一人の想いから協創文化を創る。AGC「右脳塾」のアプローチ【産総研デザインスクール2023シンポジウムレポート】
大企業でいかにしてイノベーションを起こせるのか。このテーマは長らく議論され、他社との協働を図るオープンイノベーションやパーパス経営を軸にした新規事業の開発など、さまざまな方法が模索されてきました。手法の試行錯誤が求められる一方で、組織で新しい流れを生むためには「想いのある人」の存在も欠かせません。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所が2018年より企画運営する「産総研デザインスクール」では、社会がほんとうに求めるものを探求し、人々を巻き込みながら新しい未来を創る「共創型リーダー」を育てています。2024年1月24日(水)に開催された産総研デザインスクール2023シンポジウムでは、本スクールの修了生であり、AGC株式会社に所属する河合洋平さんがご登壇。
河合氏が社内で立ち上げたコミュニティ「UNOU JUKU(右脳塾)」の活動を中心に、自身の想いを持って周りの人々を巻き込み、社内に新しい風を起こしていく協創プロセスを共有いただきました。
河合洋平(かわい・ようへい)
素材の会社AGCで協創活動を行う傍ら、クリエイティブな活動を通じて素材の新たな価値を探求するUNOU JUKUを主催。「人を癒すガラスをつくりたい」という想いからクリエイターとの協創を始め、「空を閉じ込めたガラス」や土地の記憶を素材に込める「素材のテロワールプロジェクト」を通じて素材の情緒的な価値を探求している。
※ 「きょうそう」表記について、AGC株式会社にまつわる記述は「協創」を、産総研デザインスクールにまつわる記述には「共創」を使用しています。
正解がない課題に視点を与える「右脳的」アプローチ
産総研デザインスクールでは過去3年オンラインシンポジウムを開催したなかで、ゲストに修了生が登壇するのは今回がはじめて。2019年に産総研デザインスクールを受講した2期生の河合氏は、現在AGC株式会社にて協創推進グループに所属し、社内外の共創活動を率いています。AGC入社時は「一般的な研究員だった」と話す河合氏ですが、転機が訪れたのはデザインとの出会いでした。
河合
2002年に入社して14年ほど、研究員として素材の開発をしていました。大きな事業に関わることで成功体験を得られた一方で、性能とコストの折り合いがつかずに事業を閉じる経験をしました。その時、技術や機能だけで勝負することの限界を感じたのです。
何か新しい素材を研究しようと考えたとき、「情緒的な価値」に着目しました。ただ自分一人ではできないので、デザイナーさんと共創を始めたんです。私はデザインに関しては素人だったので、偶然見つけた産総研デザインスクールの広告をみて、デザイン思考を学ぶために受講を決めました。そこで得た学びを社内に展開しようと始めたのが、「UNOU JUKU(右脳塾)」というコミュニティです。
河合氏は社内でアート・デザインなどのクリエイティブな情報交換を通じて思考をアップデートすることを目的に「UNOU JUKU(右脳塾)」を立ち上げました。UNOU JUKU設立の背景には、産総研デザインスクールで得た学びを広めたいという河合氏の想い、そしてお客さんの要望の変化がありました。
河合
学校ではロジックに従って正解のある課題を解く方法を習ってきたと思いますが、ここ最近は一筋縄では解決できない課題が増えています。お客さんからの要望も、「こういうスペックのものが欲しい」のようなものではなく、「環境問題を解決できる素材がほしい」といった一つの正解がないものに変わっています。私たちは課題に対するアプローチを複数持っている必要があり、ここにクリエイティビティが求められます。
河合
そこで左脳的アプローチ、右脳的アプローチに区分し、それぞれを行ったり来たりしながら、新しい価値を創造する方法を考えました。特に正解がない課題に対しては、課題自体を定義するための「問い」を持つ必要があります。自分たちなりの視点で素材をみて、新しい表現を試みたものをお客さんに見せて、フィードバックをいただく。右脳的アプローチでは問い(アート)を出発点にして、お客さんのやりたいことを引き出していくのです。
右脳的なアプローチを軸とした試行錯誤の場では、4つのプロセスがあります。まず技術者と協創パートナーとしてのクリエイターがお互いにじっくりと対話を重ね、その先でワークショップを通して新しいものを生み出すきっかけを作り、アイデアを具現化していきます。最後に他のお客さんもアイデアを見ることができるように展示して可能性を模索します。
一人の想いから、社内の公式活動へ
UNOU JUKUの基盤にある「対話、ワークショップ、マテリアライズ(具現化)、フェス」の4つのプロセスは、河合氏自身が辿ってきた実践のプロセスでもあります。UNOU JUKUの立ち上げ以前、河合氏は素材の情緒的価値とデザインの可能性について探索と実践を行っていました。
河合
