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消える地場産業を守りたい。三重県菰野町で萬古焼を通して、新たな経済圏を生み出し成長する山口陶器

中部地方は自動車関連産業をはじめ、古くから繊維、陶磁器、工作機械などのものづくりの力で栄えてきた地域。そんなこの地域らしさの土台になる「ものづくり」の最新事情を、「地域でのサステナビリティ」「これからの学び」「コミュニティづくり」という3つの視点から見つめ直し、レポートしていきます。

山や川、温泉などの豊かな自然と、のどかな田園風景が広がる三重県菰野町(こものちょう)。ここで地元の代表産業の一つ「萬古焼(ばんこやき)」を作り続けているのが山口陶器です。

急須や土鍋など、生活に身近な器をつくるだけでなく、オリジナルブランド「かもしか道具店」や、地場産業を起点とした交流拠点「かもしかビレッジ」を立ち上げるなど、地方発ものづくりの拠点として地域の魅力を発信しつづけています。ブランド立ち上げから10年経ったいまでは県内だけでなく、全国から年間1万人もの人々が訪れる場所になりました。

なぜ、人口およそ4万人のローカルな場所に人々は引き寄せられるのでしょうか。先代から事業を引き継いだ代表取締役の山口典宏さんに、その理由を聞きました。

山口典宏(やまぐち・のりひろ)
有限会社山口陶器 代表取締役。高校卒業後、日本合成ゴム株式会社(現JSR株式会社)に就職し、10年間勤めた後に家業である山口陶器に入社。2010年に父親の後を継ぎ、社長に就任。自社ブランドの立ち上げや地域の企業を巻き込んだイベント企画も行う。

5分の1に減ってしまった「萬古焼」に関わる人々

そもそも、萬古焼とはどんな焼き物ですか。

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山口

萬古焼は、江戸時代からつづく歴史ある焼き物です。古くから急須や、耐熱性の高い土鍋など食器として親しまれてきました。

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山口

しかし、いまでは萬古陶磁器工業協同組合の会員数は、ピーク時に比べて5分の1にまで減っています。なかでも僕たち山口陶器は、製造工程のほとんどを自前でやっている製陶所として、菰野町では稀有な存在になってしまいました。

なぜ、そんなに数が減ってしまったのでしょうか。

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山口

安い中国製品の流入や原材料費の高騰など、業界を取り巻く外部要因もあるでしょう。

しかし、30年経っても時代に応じた変化が少ないという、地場産業の内部要因も大きいのではないかと思っています。

どうしてそう思うようになったのですか。

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山口

僕はもともと会社を継ぐ気はありませんでした。でも、僕はこの産業にご飯を食べさせてもらってきたことへの思い入れもあり、徐々に「自分がこの業界を何とかしなければ」という想いが生まれました。

しかし山口陶器に入社した2003年、社内にはパソコンすらなく、すべて手書きの伝票で注文を管理していて。主な取引先は1社に偏っていて、リスク分散ができていませんでした。そんな状態に愕然としました。当時、社長だった父は「仕方がない、今さら変われない」の一点張りでしたね。

そこで、とにかくいろいろな産地の人と会って、萬古焼や菰野町以外の最新情報や工夫などを教えてもらったり、交流を深めたりするなど、試行錯誤を重ねる日々が7年くらい続きました。

何か変化はありましたか?

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山口

すぐにはありませんでした。

でも、僕は業界の中では素人だったので、まずは人に会ってたくさんのことを教わることが大切だと思って。とにかく人に会いに行って、時にはお酒を飲みながらいろんな話を聞きました。

しかし、「萬古焼を作っています」と言うと、「納期を守ってくれないんでしょ」と、萬古焼の産地そのものへの悪評まで立っていることがわかって……。このままでは自分たちどころか、産業自体がもたないと強い危機感を覚えました。

