画像認識AIレジがパン屋の人手不足を解消? 人間がAIを助ける「発想転換」がカギ
トレイに乗せたパンをレジに置くと下からライトが当たり、パンを画像認識して購入金額を表示する……。そんな会計システムが導入されたパン屋が増えています。
実は、これは世界で初めて画像認識AIを搭載したレジ「BakeryScan(ベーカリースキャン)」。2013年の発売開始から、全国で導入が増えています。
さらに、この技術や医療や観光など、思いがけない分野へ進出し、人手不足問題にアプローチする可能性もあるそう。開発した株式会社ブレインの代表・神戸壽さんに、開発のきっかけやパン屋の運営にもたらした影響、今後の可能性についてお聞きします。
神戸壽(かんべ・ひさし)
株式会社ブレイン 代表取締役。1974年松下電工入社。1982年、ブレイン株式会社を起業。従業員数は約30人と小規模ながらも、世界初の製品開発をいくつも行う。「心がワクワクする開発」をコンセプトに、画像解析技術に取り組む。
「海外で3000店のベーカリーショップを立ち上げたい」レジ開発の依頼がきっかけ
画像認識AIレジ「ベーカリースキャン」をパン屋で見かけるようになりました。サービス開発のきっかけを教えてください。
神戸
2007年に、「中国で3000店のベーカリーショップを展開したいのでレジを開発してくれないか」とご相談を受けたのがきっかけなんです。
3000店となると、新人教育が大変そうですね……。
過去にパン屋でアルバイトをした経験があるのですが、パンの種類を覚えないとレジが打てないし、袋詰めやパンのカット作業を同時に行うのも大変でした。
神戸
100種類のパンを覚えるのに、だいたい1~3カ月かかるんですよね。そのため、新人がレジを担当すると行列ができ、売り損じが生じてしまう。大規模展開するには、レジ開発が何よりの課題でした。
パンを包装してバーコードを貼れば、新人でも効率的にレジ作業が行えそうですが……、それは難しいのでしょうか?
神戸
実験店舗で包装販売も試しましたが、「包装されたパン」と「そのままで売られているパン」では、後者のほうが3倍も売れたんです。しかも、パンの種類は30種類より100種類並べたほうが単位面積当たりの販売効率が1.5倍に伸びる。
売上を伸ばすためには、スタッフが覚えることが多くなって、大変ですね……。
神戸
そうなんです。
当社がある兵庫県西脇市は織物の街です。そのため、以前から織物の糸の配列が設計通りに並んでいるか確認する画像識別システムや人間の静脈認証を開発していました。
その技術を応用して画像認識レジが開発できないかと考えたんです。
「人がAIをサポートする」という発想の転換
レジ開発はスムーズに進んだんですか?
神戸
かなり手こずりましたね。織物や人間の静脈などと異なり、パンは同じ種類の商品でも見た目が少しずつ違います。それに、別の種類でもパンの見た目が似ていることがあって難しかったんです。
人間の目だと簡単に見分けますけど、意識して見ると確かに「同じ種類でも違うパンに見える」し、「違う種類なのにそっくり」ですね。
神戸
それでも新しい画像認識技術を開発し、研究を重ねました。
そして、開発を始めて2年後には実験室で約50種類のパンを98%の精度で識別できるようになりました。
すごい……!!
神戸
けれど、レジでは打ち間違いはご法度。98%では足りず、100%の精度が求められます。でも、どれだけ頑張っても画像認識の精度は100%にはならないものなんですよね。
何とか努力を続けて、「AIが人(レジ)をサポートする方法」を考えましたが、途中で「人がAIをサポートする」に発想を変えて100%を目指すことにしたんです。
具体的にはどうしたんですか?
神戸
画像認識の際に、AIが判定に自信のないパンは黄色で、わからないパンは赤色で縁取るようにしました。
黄色の商品をタップすると、類似商品が表示されました。
神戸
そうです。類似商品が写真付きで表示されるので、まだ覚えられていない新人でも容易に扱えます。
新商品のパンは、どう登録するんですか?
神戸
従来の画像認識AIでは、何万枚もの画像を取り込む「ディープラーニング」という手法を使っていました。
とはいえ、新商品を出すたびに何百個とパンを焼いて読み込ませるのは現実的じゃありません。
大変な作業になりますね……。
神戸
そこで、3~4個のパンの画像を登録すると90%の精度で識別ができ、さらにお客さんがレジで購入するたびに学習していく新しい機能を開発しました。
神戸
それ以外にも、撮影時に重なったパンを自動的に分離させたり、焼き色の違いを排除したりする機能も開発。照明装置のデザインも難しくて、いろいろと工夫しました。
「面白いことをやろう」が会社のポリシー
新しい技術をどんどん開発されていますが、その背景には数えきれない失敗もあったんじゃないですか。
神戸
ありましたよ。プラスチックのパンの模型でデモンストレーションを行った際、パンをひっくり返してレジに持ってくる人が多かったんです。
だから、パンがひっくり返っても識別できる技術を考えたんですが、実際のパンを使って9万枚の画像を撮ると「人は自分の食べるパンをひっくり返さない」とわかって、必要なくなったり(笑)。
自分が食べるパンを買う時は、慎重に取りますもんね……(笑)。
失敗が続く中で技術者の皆さんは、モチベーションをどう保ったんですか?
