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自意識過剰なタイトルの意味→→ | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

この連載『八木橋パチの #混ぜなきゃ危険』も早いもので7回目となりました。読んでいただいている皆さん、ありがとうございます!!嬉しいです。ところで、この連載を読んでいる方にお聞きしたいことがあります。

 

皆さんは、このタイトルどう思いますか?

 

「わざわざ自分の名前をタイトルに入れるなんて、これを書いている人はかなり出たがりな人なんだろうな」

— そんな風には感じませんか?私ならきっと感じます。だって有名なわけでもないのに自分の名前を入れるのって、かなり自意識過剰な人がやることじゃないかと思いません?それなのに、タイトルに入れているって…。

 

これには、自分なりにしっかりとした意味と理由があるんです。

 

「八木橋パチの」に込めた意味

この連載をはじめるとき、「自分が強く伝えたいものってなんだろう? その中でも、伝える価値が高いものってなんだろう?」と、私なりに結構深く考えました。

 

実は「強く伝えたいもの」はたくさん、本当にたくさんあります。民主主義について、ロックとの出会い、表現することの意味、デンマークで感じた衝撃、環境問題と人権問題、ジャーナリズムとアクティビズムの違い、越境体験、未来をデザインする話、あちら側とこちら側という感覚…。

 

まだまだ、いくらでも浮かびます。「これって大切だと思いませんか?」や「これに憤りを感じませんか?」と、たくさんの人に問いかけてみたいことがあります。そして一緒にやってみませんかと誘ってみたいこともたくさんあるんです。でも、一つひとつをじっくりと見ていくと、はたしてそこに「自分が」伝えるだけの価値があるのだろうかとも思うのです。

 

 

大急ぎで書き加えておきたいことがあります。

 

私は、誰もが「自分が感じていること」を伝えようとすることそれ自体に、とても大きな価値があると信じているということです。誰かの言葉を右から左に写すのではなく、自分が感じたことを伝えようとすることは、(ちょっと大袈裟かもしれないけれど)きちんと生きようとしていることと同じじゃないかなと思います。

 

自分が他の誰でもない自分自身であることを実感できることはとても大切なことだと思うし、その自分を見つめ、受け止めるということに、自分の言葉が果たす役割はとても大きいと思っています(言葉以外の自己表現もとても大きな役割を果たしているとも思っています)。

 

ただそれでも、「WORK MILLというこのメディアを通じて伝えていくだけの十分な価値を、そこに自分はこめられるだろうか?」と考えると、正直自信がないんですよね…。

 

どこかで見聞きしてきた話を伝えるのであれば、もっと適切に、あるいは正確に伝える文章力を持っている人は山ほどいることでしょう。あるいは、見聞きした話を独自の切り口で伝えることで、新たな何かを示せれば、それは世の中に何らかの価値を提供しているということになると思います。

 

そして私も、できるだけそういう「何らかの価値」を提供したいと強く思って文章を書いていますが、毎回コンスタンスにそれを実現できるだろうかと自分に問いかけてみると…自信はありません(意思はあっても、力が足りません)。

 

ただ、そんな私でも確実に価値を提供する方法があります。それは、自分の経験を書くこと。他でもない自分自身が体験したことを、自分自身の感じたことや感覚を交え、自分の「ナラティブ」で表すことです。これは間違いなく、私以外の誰にもできないことですし、私よりも上手にできる人はこの世に存在しません。

 

『八木橋パチの #混ぜなきゃ危険』というこのエッセイのタイトルには、私自身の「一次情報」を大切な情報源として扱おうという考えを込めました。一次情報とは「自身が直接体験して得た情報や、自ら実験して得た情報」などを意味します。つまり、「どこかの誰かが言っていること」ではなく、自分のことを自分で語ることです。

 

SNSの擁護者として

連載3回目の『パブリック・ナラティブと社内転職』で、私が8年に渡り日本IBMで社内SNS推進のリーダーをやっていたことをチラッと書きました。

 

