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立川談志と落語から学んだ、「めんどくさい人」との向き合い方(落語家・立川談慶)

働く上で逃れられない、人間関係の悩み。誰とでもうまく付き合えるのがベストですが、時には「この人、めんどくさいかも……」と思うことも。どうしたら、そんなモヤモヤを解消できるのでしょうか。

元参議院議員でもあった故・立川談志師匠のもとで研鑽を積んだ、落語家の立川談慶さん。かつてはサラリーマンとして大企業で働いていたという経歴を活かし、噺家としての活動の傍ら、20冊以上もの本を書き続けています。その1つが、破天荒で有名な立川談志師匠と過ごした経験をもとにした、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP研究所)です。

立川談志師匠のもとでの学び、サラリーマン時代の苦楽、落語家としての経験から、今を生きるビジネスパーソンに向けて「めんどくさい」と向き合うコツを教えていただきました。

立川談慶(たてかわ・だんけい)
落語立川流真打で著述家。長野県上田市出身、慶應義塾大学卒業。株式会社ワコール入社するも夢を諦めきれず、落語家の道へ。立川流Aコースに入門し、「立川ワコール」を名乗る。2000年、二つ目に昇進し、師匠である七代目立川談志より「立川談慶」と命名を受ける。『落語で資本論』『花は咲けども噺せども』など、ビジネス書を25冊刊行している。趣味は筋トレ。

伝説的な落語家、立川談志師匠の元で学んで

落語家さんの下積みというと、大変というイメージがあります。特に「笑点」の立ち上げや政治家としての活動、数多くのメディア露出などで幅広く活躍し、“破天荒”というイメージが強い立川談志師匠のもとでの下積みは、より大変そうですね。

談慶 前座(※)の頃は、師匠である談志から何か言われたとき、聞き返すこともできない世界でした。「アレを持ってこい」と言われたら、瞬時に「アレ」が何かを判断しなければいけないんです。

たとえば、「吉野家事件」というものがありました。

談志のマンションの近くに牛丼店の吉野家があり、その近くの角でクルマが曲がった瞬間「ギュウ○○を買ってきてくれ」と談志が言いました。弟弟子二人が、「ギュウ」の部分しか聞き取れなかったのですが、弟弟子たちは「何て言いました?」なんて聞き返せません。

そこで兄弟子が弟弟子に対して「牛丼を買ってこい」と言ったのですが、弟弟子が「兄さん、師匠が牛丼を食べるわけがないよ」と。でも、周りから「牛丼に違いない」と言われて、牛丼を買って戻ってきたんです。

でも師匠は「俺は牛乳を買ってこいと言ったんだ!」と呆れ顔。女将さんが「私、一度牛丼食べてみたかったの」と言い出してくださったおかげで丸く収まったのですが……。聞き取れなくても何か判断しなければいけないという“めんどくさい人”でした。

※前座:下積み中であり、落語家としての「卵」の状態を示す階級。

今それは確かに「めんどくさい」ですね……。

談慶 今思えば、まだそういう振る舞いが許されていた時代だったんですね。

でも、あの頃に「ここを攻めたらどうなるか」を談志から試され、鍛えられていたんだと思います。そのおかげで、自分自身の行動の幅が広がったと感じていますし、この頃の経験があったからコロナ禍でも出版の仕事に関わらせてもらえたと思っています。

談志は2011年に亡くなりましたが、実は今でも夢の中に出てきます。夢とはわかっているけど、生きていてくれたことが嬉しくて涙が出て、そこで目覚めてしまうことも多いですね。

めんどくさい一面がありつつも、愛すべき師匠だったのですね!

なぜ「めんどくさい」と感じてしまうの?

