働く環境を変え、働き方を変え、生き方を変える。

WORK MILL

EN JP

まずは自分の権力性を自覚すること。「意味の占有」をヒントに考える、職場でフラットな対話を実現する方法(哲学者・三木那由他さん)

「本音で話して」と伝えているのに、面談で部下が萎縮している気がする。立場の異なる人と、対等に話すことが難しい。

私たちが職場でコミュニケーションに悩むとき、そこには、一見わかりづらい権力の差や属性の違いが存在していることがあります。では、私たちが働く場所において本当に「フラットな対話」をするために、何を意識すればよいのでしょうか?

今回は、日常会話やフィクションの言葉などを手がかりに言語哲学を研究されている哲学者の三木那由他さんにインタビュー。

三木さんは著書『言葉の展望台』(講談社)で、コミュニケーションにおける関係性の不均衡がもたらす「意味の占有」について述べています。これは、さまざまな立場や属性の人が集まる組織において起きやすい「独り占め」であり、同時にフラットな対話を実現するためのヒントにもなり得るもの。

「意味の占有」がもたらすコミュニケーションの構造と、あらゆる他者と対等な対話を築くための心がけを伺いました。

三木那由他(みき・なゆた)
大阪大学大学院講師。専門分野は分析哲学、特にコミュニケーションと言語の哲学。著書に『グライス 理性の哲学』(勁草書房)、『言葉の展望台』(講談社)、『会話を哲学する』(光文社新書)などがある。

聞き手が意味を独り占めしてしまう「意味の占有」

そもそも「意味の占有」とは、どのような意味の言葉でしょうか?

三木

私たちが普段おこなっているコミュニケーションは、何かを発言することで何かを意味し、それを相手が受け取ることによって成り立っています

私は研究の中で、発言の意味は話し手だけが勝手に決められるものではなく、話し手と聞き手が共同で調整しながら決めていくものなんじゃないか、と考えてきました。

なるほど。

三木

その上で、話し手よりも聞き手のほうが強い立場にある場合、聞き手が自分にとって都合のいいように発言の内容をねじ曲げてしまうことがある。

そして、結果的に話し手が自分の意に反する何かを意味したことにされてしまうケースがあります。これが「意味の占有」です。

一言でいえば、聞き手が意味を独り占めしてしまう、ということですね。

聞き手が意味を独り占めしてしまう……。

具体的には、どのようなことが起きうるのでしょう?

三木

たとえば、私が誰かから本を借りて「すぐに返すね」と伝えたとします。

私にとっての「すぐ」が仮に1年以内だとしても、相手にとっての「すぐ」が1週間以内だった場合、相手は1週間ほどで「そろそろ返してくれない?」と言ってくるかもしれません。

そのとき、お互いに「私は1年以内のつもりだった」「こちらは1週間くらいだと思っていた」と交渉をおこない、改めて同意が形成されていくのが理想的なコミュニケーションだと思うんです。

お互いにとっての「すぐ」の意味をすり合わせていく、ということですね。

三木

はい。しかし、本を貸している人=聞き手が強い立場にいると、「1週間以内に返してくれるはずだったよね」と一方的で都合の良い解釈が固定され、借りた方=話し手はその解釈に合わせ行動せざるをえなくなるケースがあります。

すると、聞き手は最初にコミュニケーションをとった時点では予定されていなかったことをおこなう義務を背負わされてしまいます。

お互いの認識だけでなく、立場の上下や強弱によって不均衡なやりとりになってしまう。「意味の占有」は、そんな状況をもたらします。

「意味の占有」は、上司・部下の関係に限らず起きうる

職場においては、上司が聞き手、部下が話し手である場合、立場の違いから「意味の占有」が問題化しやすくなりそうです。

三木

そうですね。「“すぐに”と言った仕事なのに、どうして1週間で終わっていないんですか?」と上司に聞かれたとします。

部下としては「1週間が締め切りだとは思っていなかった」としても、職場の環境によっては反論が非常に難しい。

結果として、部下は自分が想像もしていなかった約束を破ったことにされてしまい、謝らなくてはいけなくなる。これは職場でも考えられるケースだと思います。

「意味の占有」は、上司・部下という関係に限らず起きうるのでしょうか?

三木

最近読んだ資料の中で、こんな例がありました。

女性の上司が男性の部下に出した業務上の指示が「お願い」程度の軽いものだと解釈され、部下に指示を蔑ろにされてしまった。

女性の上司が「これをしてください」と明確に伝えているのに、男性の部下が勝手に「しなくてもいいだろう」と判断してしまう、ということでしょうか?

