意味を創造し、イノベーションを生み出すプロセスと組織文化 ー 世界を一歩前進させるデザイン #2
2021年10月14日(木)、産総研デザインスクール主催で「Designing X ━ 世界を一歩前進させるデザイン」を開催しました。全5回シリーズの2回目は「意味のイノベーションのデザイン」をテーマに、意味のイノベーションの提唱者であるロベルト・ベルガンティ氏、そしてベルガンティ氏の著作『突破するデザイン』の監修・翻訳を務めた安西洋之氏がご登壇。250名を超える参加者が集まり、イベントは大盛況となりました。
「意味のイノベーション」は、プロダクトやサービスに”意味”を与えイノベーションを起こす方向として、世界中から注目を集めています。本シンポジウムでは、その全体像を共有しながら、「デザイン」を取り巻く世界の変化を見ていきました。
ー Roberto Verganti (ロベルト・ベルガンティ)
ストックホルム経済大学 House of Innovationのリーダーシップとイノベーションの教授、ハーバード・ビジネス・スクールでデザインの理論と実践を教える。イタリア・ミラノ工科大学経営学部の研究室『Leadin’Lab』の共同設立者。欧州委員会のEuropean Innovation Councilの諮問委員を務める。リーダーシップ、デザイン、テクノロジー戦略を専門とし、ユーザーとクリエイターの両方から愛されるイノベーションを生み出す方法、リーダーや組織によるビジョンの生み出し方や実現方法を研究している。著書に 『Overcrowded. Designing Meaningful Products in a World Awash with Ideas』(MIT Press)、邦訳『突破するデザイン』(日経BP)、『Design-Driven Innovation』(Harvard Business Press)、邦訳『デザイン・ドリブン・イノベーション』(クロスメディア・パブリッシング)。
ー 安西洋之(あんざい・ひろゆき)
モバイルクルーズ株式会社代表取締役。De-Tales Ltd.ディレクター。東京とミラノを拠点としたビジネスプランナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。同時にデザイン分野との関わりも深い。2000年代からカーナビなどの電子機器インターフェースの欧州市場向けユーザビリティやローカリゼーションに関わり、デザインを通じた異文化理解の仕方「ローカリゼーションマップ」の啓蒙活動をはじめた。2017年、ベルガンティ『突破するデザイン』の監修に関与して以降、意味のイノベーションのエヴァンジェリストとして活動をするなかで、現在はラグジュアリーの新しい意味を探索中。また、ソーシャル・イノベーションを促すデザイン文化についてもリサーチ中である。近著に『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)、訳書にマンズィーニ『日々の政治』(BNN)。
イノベーションが生まれにくいのは、アイデアが溢れすぎているから
一人目のゲストスピーカー、ロベルト・ベルガンティ氏は日本のものに囲まれた海外のオフィスよりご登壇いただきました。「日本の文化が好き」と笑顔を見せながら、意味のイノベーションに関する最新の話題へ。ベルガンティ氏は「私たちはイノベーションの方法自体をイノベーションする必要がある」と語ります。
ロベルト・ベルガンティ(以下、ベルガンティ): 10年ほど前まで、イノベーションの典型的なイメージはこのようなものでした。真っ暗な世界で新しいものを生み出そうともがき、最終的に誰かがアイデアを見つける。当時、私たちの世界には情報が少なく、たくさんのアイデアを集めることでイノベーションが生まれていました。
しかし今、私たちが生きる世界はどうでしょうか。Googleで検索すれば多くの情報データが見つかり、今ここで参加者の皆さんから何百ものアイデアが出てくるでしょう。それでも多くの会社組織が「決定的なアイデアが欠けている」と訴えるのはなぜか。それはあまりにも多くの情報やアイデアが溢れ、”明るすぎる”ために見えなくなっているからです。
愛されるイノベーションとは
アイデアや情報が溢れる時代において必要なのはアイデアそのものでなく、「意味の方向を変える」ことだとベルガンティ氏は言います。意味の方向を変えた結果、人々に愛されたイノベーションの成功事例を二つご紹介いただきました。
コントロールを手放したサーモスタット
一つ目の事例は、ネスト社が開発したサーモスタットです。従来のサーモスタットは「人々は温度をコントロールしたがっている」という前提に立ち、ユーザー自身で温度調節できるようにデザインされたのに対し、ネスト社のサーモスタットはスイッチのオン/オフだけのシンプルなデザインに。家族の行動パターンを学習するプログラムが搭載され、自動で温度を調節してくれます。