「めんどくさい人」と一言で言いがちですが、めんどくさい人とは一体どういう人だと定義づけていますか。

談慶 すなわち、「自分と価値観が合いにくい人」かな、と。

最初から価値観が一致するなら打ち解けやすいですし、多少違和感を覚える言動があっても価値観で共鳴し合うこともできるでしょう。

といいつつ、私がサラリーマンだった頃は、私自身がほかの社員と価値観が合わなかったので、むしろ社内で私自身がある種の「めんどくさい人」だったと思います。当時は「いつか落語家になろう」と思っていたこともあり、サラリーマンとしての覚悟が足りませんでした。

というのも、内定をもらった時期と談志に入門しようかなと思ったのが同時期で、談志のマネージャーから、「会社で学んだ経験は無駄にならないから」と3年間は会社員として働くようにと言われたのです。私自身も「サラリーマンとして3年ガマンできないのであれば、もっとめんどくさい人である談志のもとにいってもきっとダメだろうな」と感じていました。

なんと……! 自分が相手にとって「めんどくさい人」になるのは、怖いと感じてしまいます。

談慶 「めんどくさい」は、たとえば野球中継で「いいバッターが出てきましたね。相手にすればめんどくさい状況です」といったように、違和感や不自然さを表すには無難な言葉でもあります。野球の場合、むしろゲームがおもしろくなるから「めんどくさい」はポジティブな意味になりますよね。

だから私は「めんどくさい」をネガティブには捉えていなくて、むしろ苦手な人から親切にされるよりも、自分が惚れた人から「めんどくさい」と邪険にされる方が幸せですね。もちろん私の場合は談志です。

逆に、苦手な人から好かれているときの方がネガティブな意味で「めんどくさい」状態になる。だから、「価値観が合わねぇな」と思ったらドライにやり過ごす。とはいえ、同じ組織の中で一緒に働く必要があるので、ちょうどいい振る舞い方を会社員時代に学びました。

コツ1:相手との共通項を探りつつ、小刻みに接して乗り越える!

その振る舞い方を具体的に教えていただきたいです。「めんどくさい人」に出会ってしまった場合、どのように付き合えばいいのでしょうか。

談慶 他者と一緒に仕事をする以上、まずは相手との共通項を探ってみてください。苦手だけど、同じ野球チームについて話せる。苦手だけど、行きつけのラーメン屋が同じだった。……というような感じで、似ているところはないかと探してみるのです。

「この人は自分と違う」と感じることで相手をついつい拒否してしまいがちですが、共通項があると、相手との間にワンクッション置くことができます。

共通項探しをしているうちに、「あれ、めんどくさいだけの人じゃないな」と気づく瞬間もあると思います。その瞬間が大事なのですよ。

「めんどくさい」と除けてしまうよりも、何か一つでも自分の糧になるようにしたほうが、最終的に得だと思いませんか? そして、今を乗り越えれば、将来的に楽になると思うようにしてやり過ごすのです。「やり過ごす」ことが、自分の底力を育てると思っています。

昔、お笑い芸人の上岡龍太郎さんが、「マラソンで10分を切ることは誰もできないけど、100mを20秒だったら誰でも刻めるだろう。それを続ければいい」という話をしていました。それと同じです。長時間でなくとも、小刻みにめんどくさい人と対峙する時間をもつことで、自分を鍛える時間を持つことができるのです。

鍛えるというと、筋トレみたいですね。

談慶 重いベンチプレスも、努力を積み重ねて筋肉を少しずつ肥大させれば、誰もが持ち上げられるのですよ。

(提供写真)

コツ2:好き/嫌いの二元論で考えない

共通言語があってもうまくいかない、好きになれないときの考え方のコツなどありますか?

談慶 たとえば、SNSではブロックしたり、フォローを外せたりしますが、リアルな人間関係ではそうはいきませんよね。私の場合も、「談志は自分の価値観に合わない人は一切認めないから、談志の価値観に合わせる」といった、フレキシブルな距離感や対応が求められまました。

そのときに感じた相手に合わせるコツは、好き/嫌いの二元論で考えるのではなく、相手に対してファジー(曖昧)に色づけをすることです。

グリーンという色ひとつとっても、黄色に近い色から青に近い色まであります。「好き/嫌い」の2色ではなく、多彩な色づけとポジション取りをすることで、相手に合わせた距離感を保つことができます。この「ファジーさ」を身に付けることも、めんどくさい人と接するときのコツです。