三木

はい。さきほどの上司・部下の話とは立場が逆転しますが、これはマイノリティである女性が軽んじられており、ジェンダーによる差別と結びついた「意味の占有」の例になると思います。

そうなると業務が滞るのはもちろん、きちんと指示が果たされなかったために部下を注意した上司が「感情的な人」などと一方的に判断される場合もある。

そして、職場において否定的な評価の対象になってしまうこともありえます。

属性への偏見ゆえに、信頼が低く見積もられてしまうことも

「意味の占有」以外にも、話し手と聞き手の間に力の差がある場合に起きやすい、コミュニケーション上の問題はありますか?

三木

ミランダ・フリッカーという哲学者が提唱した概念で、最近特に注目を集めている言葉に「認識的不正義」と呼ばれているものがあります。

初めて聞く言葉ですが、どういう意味ですか?

三木

私たちは普段、コミュニケーションを通じて自分の知識を他者に伝えたり、蓄積したりしています。

しかし、実は権力構造や属性などにより、そのアクセスのしやすさに差が出ているのではないか、とフリッカーは問題提起したんです。

具体的にどんなケースにあたるのでしょうか。

三木

アメリカの作家 ハーパー・リーによる小説『アラバマ物語』の中に、黒人の登場人物の裁判での証言が、白人の証言と同じようには信頼されず、結果的に自分の知っていることを伝達する能力が十分に発揮できなくなってしまう場面があります。

その人物は、黒人という属性ゆえに知識を伝達・蓄積する営みから排除されてしまっているわけです。

属性への偏見のために証言が信頼されない、ということですね。

三木

フリッカーは、こういった問題は認識的不正義の一種の「証言的不正義」であると指摘しています。

仕事の会議などにおいても、女性の提言はまともに受け取ってもらえないにもかかわらず、同じ話を男性がしたらすぐに承認される、といったケースはこれまでも数多く報告されてきました。

実際の知識の有無とは無関係に、属性への偏見ゆえにその人の信頼性が低く見積もられ、結果的に情報伝達の営みに参加しづらくなってしまっているわけです。

職場においてフラットな対話を実現するためには?

「意味の占有」や「認識的不正義」のような現象は、さまざまな立場や属性の人たちが集まる職場では、特に起こりがちではないかと思います。

職場においてフラットな対話を実現するには、どのようなことを意識すればよいのでしょうか?

三木

原理として、力関係の差や偏見がない社会になれば、職場においても「フラットな対話」は実現するでしょうね。

けれど、それはあまり現実的ではないとも思うんです。

たしかに。どのような場においても、権力を持っている人とそうでない人は必ず出てきてしまいますよね……。

三木

はい。もちろん、偏見や差別の解消のためには、各々が努力するべきことではあります。

だから私は、「どうしたらフラットな対話が成り立つか」を考えるよりも、「関係性というものは基本的にはフラットではない」と認識した上で、それぞれが自分の持っている権力性に自覚的になることが大切だと思うんです。

その上で、「いま相手は発言しづらくなっていないだろうか」「自分は相手に威圧感を与えていないだろうか」といったことを、その都度きちんと考えていくのが現実的じゃないか、と。

たとえば、職場では上司が部下と一対一で面談やミーティングをすることがしばしばありますよね。

そういうとき、部下に萎縮せず話してもらうためには、上司はどのような態度を心がければいいのでしょう?

三木

運よく、お互いの権力差を感じさせないくらいの信頼関係を構築できていれば、部下も本音で喋ってくれるかもしれませんが……。なかなか難しいかもしれませんね。

だから、この場合も「おそらく部下から本音は出てこない」と最初に認識する必要があると思います。

たしかに、「そもそも上司に本音は話しづらい」と認識するのは大切かもしれませんね……。

三木

そうですね。

私は、「どんな情報が伝わるか」よりも、「そのコミュニケーションによって、その後お互いにどのような振る舞いをしていくことが決まったか」が大事だと思うんですよ。

会話によってどのような約束が生まれたか、ということでしょうか?

