落語で人生が楽になる? 落語教育家の楽亭じゅげむさんに聞く、自分の失敗すら面白がる方法
失敗ばかりで、自分を責めてしまう。一緒に仕事をしている人のミスを、否定的に捉えてしまう……。そんな悩みをもつビジネスパーソンにおすすめしたいのが、落語です。
「落語には、人がより楽しく生きるコツやヒントがたくさん詰まっている」と語るのは、落語教育家として活動する楽亭じゅげむさん。否定を肯定と笑いに変える「落語思考」の大切さを、教育機関や企業で伝えています。
自分や他者を認め、ミスすら面白がれるようになるには? 落語から得られるヒントを伺います。
楽亭じゅげむ(らくてい・じゅげむ)
個性を武器にして人を笑わせることで自分を愛する力を育む「落語教育」を事業として展開。全日本学生落語選手権優勝と小学校教員の経験を掛け合わせた落語教材を独自に開発し、学校の出前授業や企業研修を行なっている。
落語を使った教育者である「落語教育家」とは?
楽亭じゅげむさん(以下、じゅげむさん)の肩書きは「落語教育家」。普段、具体的にはどんなお仕事をされているのですか?
じゅげむ
落語を教材に、子どもたちやビジネスパーソンに向けて「生きていく中で必要な笑いのスキル」、や「人を傷つけない“笑いの使い方”」をお伝えしています。
落語そのものを教えるのではなく、落語を教材にされているのですね。
じゅげむ
はい。江戸時代から続く落語には、現代に通じる笑いの使い方のヒントがたくさん詰まっています。
落語の題材には、よく間の抜けた言動で失敗を繰り返すキャラクター、いわゆる「与太郎(よたろう)」が登場します。
与太郎は、自分の失敗を隠さず平気でオープンにするので、周囲も「あいつ、またやっちゃったよ」と愉快に笑い飛ばす。で、周囲から応援すらされるようになるんです。
正直だから、むしろ愛される。
じゅげむ
はい。私の実践している落語教育では、そんな愛されキャラともいうべき与太郎の姿勢を教材に失敗を笑いに変える技を学びます。
好きなものを融合させたら、自分の進む道が見えた
「落語教育家」自体、あまり見かけない肩書きですよね。もともと、このお仕事を志していたのでしょうか?
じゅげむ
私は子どもが大好きで、大学時代は幼稚園の先生を目指していました。ところが、採用試験に落ちてしまって……。
大学では小学校の教員免許も取得していたので、最終的に小学校の教員として採用され、小学4年生の担任を務めました。
落語とは関係のないキャリアからスタートしていたのですね。
じゅげむ
そうですね。実は中学の頃から、お笑い芸人を目指していたほどお笑いが好きで。
大学でも漫才サークルを探しましたが、落語研究会しかなくて、結果的にそこに飛び込みました。
消去法のようですが、それが落語との出合いだったんですね。
じゅげむ
はい。全くの初心者でしたが、落語をやる先輩方の姿がカッコよくて……。それに、「落語を通して先生として話すスキルが磨けるのでは?」という狙いもありました。
実際に落語をやってみると、寄席のお客様と一体になれる感覚を覚えたり、落語の題材から「人間、少々ドジでもいいんだ」と幸せな気分になったりして、すっかりのめり込んでしまって。
先生を目指す傍ら、落語にも打ち込んでいた。
じゅげむ
はい。その後、2017年に「全日本学生落語選手権策伝大賞」という大会で1位に選ばれたんです。
これがきっかけとなり、「せっかく優勝したのだから、これを教育に生かせないだろうか」と思い、教育と落語を結び付けることを本格的に考えはじめました。
大学時代に、もう落語と教育との融合を発案されたんですね。
じゅげむ
そこで、「来年教員になります」「人をつなぐツールとして落語を活用したい」とSNSで発信してみたら、とある大阪の小学校教員の方から反応をいただいたんです。
その方は、すでに学校で落語クラブを作り、授業に落語を取り入れていらっしゃいました。
「勉強やスポーツが苦手な児童が、落語をすると輝く瞬間がある」「クラスに馴染めない子でも、落語をすると周囲に溶け込めるようになった」など、ご自身の体験を語ってくださいました。
子どもの輝きを引き出すツールとして、落語が役立つのですね。
じゅげむ
普段は“クラスのはみだし者”とされているような児童が主役となり、それを周囲もポジティブに捉えるようになった……ということもあったみたいで。
他にも、地域の高齢者施設で子どもたちが落語を披露すると、お年寄りの皆さんが涙を流して喜び、そのたびに子どもたちも自信に満ちた表情になるんだそうです。
ああ、私もこういうことがやりたい。自分のしたいことはこれだと、確信しました。
そして、学校教員を1年で辞められたわけですが、教員と落語との両立は考えませんでしたか?
