働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

会社が哲学者を「雇用」する時代に。数値化されない利益を生み出す「企業内哲学者」とは?(佐々木晃也さん)

近年、グーグルやアップルなどの巨大IT企業で、哲学者を「社員として雇用する」動きが広がっています。

組織の一員となった哲学者は、ビジネスシーンにおいてどのような役割を果たしうるのでしょうか。また、組織に哲学者を迎え入れたことで、社内にはどのような変化が起きるのでしょう?

2019年から4期にわたり国内企業の「企業内哲学者」を務めた哲学研究者の佐々木晃也さんに、哲学とビジネスの関係性についてお聞きしました。

佐々木晃也(ささき・こうや)
1989年生まれ。哲学研究者。大阪大学大学院 人間科学研究科 博士後期課程。20世紀後半の主に仏語圏の解釈史を踏まえたスピノザ哲学の研究と並行して、2019年~2022年にかけて株式会社メタの企業内哲学者(監査役)を務める(現リサーチャー)。2024年3月に論文「企業内哲学者はいかなる意味で哲学者であるのか? 企業哲学実践の動向とその批判」を発表。

哲学者は企業で何をする?

佐々木さんは哲学研究者として、どのような活動をされているのでしょうか。

佐々木

僕は京都に住み、大学院でスピノザ(※)哲学を研究しながら、複数の企業と一緒に「哲学をすること」を仕事としています。

2019〜2022年にかけては、公認会計士やエンジニアなどからなる技能集団・株式会社メタからオファーを受け、監査役という立場で企業内哲学者として活動をしてきました。

(※)17世紀、オランダで活動した哲学者。主著は『エチカ(倫理学)』。

企業が「哲学者を雇用する」イメージがあまり描けないのですが……。

佐々木

そうですよね。

僕もメタ代表取締役の辻英人さんから「哲学者としてうちの会社に来てもらいたい」と言われたときは、「え、何をやるんですか?」と逆に聞いたくらいですから(笑)。

佐々木

辻さんの答えは、「哲学者の目線から、僕らの会社がやることを見ていてほしい。そして思ったことや気付いたことを言ってほしい」というざっくりしたものでした。

メタ社とはその以前から交流があったのですか?

佐々木

別の取締役の方とは面識がありましたが、代表の辻さんと直接対面したのはそのときが初めてでした。

人類学者ティム・インゴルドに関するオンライン読書会で、僕が話したのを辻さんが参加者として聞いたことがきっかけだったそうです。それが、オファーをいただく半年ほど前のことです。

辻さんはなぜ、哲学者を雇いたいと思ったのでしょうか?

佐々木

細かいかもしれませんが、私は従業員として「雇われた」わけではありません。私は監査役であり、監査役は役員です。些細な違いと思われるかもしれませんが、これは非常に重要なことでした。

さて話を戻すと、辻さんのオファーは「これからの時代は人文知ベースの監査が求められるようになる。だからこそ、哲学研究者に経営をモニタリングしてほしい」との意図からだったそうです。

「哲学者として自社を見てほしい」との申し出を聞いて、どう思われましたか?

佐々木

僕は哲学そのものに強い興味があるので、「企業の中で哲学に何ができるのか」を知りたいと思いました。

スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の冒頭で、猿の群れの前に謎の黒い石板モノリスが現れるシーンがありますよね。やがて、群れの中から1匹の猿が骨を掴み、「武器」として用いるようになる。

佐々木

それまでとは異なる用途で物が使用される、あの瞬間。それによって、システムの運動の中で「骨」の新しい機能的側面が浮かび上がってくる。

僕は企業と哲学の関係にもそれに近しいものを感じていて、企業という状況の中で哲学に何ができるのか、ということに興味がありました。

メタ社では、企業内哲学者としては具体的にどのような業務を?

佐々木

メインは2週間に1回、東京のメタ社内で行われる全体ミーティングへの参加です。僕は京都在住のためオンラインで参加し、その場を見て聞いて、気付いたことがあれば言ったり、問うたりする。

2時間のミーティングを観察すると、さまざまなことが見えてきます。

たとえば、どんなことが?

