NTT社員から老舗扇子店の女将へ。大西里枝さんに聞く、跡継ぎの覚悟と挑戦
新しい取り組みにチャレンジするのは、誰しも勇気がいるもの。ましてや、歴史ある老舗の看板を背負っての挑戦となれば、プレッシャーもひときわ大きいはずです。
創業110年を超える老舗扇子店「大西常商店」の4代目を務める大西里枝さんは、扇子の製造・販売にとどまらず、ルームフレグランスの開発や、町家を活用した体験など、多角的に事業を展開しています。
かつてはNTT西日本で営業のお仕事をされていたという大西さん。会社員時代に培ったスキルや経験がどのように今につながっているのか、そして新たな事業を手がけて挑戦し続けるモチベーションの源はどこにあるのか、お話を伺いました。
大西里枝(おおにし・りえ)
大西常商店 4代目女将。NTT西日本に入社し、代理店営業を経験したのち、2016年に家業である大西常商店に入社。扇子事業だけでなく多角的に事業を展開。2024年、「裏がある京都人のいけずステッカー」のインパクトあるステッカーで話題を読んだ。
通信業界を経て入った家業は超アナログ
家業である老舗扇子店「大西常商店」に入る前は、会社員だったそうですね。どんなお仕事をされていたんですか?
大西
新卒でNTT西日本に入社し、4年ほど光回線サービスの代理店営業をしていました。
静岡から沖縄までの各県に支店があり、だいたい3年ごとに転勤があって。私は福岡、熊本、京都で勤務しました。
扇子のお仕事とはまったく違う職種なのですね。就活の時はどういった理由で就職先を選んだんですか?
大西
大学で地域活性化や観光資源の活用について学んでいたので、地域に関わる仕事に興味があったんです。
ちょうど就活の時期に東日本大震災があり、通信インフラの重要性を改めて意識し、地域で通信に携わる仕事をしてみたいと思いました。
私は京都で生まれ育って、親元から出たことがなかったので、外の世界を見てみたい気持ちもあって。それで転勤がある仕事を選んだのもありますね。
会社を退職して家業に入ることになったのはどうしてですか?
大西
結婚して妊娠・出産し、産休中に家業を手伝いはじめたのがきっかけです。
夫もNTTの社員。そのまま夫婦2人とも転勤がある生活だと、ほとんど一緒にいられない。だったら、私が退職して家業に入ることで京都に拠点を構え、夫は単身赴任という形がいいのではないか、と。今後のライフプランを考えて決めました。2016年のことです。
昔から、「自分がいつか家業を継ぐ」と考えていたのでしょうか。
大西
私は一人っ子なので、いずれは継がないといけないだろうなとは思っていました。でも、やっぱり一度は新しい世界を見たいじゃないですか。
まずは大企業で働いて「仕事のいろは」を学んでおきたいとも思っていたので、数年経って、良い頃合いかなと。
家業で働きはじめて、実際どうでしたか? 目の当たりにした課題や、会社員時代とのギャップはありましたか。
大西
ありましたよ。思った以上にヤバいと思いました(笑)。明らかに昭和の商売というか。昔、パソコンの中にイルカが泳いでいたの、知ってます?
イルカ! ネットでは「お前を消す方法」でお馴染みの……(笑)。
大西
そう、Microsoft Officeでユーザーをアシストしてくれる「カイルくん」です(笑)。2000年代初期に表示されていたキャラクターなのですが、それが出るくらい古いパソコンを使っていて。
そもそもインターネットにすら繋がっていなくて、注文は全部FAX。在庫も全然うまく管理できていない。
「もうちょっとやりようがあるんじゃない?」と思いましたね。
会社では光回線サービスの仕事をずっとしていたのに、家業に入ってみたら、めちゃくちゃアナログだったんですね。
大西
そうなんです。今は在庫管理アプリを導入して商品を管理しています。先代社長の父は、いまだにLINEもうまくできないのに、頑張ってアプリを使ってくれていますよ。
フレグランスの開発や体験事業にチャレンジ
アナログからデジタルへの移行だけでなく、新しい商品やサービスの開発など、さまざまな挑戦をされていますよね。まず何から着手しましたか?