社内で独自のプロジェクトを発表できる場があり、そこで「人を癒すガラス」というコンセプトについて共有してみたところ非常に好評でした。それからAGCの研究所にある「自由探索テーマ制度」を活用して、デザインでガラスの価値を変えるプロジェクトを開始し、照明とガラス、光とガラスを組み合わせることで心地いい空間をつくるアイデアを社外の展示会に出展しました。展示に訪れたお客さんにさまざまな意見をいただき、良い部分と改良点に気がつくことができました。
河合
転機になったのは、2018年に東京藝大のガラス造形の専門家たちと協働したことでした。お互いにガラスの専門家ですが、詳しい領域が異なります。私が技術的に失敗だと思っていた部分を相手は面白いと感じてくれて。ガラスの中に虹をつくる、ガラスを生きているように見せるなど、さまざまなテーマで彼らと共に新しいガラスの価値を創造していきました。特に、空が青空や夕焼け空になるように、レイリー散乱という現象を使ってガラスを空のように色づかせる「空を閉じ込めたガラス」(写真中央下)はその後も活動がつづく作品になっています。
河合氏自身が多くのクリエイターと対話、コラボレーションを行う過程で出会ったのが、産総研デザインスクールでした。社会がほんとうに求めていること「共通善」を探求するスクールという文言に惹かれ、興味を持ったという河合氏。2019年に産総研デザインスクールでデザインと共通善を探求しながら、いよいよUNOU JUKUも動き出します。
河合
産総研デザインスクールを受講しているあたりで、経産省から「デザイン経営宣言」が出ました。その頃ちょうど経営陣と話す機会があり、デザインの可能性とデザインセンターの開設を提案した「デザイン開発宣言」を伝えると、とても良い反応をもらえたんです。まずはUNOU JUKUというコミュニティから始めることにしました。最初の活動は有志メンバーで「DESIGNART TOKYO」というイベントを一緒に見に行き、クリエイターと対話をしながら素材の背景を考えることでした。
2020年、会社の人事から「会社の公式なコミュニティにしてほしい」という依頼があり正式に活動を始めました。すぐにコロナ禍に入ったため月に1回のオンラインイベントがメインになり、クリエイターさんを呼んで新しい素材の考え方や、創造の裏にあるストーリーを話していただきました。オンラインの効用もあり、参加人数は徐々に増えていきました。
こうしてUNOU JUKUは約4年間で350名以上のメンバーが参加するまでに成長。また日本各地の砂を使ってガラスをつくる「素材のテロワール」プロジェクトなど、コミュニティメンバーから具体的なプロジェクトが生まれたそうです。
そして河合氏がかねてから探求していた「空を閉じ込めたガラス」はstudio SHOKO NARITAさんとのコラボレーションの結果、ミッドタウンのアワードでおととし準グランプリを受賞。さらに空を閉じ込めたガラスを使って、市民が「心のなかにあるガラス」を表現するワークショップも継続的に実施され、多くの実績を残しています。
志の発現と情緒的な価値への気づき
自らやりたいことを見つけ、社内で実現に動いてきた河合氏。社内で自分のやりたいことに気づくきっかけはあったのでしょうか。産総研デザインスクール校長の小島一浩氏と河合氏の対談セッションへ移っていきます。
河合さんは機能や技術といった機能的価値だけでなく、情緒的価値の重要性に気がついたと話していました。そこからどのように「人を癒すガラス」という着想に至ったのでしょうか。
小島
河合
自分のやりたいことに気がついたのは、人事の採用の手伝いをしたことがきっかけです。学生さんが「会社に入って実現したいこと」を語るなか、自分は何をしたかったのだろうと振り返る機会になりました。
そこで「人を癒すガラス」という自分がやりたかったことの具現化を目指しました。初期に作った試作品は陳腐なものだったのですが、クリエイターさんに相談したところ数週間で素晴らしいものをつくってくれて、さらに背景をロジカルに説明してくれたんです。衝撃でした。そこからデザインの可能性を確信したんです。
人を癒すガラスというコンセプトについて、社内ではどのような反応だったのですか。
小島
河合
フラットにやりたいことを発表する場では「いいね!」と言ってもらえたのですが、実際に事業に持ち込もうとすると市場の有無を問われてしまうので、すぐに答えが出せなくて……うまく進められなかったんです。
そこからどのように今の活動につなげていったのでしょうか。
小島
河合
幸運だったのは、UNOU JUKUというコミュニティが人事の枠組みで進められたことです。事業では「どれくらいお金になるか」という視点は欠かせませんが、人事部のKPIは学びも対象としていたからです。
組織を超えて学び合う「横串」としてのコミュニティ
コミュニティという形でUNOUが始まり、その次に人事から依頼があってUNOU JUKUという形で社内の公式コミュニティになったと話されていました。人事の枠組みで、河合さんに期待されていたことは何だったのでしょうか?