佐々木

場が沈黙したときに誰が口火を切るのか。これは参加メンバーが固定されている状態だと、特定の人に偏ることが非常に多かった。

さらに、その人に続く次の一声を誰が続けるか。観察していると、口火を切った人に職能や所属が近い人、もしくは親しい間柄にある人が発しているケースが多く見られました。

言われてみれば社内会議などでは、発言のターンや流れが無意識のうちに固定化している企業も多そうです。

佐々木

誰にも悪気はないんです。沈黙を破る人は、むしろ場を和ませたり、進めたりしようとして口火を切ってくれるのだと思います。

ただ、それによって「偏り」が常態化した結果、発言を控える人、追従する人、諦めてしまう人が生まれているようにも僕には見えました。

佐々木

このように見て気付いたことを「監査報告」として役員を含めた全社員の前で伝えることが、メタ社での企業内哲学者としての僕の主な業務でした。

そこにある「差異」を差し出す

社内に属しながらも「外」の目を持つ人からそうした指摘をされると、耳が痛くなりそうですが……。

佐々木

実際、代表の辻さんからは「耳が痛い」とたびたび言われました。

他にも、特定の役員間で起きた対立について、あえて「子どもの喧嘩のようだ」と率直に表現したこともあります。

それはストレート……!

佐々木

ある種の哲学において、「大人」とは、自分自身や自分が置かれている特定の状況に対して理性的に配慮できる存在を意味します。

それが実践できていないのであれば、その人の年齢や立場には関係なく、子どもとみなされうる。そうした文脈に乗せて伝えた記憶があります。

なるほど。哲学者の視点から企業をモニタリングするとは、そうしたことなのですね。

佐々木

ただ、僕は誰かを責めたいわけでは決してありません。

「偏り」や「対立」が見られるとは伝えますが、それを早急に解決しないとならない、その解決法はこうでなければならないなどとは言いません。

差異があるのは確かでしょうが、それ自体がその企業にとって問題なのかどうかまでは僕にはわからないからです。

差異を見つけて誰かをジャッジするのではなく、ただ提示していたんですね。

佐々木

大勢の異なる人間が集まった組織内で差異が生じるのは当たり前のこと。純粋に見れば、差異はただそこにあるだけのものです。

企業がひとつの大きな有機体として全体で目標に向かっていくのが理想ならば、差異は「方向性の違い」などのように現れて、その企業にとって悪のように思われるかもしれません。

でも、差異をうまく保つことで、そこから新しい運動が生まれていくこともあります。ならば、互いの差異とどう付き合っていくかを考えていくしかない。

佐々木

メタにおける企業内哲学者としての4年間は、メタに起こっていることから出発して、思考し言葉にするということを続ける日々で。

結果的に「耳が痛い」ことも言ってしまうこともあるので、そのたびに一応、クビになる覚悟はしていました。とはいえ、ソクラテス(※)のように命まで取られるわけじゃないですからね(笑)。

(※)対話を通して真理を探求する「問答法」などを手掛ける古代ギリシャの哲学者。アテネ市民を堕落させた罪を問われて死刑に。

意外と古い企業と哲学の関係

海外ではアップルやグーグルのような最先端企業が哲学者をフルタイム雇用する取り組みをしていると伺いました。

哲学者=大学などの先生というイメージが強いのですが、企業が哲学者の知見を取り入れようとするのは、最近のブームなのでしょうか?

佐々木

企業内哲学者は2010年代以降に目立つようになりましたが、実は古代ギリシャの時代から哲学者はそれに近い役割を実践していました。

古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの弟子であるプラトンは、シラクサで時の統治者であったデュオニュシオス2世の政治的助言者の役割を果たしています。

紀元前から、現実社会に直接的な影響を与えられるポジションの哲学者がいたんですね……。

佐々木

「哲学」を意味する英語「フィロソフィー(philosophy)」の語源は、古典ギリシャ語の「フィロ−ソフィア(philo-sophia)」です。

フィロは「愛する」、ソフィアは「知恵」を意味します。当時は、世界を旅してさまざまな人間のあり方を見て思考することを好む人が知の愛好家=哲学者でした。

また、ピエール・アドという古代哲学の研究者によれば、「フィロ」は流行語として市井でカジュアルに使われていたようです。

「フィロ」が流行語だったとは?

佐々木

古代ギリシャでは語頭に「フィロ(phil/philo)」をつけることで特定の物事についての嗜好を持つ人を示すトレンドワードとなっていたようです。

「シネフィル(映画愛好家)」などもその延長線上で近代に生まれた言葉です。

そんなに馴染み深い存在だったんですね。

ただ、今は多くの現代人にとって哲学者は大学や研究機関でしか見かけない存在かもしれません。

佐々木

哲学が今のようにアカデミックな「学問」になったのは、とりわけ15〜16世紀以降のヨーロッパにおいて、政教分離、言論の自由、大学制度の確立、印刷術の発明と一般化が相まっていく流れの中でなのです。

その後1980年代頃から、ヨーロッパでは哲学的な知見や思考法などをビジネスに取り入れる試みが行われるようになり、世界各地にその潮流が広がっていきました。

そのため、ヨーロッパでは、ノルウェーの国営企業による環境倫理学を専門とする哲学者ヘンドリック・シーセの雇用事例など、政府機関の重要な意思決定に哲学者が関与している事例もあります。

内と外から企業を変える

哲学と企業は切り離された別物ではなく、互いに影響を与え合ってきた長い歴史があったのですね。

では、現代社会では哲学者はどんな形で企業と関わっているのでしょう?

