「分からなくなる」ことから仕事は始まる。美大の創業支援に学ぶ、自分だけの問いの見つけ方(武蔵野美術大学実験区・酒井博基さん)
生成AIの進化が加速した今、アイデアを出したり、ビジネスプランを考えたりすることは以前よりずっと簡単になりました。
一方で、「自分にしかできない仕事とは何だろう」「やりたいことをどう仕事につなげればいいのだろう」と悩む人は、むしろ増えているようにも感じます。
武蔵野美術大学の創業支援プログラム「武蔵野美術大学実験区」でプロデューサーを務める酒井博基さんは、そんな時代だからこそ、市場やデータだけではなく、その人自身の「ナラティブ」を起点にビジネスを育てることが大切だと語ります。
分からなさを受け入れながら、自分自身の問いを掘り下げていく。作品づくりを通して培われてきた美大ならではのアプローチは、AI時代の創造性や仕事づくりにどんなヒントを与えてくれるのでしょうか。

酒井博基(さかい・ひろき)
1977年和歌山県生まれ。武蔵野美術大学大学院修士課程修了。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科博士課程中退。 ナラティブを起点に、人・組織・地域の創造性をひらく方法論を研究・実践する「新視点研究所」と、プロジェクトデザインカンパニー「株式会社ディーランド」代表。「武蔵野美術大学実験区」「妄想実現課」「中央線高架下開発プロジェクト(コミュニティステーション東小金井)」など、企業・自治体・大学との共創プロジェクトを多数プロデュース。グッドデザイン賞ベスト100および特別賞[地域づくり]などを受賞。著書に『ナラティブモデル』(武蔵野美術大学出版局、2025年)がある。
ナラティブから始まる、美大ならではの創業支援
今日は、酒井さんがインキュベーションマネージャーを務めている武蔵野美術大学(以下、ムサビ)市ヶ谷キャンパス7階『Co-Creation Space 「Ma」(マ)』に来ています。
ここはどんな場所なんですか?


酒井
ここはムサビの創業支援や産学連携の拠点です。学生だけでなく、卒業生や社会人も利用できるコワーキングスペースにもなっていて、定期的にクリエイター同士の交流会やイベント、教育プログラムなども開催しています。
Maは2023年に、企業や自治体と連携しやすい都心型キャンパス内に開設され、学内にありながらも、社会と大学をつなぐ“開かれた場”として位置づけられています。

ムサビは多摩エリアの小平にもメインキャンパスがありますが、あえて都心にこうした拠点をつくったのはどのような理由があったのでしょう?


酒井
ムサビでは、卒業生の約3割が就職という形にとらわれず、作家活動やフリーランスなど独自のキャリアを切り拓いてきました。
そんな中、これまでのキャリア支援だけでは「自分の表現や専門性をどう仕事につなげていくのか?」という部分をカバーしきれなかったんです。


酒井
そこで、「クリエイティブ」と「ビジネス」をつなぐ新しい支援が必要だと考え、これまで美大であまり扱われてこなかったお金や仕事のつくり方などを学ぶ実践的な講座をスタートしました。
2023年度に東京都の「大学発スタートアップ創出支援事業」に採択されたことをきっかけに、これまでの取り組みを発展させる形で、「武蔵野美術大学実験区」としての創業支援活動が始まりました。
美大ならではの支援にはどんな特徴があるのでしょうか?


酒井
一般的な創業支援では、市場規模やターゲット、ビジネスモデルなどを整理しながら事業を考えていくと思います。もちろん、それは大切なことです。
ただ、私たちが同じようにやっても、他大学の後追いになってしまう。そこで、私たちは「確信」と「確証」を分けて事業を考えることにしたんです。
確信と確証?


酒井
「確証」とは市場規模やデータのように、客観的に説明できる根拠のこと。一方で、「確信」は自分の経験や感情から生まれる「どうしてもこれをやりたい」という内発的な動機です。
多くの事業は市場やデータといった「確証」から組み立てられることが多いですが、外部環境は常に変わり続けており、今ある市場が3〜5年後も同じとは限りません。
だからこそ、私たちは目まぐるしく外部環境が変化する時代に事業を継続するためには「これをやりたい」という一人称の視点が大切だと考えました。それを「ナラティブ(個人の物語)」と呼んでいます。

その人自身のナラティブを掘り下げることが、「美大にしかできない創業支援」につながっているということでしょうか?