じゅげむ
そうですね……。義務教育の中で基礎学力を身に付けることが大切であることはわかっています。
でも、私はすでに決められたカリキュラムではなく、子どもたち一人ひとりのペースでその子らしい個性を育みたい。
そのためには、小学校の先生ではなく、新しい「落語教育家」という肩書きでいる方が、私らしく教育に携われる。
そう思い、独立しました。
落語のマインドを日常に
いよいよ落語教育者としての第一歩を踏み出すわけですね。改めて、落語の魅力を教えてください。
じゅげむ
与太郎のような「しゃあないヤツ」が登場するところですね。
落語ではそのような人を責めたり、意地悪して笑ったりすることはありません。「誰も傷つけない笑い」に昇華するんです。自分の失敗を笑いに変えるマインドが鮮やかに息づいています。
そうしたマインドを身につければ、少しでも生きやすくなると思っていて。
それを教育に活かしたいんですね。
じゅげむ
そうです。子どもたちに向けて授業をするときも、まずは「落語の面白さは失敗するところだ」と教え、「みんなも1つ、失敗してみよう」とその場で演じてもらうんです。
自分でやらかしを考えるんですね!
じゅげむ
たとえば、シチュエーションを「うどんを食べているとき」だとします。どんな失敗でもいいんです。「こぼしちゃった」でOK。
「もっと失敗してみて」と促すと、「うどんを食べているときの椅子の足が折れた」と転んだ真似をしたり、「この箸、めっちゃ長いなあ」という身振りをして笑いをとったり。
想像力が広がりますね。
じゅげむ
もう、みんな頭をフル回転で考えるんですよ。
あえて失敗して笑ってもらえると、「失敗してもいいんだ」「自分は自分のままでいい」と思える。失敗のネガティブな面だけを捉えないようになるんですね。
落語を取り入れることで、いじめがなくなったと話してくれた先生もいて。自分で笑いを作ったり探求したりする作業は、相手を傷つけいじめたり意地悪したりする楽しさより、ずっと心地いいのではないかな、と思います。
ビジネスパーソンにも活かせそうです。
じゅげむ
もちろんです。私はビジネスパーソン向けの研修も行うのですが、やはり上司に対する悩みがあったり、後輩ができたばかりで不安だったりする人もたくさんいて。
たとえば、上司の立場で、部下が盛大な失敗をしたら、どんな反応をとるのか。第一声、「ダメじゃないか」「何しているんだ」と言ってしまう人もいそうですよね。
でも、他にも伝え方があるのではないか。そのヒントを、落語を教材にお伝えしています。
どんなふうに伝えているのでしょうか?
じゅげむ
具体的な落語の題材を取り上げた上で、失敗した部下に対する言葉を考えてもらうワークショップをしています。
具体的な題材を教えてください。
じゅげむ
『二番煎じ』という落語です。
ある寒い夜、「火の用心」の夜回りをしなければならない旦那衆がいました。2つのグループに分かれて交互で外に出ることになっていたのですが、中で待機していた片方のグループが温かい鍋を囲んで宴会を始めてしまうんです。
すると、夜回り番だった親方が突然戻ってくる。急いで鍋を隠すんですが、卓上にお酒が残ってしまった……。
明らかに酒と分かるそれを「なんだこれは?」と問いただされた部下が、とっさに「薬です!」と答えます。
さあ、親方はどう返したでしょう?