佐々木

僕は企業と関わる哲学者には3つのタイプがあると思っています。

1つ目はガバナンス、企業統治や経営陣の意思決定に作用する哲学者。メタ社における僕は、このタイプに該当します。

2つ目は哲学対話などの研修を通じて、主に個別の現場で働く従業員に哲学的観点や、「哲学する」ことの集団的経験をもたらす哲学者です。

3つ目は、いわばその中間的な立ち位置。自社について研究し、企業理念を構造的に明らかにしたり、それを従業員たちも理解できるように伝えたり、また単に「上から」説得するようにするのではなく、従業員自身にもその理念についてちゃんと思考し問うてもらう機会を提供したりする「コンサルタント」に近い哲学者です。

最近は哲学者を講師として外部から招き、研修などで哲学対話を取り入れる企業も増えています。これは2つ目のタイプですか?

佐々木

そうですね。ここで面白い点があります。

2つ目の外から来る哲学者は、内側にいる社員を「準哲学者」のように変えていく存在です。それに対して、企業に雇用された哲学者は上層部の経営陣に「外」の視点を持ち込む構図になっていることです。

つまり、組織構造の上部にいる経営層に「外」の視点を提示する哲学者は企業「内」の一員とされる。

一方、哲学対話・哲学レクチャーなどを通じて、組織を「内」から変えていくのは「外」から来た哲学者である点です。この「外−内」ないし「内−外」という反転的な関係性については、今後の研究において関心をもっている点の一つです。

佐々木

この点で興味深いのは、「監査役」という会社法上のポジションです。

監査役は役員の一人として登記簿に乗っているという意味では会社の「内」にいますが、その独立的な地位と権限の下で求められる機能は「外」の視点や思考を経営陣にもたらすことです。

確かに!

佐々木

言い換えれば、監査役というポジションは、私自身が経営陣に率直にものを言ったり問うたりする行為の出現可能性を支持してくれていたのです。

先ほど、「一従業員として雇われたのではなく監査役として迎え入れられたことが重要」と言ったのはこういう意味です。

辻さんたちが最初からこうした法的な力学を理解していたからこそ、他でもなく「監査役」としてのオファーだったのです。

いずれにせよ哲学は企業の体を強くするワクチンのような存在だと考えるとわかりやすいかもしれません。

哲学は企業のワクチンであり栄養

哲学的な思考法がワクチンのような働きをする。どんな意味なのでしょう?

佐々木

哲学という未知の異物を、少しずつ企業という一つの体に取り込むことで、意図的にその一種の免疫システムを少しずつ強くする、という意味です。

強い身体に作り変えていくことで、企業は将来に直面しうる何らかの危機への備えとして、あるいは新たな事業アイデアなどが生まれる思考の土壌を養うのです。

意識的に強くする……。

佐々木

別の視点からも考えてみましょう。法人(コーポレーション)には、次の2つの側面が必ずあります。

利益を生み出すための企画や事業を行う「エンタープライズ的側面」、いわゆる単純な企業として側面

上記を実行したり維持したりしていくための「カンパニー的側面」、語源が示唆するような「共に−食べる−仲間」としての側面

佐々木

一般的には「エンタープライズ的側面」だけが強調されがちですが、我々の身体と同様に、このどちらの側面も欠かせません。

企業経営は、外部からのさまざまな影響も受ける中で、この二つの側面のバランスをうまく取り続けていくプロセスです。

佐々木

「イノベーション」などと謳って、新たなものを生み出すことに組織全体をうまく一つの方向に傾けることも重要でしょうが、外部から「栄養」を摂取して持続可能な身体を養っていく作業も同じくらい大事なこと。

そう考えると、哲学は企業にとってワクチンにもなるし栄養にもなる、と解釈できるはずです。

哲学者とお金の関係。適切な報酬は?

哲学は売上のように数値化された利益とはまた違う価値をもたらしてくれる、ということですか?

