんですね……。どんな時にやりがいを感じられますか?

藤川

すごく個人的な話になってしまいますが、たまにテロップや映画のエンドロールに名前を載せていただくこともあるんです。その時は、すごく励みになりますね。

考えてみると写譜って、音楽が生まれる最前線にいるんですよね。誰よりも早くその音を聴かせていただけるのはすごく贅沢だなと。

藤川さんのようなディレクターさんや写譜を作ってくれる方がいなければ、演奏が始まらないですもんね!

取材をして原稿を書いて、メディアから届けるライターと編集者との関係にも似ている気がします。

藤川

そうなんですね! 業種は違えども、コンテンツを届ける最前線の仕事という意味では共通点がありますね。

会社の先輩が「音楽は時代も国境も越えられるんだ」ってよく話してくれるんです。楽譜があればどんな時代のものでも音楽が奏でられるし、人種も関係なく演奏できる。

音源の残っていない音楽を再現できたり、同じ譜面で世界ツアーを行い現地の方々が演奏できたり……。

そんなさまざまなことをつなぐことのできる譜面を作ることに、面白さを感じています。

相手を慮る気持ちが、音楽をさらに美しくする

最後に、写譜のお仕事で大切にしていることを教えてください。

藤川

番組を作るのも、楽譜を作るのも、演奏するのも、音楽を聞いてもらうのも人。なので、相手を慮る気持ちは大切にしていきたいですね。

「この楽譜なら演奏しやすいかな?」
「このタイミングで譜めくりにした方がいいかな?」

など、本当にちょっとしたことなんですが、相手のためを思って楽譜を作り、届けることがより良い演奏につながっていくと信じています。

相手を思いやることは、どんな仕事にも通じることかもしれませんね。

コンピューターやAIに取って代わられないお仕事に共通することかもしれません。

藤川

私個人で言えば、音楽って「楽しい」ものなので、どんな状況でも楽しもうと思ってお仕事をしています。

どんなにハードなスケジュールだとしても、そのハラハラを楽しむというか(笑)。みんなで乗り越えた先に楽しさが待っていると思えばがんばれるんです。

そうか、音“楽”ですもんね!

藤川

音楽を聴いて元気になってもらいたいのに、楽譜を見てミュージシャンがどんよりしてしまっては良くないし、音にも悪い影響が出てしまうかもしれません。

とにかく楽しく作る、そんなことを心がけていこうと思っています。

まったく触れることのなかった写譜の世界でしたが、自分の仕事とも共通点が見つけられ、とても貴重なお話を伺うことができました。

本日は本当にありがとうございました!

2024年1月取材

取材・執筆=つるたちかこ
撮影=篠原豪太
編集=桒田萌(ノオト)