付き合い方に、曖昧さを持たせる。

談慶 はい。この考え方が身についたきっかけは、サラリーマン時代にあります。

当時は、自分は落語家になるつもり、つまりは会社を辞めるつもりでした。だから、社内に苦手な人がいても「将来、長く関わる予定はないから」と考えれば、無理して深く付き合う必要がないと気づきました。

同時に、「誰よりもめんどくさい人である談志のもとに行く」という未来が待っているとわかっていたからこそ、サラリーマン時代はめんどくさい人への「めんどくさい度」が半減して感じられたのだと思います。

それでも付き合うのがしんどいなら、めんどくさい人と関わることで、人間関係や考え方など、自分自身の枝を広げていくことができると思ってはどうでしょうか。年を重ねることに枝が大きくなって、今の自分に繋がっている。過去の行動の結果が今に繋がっているわけですね。

「めんどくさい人」との出会いは、未来のための訓練、自分にプラスになることもあると捉えることが大切です。

コツ3:自分を俯瞰して見つめる

めんどくさい人への対処法の一つに、未来のための訓練という考え方もあるのですね。

談慶 そうです。怒られたり相手との価値観が合わなかったりして、めんどくさく感じても、将来のための訓練と思えば耐えられるんですよね。私の場合、過去や未来の自分から「がんばれ!」と応援されていると思えば、踏ん張ることができたんです。

それに、今の自分は過去の自分があってこそ。サラリーマン時代は「お前が俺の夢を叶えてくれ。夢を叶えてくれるのは、お前しかいない」と落語家を夢見た過去の自分に支えられていました。一方、未来の自分を想像すると前座修行で苦しんでいる姿が見えてしまうのですが、「この前座さえクリアすれば、夢が叶えられる」という励ましにもなっていました。

過去と未来の2つの方向から、自分を俯瞰から見つめることで、「今はちょっと、将来のために鍛えさせてもらおうか」と捉えることができたのだと思います。

そのように、客観的な視点で自分を見つめるコツはありますか?

談慶 私の場合は、日記をつけていますね。数年続けることで、自分自身を振り返ってチェックすることにも繋がりますし、成長も感じ取れます。

たとえば、私はある時期まで「自分の努力だけでここまでやってきた」と思い上がっていました。でも、コロナ禍になって実際は「努力できる場所が存在していただけ」ということに気づいた。状況や気持ちを相対的にみることができたことで、気づきに繋がりました。

落語の仕事がなくなった分、執筆の仕事を行った結果、コロナ禍の4年間で12冊の出版にも繋がったのです。

あと、親友や妻、子どもからも、自分の現在のポジションについて忌憚ない意見をもらっていますね。客観的に意見をいってくれる存在がいるからこそ、軌道修正をしながら目標に向かって進むことができているのだと思います。

自分ひとりで完結させるのではなく、意見をくれる存在が大切なのですね。

談慶 そうですね。めんどくさい人と出会って苦しんでいるときにも、そうやって周りの人たちを巻き込んで仲間を増やしていくことが大切かもしれません。「自分一人じゃない」と救いになりますから。

あと、自分の周りに対する振る舞いについても「あ、今の自分、めんどくさいな……」と反省してしまうことがるのですが……。

談慶 自分の中にある「めんどくささ」ってある種、自分で張っている防御バリアなんです。ただ、自分自身が自分に対して「めんどくさい」と思っていても、他人からの評価はわかりません。周りの評価に耳を傾ける方が大切です。今ある現実が、自分に対する事実なのです。

そういう時も、日記を付けるといいですよ。私も実際に書いてみることで、「人って変化するもんだな、変化は当たり前なのだ」と受け入れられるようになりました。そうすれば、他人に対する「めんどくさい」も、自分に対する「めんどくさい」も受け入れられるようになるはずです。

めんどくさい人との人間関係も、コツを実践しているうちに変化しそうですね。今回はありがとうございました!

2024年4月取材

取材・執筆=ミノシマタカコ
撮影=品田裕美
編集=ノオト