外に出て、初めて自分に向けられている視線がどういうものなのかがわかったのですね。

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山口

はい。外に出てばかりの僕に、父は「何してんだ」と文句を言って、ぶつかってばかりでした。当時、味方になってくれた母には本当に迷惑かけたなと思います。

でも、社長になった2010年あたりから覚悟がついてきました。

どんな覚悟ですか。

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山口

たとえ会社がダメになったとしても、「誰かの責任にするのではなく、自分の責任として終わらせる」「まずは自分たちが変わらないといけない」という覚悟です。

それに伴い、次第に「自社ブランドを作りたい」と思うようになりました。

なぜ自社ブランドにこだわるのですか。

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山口

他社からの受注生産(OEM)に頼っていては、クライアントに「明日から作らないでいい」と言われれば会社が存続できません。自分たちが食べていける収入源を作りたかった。

でも、どうしたらいいかもわからず……。いろいろ悩んでいた時、中学の同窓生がふらっと遊びに来て。それがデザイナーの稲波伸行さんです。彼がのちに自社ブランド「かもしか道具店」を立ち上げるキーパーソンとなりました。

自社ブランド「かもしか道具店」立ち上げを決意

三重県菰野町生まれの稲波伸行さんは、山口社長とは中学生時代からの知り合いです。現在は株式会社RW(名古屋市)の代表取締役として、企業のブランディングや新規事業の立ち上げを支援しています。

稲波さんは何がきっかけで、山口陶器のブランドづくりに携わったのでしょうか。

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稲波

これまでデザイン会社と流通会社を立ち上げるなど、いろいろ経験する中で、地方のものづくりに興味を持つようになりました。

でも同時に、地場産業には課題が多いことに気づいていました。「デザインで地方のものづくりの力になれないか?」と思っていたんです。

稲波伸行(いなば・のぶゆき):株式会社RW 代表取締役。1975年三重県菰野町生まれ。名古屋芸術大学美術学部デザイン科卒業。卒業後にフリーランスとして独立し、流通会社の立ち上げや地域NPOの立ち上げにも関わる。デザインを通して、地域企業のサポートや課題解決を行っている。

山口社長と同じような課題感を持っていたんですね。

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稲波

はい。地域の現状に触れたくて、ちょくちょく山口さんのところに顔を出していました。

そして経営者の生の声を聞く中で、地場産業の現状を段々と知るようになり、「何かできないか」と模索するようになりました。真摯に「地場産業をどうにかしたい」と、山口さんと想いが一致したんです。

ブランド立ち上げにあたって、何から着手したのですか。

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稲波

山口さんのやりたいことは何か、とことん語り合いました。時には5時間以上、話し続けたこともあります。山口陶器らしさとは何か、山口典宏らしさとは何か。

そこまでする理由は、はじめに商品を作るよりも、思考を整理し、イメージを共有し可視化することが大切だからです。その想いをどう具現化できるか。その作業が、ブランドづくりの中ではもっとも大切なポイントです。

そのポイントを掘り下げ、コンセプトに仕立て上げる。その手前のプロセスとして、話を聞くことはとても大切だと思っています。

そこから、いかにコンセプトを掘り下げたのでしょうか。

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稲波

まず、萬古焼は日常使いの器であり、菰野は土鍋や急須などの生活の道具を多く作ってきた産地。そうした背景から、「道具感」を大事にしてブランドを組み上げていきました。

また、地域のものづくりの特色や、失われつつある地域特有の生活文化も、プロダクトとして表現できるようなブランドにしたいと思いました。

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山口

そうしてできあがったコンセプトが、「たのしく、しっかりとした生活文化を発信し、食卓を通じて幸せを届ける」です。

たとえば、かもしか道具店がつくる「ごはんの鍋」。これはごはんを炊くための土鍋ですが、炊き上がりの美味しさを決める「蒸らし」にこだわりました。

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山口

ほかにもミゾがないのに擦れる「すりバチ」や、納豆の混ぜやすさにこだわった「なっとうバチ」などが代表製品です。これは古くから、食に関わる道具を製造してきた萬古焼だからこそ出せる価値です。

