江戸時代も「やっぱり猫が好き」だった? ― 太田記念美術館主席学芸員・日野原健司
この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。
「猫ブーム」はなにも現代人だけのものではない。浮世絵が教えてくれる「猫好き」たちの歴史。
「猫ブーム」と言われるようになって久しいが、この10年ほどの間、猫を描いた江戸時代の浮世絵を集めた展覧会が各地の美術館で開催され、多くの観客を集めている。可愛らしい仕草をする猫や、擬人化されたユーモラスな猫、さらにはちょっと怖い化け猫まで、バリエーションに富んださまざまな猫の姿が、現代の猫好きたちを魅了したようだ。
江戸時代の人々は、金魚やハツカネズミ、鶉(うずら)など、さまざまな動物をペットとして飼っていた。犬は、狆(ちん)という小型犬に限っては室内で愛玩されたが、どこにでもいる雑種の犬は、ちゃんとした飼い主がおらず、町に住みついている野良犬のような存在であった。
一方、猫の場合、浮世絵をいろいろと調べてみても、野良猫の姿はなかなか発見できない。もちろん、江戸時代の家屋の隙間を考えれば、現代のように完全な室内飼いということはなく、気ままに町の中を出歩いていたことであろう。だが、浮世絵に登場する猫は、室内で人間と一緒に仲良く生活している姿が多いのである。例えば(図1)は、タイトルに「ヲゝいたい」とあるように、猫に襲いかかられて痛がっている女性の姿だ。猫の鋭い目つきを見ると、機嫌を損ねているようだが、女性は痛いと言いながらも口元には微笑みが浮かんでいて、猫への愛情を隠しきれない。立派な赤い首輪も、この猫が愛されている証拠だろう。
このような人間と猫とのつながりを伝えてくれる作品の他にも、猫の浮世絵はいろいろな種類がある。例えば(図2)は、「戯画」と呼ばれるユーモラスな絵である。15匹の猫たちが鯰(なまず)と協力して、「なまづ」という平仮名の文字を形作っているところだ。一匹一匹の猫の仕草も可愛らしい上、猫に文字を作らせるというくだらないアイデアを、江戸時代の子どもも大人もニヤニヤしながら楽しんだことだろう。
他にも、人気の歌舞伎役者の顔が猫のようになっていたり、人間の姿をした猫が蕎麦屋で働いたりしている浮世絵まである。浮世絵は庶民の娯楽として安価で販売される商品であった。そこに猫がたくさん描かれているということは、猫はペットとしてはもちろん、身近なキャラクターとしても親しまれていたことを意味している。現代では、可愛らしい猫がテレビのCMや写真集、YouTubeの動画などさまざまなメディアに登場するが、実は江戸時代、浮世絵というメディアですでに「猫ブーム」は大きく展開していたのである。
ー 日野原健司(ひのはら・けんじ)
太田記念美術館主席学芸員。1974年千葉県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科前期博士課程修了。著書に『ニッポンの浮世絵』(小学館)、『北斎 富嶽三十六景』(岩波文庫)、『ようこそ北斎の世界へ』(東京美術)など。
2022年5月取材