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クライストチャーチに呼ばれた話(ワーホリ) | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

先日、ひたすら参加者の質問に答え続けていくというオンラインイベントに登壇したのですが、その時にいただいた質問の1つが「これまでの人生で、自分にとって意味の大きな出来事を3つ教えてください」というものでした。

 

「3つ」というのがなかなか難しく、さてどれを話そうかと迷ったのですが、結局1つ目が26歳くらいの頃の話、2つ目が36歳で3つ目が46歳という、偶然にもちょうど10年刻みの3つの出来事を話させてもらいました。

 

今回は、その中一番古い出来事(20世紀の話です!)を紹介させてもらいますね。

 

ワーキング・ホリデー制度

皆さんは「ワーキング・ホリデー 」というビザ制度をご存知でしょうか? 日本が提携している国で、30歳までの若者がアルバイトなどをしながら一定期間(通常最長で1年)その国で暮らせる制度です。

参考:外務省 | ワーキング・ホリデー制度 |

 

現在は26カ国と提携されているこのビザ発給制度ですが、私が初めてワーキング・ホリデーを知ったときは、ビザを発給していたのはまだオーストラリア、ニュージーランド、カナダの3カ国だけでした。そしてオーストラリアとカナダには年齢制限があり、当時はその上限が25歳。すでに26歳になっていた私にはノーチョイスです。そんなわけで、ビザ取得を含む渡航準備に半年ほどを費やした後、私はニュージーランドのクライストチャーチという街に向かいました。

 

そのときの私は、英語がまるでできませんでした。空港の入国管理で聞かれる超定番の「入国目的は?」「滞在期間はどれくらいで、どこに宿泊するのか?」などの質問も、自慢じゃないですが何一つ聞き取れませんでした。分かったのは「ハロー」と「ジャパン」の2つの単語だけ。ひたすらニコニコしながら「ワーキング・ホリデー。ワーキング・ホリデー。」と繰り返すばかりです。

 

 

街に着いてからの話をする前に、ちょっとだけその頃の私について説明しますね。

 

私は10代の頃からベーシストとして音楽活動をしていて、生活の中心はバンド活動でした。いわゆる「フリーター」としてアルバイトでお金を稼ぎ、そのほぼすべてを音楽に費やす生活を高校卒業後ずっと続けていました。24歳のとき、いろいろあってバンドを辞め、音楽活動にキッパリと別れを告げました。ただ、それからニュージーランドに向かうまでのおよそ2年間は、何をやるにしてもあまり本気になれず、なんとなくダラダラと暮らしていました。

 

 ウィア・ルッキンフォー・フラット

「どうせダラダラと暮らしているだけなら、海外で生活してみない? こんな経験できるのも今だけみたいよ。一緒に行ってみようよ」 — そんな風に私をワーキング・ホリデーに誘ってくれたのは、当時同棲していた彼女(現在の妻)です。

 

先ほど書いたように、私は英語をまったくしゃべれませんでした。そして彼女は、私以上に英語がダメな人でした(「ジャパンも聞き取れなかったわよー」だそうです)。そんな2人で、ニュージーランドに飛び込んでみたのです。当時はインターネットもほとんど普及していません。そして私たち2人には、この地に頼れる人や知り合いも一切いませんでした。さらにお金もカツカツだったので、「留学センター」などの有料斡旋所を使う余裕もありませんでした。

 

できるだけ早く手頃なフラット(アパートのことをニュージーランドではこう呼びます)を見つけなければ、1年間のニュージーランド暮らしのつもりが、手持ちの金が尽きてあっという間に日本に帰られなければならなくなってしまうかも…。そんな焦りもあり、到着翌日から地元の新聞やスーパーマーケットで見かける「FOR RENT」という空き物件のお知らせを見つけると、「1週間以内に見つけるぞ!」とばかりに飛び込みで物件を見に行っていました。

 

数件回って、自分たちの先行きが相当怪しいことに気づきました。当たり前ですよね。まったく英語を喋れない相手に部屋を貸そうと考える家主なんて、そうそういるわけはありません。そしてたしか物件周りを始めて3軒目だったと思うのですが、バスで向かうとかなり遠く、30分くらい揺られて到着したところは、街の中心地からは相当外れたエリアでした。「ウィア・ルッキンフォー・フラット」。たどたどしく話す我われに、物件のオーナーは早々と「こりゃダメだ」と思ったのでしょう(今考えれば当然ですよね)。「契約する気があったらまた連絡して。じゃあ!」と、早々に案内を済ますとどこかへ消え去りました。

 

実は、ここから少々記憶が曖昧です。私たちは街に帰るバス停を見つけられず、迷子になってしまいました。言葉がまったく喋れず土地勘もまったくない。さらには人も車もほとんど見かけない住宅街で、誰かに道を聞くこともできない。正直、パニックになりかけていました。いや、なっていました(なお、当時はスマホのスの字もなく、携帯電話もない時代です)。

 