乳鉢で釉薬の色味を調合していることからヒントを得ており、ミゾがなくともしっかり擦ることができるとのこと。
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稲波

またブランドのロゴデザインにも、山口さんの「山口陶器や自社のブランドだけでなく、このエリアの産業や他社も含めた地域全体のブランドとして大切にしたい」「萬古焼という産業を社会にプレゼンテーションしていこう」という想いが込められています。

「かもしか道具店」の名前は、国の特別天然記念物に指定されている“ニホンカモシカ”に由来しています。 菰野町にある鈴鹿山脈は、ニホンカモシカの貴重な生息地。つまり、地域の象徴なんです。そこに着想を得てブロンドロゴをデザインしました。

なるほど。かもしか道具店は「萬古焼のもつ価値」と、「地場産業を守りたい」という想いが重なって生まれたものなんですね。

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ブランド力から広がった共感の輪

とはいえ、せっかくオリジナルブランドを立ち上げても、名ばかりで終わるケースも多いのではないでしょうか。

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山口

その通りです。僕たちがラッキーだったのは、当時、中川政七商店の13代目だった中川淳社長に出会えたことです。

もともと中川政七商店さんは、昔からの取引先でした。でも、社長と直接お会いしたことはなく、知り合いを通じて初対面する機会を得ました。

中川政七商店といえば、全国的に有名な工芸品の製造卸ではないですか。

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山口

そうです。しかも、お会いしたのはちょうど「かもしか道具店」を立ち上げようとしていた頃。プレゼンさせてもらったところ非常に気に入ってもらい、東京の展示会に出展させてもらえることになりました。

さらに、その頃は中川政七商店さんがメディアに取り上げられる機会が増え、非常に認知度が上がっている時。僕たちもその波にうまく乗れたんです。

順調なスタートを切れたおかげで、全国に「かもしか道具店」の名前が知られるようになりました。

中川政七商店が開催した「大日本市」に初出展した様子(提供写真)

きっとたまたま波にうまく乗れたわけではなく、ここまで積極的にブランドのコンセプトづくりや、人間関係を築いてきたことが結実したのだと思います。

これによって、どのような変化がありましたか。

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山口

2013年時点では、売上のOEMの請け負いが100%を占めていました。でも、自社ブランドを立ち上げて展示会に出た1年後には自社ブランドの売上比率は10%、そして10年後には99%まで伸ばしました。

おかげさまで10年たった今では売上のほとんどを自社ブランドが占めるようになり、会社の総売上金額も自社ブランド立ち上げ前の2倍以上にまで成長したんです。

お父様に「何やってんだ」と言われながら、大切にしてきた人脈が活かされているようです。

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山口

そうかもしれません。僕は「やりたい」と言っただけ。共感してくれる人がいるから、成り立っているんだと思います。

たとえば、うちの営業はもともと古くからのお客さんである陶器販売会社の社員でした。彼は僕の考えに賛同してくれて「ぜひ一緒に働きたい」と頼み込んできてくれたんです。

「地場産業を守りたい」という想いがブランドというかたちとなり、そのコンセプトに共感した人が集まる。よい循環が生まれてきたんですね。

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山口

本当に。いろいろな人が、僕らに声をかけてくれるようになりました。

いまでは若い美大・芸大出身者がSNSを通じて「ここで働きたい」と言ってくれるほど、求人にも困らなくなりました。従業員の中には県外から来た人もいます。

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山口

そしてついには菰野町長から、「マルシェをやらないか」と声がかかって(笑)。

なんと行政まで!

