社会人よ、自分の心に犬を飼おう。安達茉莉子さんの「生活改善運動」で、自分の欲望に耳を傾ける
忙しい毎日のなかで、「生活」へと真摯に目を向けるのはなかなか難しいものです。散らかった部屋を放置してしまったり、食べるものを雑に選んでしまったり……。
安達茉莉子さんは、防衛省での勤務や限界集落での生活、イギリス留学などを経て、「生活改善運動」を始めました。住む地域を自分で選んだり、本棚や服を自分でつくったりすることを通して、「人格否定を伴わない生活の改善」を進めていきます。その模様が『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)に著されています。
生活改善運動、自分を大切にすること、仕事とライフワークを両立させる方法について、安達さんに聞きました。
―安達茉莉子(あだち・まりこ)
作家、文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、防衛省勤務、篠山の限界集落での生活、イギリスの大学院留学などを経て、言葉と絵を用いた作品の制作・発表を始める。『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)などの著書がある。
「これでいいや」「実は好きじゃない」で済ませない
2022年、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』が出版されました。改めて、“私の生活改善運動”とはどんなものですか?
WORK MILL
安達
生活のいろいろなことを、「これでいいや」「実は好きじゃない」で済ませず、快・不快を判別し、自分にとって幸せなほうに向けて生活の諸側面を改善していく運動です。
「生活改善運動」は、日本の歴史の中で実際にあった運動ですが、インパクトありますよね。最初は冗談めかして、「私も、私の改善運動をやる!」と始めたのですが、自分なりに理解し、個人的な実践をふまえ、この定義で言葉を使っています。
たとえば、カフェに入ったときに「とりあえずアイスコーヒーでいいや」と決めるのではなくて、メニューをきちんと見て、「よし、アイスコーヒーだな」みたいな。
具体的には、どんなことの改善に取り組んだんですか?
WORK MILL
安達
タオル、ゴミ箱、セーター、家具。そのほか、住居や地域、仕事、人間関係など、さまざまなレベルで、生活改善をしています。
そのうちのひとつとして、自分で本棚を作りました。自宅の近所にある本屋・生活綴方の店長である鈴木雅代さんが、私のDIYの師匠です。
安達
それまで、留学したり妹夫妻の家に居候していたりしていたこともあって、私はちゃんとした本棚を持っていませんでした。
でも、作家として読むべき本の量というものが絶対にあって。
はい。
WORK MILL
安達
それに、本棚はその人によって巧みに編集されていますよね。カバーの状態や並べかたから、その人が本と過ごした時間が漂ってきたり、見せたくない本はベッドの下に隠されていたり……。
そうしたら、ちゃんとした本棚を持っていないことが、急に寂しく思えてきたんです。
安達
まずは市販の本棚を調べてみたのですが、どうにも気にいるものがなかったり、手の届かない価格だったりして。
師匠を頼り、思い切ってDIYで作ってみたら、「本棚がかわいい」と思えてきて、驚きました。
自分の欲望に、敏感になる
ここ、横浜の妙蓮寺への引っ越しもされたんですよね。
WORK MILL
安達
そうですね。妙蓮寺に引っ越してきたことも、生活改善運動のひとつだったかもしれません。
妙蓮寺との出会いは、本屋・生活綴方で原画展を開いたことがきっかけでした。駅から出ると、空が広くて、大きなお寺があり、個人のお店が残っている。「なんだかかわいい場所だ」と思いました。
駅からここまでの間にも、パン屋さんやおでん屋さん、和菓子屋さんなどさまざまなお店がありましたね。
WORK MILL
安達
そうなんです。
いざ引っ越してきてみると、ここの周りには欲望が鮮やかな人が多いと感じます。お腹が空いたとき、何を食べたいか貪欲に考えて選ぶ、とか。季節の和菓子を食べようと、和菓子屋さんに行列ができるとか(笑)。
欲望ですか。
WORK MILL
安達
生活改善運動と似た言葉に、「セルフケア」や「セルフラブ」があります。真面目な人は「早く寝なきゃ」「お風呂に入らなきゃ」となると思うのですが、そういう真面目なセルフケアをやっていても、何ひとつ楽しくないこともありますよね。
それをやっているときの心が穏やかかどうか、自分の欲望に敏感になれているかどうか、本当に愛しているかどうかを自分に確認して生活することが、セルフケアにもつながっていくと思うんです。
人格否定を伴わない生活改善運動をする
安達さんは、なぜ生活改善運動を始めるに至ったんですか?