酒井
はい。まだ言葉になっていないその人の中にある違和感や偏愛、どうしても手放せない感情を丁寧に掘り起こし、ビジネスにつなげていく。
そもそも美大の教育では「何をつくるか?」だけではなく、「なぜ、それをつくるのか?」を問い続けることが大切にされていて。作品制作を通して自分自身と向き合い、その背景にある想いや物語を探っていくんです。
そうやって一人称の視点から事業を考えることこそ、美大が得意としてきた強みと捉え、創業支援にも活かしています。
「分からなくなること」で自分だけの問いが見えてくる
自分自身のナラティブを掘り下げるために、具体的にはどのようなプログラムを行っているのでしょうか?


酒井
参加者一人ひとりにメンターが伴走しながら、対話を重ねていきます。時間をかけて、自分が心を動かされた出来事や違和感を言葉にしていくんです。途中、「いい意味で、自分が本当にやりたいプロジェクトが分からなくなりました」と言う人もいます。
それまで事業としてやるべきだと思っていたことと、自分が本当にやりたいことの間に、実はズレがあったと気づくんですよね。


酒井
でも、私たちは「分からなくなる」という状態を、とてもポジティブに捉えていて。
新しいものを生み出す過程では、むしろ一度分からなくなることが大切なんですよ。
どうしてですか?


酒井
日常の中で、私たちはさまざまなことを「分かったつもり」になっています。でも、その認識を一度解体して、改めて捉え直さなければ新しい価値は生まれてこない。
たとえば「グラス」と聞けば、誰でも同じようなものを思い浮かべますよね。でも、「何をもってグラスと呼ぶのか」と考え始めると、急に分からなくなりませんか?
何をもって、と聞かれると迷いますね。


酒井
そうなんですね。ガラスでできていればグラスなのか……?
それとも大きさが大切なのか?
そうやって既知のものを分解していくことで、初めて本質が見えてくるんです。
つまり「分かったつもり」を手放すことが、新しい価値につながるんですね。


酒井
そうなんです。だから、私は参加者から「分からなくなってきました」と言われると、思わず「いいですね」と返しています(笑)。
そもそも美大では、答えのない問いに向き合うので「分からなくなる」ことは、ごく自然なことなんですよね。
ただ、分からなくなったままではビジネスとして形にはならないのでは?
そこからは、どのように再構築していくのでしょうか?


酒井
まず、「自分は何を問題として捉えているのか?」を見つけます。
その後、ナラティブを掘り下げていくと、「どうやら自分はこのことに強く反応しているらしい」という輪郭が見えてくることが多いんです。


酒井
ある学生が、最初は「言葉では伝わりにくい情報を映像で伝えるプロダクションをつくりたい」と話していたんです。ただ、本人もまだその理由を言語化できていなくて。
掘り下げていくと、小さい頃から「見たものを正しい言葉で伝えなさい」と厳しくご両親に教えられてきたそうで。その経験から、彼の中には「言葉だけでは伝えきれないものを届けたい」という想いがあったんです。
そこで、事業のコンセプトも「映像をつくること」ではなく、「言葉では表せないイメージを届けること」へと変わっていきました。
「映像をつくりたい」というのは手段であって、見つけるべきだったのは、その人が向き合いたい問題だったんですね。


酒井
はい。やりたいことをそのまま事業にするのではなく、その奥にある「なぜ自分はこれを放っておけないのか」という動機を見つけていく。そこから、自分が向き合うべき問いを立てることで、事業の軸も見えてきます。
同じアイデアを思いつく人はいても、「なぜその問いに向き合うのか」という物語は、その人にしかないんですよね。だからこそ、その「問い」こそがその人にしか生み出せない価値やブランドにつながっていくと思います。
自分の中に研究所を持つ
プログラムの場作りで大切にしていることはありますか?


酒井
すぐに評価をしないこと、そして早い段階でまとめすぎないことですね。
あとナラティブを掘り下げるときは、グループワークではなく、ペアインタビューから始めることが多いです。
グループになると、どうしても周囲を意識して三人称の視点になりやすいんです。そこで「30分間、あなたの話をちゃんと聞きます」という2人組の時間をつくって、一人称で安心して話せる環境を整えるようにしています。

ちなみに、参加者の中には「やりたいことが分からない」という相談を受けることもあるのでしょうか?