佐々木

そうですね。貨幣価値に還元されるものばかりが利益ではありませんから。

哲学的思考は企業にとって利益の一種になるともいえます。

一方で、貨幣価値とは異なる利益をもたらす存在だと考えると、「企業内哲学者への適切な報酬はどれくらいなのか?」と悩む企業も出てきそうです。

佐々木

結論を先にお伝えすると、僕も正解はわかりません。

メタ社の監査役としての報酬も、お互いに手探りで話し合いをしながら決めていきましたから。

具体的にはどんな報酬体系に?

佐々木

企業内哲学者としての僕の仕事は「考える」ことでした。定例ミーティングは2週に1回でしたが、それ以外の時間でもミーティングで見聞きした同社の常態について「考える」時間が大量にありました。

そこで、僕の場合は思索の時間のために何が必要かを辻さんと話し合った。その結果、月5万円の報酬で合意しました。

5万円の内訳は?

佐々木

大量のタバコとコーヒー、それから年6枚の清潔なシャツに相当する代金として、です。

ただその後、実際に数カ月間の活動してみて、その振り返りをした上で、もう一度話し合い、最終的には月10万円に落ち着きました。

なるほど。

佐々木

ただ、この報酬額は当時の僕とメタ社の場合はこうした契約に落ち着いた、というひとつのモデルに過ぎません。

ですから、いろんな企業といろんな哲学者が自分たちにマッチするモデルを実験していただきたいと思っています。

ちなみに、個人的には哲学者に限らず、業務時間外にその仕事について「考える」ことが発生しているのであれば、そこに報酬が支払われたほうがいいのでは、とも思いますが、これは可視化することも予想することもできないので、難しいところではあります。

メタ社での哲学者(監査役)としての任期は4年間だったそうですが、会社としての売上に変化はありましたか?

佐々木

数字だけを見るならば、2019年と2022年を比較すると売上は約3倍に伸びたそうです。

ただし、哲学者としてこうした貢献をしたから売上が伸びた、と因果関係を出すことは困難ですよね。その事実をどう意味づけするかは経営陣や社員側の実感にも委ねられざるを得ないところがあります。

哲学者でなくてもいい?

佐々木さんから見て、哲学を活かせるのはどのような企業だと思われますか?

佐々木

業界を問わず共通して言えるのは、「今の自分たちはどのような課題を抱えているのか」をある程度、明確にわかっている企業です。

「哲学者を雇用するのが流行っているらしいから試しにやってみようか」くらいの動機でも、キッカケとしてはいいかもしれません。

しかし、やはり「自分たちの課題について今までとは異なる仕方で向き合っていく」ということも視野に入れた一種の勇気がある企業の方が好ましいと思います。

哲学がすべてを解決してくれる、なんてことはないですからね。

佐々木

そうですね。自分たちの組織に課題があることを認知しており、状況を乗り越えるための変化を探っている。「利益」という言葉の意味が、エンタープライズ的側面や貨幣量の増大にだけ還元されるわけではない、ということを自覚している。

そのような企業であれば、哲学者とマッチングできる可能性は高いように思えます。

もうひとつ、企業内哲学者のあり方は、僕が専門とするスピノザの賢者像とも通じるところもあるかもしれません。

スピノザは賢者像をどう定義しているのですか?

佐々木

スピノザは賢者を単に「専門知識を多く持つ人」のような意味では捉えていません。

音楽、食事、香り、演劇、運動など、できるだけさまざまなものとの出会いに適した身体、世界の中でゆらぎ変化しながらそれらとの出会いを自分の喜び・栄養にできる身体を保ち続けられる。そんな人こそが賢者である。

従来の「賢者」のイメージとはちょっと違いますね。

佐々木

この賢者像における「身体」を「企業」と読み替えれば、なぜ今多くの企業が哲学を切実に必要とするようになったのかが見えてくるかもしれません。

世界の多様なものに触れ、柔軟に変化していける。企業をそうした一つの身体として捉え直す手段として、哲学が大いに役立ちそうです。

佐々木

ただ、そう考えると「企業内哲学者」は別に哲学者でなくともいいんですよ。実際、メタ社における僕の後任の監査役は人類学者でしたから。

哲学者と人類学者では、体の伸ばし方も、耳や目の使い方も、思考の仕方もまるで違います。いずれにせよ、その「違い」を浴びることが、企業にとって「栄養」になることがあります。

私たちは、そうした新たな実験=実践が世界のさまざまなところで試みられ始めた時代の真っ只中にいるのです。

2024年7月取材

取材・執筆:阿部花恵
撮影:栃久保誠
編集:鬼頭佳代(ノオト)