「ふざけるな」と雷を落とす……?
じゅげむ
と、思いますよね。
でも、『二番煎じ』の親方は「薬か。ならば俺も一杯」と言って飲む。あっけにとられる部下を前に、「よく効く薬だな」と一人で飲み干し、部下が楽しんでいたおいしい鍋までも平らげてしまうんです。
「どうして酒を飲んでいるんだ!」と怒らず、あえて部下の言い訳に乗りながらお仕置きをするんですね!
じゅげむ
これはまさに、「否定しない」教育の方法だといえます。
お仕事の現場ではときには厳しく叱らなければいけないときもあるかもしれませんが、このように一枚上手な方法もあるわけです。
相手を否定する伝え方しか知らない人に、他にも相手を納得させる方法があることを伝えるんですね。
じゅげむ
落語には、ほっこりする話がたくさんあるんですよ。
『みそ豆』では、ふっくら煮えた豆をつまみ食いしていた10歳の奉公人を、旦那様が叱るところから話が始まります。
でも、実は旦那様も一人のときは便所で豆をこっそり食べている。そこへ帰ってきた奉公人も、旦那様と同じようにお椀に豆をよそい、旦那様のいる便所に向かってしまいます。
便所で豆を食べているところを見つかった旦那様は、慌てて「お前、何しに来た!?」と言うんですが、奉公人は、「へえ、おかわりを持ってまいりました!」と切り返すんです。
奉公人は旦那様を責めないんですね! とんちの効いた面白い返しです。
じゅげむ
面白いだけでなく、相手を追い詰めない方法ですよね。
このように、相手を否定ばかりしない思考を、私は「落語思考」と名付けていて。「落語思考」は、現代のビジネスパーソンに不可欠なスキルであり、心を救うヒントにもなると思います。
実際に企業研修で『みそ豆』の最後の奉公人のセリフをクイズに出すと、「一緒に食べましょう!」「旦那様がここにいると思って、持ってまいりました!」と答えてくれる人もいるんですよ。
その後、周囲と落語思考でコミュニケーションをとって、相手と良い関係性を築いたり、自分自身も気持ちが楽だと感じたりしてほしいと思っています。
将来の夢は「落語の義務教育化」
失敗する自分を受け入れたり、相手の失敗を否定ばかりではない対応を考えられたりできる「落語思考」。
広まれば、人はもっと楽に、そして楽しく生きられそうです。
じゅげむ
そうですよね。だから私の夢は、落語を義務教育にすることなんです。
子どものころから落語思考を身に付けるというわけですね。
じゅげむ
多くの落語の物語は、「与太郎」と「与太郎を笑いながら温かく見守る周囲の人間」で成り立っています。
失敗は隠さずオープンにする与太郎のマインドと、与太郎の失敗を「仕方ないなあ」と許す周囲の人たちのマインドと、落語は教えてくれています。
「やっちゃった」ことを笑いに変えるスキルを身に付けられたら、さらに生きるのが楽になりますよ。
私自身忘れっぽい性格なんですが、与太郎を見習って、まずは少し反省して、すぐに頭を切り替えて「やっちゃった」と思うようにしています。
反省を引きずらない。
じゅげむ
いつまでも悩み続けていては、自分にも周囲にも悪影響が出ます。一人で気持ちの切り替えが難しい人は、自分がワクワクできる居場所を複数持つことをお勧めします。
自分らしくリラックスして過ごせる場所、いわゆるサードプレイスですね。
じゅげむ
落語のキャラクターも、他にやりたいことがあるから、次へ次へと物語が前へ進むことが多いんです。
居場所がたくさんあれば、より自分らしく生きやすい場所で力を発揮しやすくなるのではないでしょうか。
お話を伺って、なぜ落語が江戸時代から人々に愛され続けるのかが分かった気がします。
そして現代人も、落語から多くのことを学べるのだとよく分かりました。ありがとうございました。
2023年11月取材
取材・執筆:國松珠実
写真:小林由実
編集:桒田萌(ノオト)