「18きっぷで一人旅」新人研修で離職者ゼロに? 島根県出雲市の山陰パナソニックが「サンパナジャーニー」を行う理由
プライベートに楽しむものだと思われがちな、「旅」。しかし、これを実際に仕事や学びに結びつけている会社があります。実際に新人研修に旅を取り入れ、社員の成長に繋げているのが、島根県出雲市にある山陰パナソニックです。
同社は2022年度より、新入社員研修として毎年12月に「サンパナジャーニー」を実施。対象となる社員は、全国のJR線が5日間乗り放題となる「青春18きっぷ」を活用し、自由にテーマや行き先を決めて一人旅を行います。この研修を取り入れることで、2022年度以降の新入社員の離職率が激減したそう。
今回は、研修を担当した人事グループの船井亜由美さんと、実際に第1回の「サンパナジャーニー」に参加した宇森茜さんにインタビュー。研修が始まったきっかけや、旅を成長に変えるための工夫、また宇森さんが一人旅で得たことや、社内での変化などについて伺いました。
苦しいときに誰かに助けてもらう、それは旅でも会社でも起こりうること
サンパナジャーニーは、どういったきっかけで始まったのですか?
船井
以前から社長が、学生の採用面接時に「入社までに何をすればいいですか?」という質問を受けることが多く、「今のうちに旅をして経験を積んだらいい」と答えていたそうです。
つまり、旅はこれからのキャリアにとって大きな学びになるということ。そこで「新人研修で青春18きっぷを使って一人旅をやってみたら面白いのではないか」というアイデアが思い浮かんだのだと聞いています。
なるほど。面接でのエピソードが生かされているのですね。
船井
弊社は1958年創業の卸売業を中心とする会社なのですが、近年のダイレクトマーケティングの広がりなどの影響で厳しい状況が続いています。
そんな中で、既存事業の裾野を広げる、または脱却できる風土にするにはどうしたらよいか。それを考えていたのも背景にあります。
旅を勧めるということは、社長自身も旅に良い経験があったのですね。
船井
はい、若いときに旅で得たさまざまな経験が現在も役立っているそうです。
実は私自身も10年前に「青春18きっぷ」で16日間一人旅をしたことがあるんです。それ以外でも、旅には仕事に活かせるような忘れられない思い出や学びもたくさんあり、研修も一人旅にこだわりました。
ちなみにどんな思い出がありますか?
船井
一人で広島県尾道市を訪れた際に、暑くて倒れそうになってしまって。そのとき、近くのお店の人に助けてもらってかき氷まで食べさせてもらったんです。
しんどいときに知らない人に助けてもらった経験は、本当にありがたかったです。
それは忘れられませんね。
船井
苦しいときに誰かに助けてもらう。
それは会社内でも同じことで、自分が一生懸命仕事をすると、周りの人もしっかりと見てくれているし、助けてくれる。そんな疑似体験を、研修でできたらいいなと。
こういった研修は、新人同士のコミュニケーション力を高めるため、チームで行うこともあります。一人旅にこだわった理由はありますか?
船井
一人旅は複数人での旅行とは異なり、移動する電車の車窓から景色を見たり、周りの人の話す声に耳を澄ましたりしやすいですよね。
そうして、「ここは自分が住む場所とは違うんだな」という実感を持ってもらいたかったのです。
それによってまた、働く上での知見も広がりそうですね。
船井
ただ、なかには「一人旅をしたくない」という社員もいました。
大学を卒業した新入社員は旅の経験がある人も多いですが、高卒の新入社員は世代によってはコロナ禍で修学旅行にも行っていなかったり、オンライン授業で外に出かける機会も少なかったり……。
コロナ禍もあって、旅のハードルが上がっていたのですね。
船井
特に私たちの会社がある鳥取県・島根県などの山陰エリアは車社会。高卒の新入社員は電車に乗ったことがない人も多くて。
「切符を誰に見せるか」「乗り換えするには何分あれば間に合うのか」など、分からないことだらけ。彼らにとっては一人で電車に乗るだけでも大冒険だったと思います。
なるほど……!
船井
一人でいろんな地域に行く。経験のない人にとっては本当に勇気がいることです。だから、会社が背中を押す形でも、ぜひやってもらいたかった。
この研修を無事に終えて帰ってくること自体が一つの達成経験になります。最後までやり遂げた自信が、今後の仕事にも影響するのではないかと思いました。
旅に6つのルールを設定。一人旅ではありながら同期ががんばる姿も励みに
とはいえ、「旅をする」だけでは、学びも漠然としていたり、ダラダラとしてしまったりしそうです。そういった意味で、何かルールを設けられたりしたのでしょうか?