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それが、2017年よりスタートした「こもガク」です。

もともと僕は、山口陶器や産地全体のブランドを知っていただくには、まずはその地に触れてもらう必要があると思っていました。どうせやるなら、菰野を多くの人々が「行きたい」と思える場所にしたい。そのためにはきちんとエリアブランディングをする必要がある、と。

山口陶器だけでなく、面白いことをやっている周辺の企業さんのことも、どんどん外に発信していきたい。そのためのコンセプトとして「菰野を学ぶ場」をつくり、新しい経済圏をつくるためのまちづくりをやろうと。

中川政七商店の「大日本市博覧会」とのコラボもあり、延べ来場者数が3.6万人と大成功をおさめたそうですね。

これは焼き物にとどまらない、町をあげて参加者が集うビッグイベントになったとか。

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稲波

菰野町は小さな町。だけど、農業が盛んで、温泉やアウトドアスポットなどもある。本当にいろいろなコンテンツのある場所です。おもしろい事業者もたくさんある。もっと足元に宝がある。

それは、どこの町でも同じです。そんな日本の縮図として、菰野町が世の中に捉えられていけばいいなと思います。

山口陶器のミッションは、「新しい地場産業のかたちをつくる」です。地場産業の価値を捉え直し、提示していかなければ、衰退は止まりません。価値を示すための新たな拠点が必要だと考え、工場近くに「かもしかビレッジ」という人が集まる場所も作りました。

これからの地場産業は、地域のためになる産業にならないといけません。地域のためを想う企業が集い、そこが吸引力となり、全国からいろいろなモノやコトが菰野町に集まってくる。ここでそんな状況をつくりたいと思っています。

「かもしかビレッジ」の中心にある古民家。ビレッジに訪れた人々の憩いの場となっている。かもしかビレッジは、月に1度開村日を設けていて、野外イベントやワークショップ、周辺飲食店の出店などが行われている。

守るだけではダメ 新しい産業、社会を起こさねば

いまや「モノ」だけでなく、「地域社会」まで裾野が広がっているとは。そこまでする理由は何ですか。

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稲波

順調そうに見えるかもしれませんが、僕たちも「まだ道半ば」という想いは変わりません。

新しい地場産業のかたちとは何か、常に迷いながらやっています。

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山口

昔の地場産業はモノを作れば売れたし、雇用もできたし、法人税を払うこともできました。だから行政も潤っていたし、地場産業に投資もしてくれたわけです。

でも、いまはそんな余裕はありません。過去と同じように行政に頼っても仕方ないなら、自分たちで経済圏を生み出すほかありません。

そのパワーは、どこから湧いてくるのですか。

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山口

個人的な話をすると、過去にラグビーをやっていたからかもしれないですね。ラグビーはとても激しいスポーツ。15人のメンバー全員が気持ちを合わせないとできません。その経験を活かし、今もチームで何かを成すことで周りからパワーをもらっています。

あと、自分たちの産業がなくなってしまうんじゃないかという危機感です。きちんと受け継いで、それを次に繋げたい。

地場産業とは、文化を背負っている産業です。その産業がなくなっていくということは、文化をなくしてしまうことに等しい。

地域特有の文化がなければ、どこもかまぼこを切ったような同じ景色が見えるだけです。それは悲しすぎる。四季風土あるこの国の産業は、もっと特色豊かで、多様性があるはず。長い時間をかけて醸成されてきた地域それぞれの文化を、残していきたい。そう考えています。

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稲波

山口さんは覚悟があるだけでなく、とにかくパワフル。そして何より、他者のことを考えられる人です。

自分の利益だけを追う人はたくさんいますが、本気で公益を求められる人はそういません。そんな山口さんという旗振り役がいるから、「この人となら、新しい景色が見えるかもしれない」といろんな人やモノゴトが引き寄せられるんです。

みんな一人でやるより、集まってやる方が楽しいですからね。

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山口

僕はずっと、何事も楽しむことが大事だと思ってやってきました。

その想いが共感を呼び、多くの人に助けてもらって、ここまで来ることができました。本当に感謝しかないですよ。

これからもものづくりを通して、たくさんの人に「ここに来たい」と言ってもらえるような産地にしていきたいです。

2023年7月取材

取材・執筆:吉見朋子
写真:高井淳
編集:桒田萌(ノオト)