三木

はい。たとえば一対一のミーティングで、部下がなんらかの目標を立てたとします。しかし、その後の進捗が思わしくない。

その場合、「あの場では『できます』と言っていたけれど、無理して言っていたのかもしれない」などと上司はあとから気づくはずです。

ここで相手を一方的に非難するのではなく、部下はその目標をどのように理解しどういうつもりで動いていたか、といった弁明の機会をきちんと設けることが大切だと思います。

上司の解釈だけを押しつけるのではなく、その都度すり合わせていくということですね。

三木

そうです。コミュニケーションにおいてズレが生じると、私たちはつい「相手が約束を破った」などと思いがちですよね。

しかし、実際には相手が不合理なことをしたというよりも、単に発話の意味のすり合わせ不足であった可能性が高い。

だからこそ、「相手の行動を戒めよう」と考えるのではなく、「コミュニケーションが足りなかったところを、これからすり合わせていこう」と捉えるほうが建設的だと思います。

コミュニケーションは「私とあなた」に留まらない

一見フラットな立場と思われがちな同僚やチームメンバーであっても、ジェンダーや属性など、目に見えづらい違いや不均衡が生じ、フラットな対話をすることが難しくなるときもありそうです。

三木

上司・部下という立場の差は誰にとってもわかりやすい一方で、男性と女性、異性愛者とそうでない人、健常者と障害者など、一見気づきにくいけれど存在する力の差はたしかにあります。

特に女性、異性愛者ではない人、障害者といったマイノリティ属性を持つ人は、これまでに人から誠実に話を聞いてもらえなかったという経験を嫌というほど重ねてきているケースも少なくありません。

そのようなとき、相手とコミュニケーションをとる上で意識したほうがよいことはありますか?

三木

仮にマジョリティに当たる人がフラットな態度で接したとします。

それでもマイノリティに当たる人は、これまでにネガティブな経験を蓄積してきたせいで、自分がへりくだり、相手に譲るコミュニケーションをとる可能性があります。

「どうせまともに聞いてもらえないから、最初から下手に出ておこう」と考える人もいるかもしれない、ということでしょうか。

三木

そうですね。そういった、制度上は対等なはずなのに生じてしまうフラットではない会話に関しては、その場でのコミュニケーションを工夫するだけでは解消されません。

より広い範囲で情報収集をし、さまざまな属性のマイノリティが辿ってきた歴史や社会問題をきちんと認識することでしか、権力差がある中での誠実なコミュニケーションへの道は拓けないのではないかと思います。

「制度上はフラットなはずなのだから、マイノリティに気を遣う必要はない」と考えたり、見えづらい権力差をむしろ利用してコミュニケーションをとってきたりする人も、中にはいるように思います。

そういった人が職場にいた場合、どのようにアプローチすればよいと思いますか?

三木

難しい問題だとは思うのですが……。

コミュニケーションって基本的に、「私」と「あなた」の間の話を想定しがちですよね。

そして、仮に自分の話が相手に伝わらなかった場合、「うまく働きかけてどうにか相手の態度を変えてもらおう」と考えると思うんです。

たしかに、そうですね。

三木

けれど私は、コミュニケーションは「私」と「あなた」だけに限らず、周囲の人の行動傾向の組み立てや修正にも関わっていくものだと捉えています。

……というと?

三木

わかりやすく言うと、仮にAさんが自分の話を聞き入れてくれなかったとします。

でも、「私」とBさんと関わる中でBさんの行動が変わり、Bさんの影響でCさんの行動が変わっていく……という可能性は十分にあるということです。

そのように周囲の人たちの影響を受けていけば、頑固だったAさんもいずれ、態度や言動を多少は変えてくれるかもしれません。

なるほど。周りが徐々に変化していく中で、Aさんも「あのときの自分、よくなかったな」などと気づくかもしれない、と。

三木

はい。たとえば、「全員が異性愛者である」という前提で話す同僚がいるせいで、家に同性のパートナーがいることを隠さざるをえない人が職場にいるとします。

その人は、その同僚に直接「全員が異性愛者だと決めつけるのはどうなの?」と言いづらい。でも、信頼できるほかの同僚にならそういった話をできるかもしれない。

すると、影響を受けた周囲が言葉遣いなどを少しずつ変えてくれることが期待できます。

周囲から少しずつ圧力をかけていく、というイメージでしょうか。

三木

そうですね。圧力というと悪いものを思い浮かべますが、ときにはそのようにポジティブな影響をコミュニティに与えてくれる場合もあります。

コミュニケーションは単なる一対一の情報伝達ではなく、その後の行動変容や行動傾向の形成にも関わっていく、ということはぜひ覚えていていただけたらと思います。

2024年5月取材

取材・執筆=生湯葉シホ
アイキャッチ制作=サンノ
編集=桒田萌/ノオト