大西
最初に始めたのが商品開発ですね。扇子の骨として薄く加工された竹は、長く香りを保ち続ける性質があります。
この保香性に注目し、ルームフレグランスを作りました。
初めに商品開発をしようと思ったのはどうしてですか。
大西
扇子屋は夏に偏った商売。冷夏だった年には、どうしても売上ががたっと落ちるんですよ。
それに、扇子は一度使い始めると7~8年くらいはもちますから、毎年たくさん買うようなものではない。そういう意味でも、通年で使える何か新しい商品を作りたいと考えました。
確かにルームフレグランスなら、年中使えますよね。
大西
これまでは扇子の製造と卸しかしてこなかったので、そこから脱却したい、大西常商店の名刺代わりになる商品を作りたい、という思いもありましたね。
大きな方向転換でもありますね。新商品の反響はいかがですか。
大西
おかげさまで売れ行きは好調で、今は本当に名刺代わりの商品になっています。
実は、コロナ禍でお祭りなどが中止になり、扇子の売上が80%くらい落ちてしまったときがあって……。それでもルームフレグランスがあったからこそ、なんとか黒字で着地できました。
素晴らしいですね……!
商品開発だけでなく、町家を活用したサービス事業も展開されていますよね。
大西
はい。扇子の絵付けや、江戸時代に流行した「投扇興遊び」を体験していただくプログラムがあります。2024年からは海外の方向けに、お茶席体験やおくどさん(かまど)を使った料理体験も始める予定です。
体験のほかに、イベントや展示などを行うスペースとして、町家のレンタル事業も行っています。
体験やレンタルの事業を始めようと思ったのはどうしてですか。
大西
大西常商店が店を構えるのは、築150年の町家なんですけど、やっぱり維持管理や改修にすごくお金がかかるんですよ。
ありていに言えば、解体してマンションを建てて、1階を扇子屋にしたほうが、収益を生める。でも、そうしなかった両親を、私はすごく尊敬しているんです。
ご両親が大変な思いをして守ってくれた町家なんですね……。
大西
そうなんです。また100年後、200年後には改修が必要になる。その時のために私の代でも積み立てておかないといけない。
どうせなら、この町家を使って生み出した収益で、保存や修繕をしていけたらいいなと思って、体験やレンタルを始めました。
京都でも町家がどんどん減っている中で、多くの人に町家の歴史や文化を知ってもらう機会にもつながりますね。
大西
その通りです。飲食店などで商業利用されている町家はたくさんありますが、生活の場として使われてきた町家は実際にみられる機会も少なく、また別物だと感じていて。
この町家には今もおくどさんがあって、季節ごとに掛け軸やしつらえを変えるといった風習も残っている。そういう「血の通った町家」を見てもらいたいんです。
会社員時代に培った、調整力と本質を見極める力
大西さんは会社員の頃に商品・サービス開発の仕事をされていたわけではないですし、新しい取り組みに挑戦するのは苦労も多かったのでは?
大西
すごく苦労しています(笑)。もちろん失敗もありましたし。
でもこの業界は斜陽産業なので、新しいことをやらないと生きていけないんですよね。それに、扇子屋だけでは終わりたくない、自分が楽しいこと、新しいことをやっていたいという気持ちもあります。
伝統ある産業における新しい取り組みに対して、古くからの職人さんなど、周りの反対はありませんでしたか。
大西
昔からの社員さんたちが定年退職されて、若い社員に入れ替わるタイミングだったこともあって、特に社内での反発はなかったですね。
職人さんたちも、私が小さい頃からよく知っていて可愛がってくれている方が多いので、皆さん快く協力してくださっています。
昔からのお付き合いで築いてきた関係性があるんですね。
大西
はい。とはいえ、その関係性に甘えるのではなく、私もすごく気をつかっています。特に用事がなくても、こまめに顔を出したり、入院したと聞けば差し入れをしたり。
このお仕事は、商売をするだけじゃなくて、人と人とのお付き合いだと思っています。日頃の感謝を常に忘れずに、丁寧にコミュニケーションを取るようにしていますね。
今の仕事をする上で、会社員時代に身に付けたスキルは生かされていると感じますか。
大西
営業職として働いた経験は、今の仕事につながっていると思いますか?