「立ち止まっていても何も起きない!」とばかりに、バス停に出くわすことを願って、ただひたすらウロウロと通りを歩いていました(実際は、立ち止まっていると不安に押し潰されてしまいそうでした…)。「あなたたち、街に行きたいんじゃないの? 乗って行きなさいよ。」 — まったくできない英語なのに、そのときははっきりそう聞こえた気がしました。

 

そのおばさんは、きっとパニックに強張った表情で歩くアジア人のカップルを目にして、気の毒に思ってくれたのでしょう。街に買い物に行く途中に車を停めて、私たちに声をかけてくれたのです。本当のところはなんて言っていたのか、分かりません。でも、満面の笑顔と手招きする仕草で、彼女が好意を申し出てくれているのは明らかでした。そのときの救われた気持ちときたら! 今思い出しても、心が激しく動きます。

 

自分を新しい環境に混ぜる

 

「ニュージーランドを楽しんでいってね!」そう言うと、おばさんはにこやかに走り去りました。「何かお礼を渡さなきゃ」とあたふたとバッグの中を探る私たちを、街の中心地にあるスーパーマーケットの前に残して。このとき、私の中でなにかが少し変わりました。なにがどう変わったのか、それから何年も分からなかったけど、今考えると「力を抜いて人に頼るのも有りなのかもしれない」と思えたんじゃないかという気がします。「自分の力じゃどうにもできないことだらけだ」ということを認めて、その上で、できることをやればいいんだと初めて実感したというか…。

 

バンドを辞めてから、私はずっと「失敗者である自分」を認められなかったし、認めたくありませんでした。認めざるを得なくならないよう、自分が失敗に直面しそうな場面から距離を置き続けていました。何もしなければ失敗することもありません。だから、何もしないで過ごしていた。「失敗の気配」が漂うところには近寄ろうともせずに。

 

でも、ニュージーランドのクライストチャーチという街で、何かせざるを得ない状況に身を置いて、案の定失敗していたら、通りすがりのおばさんが助けてくれたんです。「なんだ。おれはバンドで成功しなかっただけじゃないか。それ以上でもそれ以下でもないさ」って。「今からここでこれから暮らしていくのに、それが一体なんだっていうの?」って。自分自身を縛り付けていた過去から、そのとき自由になれた気がします。

 

 結局、その1週間後くらいだったかな? 現地に暮らしている日本人カップルが親身になって手を貸してくれて、私たちは無事とてもステキなフラットを契約することができました。そして私は過去の呪縛からすっかり解き放たれ、新しい土地で新しい八木橋パチとしての暮らしをはじめていました。

 

…なんて、そんな簡単に人が変わるわけはなくって。

 

またすぐに、自分を縛る過去に私は捕らわれていきました。でも、おばさんに車に乗せてもらう前と比べたら、その縛り方はかなり緩くなっていました。他に何も自分が持っていないものだから、何か起きるたびに「(結局は失敗に終わったけれど)そこそこの成功体験」でもあったバンド活動にしがみついて自分を縛り、何か新しい体験をしてはそれを解き、そしてまた自分を縛り…。

 

今思えば、ニュージーランドにいる1年間は、解いては縛る、解いては縛るの繰り返しだったのかも。そうやって1年弱を過ごし、帰国前に1カ月のオーストラリア旅行に向かう頃には、なんだかすっかり身軽になっていたような気がします。

 

長々と昔話を書きました。20世紀の話で、これを読んでくれた人の中にはまだその頃生まれていなかったって人もきっといるんじゃないでしょうか。未だコロナ禍は過ぎず、旅行も留学もワーキング・ホリデーも、海外に出ることのハードルは高いままです。そしてコロナとは関係なく、かれこれここ10年ほど、若者の海外志向は下がり続けているというニュースも耳にします。

 

実際のところ、行き先は海外である必要はないのでしょう。国内だろうとどこであろうと、過去の自分と決別して心機一転はできるはずです。でも、少なくとも私の場合は、誰1人知らない(と言っても妻が一緒でしたが)ところで何者でもない状態から再スタートすることが、自分を大きく変えてくれたことは間違いありません。

 

自分を新しい環境に混ぜる。自分自身を何者かと決めつけず、自分の中のいろいろな自分も混ぜる。これも1つの #混ぜなきゃ危険 な経験だったんじゃないかな。

 

Happy Collaboration!

 

著者プロフィール

八木橋パチ(やぎはしぱち)

日本アイ・ビー・エム株式会社にて先進テクノロジーの社会実装を推進するコラボレーション・エナジャイザー。<#混ぜなきゃ危険> をキーワードに、人や組織をつなぎ、混ぜ合わせている。2017年、日本IBM創立80周年記念プログラム「Wild Duck Campaign - 野鴨社員 総選挙(日本で最もワイルドなIBM社員選出コンテスト)」にて優勝。2018年まで社内IT部門にて日本におけるソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。 twitter.com/dubbedpachi

 

2021年10月19日更新

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