船井
はい。サンパナジャーニーでは研修の目的を「自由な発想から自分自身で課題を立案して解決し、その中で気づきを得ること」にしています。 そこで、6つの旅のルールを設けました。
<サンパナジャーニー 6つのルール>
1. 予算は1日1万円
2. 旅のテーマを決める
3. 旅のルートを計画する
4. 旅を記録し伝える
5. サンパナポーズをきめる
6. 地域の課題を見つける
船井
まず1つは予算です。切符代以外の宿泊、食事などを1日1万円でやりくりする。「決められた予算を使って、業務を遂行する」ことの練習になります。
次に、自分でテーマを決めて、それに合わせて行き先を決める。18きっぷで行ける範囲なら、どこでも自由です。
ただし、それがきちんと実行できるかどうかは自分で調べないといけない。限られたリソースの中で実現可能な計画を立てて遂行するのも、仕事の中で求められる能力だと思います。
確かに、旅で必要な能力って仕事にも通じるものが多いですね。
船井
あと、「旅を記録し伝える」として、会社が開設しているInstagramアカウントで旅の様子を投稿してもらいました。
で、その際に「サンパナポーズ」をとることが必須です。これは、3日目に社長から発令されたミッションでした。
なぜ、サンパナポーズを……!?
船井
実はもともと「毎日10人以上の人に話しかける」というルールがあったのですが、なかなか話しかけるきっかけを見つけるのが難しい社員もいるようでした。
そのため、「サンパナポーズ」をきっかけにしてもらうことにしました。
なるほど。
船井
通りがかりの人や、訪れたお店のスタッフの人など、一緒に写真を撮る人はさまざまです。
そして声をかけ、「サンパナジャーニー」について説明をして、一緒に写真を撮り、SNSに載せる許可を得る。一連の作業は大変ですが、誰かに話しかける勇気を持ってもらいたくて。
そうすると、ほかのエリアにいる同期の様子もわかるのでは?
船井
はい。「サンパナジャーニー」の初年度は新入社員が22名。一人旅でありながら、SNSを見ると同期も旅をしている様子が見えるので、心細さもカバーできるのではないかと考えました。
さらに、旅から帰ってきたら、撮影した写真を「旅日記」という1冊のアルバムにまとめて配っているので、それも社内で話のネタになっているそうです。
企画を形にするまでに、配慮した点はありしたか?
船井
まずは、社員一人ひとりの安否です。SNSで共有するときは、「ニックネームを使って本名が出ないようにする」「その場を立ち去ってから投稿する」などのルールを設けました。
また、社員がいつでも私に連絡できる体制も作りました。必ず全員、帰路につくこと。それが最大の目標だったともいえますね。
一人旅を通して自信がつき、仕事でも積極的に
では、高校卒業後に山陰パナソニックに入社し、2022年に第1回「サンパナジャーニー」に参加した宇森茜さんにもお話を伺います。
宇森さんは、これまでに一人旅の経験はありましたか?
宇森
一度もありませんでした。会社のある島根県出雲市で生まれ育ったのですが、生活がその周辺で完結していたので、実は電車に乗ったことも2、3回しかなかったんです。一人でご飯を食べに行く機会すらなかったので、自分がまさか一人旅をすることになるだなんて……と。
だからこの企画について初めて聞いたとき、正直に言うと行きたくなくて(笑)。特に家族が一番心配していて、「何かあったら連絡して。すぐに迎えに行くから」と言われるほどでした。
それは戸惑いますね。どんなプランを立てたのですか?
宇森
私の旅のテーマは、「各地のクリスマスを満喫する」。また、当時の山陰パナソニックが創業64年だったことから、「64年以上の歴史をもつご当地の老舗スイーツを食べる」ことをサブテーマにしました。
具体的には、
・1日目:出雲市駅から広島駅に移動
・2日目:広島駅から大阪方面へ移動
・3日目:京都市内を旅
・4日目(最終日):岡山県を経由して出雲市駅に帰る
という計画を立てました。
すごく充実した4日間ですね。
宇森
でも、実はまったく計画通りにならなくて。
えっ!
宇森
初日に母や会社の先輩が出雲市駅まで見送ってくれ、それまでは良かったんです。
ですが、それから大雪警報が出てしまって。広島駅に向かう途中に鳥取県・米子駅で電車が止まり、本来は夕方に広島駅に着くはずが、夜になってしまって……。
事前に調べていた広島市内の老舗スイーツは、閉店時間ギリギリで入手しました。
最初から計画倒れしちゃったんですね。
宇森
さらに、最後の夜は岡山県津山市に行く予定でしたが、向かう途中の駅のホームで電車を待っていたら、大雪が降りしきる中で寝過ごしてしまい……。マイナス5度の中で1時間以上次の電車を待ちました。
計画を遂行することの難しさを感じますね……。
宇森
それでも、ミッションはがんばりました!