酒井
よくあります。でも実は、やりたいことがないわけではなくて。
むしろ多いのは、自分が反応していることや違和感には気づいているのに、「こんなものは仕事にならない」と、自分で切り捨ててしまっているケースなんですよ。
そんな時は、仕事になるかどうかは考えず、まずは自分の中に「研究所」を持ってもらって、気になっていることを徹底的に研究してもらいます。


酒井
「これは研究だ」と思えば、すぐに答えを出す必要はありませんよね。でも、気になることを問い続けていくうちに、自分が何に関心を持っているのか、その輪郭も少しずつ見えてきます。
企業に研究所があるように、一人ひとりが自分の中に「研究所」を持ってもいいと思うんです。
生成AIによって簡単に答えを得られる場面が増えた今だからこそ、答えを探すことよりも、そうやって自分だけの「問い」を育てていくことが大切ではないでしょうか。
「偏・遍・編」が交わるところに共創が生まれる
私たちWORK MILLでも、社員に個人の問題意識から始まる共創プログラムを運営しています。
その中では、個人の想いを会社として取り組む意味につなげる難しさも感じていて……。会社員の場合、個人と組織のナラティブをどのように重ねていけばいいのでしょう?


酒井
大切なのは、個人のナラティブを無理に組織へ合わせすぎないことだと思います。まずは一人称の自分が反応していることを掘り下げたうえで、組織が持っている価値観やリソースと、どこで接点を持てるのかを考えていく。
その重なりから、「自分がやりたい」だけでも「会社としてやるべき」だけでもない、新しい事業の意味が生まれてくるはずです。
ちなみに、私たちはそうした接点を見つけていくことを「偏と遍の交点を編集する」と表現していて。
偏と遍の交点の編集……?


酒井
一つ目は、偏愛や偏りの「偏」。その人だけが持つナラティブや、どうしても反応してしまう感情のことですね。
二つ目は、普遍性の「遍」で、自分だけの物語をどうすれば社会へ開いていけるのか。
そして、その二つをつなぐのが編集の「編」です。企業同士の共創でも、一度「会社」という肩書きを外して、ひとりの人として対話すると、価値観の重なりや違いが見えてくる。
その違いをなくすのではなく、押し付けるのでもなく、その人同士の価値観を「どう編んでいくか」が重要だと思います。
自分の「問い」を知ることは、他者と新しいものを生み出す出発点にもなるんですね。


酒井
はい。個人のナラティブが誰かのナラティブと重なることで、チームの物語になり、やがて組織のナラティブへと育っていく。その積み重ねが、組織のパーパスや事業にもつながっていくと思います。
「自分らしさ」を自分の中だけで完結させるのではなく、誰かとの違いも楽しみながら、社会へ開いていく。そうすることで、一人では想像できなかった仕事や価値が生まれてくるのではないでしょうか。

【編集後記】
まさに今、WORK MILLでは「共創アンバサダープログラム」という、自らの関心ごとや違和感を起点に、組織や社会にとっての意義を重ね合わせながら、マイプロジェクトを実行できる人を育てていく取り組みを実践しています。
取材に伺うちょうど前日には、アンバサダーのキックオフがあり、「わたし」に向き合う時間をつくったのですが、「向き合ったことで、むしろ自分のやりたいことがわからなくなった」という声をもらったりして、私自身もちょうど不安に思っていたところでした。
ですが、むしろ「わからなくなる」ことのほうが大事なのかもしれず、すぐに答えを出そうとするのではなく、問いを立て続けることで、自分は何に心が動くのか、どんなことに価値を感じているのか、その輪郭を少しずつはっきりさせていくプロセスこそが大切なのだろうなと、今回のお話を聞いて感じました。
ぜひ今期のアンバサダープログラムが終了したタイミングで、酒井さんともう一度じっくりお話しさせていただきたいです!笑
(株式会社オカムラ WORK MILL 編集員 / 共創ディレクター 宮野 玖瑠実)
2026年7月取材
取材・執筆=吉野舞
撮影=小野奈那子
編集=鬼頭佳代(ノオト)