当時、「自分の意見や考えをもっとオープンに発信しよう。」というメッセージを送り続け、そこで行われる意見交換や対話、ときにヒートアップする批判や毛繕い的なコミュニケーションが、自分たちのいる場所を自分たちでより良いものにしていくということに手応えを感じていました(結局その事業は売却されてしまったわけですが…)。

 

私は同じことを社外のSNSでも行っていました。実名で、自分の考えやスタンスをオープンにし、おかしいと感じるものには違和感を唱え、素晴らしいと思うものには賛同の意を表明してきました。そうやって、(ちょっと大袈裟かもしれないけれど)SNSと言論の自由の擁護者として活動してきたつもりです。

 

でも、なんだかここ数年は、SNSは自分の意見や考えを発信する場ではなくなっている気がします。声を挙げた誰かの意見に「そうだそうだ!」と同調するか、自分とは異なる意見を持つ誰かを責め吊し上げるような使い方ばかりが目に付くようになってきている気がします。

 

以前からそういう使い方をする人たちはいたし、そういう声がときに大きく聞こえてきたりはしていたけれど、その勢いがかなり強くなった気がします。そしてその流れが、これまでそう言う声を気にせずに使い続けてきた人たちにまで影響しはじめて、口を閉ざさせつつあると思うのです。

 

「誰にとっても分かりやすい『正しいこと』以外を書くと、イチャモンを付けられる」、「昔考えていたことや発言したことまで引っ張り出されて、現在を含めて全否定される」という著名人に対して広がったキャンセルカルチャー(あるいはコールアウトカルチャーとも)が、一般個人の行動や考え方にまで影響を与えはじめているのではないでしょうか。

 

私は、この流れに強い危機感を感じています。特にコロナの影響で、新しい出会いの機会と直接顔を合わせて話をする機会が大幅に減っているこの社会情勢においては、人びとはますます繰りかえし繰りかえし同じような意見に包囲されてしまい、本当だか嘘だか分からないような話を信じ込みやすくなってしまうのではないかと。

 

そしてまた、(コロナの影響のせいだけではないのかもしれないけれど)社会全体の「不安感」が高まっている中で、一見正しく見える分かりやすいものに、みんなが飛びついてしまうのではないかと。やっぱり、もう一度改めて、自分の声で自分の考えを発信しませんかと私はみんなに呼びかけたいです。

 

そしてもうちょっとだけ丁寧に、自分が見聞きしたことを受け止めてみませんかと。もし「そんな時間がない」のであれば、受け止めようとしている量が、そもそも多すぎるのかもしれませんね。

 

「#混ぜなきゃ危険」に込めた意味

 

連載第一回目にも、上に書いたことと似た内容を書いています。

人が混ざらないということは、考え方や意見が混ざらないということです。考え方や意見が混ざらないということは、すごく単純化して書けば、イノベーションが起こる可能性がどんどん減っていくということです。

最近強く思うのは、「考え方や意見が混ざらない」のは、人と混ざらないことだけが理由ではないんだろうなということです。人とは混ざっても、考えや意見を出さない人が増えてきているのではないでしょうか。あるいは、出さないのではなく、考えや意見をそもそも持っていない人が増えているのかも!?

 

もしかしたら、もはや「自分で考えること」を諦め放り出してしまった人もいるのかも? ひょっとしたらこれを読んでいるあなたも、どこかの誰かが「正しいあなたの意見」を決めてくれると思っていたりして??

 

「そんなことあるわけない。人をバカにしているのか!」 — そんなお叱りの声が聞こえてくれば、安心できるのですが。

 

Happy Collaboration!

 

著者プロフィール

八木橋パチ(やぎはしぱち)

日本アイ・ビー・エム株式会社にて先進テクノロジーの社会実装を推進するコラボレーション・エナジャイザー。<#混ぜなきゃ危険> をキーワードに、人や組織をつなぎ、混ぜ合わせている。2017年、日本IBM創立80周年記念プログラム「Wild Duck Campaign - 野鴨社員 総選挙(日本で最もワイルドなIBM社員選出コンテスト)」にて優勝。2018年まで社内IT部門にて日本におけるソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。 twitter.com/dubbedpachi

 

2021年10月12日更新

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