小島
河合
以前から社内にコミュニティ活動は存在していましたが、基本的には個人のスキルをベースにした活動に終始していました。私に期待されていたのは、縦型の組織に対して所属や役職を超えて横串で人々をつなぎ、新しい価値を生み出す「サードプレイス(第3の場所)」のコミュニティづくりだったのだと思います。UNOU JUKUは全部署から参加可能なコミュニティになっています。
「社内横断のコミュニティがほしい」という人事側の要望とUNOU JUKUの活動とがマッチしたんですね。またUNOU JUKUとしても、人事の学びというKPIとの相性がよかったのでしょう。
小島
社内にUNOU JUKUを立ち上げてから、会社の「協創」に対するマインドが変わったと感じる場面はありますか?
小島
河合
そうですね。UNOU JUKUで特に活動的な参加者は具体的なプロジェクトを立ち上げたり、協創センターで働きたいという声があがったりしています。さらにUNOU JUKUのネットワークからAGCのカンパニーを超えて協働した事例もありますね。
社内では「UNOU JUKUの河合」として名前が通っているので、協創にまつわる相談が集まりやすくなりました。僕自身が協創推進グループでさまざまな協創を推進している立場から人々をつなぐことができ、UNOU JUKUが協創のプラットフォームとして機能していると感じています。
自分の声をあげる勇気と臨機応変に変化する勇気
最後に、産総研デザインスクールが掲げる「共創型リーダー」人材として活躍する河合氏に、スクールで得た学びを社内に還元した方法をうかがいました。
河合さんは産総研デザインスクール2期生として参加されましたが、特に役立ったと感じることはありますか。
小島
河合
一番大きかったのは、共通善について体得できたことだと思います。何かプロジェクトを進めるときには、誰もが意義のある活動だと思えるストーリーが重要です。自分だけが良いと思うのではなく、一緒に協創するメンバーやお客さんからの共感を引き出せると、協創がより進みやすいと感じます。
もう一つは、「クリアボイス(人生で本当に取り組みたいこと)」が明らかになったことです。組織にいると時に自分の声がわからなくなる瞬間もありますが、自分の想いを正直に出せる場所が重要だと思います。それを言える場所が産総研デザインスクールにも、AGCにもあったことは幸運でした。
クリアボイスは自分の軸足になる想いのことで、それを明らかにするプロセスを重視している点が、私たち産総研デザインスクールの特徴です。河合さんが実践されていて嬉しいですね。また、河合さんが素晴らしいと思うのは、デザインスクールで学んだデザインプロセスをAGCの文化に合うようカスタマイズされている点です。組織文化に応じてデザインの活用方法は変わってくるので、重要なことだと思います。
小島
河合
産総研デザインスクールのあり方から学んだことが多かったです。過去に作られたデザインプロセスをそのまま踏襲する教え方ではなく、常に状況に応じて変えていく重要性を身を持って感じさせてくれました。
今も状況に応じて変えていってますね。
小島
河合
たとえば、市民と行うワークショップと企業で行うワークショップは異なりますし、いかにその場で予想外を生み出すかが大事だと思っているので、毎回ワークショップのやり方も変えています。型通りにやることだけが正解ではないということを、産総研デザインスクールから教えてもらったと思っています。
産総研デザインスクールや社内のさまざまな機会を活かして自分の”声”に気がついたと河合氏。UNOU JUKUも次のフェーズを迎え、新しいコミュニティや念願であったデザインセンターの立ち上げに向けて準備されているそうです。河合氏の活動のように、個人の志から新たな文化がうまれる組織が増えることを願うばかりです。
このシンポジウムは全4回のシリーズとなっており、さまざまな分野のリーダー・実践者たちと共創の未来を探求していきます。次回は、「 一人ひとりの情熱に火をつける組織・システムのつくり方」をテーマに、デンマークの元文化大臣であるUffe Elbæk(ウッフェ・エルベック)さんから新しいシステムを立ち上げるためのマインドセットやスキルについてお話しいただきます。次回もお楽しみに!
お申し込み・詳細はこちらから:
https://note.com/aistds/n/n95d1190943a7
産総研デザインスクールシンポジウム2023とは
国立研究開発法人 産業技術総合研究所が企画・運営する産総研デザインスクールでは、8ヶ月のプロジェクトベースの学びを通じて、望ましい未来を共創する「共創型リーダー」を育成しています。個人の志、組織のビジョン、これからの社会で本当に求められることをかけあわせ、新たな未来を創造することを目指します。
本スクールが開催する今年のオンラインシンポジウム(全4回)では、共創型リーダーのロールモデルや産総研デザインスクールの関係者をお招きし、これからの未来の可能性、そして共創型リーダーの役割や育成方法について、対話を通して「共に考える」セッションです。
2024年1月取材
テキスト:花田奈々、西嶋琴海
グラフィックレコーディング:仲沢実桜