大西
当時の上司から「僕たちは光回線を売っているんじゃない。そこに紐づく生活を売っているんだよ」と言われたことは、今でもよく覚えていますね。
「インターネットにアクセスすると、こんなふうに暮らしが豊かになりますよ」と訴求することが大切だと教わりました。
その教えを生かして、どんな営業をされていたんですか。
大西
たとえば、家電量販店に来たお客さまに「冷蔵庫の購入の際に光回線の契約をしていただくと、この有料の料理レシピ外部サービスを3カ月無料で利用でき、食の幅が広がりますよ」という提案をしました。
「いくら値引きします」とか「キャッシュバックします」といった提案だけではなくて、「光回線によって生活がより豊かになる」と訴求することを意識していましたね。
その考え方が扇子屋でも生かされているんでしょうか。
大西
そうですね。「本質って何だろう」と考える力がついた気がします。光回線を売ることの本質は、その先にある暮らしだったように、例えば器を売るなら、その本質は豊かな食生活や家族団らんの時間かもしれない。
じゃあ扇子の本質は何かと言われると、なかなか難しいんですけど。扇子を持つことで粋になれたり、上品になれたり、扇ぐ姿の美しさがあったり。
大西
「私たちが大切にしたいものは何だろう」「本質って何だろう」と、社員ともよく話すんですよ。
そうやって本質を見ようとする、ものの捉え方を学べたのは良かったなと思います。
光回線と扇子は全く違いますが、ものを売る、提案する、という意味では一緒なのかもしれませんね。
会社員時代もきっとご活躍されていたんだろうなと思いました。
大西
全然! ダメ社員でしたよ。しょっちゅう怒られていましたし、会社の駐車場で「行きたくない」って泣いてましたもん。これまでずっとキラキラで来たわけでは全くないですよ。
意外です(笑)。でも、会社勤めを経験して良かったと思いますか?
大西
そうですね。当時の経験が今につながっていますし、一度京都の外に出てみたのも良かったのかなと思いますね。
京都の文化も風習も、ずっとそこで育ってきたから、当たり前にあるものだと思っていましたから。
京都の外で出会った人たちと自分の街について話すときに「その文化いいね」「面白いね」と言ってもらって、改めて魅力に気づけたと思います。
京都の文化を次の時代につないでいくために
20代半ばで家業に入って、1年前に代表取締役に就任されました。これまで大変なこともたくさん乗り越えてきたと思いますが、モチベーションの源はどこにあるのでしょうか。
大西
代々受け継いできたものを預かる責任は、すごく重いものでしょうね。
大西
でも、楽しいですよ。自分が面白いからやれているっていうのが、やっぱり一番大きいです。疲れていても、お客さんと話すと元気になれますしね。
大西さんご自身が楽しんでいることが一番のモチベーションなんですね。
これから大西常商店をどんな会社にしていきたいですか?
大西
扇子は、伝統芸能などに支えられて、京都の文化の中で培われてきたもの。ただ扇子を売る会社というより、京都の文化を皆さんに広く伝えていく会社にしたいです。
だから、扇子を売るのも町家の体験を提供するのも、私がSNSで京都の風習について発信しているのも、目指すものは一緒。京都の文化を伝えたいという想いからです。
職人の高齢化が進む中、扇子の技術を次の時代に伝えていくこともとても大切ですから、自分たちのできる範囲で内製化も進めているところです。扇子の美しさが100年、200年先まで残ればいいなと思いますね。
会社勤めや京都の外での生活も経験されたからこそ、常に視野を広く持たれているんだなと感じました。今日はありがとうございました!
2024年5月取材
取材・執筆=藤原朋
写真=古木絢也
編集=桒田萌/ノオト