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すべての人は「いる」だけでいい。福祉×アートのパイオニア・studio COOCAに学ぶ「生産性」よりも大事なこと(後編)

仕事をしていると、積み重なるタスクやコミュニケーションに苦しさを感じてしまうこともあります。

そんなときには「まず我慢を優先する」をやめてみることが大事だと、studio COOCAのおふたりは語ります。とはいえ、そう簡単に実践するのも難しい……。

後編では、ビジネスパーソンが「まず我慢を優先する」をやめる方法、ケアの大切さ、快・不快に素直になることについて、studio COOCA代表の関根祥平さんと、創業者の関根幹司さんにそのヒントを伺いました。

▼記事前編はこちら

関根幹司(せきね・もとし)
株式会社愉快、studio COOCA創業者。障害のある子どもを受け入れる保育園、地域作業所での勤務を経て、1992年に工房絵(かい)を設立。2009年、studio COOCAを設立。2024年5月まで代表を務めた。

関根祥平(せきね・しょうへい)
美術大学卒業後、特別支援学校の美術教諭として勤務する傍らジュエリーの専門学校へ通いアーティストへの道を模索。アメリカ留学を経てstudio COOCAへ2024年6月から代表を務めている。

我々だけが障害者と接しているのは「もったいない」

前編では、福祉事業所を運営されてきた立場から、生産性についてのお考えを伺いました。

そこからビジネスの世界を見渡したときに、どんなことを感じますか?

幹司

施設に通う人々のことを、ほとんどの人は知らないでしょう。家族と福祉施設職員以外の人は、どんな暮らしをしているかすらわからない。

そこで、僕は「我々だけが独占しているのはもったいないな」と思うんです。

どういうことでしょうか?

幹司

僕はstudio COOCAの代表を彼(祥平さん)に引き継いでから、重度心身障害者と言われる人々の介護の仕事をしています。

その施設の利用者さんたちは、いわゆる「コミュニケーション」が取れません。こちらから言葉かけをして、反応してくれるのは一部の人だけ。その他ほとんどの人は、いわゆる「返事」をしません。

自分で食事を摂れるのも、トイレに行けるのも一部のひとだけです。だから、食事の介助もトイレの介助も僕たちがしているんです。

幹司

「水を飲みたい」とも「ご飯を食べたい」とも「言わない」人たちに水分をあげて、ご飯をあげて、オムツの交換をする。「人類はこれを180万年も続けてるんだ」と思うと、これは人類にとってすごい発見だったとわかるんですよ。

そこに何があるのか。それは、「絶対的な信頼」なんです。

絶対的な信頼……。

幹司

だって、放っておかれたら死んでしまうんです。でも、放っておかれないわけです。これってすごい信頼関係じゃないですか。

「大丈夫だ」「私って生きられる」と直感的に思える信頼関係を、僕たちは180万年かけて綿々と作ってきた。だから、僕たちだけで独占しているのはもったいないと思うんです。

はい。

幹司

相模原で起きた殺傷事件の犯人は、障害者に「生きる価値がない」と言いました。僕もいろんなことを考えさせられました。その結論として、こうしてケアをする・されるということ、それと絶対的な信頼関係そのものが価値だと思ったんです。

ビジネスの現場で、人間関係に悩んでいる方は多いと思います。そんな人は、人類が発見したケアというものをもう一度知り直したほうがいいと思います。それを知らないまま、「裏切られた」とか「空気が読めない」なんて言いながら生きているのは、もったいない。

大企業の中心に福祉施設を置いてみたら?

具体的には、どのようなアイデアがありますか?

幹司

これは完全の僕の個人的な意見ですけど、僕は、たとえば大企業こそ本社の中心に福祉施設を置けばいいのに、と思うんです。

かつては、社会福祉法人などの特殊な法人格が必要でしたし、施設・設備の要件も厳しかったのです。でも、今は制度が変わって、株式会社でも福祉施設を作れます。法人格があって、机と椅子を置いたら(※)、成立させることができるんですよ。

※用意する部屋など設備面での要件があります。

おもしろいですね。

幹司

障害のある人が、毎日職場にいる。毎日、彼・彼女らを見ているべきだと思う。

いるということは人類全員が知るべきだし、日々見ているべきだと思うんです。それが、障害のある人々のためではなく、ケアする側の人たちのためになる。

まさに「絶対的な信頼関係」ですね。

幹司

ええ。たとえば、社長の席の隣に障害のある人がいたら、ほかの従業員のみなさんも社長ともっと話しかけやすくなると思いますよ。

祥平

大企業の中に福祉施設を置くという視点は私にはなくて、一人ひとりが地域でどういった暮らしを実現していきたいのかを一緒に考えていきたい。

ただ、現代の仕事のあり方に息苦しさを感じている人たちがいますよね。その果てに過労死や自死を選択する人もいる。

祥平

ビジネスの世界では、「できなかった」「間に合わなかった」が許されないじゃないですか。納期が迫れば残業が増えるし、できる人のところに仕事は次から次に回ってくる。

でも、現代社会の中で障害を抱えている人と接する中で、お互いの存在、まずは「ここにいることを認め合う」が軸になってくると、それが自分の緊張をほぐし、自分自身を守ることにもなるのかなと感じます。

障害はどこにあるのか?