神戸
当社のポリシーは「おもしろいことをやろう」です。創業当時から独創性を大切にしていたのですが、開発した製品が世界で認められたことが何度もあります。
社員数は少なくても、そういう面白さに魅力を感じる人たちが集っているから、チームとして団結しているのかもしれませんね。
それに、レジ開発は2010年から経済産業省の補助事業・高度化支援事業に採択され、3年間で1億円の研究開発費をいただきました。
そういう背景もあって、「これからの未来に必要な研究だ」と使命感に駆られたんだと思います。
開発されたレジは2013年に販売を開始して10年ほど経ちます。反響はいかがですか?
神戸
2023年末時点で、日本全国で1500台ほど導入されていて、海外では香港で178台が稼働しています。マレーシアやインドネシア、ヨーロッパからも導入希望の連絡がありますが、うちは小さな会社なので少しずつ対応しています。
レジを導入したパン屋が語る、リアルな変化
画像認識AIレジ「ベーカリースキャン」の導入は、パン屋の働き方にどのような影響を与えたのでしょうか。大阪府内で手づくりパンの店「パリーネ」を4店舗運営する有限会社吉野家の辻岡周太郎社長にお話を伺いました。
パリーネ
辻岡
レジの導入は9年前から。近くに大型施設ができることもあり、最新式のレジの導入を考えました。当時はセルフレジと画像認識AIレジがあって、どちらにするか迷ったんです。
決め手は何だったんですか?
パリーネ
辻岡
導入している店をそれぞれ視察して、購入にかかる時間などを測りました。どちらもいい部分があったので、画像認識AIで購入金額を計算して、支払いはお客様にセルフでお願いするレジを逆にこちらからメーカーに依頼したんです。
2つの機能が搭載されれば、お客さんの支払い中にパンの袋詰めやカット作業ができますし、店員がお金に触れないから衛生面もカバーできます。お願いしたら、そういうレジを作ってくれたので導入を決めました。
導入の効果はいかがですか?
パリーネ
辻岡
新人もすぐにレジに立てるので、ありがたいです。もちろんパンの値段を覚えておくことに越したことはないけど、働いているうちに少しずつ詳しくなればいいですから。
今は本当に人手不足で、アルバイトの取り合いになっています。以前は店頭にアルバイト募集の張り紙を出したら来てくれたけど、今はそれでは集まらなくなりました。
それに世間の認識が変わって、休みを取りやすい。「AIが人の仕事を奪う」と言いますけど、仕事を奪ってくれた方が正直助かりますね。レジにかかる時間が短くなった分、ほかのことに時間を割けるのでいいんじゃないでしょうか。
ありがとうございました!
「仕事を奪われる」と反発を受けたことも
実際にレジを導入したお店の声を聞くと、人手不足が切実な問題で画像認識AIが非常に役立つことがわかりました。
神戸
そうなんですよね。レジの台数と担当者を減らしても、売上アップにつながった店もあるんですよ。
神戸
それに、70代のスタッフさんから「このレジのおかげで、働けています」と言われました。パンを全部覚えなくてもレジに立てるのは何よりの強みです。
また、福祉施設が運営するパン屋では、知的障害のある方がレジに立てるようになったそうです。想像もしなかった効果が生まれていて、嬉しい限りですね。
ネガティブな反応はなかったんですか?
神戸
ありましたよ。ベテランの店員さんは、やはりレジ打ちが早いんです。そういう店ではレジが採用されませんでした。
ベテランの技術って素晴らしいですもんね……。とはいえ、その方が退職すると崩れてしまうのがネックです。
神戸
そうなんですよね。販売当初は、ごく少数のパン屋が導入してくれて、組合を中心にうわさで広がっていきました。
しばらく経つと、大手のパン屋チェーンでも影響の少ない店舗から徐々に導入が始まったんです。
がん細胞の診断にも応用される技術
画像認識AIレジの技術は、ほかの分野でも活用されているそうですね。
神戸
さまざまな発展を遂げています。変わったところでは、神社でも使われていますね。お札やお守りって、パンと同様、包装しにくいんですよ。
4~5年前からは、患者さんが持って来られた薬を判別する薬剤鑑査装置に使われています。
同じく医療分野で意外な応用例は、細胞診断支援です。ルイ・パストゥール医学研究センターの医師が、テレビで当社の技術を知り、がん細胞診断に使うようになったんです。
これまで、がん細胞は病理医が顕微鏡で調べて診断を下すため1日2時間50例を診断するのが限界でした。全国にいる病理医は約2200人いますが、健康志向が高まる日本では全く足りていません。そこで、画像認識AIを使ってがん細胞を識別するようにしたんです。
神戸
2019年に戦略的基盤技術高度化支援事業の採択を受け、研究を続けています。すでに膀胱がんは診断ができるようになりました。
続けて、2025年の完成を目指し子宮頸がんのがん細胞診断に着手しています。
想像以上に身近な場所で活用されているんですね。神戸さんはレジ開発を始めた時から、これだけ応用できると想像していたんですか?
神戸
将来、いろんなニーズは出てくるだろうと感じてはいました。
とはいえ、ここまでさまざまな機関から連絡をいただくと、活用の幅に驚きます。
「AIが人の仕事を奪う」という不安の声も聞きますが、どのようにお考えですか?
神戸
所詮、AIは道具なんですよね。現在はバイト募集の要項に「ベーカリースキャンあるので楽です」と書いてあるくらいです。だから便利に使って、人間は他の新しいことに力を注げばいいのではないでしょうか。
きっと、これから理解してくれる人が増えていくと思います。
2023年12月取材
取材・執筆=ゆきどっぐ
アイキャッチ制作=サンノ
編集=鬼頭佳代/ノオト