ネスト社はサーモスタットを自分でコントロールすることよりも、「家族とより心地よい時間を過ごすこと」に意味を見出しました。ネスト社のサーモスタットは多くの人に支持され、2014年、グーグルに32億ドルで会社を売却しました。
病院も患者も恩恵を受けるMRI
ヘルスケア分野の事例として挙げられたのは、フィリップス社のMRI。これまでMRIには「より強力で素早い処理」を求められましたが、フィリップス社は「患者(子ども)がよりリラックスできる」デザインを追求しました。RFIDという自動認識技術を導入し、MRIの中でジャングルや海のイメージを映し出せるようにデザイン。患者はリラックスして検査中の動きが少なくなり、画像の質が向上する結果となりました。
ベルガンティ : ネストのサーモスタットとフィリップスのMRIの例から、時間の経過や新しいテクノロジーの登場により、異なる意味の方向を持つようになることがわかります。
デザインという言葉はラテン語の「Designare」を起源としています。ものごとに意味を与える、割り当てるという意味です。つまりデザインとは、変わり続ける文脈のなかで意味を創造することなのです。
意味のイノベーションのマインドセットとプロセス
ベルガンティ氏は「問題解決をめざすイノベーションと、意味を創造するイノベーションのマインドセットは異なる」としたうえで、問題解決をめざすイノベーションの代表例であるデザイン思考の限界を指摘します。
ベルガンティ: 問題解決をめざしたイノベーションをする時、私たちは通常ユーザーがどのように商品を使っているか観察し、意見を聞くことから始めます。確かにユーザーはものごとを改善する助けになりますが、意味の変化に関してはそうでないことがほとんどです。
サーモスタットの例で言えば、競合企業も実はネストと似たようなアイデアを持っていて、プロトタイプのテストまで行っていました。しかしユーザーに意見を聞くと、「サーモスタットにコントロールされるより、サーモスタットをコントロールしたい」と返ってきた。アイデアもプロトタイプもあったにも関わらず、ネストの路線には行かなかったのです。新しい意味は、外からもたらされるものではありません。
意味のイノベーションのプロセスの起点は内から外へ、「インサイド・アウト」のアプローチだといいます。自分の内なるビジョンから始まり、ペア、さらに輪を広げてサークル、解釈者ラボへと広がるプロセスを解説いただきました。
ベルガンティ: Appleのスティーブ・ウォズニアック氏は自分のビジョンから、パーソナルコンピューターを作りました。彼は「自分が愛さないものを人が愛するわけがない」と言います。意味のイノベーションでは、自分が内側にあるビジョンから始まるのです。
しかし、これだけでは十分ではありません。自分が愛するものをデザインしても、実際に人々が愛してくれるかわかりませんよね。自分の内側の解釈と人々の期待を合わせていく必要があります。
ネストのサーモスタットを生み出した二人の起業家も、当初二人が見ているレンズが違いました。しかし正誤を判断するのでなく、お互いの差を見つめてリフレーミングを行うことで、「我々が欲しいものは家族との充実した時間だ」という新たな意味を作りだすことができたのです。
私たちを、世界をよりよくするデザインへ
ベルガンティ氏によるプレゼンテーションの最後には、今後のデザインの世界についての提言で締めくくられました。
ベルガンティ : デザインの未来について、第二の革命が起きています。過去20年間はデザイン思考の独壇場でした。デザインがビジネスに近づいたという意味では成功です。
しかし、意味が深まったか、世界がよりよくなったかと問われれば、それは疑問です。私たちは今極めて複雑な課題を抱えています。例えば17個の持続可能な開発目標(SDGs)はユーザーの問題ではなく、人類全体の問題です。デザイン思考だけでは到底達成できないでしょう。リーダーたちにはユーザーという狭い視点ではなく、世界をよりよい場所にするための広い視点が求められます。
ハーバード・ビジネス・スクールのとある学生が出した素晴らしいマニフェストを紹介したいと思います。「Our better selves ━ よりよい私たちのためにデザインする」。一人のユーザーのためでなく、デザイナー自身も含めた私たち、つまり社会全体のシステムをデザインする。私たちの社会へ贈り物を届けるのです。
イノベーションの前提にある、人の尊厳へのまなざし
続いては、ベルガンティ氏の著書『突破するデザイン』の監修に携わり、東京とミラノで意味のイノベーションのエヴァンジェリストとして活躍する安西洋之氏がご登壇。ここ数年の日本における意味のイノベーションの理解や議論を踏まえ、「人の尊厳」の視点に光を当てます。
安西洋之(以下、安西): 意味のイノベーションは、既存の問題解決では満たされない人々の関心を引きました。例えば市場データに過度に依存した意思決定を疑問視する人々は、意味のイノベーションが採用するインサイド・アウトのアプローチが味方してくれると感じる傾向にあります。また『突破するデザイン』の出版時期はアート思考のブームと重なり、その相性のよさからゼロから何かを生み出そうとする人々に歓迎されました。