WORK MILL
安達
私ももともとは、自己否定が強く、過剰適応とも言える状態だったんです。
私のキャリアは、防衛省自衛隊の事務官としての勤務から始まりました。民間企業なら、上司が何かを言っても「こっちの方がもっと良いですよね」と提案できる余地がありますが、そこは「上からの命令が絶対」の組織です。
気のいい人が多くて、普段は一緒にランニングをしたりして仲良く過ごしていたんですけどね。
大変そうです……。
WORK MILL
安達
そのときは本当にボロボロで。極端な長時間労働でしたし、お金はあるけれどストレス解消でバーッと使ってしまうし、部屋も本当にひどかったです。
ある意味、極限状態になっていた時期に、東日本大震災が起きました。そこで「ちゃんと自分の生きる道に向き合わなきゃ」と思って、防衛省を辞めることにしたんです。
なるほど。
WORK MILL
安達
そのあと、たまたま縁があって兵庫・丹波篠山の古民家を改装した宿泊施設で一時的に働いていました。京都が近いのもあって、ものづくりが盛んな地域なんです。古道具や食器を見ていて「こんな世界があるんだ」と夢中になりました。
良い出会いもあったんですよね。
WORK MILL
安達
丹波篠山で出会った友人のYさんは、生活改善運動のきっかけをくれました。Yさんは「人生は短い。しょうもないもの身につけている場合やあらへん」と言います。
しばらく経って再会したときに、手付かずのジャングルのようだった私の部屋を見せたんです。すると、彼の目がキラキラと輝いて、「片付けてもええ?」「ここにはフロンティアがある」と言いました。
フロンティア?
WORK MILL
安達
彼自身は断捨離をしすぎて、もうどこにも“捨てしろ”がなかったみたいで(笑)。
自己否定や過剰適応はほぐれていきましたか?
WORK MILL
安達
振り返れば、学生時代のアルバイトでも失敗ばかりで、自分をポンコツだと思っていました。近しい人から自分を否定されることもありましたし、自分で自分を否定してしまうこともありました。
それに、自分のことを片付けられない人間だと思っていたし、実際にそれは間違っていないのですが、だからそれが欠陥だというわけではない。
私が自分を好きになるのをYさんも手伝ってくれて、それから人格否定を伴わない生活改善運動が始まりましたね。
自分にあうバイブスを選ぶ
自分を好きでいること……。大事だとわかっていても、体現するのは難しいかもしれません。
WORK MILL
安達
そうですね。それには、働き方も重要だと思います。
私は学生時代から作家になりたいと思っていたのですが、ほかの仕事をしている期間も長かったんです。作家として独立したあとも、あまりにもお金がなくて、再就職していた時期もあります。
でも、週5日フルタイムで働いていたのですが、コロナでその会社が解散になって。それがきっかけで、別の場所で週3日働くことになりました。これが良かったんです。
週3日、ですか。
WORK MILL
安達
週5日をいきなりゼロにすると金銭的にも大変で、心の安定がなくなってしまいますよね。私はそうなると書けなくなってしまうので、とりあえず週3日。
すると、週4で作家、週3で会社員なので、全体としては作家としての仕事ができる時間の方が長くなるんですよ。
確かにそうですね。
WORK MILL
安達
それに、最後には全部役に立つんです。私はとある日本各地の名産品を売るギフトショップで働いていました。地域の情報に詳しくなりましたし、ものを愛でて大事に売っている場所だったのが刺激的でした。
バイブスが合う場所を選べば、どこに行っても楽しくなるんだな、と思ったんです。
なぜ、そのように思えたのでしょうか?
WORK MILL
安達
これまでの勤め仕事での自分の働き方を、すごく反省していて。どこか環境のせいにしていたところがあったのは、今でも恥ずかしく思っています。
今の自分でもう1回やったら、多分もっと楽しく、自分を殺すことなく生かして、みんなと調和しながらやれる。
だから今は、どこで働くことがあるとしても、作家、つまりアーティストとして恥ずかしくない働き方をすることが大事だと思っています。
アーティストとして恥ずかしくない働き方?
WORK MILL
安達
たとえば、「安達さんこれ行ってくれる?」と何か仕事を頼まれたとき、以前なら「行きたくないなあ……」と内心なっていたのが、なくなりました。行きたくないなとは思っても、「おもしろい出会いがあるかもしれないし」と何かしら楽しい方に向かっていけるというか。
その機会をうまく利用できるようにもなるし、クリエイティビティを活かして付加価値を出し、周囲と調和できるようになると思いましたね。
安達さんの本やこの記事を読んで「生活改善運動をしてみよう」と思った方は、まず何から始めるといいと思いますか?
WORK MILL
安達
やっぱり、自分の欲求や欲望を大切にするのがいいと思います。会社員をしていて、特に家庭のある方などは「こうあるべき」と思って、取れる選択肢が最初からもうひとつしかないように見えたり……。
でも、ちょっとだけ仕事帰りに寄り道しちゃうとか、なんの意味があるかわからなくてもとりあえず参加してみるとか、そういう逸脱があるといいと思います。私は、「内なる犬」を大事にしようと言っていますね。
犬……?
WORK MILL
安達
それぞれに「内なる犬」がいて、臆病なところも獰猛なところもあると思うんです。
やっぱり欲望に素直に、本能に素直に。もっと楽しい世界があるのではないかと思うことは、別に悪いことじゃない。内なる犬の声を聞いてみてほしいですね。
それは面倒くさいことかもしれません。だから、3回に1回ぐらいでもいいと思います。「なんかこれ好きだな」と思えることがあったら、その一瞬にふと立ち止まって感じてみることが、とても大事だと思いますね。
2023年5月取材
取材・執筆=遠藤光太
撮影=小野奈那子
編集=鬼頭佳代/ノオト