2日目に広島県から岡山県に行く電車を駅で待っていたとき、隣に2人組の女性がいらしたので思い切って話しかけてみたんです。すると、その方たちも「青春18きっぷ」で旅をしていたみたいで。意気投合し、大阪駅までの移動中も3人でお喋りしました。
普段は知らない人に話しかけることはないのですが、ミッションがあったからこそ挑戦できた。こういった偶然の出会いを大事にしたいなと思いましたね。
研修を経て、自分自身に何か変化を感じましたか?
宇森
「サンパナジャーニー」が終わって一番強く感じたのは「もっと自分の考えを周囲に伝えていかなきゃ」ということでした。
新入社員という立場もあり、それまであまり自分の意見を言えず周りの人に流されることもあって。それに、旅を通して知らない街を歩くことで、世の中ではたくさんの物事がどんどん変化している、と気づくことができました。それなら、普段の業務でも同じことばかりしていても意味がないのではないかと感じたんです。
その学びが、具体的にどんな変化に結びついたのでしょうか?
宇森
当時、家電の営業を担当していました。展示会が年3回程度あったのですが、年々来場者数も減ってきていて。
しかし、前年とほぼ変わらない枠組みで動いていることに気づき、それを何とか変えていきたいと思うようになりました。
そこで、ハロウィンの時期はお子さまが楽しめるように、仮装して来場してくださった方にはお菓子をプレゼントしたり、春にはひな祭りに関連して人形供養を200円で承ったり。季節ごとの工夫をしてみるといいのでは、と思いついたんです。
すると、目に見えて展示会自体の雰囲気が変わって。この旅があったからできたことだと思いますね。
旅を通して得た発見が、仕事の取り組みに結びついたんですね。
宇森
私自身、もともと自分から動くことは好きだったのですが、今までアルバイトの経験もなく、山陰パナソニックに入社したのが初めての仕事でした。なので、そもそも社会人としての振る舞いがよく分かっていなかったんです。
でも、一人旅が終わって自信がつき、自分の意見を少しずつ言えるようになりました。今では社内ミーティングの際にホワイトボードにメモしながら私が仕切ることもできるようになり、少し成長できたのではないかなと思っています。
離職者がゼロに! 旅を通して社内のコミュニケーションが活性化
研修を終えた社員に対して、社内からはどんなフィードバックがありましたか?
船井
大なり小なり「積極的になった」という声がやはり多かったです。新入社員が自ら行動を取るようになり、日々の仕事で裁量も増えたと聞きます。
また、一般的に3年以内の離職率が一つの指標になりますが、当社の入社3年以内の社員約50名はまだ離職者はゼロなんです。 これはちょうど、サンパナジャーニーを始めたタイミングと重なります。現時点でサンパナジャーニー経験社員から一人の離職者も出ていないのは、大きい変化だと思います。
すばらしいですね。社内の雰囲気も良さそうなのが伺えます。
船井
旅に参加していない社員も含め、縦の繋がりも強くなってきたのも感じます。
たとえば、旅の計画を立てる際に、周囲の先輩がスケジュールなどの旅のアドバイスをしたりして、よりコミュニケーションが深まったり。
さらに、2023年にメンター・チューター制度を作りました。これは、前年度にサンパナジャーニーを経験した先輩社員が、一つ下の新入社員にアドバイスをして一緒に旅の計画を立てる、といった場です。
宇森
研修を通して同期はもちろん、先輩とも仲良くなりました。
旅が終わった後もSNSやアルバムを見た先輩が「あのとき楽しそうだったね」と話しかけてくれて、ご飯に行く仲になることも。 振り返ってみると、みんなで協力したから達成できた研修でした。一人旅だけど、一人では達成できなかったことだなと思います。
ちなみに、社内で研修に対して意外な声はありましたか?
船井
実は、研修を行う前は「遊びに行かせてどうするんだ」という反対の声もありました。
でも、社員ががんばって旅をしている様子がSNSを通してわかるうちに、上司も応援のコメントを入れるようになってきて、今では反対の声も聞かなくなりました。
その代わり、「自分だったらここに行きたい」「もっと上の世代の研修はないのか?」と言う人も増えてきて(笑)。
確かに「自分もやってみたい」という声が上がりそうです。
初めての実施から3年が経ち、長期的にもポジティブな効果があることを感じました。今後、考えていらっしゃることはありますか?
船井
数値的な変化が見えてくるまでには時間がかかる研修だと思います。そのため、研修を終えた社員を年単位で追い、どう変化していったのか、フィードバック調査を行う予定です。
また、コロナ禍が落ち着き、学生時代にさまざまな経験をして入社する社員も増えてきました。
そんな社員に対してもチャレンジングな内容となるよう、いずれは「青春18きっぷ」以外の方法も視野に入れ、ルールも変えていきます。
今後は一体どんな一人旅が生まれていくのか、とても気になります! 本日はありがとうございました。
2024年6月取材
取材・執筆=矢内あや
アイキャッチ制作=サンノ
写真=提供
編集=桒田萌(ノオト)