祥平

環境問題という視点で考えた時に、過剰な残業をしてオフィスの高層ビルに電気を深夜まで煌々とつけているのではなく、残った仕事を分担し、「家族と過ごすから早く帰ります」と言って明るいうちに帰る。

実はそういった小さな行動が電力供給のための過剰なエネルギー資源の浪費という問題の解決につながっていくのではないでしょうか?

だから、僕は自分の半径5メートルの人の存在を大事にすることが、自分自身を社会生活における息苦しさから解放することにもなると思うし、環境問題の解決にもつながっていくと思います。

祥平

働きすぎて、ストレスが溜まって、他人にそのストレスをぶつけ、必要以上に食べて、消費して、ゴミがどんどん街に増えて、それが海に流れて、汚れた海で育った魚を食べて、体内にプラスチックを蓄えていき、体を壊して病院で薬をもらい、また消費していく……。

これは全部つながっていると思っていて。だから僕は、いま目の前にいる人を大事にする生活をしたいと思っています。

幹司

大事なのは、今目の前にいるこの障害者の顔を見たときに“新たにする心”ではないか、と。

人類全員にそれが必要な気がして、さっき言ったように、我々関係者だけが彼・彼女らと接しているのはもったいないと思います。

祥平

ケアを軸にした学びの場作りにも、僕は関心を持っています。子どもたちだけでなく、ビジネスパーソンも、高齢者もいていい。

仕事を始めてしまうと、よっぽど意を決しない限り、大学・大学院に入ったりして学び直すことはないと思います。そんななかで、少しの時間でもいいので、障害福祉施設で学びを深める機会があってもいいかもしれません。

具体的には、どんな学びのイメージをお持ちですか?

祥平

僕がstudio COOCAに来てから、利用者や職員と一緒にバンドをやっています。バンドを始めたときにピアノを弾ける方がいて、ものすごいシャウトする方がいて、かっこいいギター弾く方がいました。

ドラムを始めたばかりの僕は、そういう方たちとバンドをやっていると、ついていけないんですよ。施設内の構図でいうと、支援をする側である自分が置いていかれる。

祥平

「かっこいい音を出す」という共通言語を基準にした時に、むしろ私側に恥ずかしさや本気で音に向き合い切れていないという障害(ハードル)がある、という価値転換が起こる。

「社会にある障害とは何か?」を中心に考え、studio COOCAの空間、この構造でそれぞれが自分自身と向き合い、時に協力しながらアートやデザインを通して障害や社会課題の解決に緩やかに向かっていくような、「学びや気づき」の得られる場を作ったら、絶対におもしろい。

いいですね。

祥平

実際にこの現場に立つと、言葉や能力よりも快・不快、特に不快をとてもストレートに表現する方が多いと感じます。

その表現は必ずしも言葉ではなくて、態度や表情でわかります。そういったものを受け取るセンスが、ケアの現場にはすごく求められます。

ビジネスの現場でもそういった非言語的なコミュニケーションは活きるはずです。

自分一人では持ちきれない仕事とわかっていながら「まず我慢を優先」して目を吊り上げながら険しい表情で仕事に臨むより、分担を考え、できる・できない・快・不快に真摯に向き合う職場のあり方を考えてみてはどうでしょうか。

「私には描けない」と考える前に

ビジネスをしていると、言葉や能力、暗黙のルールなどにとらわれて苦しくなってしまう場面もあります。

祥平

企業で働くみなさんも、本音では快・不快を強く持っているはずだし、態度や表情で表現できるはず。

かつては自分なりの線で堂々と絵を描いていたんだと思いますよ。

祥平

覚えていないだけで、小さいときはみんな無意識に描いていませんでしたか? それにもかかわらず、教育の中で劣等感を抱くようになってしまう。

周りの子どもたちの作品と並べられて、評価されて、ときには笑われたりしてしまう。そうして、「私は絵が苦手なんだ」「もう描きたくない」と。

そうだった気がします……。

祥平

「アートは美術館に行って見るもの」といった固定観念もありますよね。でもそこでは、子どもの笑い声も許容されていなくて……。

アートや自己表現といったことを、日常の暮らしの中にどうやって位置付けていくか。「他人様の目」を伺って判断する日本において、課題は多いですが、取り組みを今後も続けたいと思っています。

祥平

studio COOCAのメンバーが描いた絵を見て「特別な人たちが特別な色彩感覚で描いているからすごいんだ」「私には描けない」と言われることもあります。

でも、僕はそうは考えなくて。「心の奥にしまっているだけで、人と比べることをやめたときに開くものなんだ」と企業で働いている方にも言いたいですね。

ありがとうございました!

2024年6月取材

企画・取材・執筆=遠藤光太
撮影=森カズシゲ
編集=鬼頭佳代/ノオト