しかし気になるのは、『突破するデザイン』の終盤、ベルガンティ氏が人材教育を強調しているのに対し、そこに関心を持つ人が少ないことです。意味のイノベーションはビジョンを考えることから始まるので、必然的にオーナーシップ、リーダーシップに繋がります。この点があまり顧みられずに、インサイド・アウトの「一人で考える」ことがメソッド的に把握されているように思います。
イタリアにブルネロ・クチネリという実業家がいます。1978年にファッションブランドを創業し、現在はエルメスと同等のブランド価値があると言われています。彼は「人の尊厳を重んじることが、創造性を発揮させる」ことを信念とし、人の尊厳を奪うことなく利益を生み出す「人間主義的経営」を行なっています。これと同じレベルで意味のイノベーションの「一人で考える」を理解してほしいと考えています。
意味のイノベーションを生み出すデザイン文化
安西氏はもう一つ、ベルガンティ氏の1冊目の著書『デザイン・ドリブン・イノベーション』で登場するデザイン・ディスコースを取り上げ、意味のイノベーションにおけるその重要性を説きます。安西氏はデザイン・ディスコースを「解釈者たちと社会や文化、技術などの複数の側面をベースに、認識や探求などについて、議論する非公式なプロセス」と説明したうえで、イノベーションを推し進めた背景を解説します。
安西 : 『デザイン・ドリブン・イノベーション』では、20世紀後半のミラノデザインが成功した要因を経営学的な視点から分析しています。ミラノとその周辺の産業集積地・ブリアンツァにおいて、中堅企業は起業家や専門家、アーティストや学者とのネットワークを通じてデザイン・ディスコースを形成しており、意味のイノベーションに有効だと述べています。多様な人々がソーシャルライフの場で意見交換をして、企業の経営者がそれを統合しているのです。
ただ、このデザイン・ディスコースはどこでも簡単に適応できるわけではありません。ミラノとその周辺の地域はデザイン文化(プロジェクト文化)のコードをわきまえた起業家や専門家がいて、デザインの黄金時代を築くことができた。意味のイノベーションをユニバーサルに適応していくには、暗黙知を明示する必要がありました。
2冊目の著書『突破するデザイン』では、個人から始まってペアになり、サークル、解釈者ラボへと内から外へ広がると説明しています。解釈者ラボの記述が少なくその重要性が下がったと誤解されることがありますが、これはあくまでその一部分をより詳細に可視化したもので、デザイン・ディスコースの重要性は変わっていません。
また、ビジネスの対象や関係者が広がることによって、デザイン文化の重要性が増すとともに、異文化に対する配慮が一層求められると安西氏は指摘します。このような変化のなかで、私たちはどのような姿勢が求められるのでしょうか。
安西 : この数年、文化の盗用が盛んに話題になりますが、デザイン・ディスコースにおいて異文化理解が十分でないことを示唆しています。異なる文化圏、分野の人が、ある事柄をどう認識しているのかを知ることがビジネス上も重要になります。
企業やテクノロジーから、社会の人々が主体になりつつある今、デザイン・ディスコースあるいはデザイン文化という言葉が指すのは、人々がフラットに並んでいる状況です。そのような状況では、誰もが適宜リーダーシップをとる姿勢が求められます。
パネルディスカッション:日本における意味のイノベーションの可能性
シンポジウムの後半では、産総研デザインスクール事務局の大本綾氏がモデレーターとなり、ベルガンティ氏と安西氏のパネルディスカッションを展開しました。人材育成、組織文化、技術の観点から、日本における意味のイノベーションの可能性を探ります。
デザイン文化をリードする人材育成
大本: 人々が意味に目を向けるプロセスにおいて、不確実で複雑なものに対する許容度の高さが求められます。一方で、日本の組織ではどちらかというと不確実な状況を避ける傾向があります。不確実性を受容しながら、デザイン文化をリードするための人材育成についてアドバイスを頂きたいです。
ベルガンティ: イタリアでデザイン文化を形成できた理由の一つに、リスクに対してオープンであることが挙げられます。それはカトリックの宗教観が大きく影響していると思います。カトリックの特徴は「許し」で、人の間違いを許容する文化があります。
日本における不確実性に対する恐れとは、過ちや間違いを犯すことへの恐れではないでしょうか。意味のイノベーションのプロセスでは、異なる視点を持ってフレームを変え続けることが重要です。リーダーは正しい、正しくないというジャッジは一旦脇に置いておく必要があります。
安西: 日本ではよく「失敗を恐れるな」と言いますが、余白や余裕がポイントのように思います。キーワードは「リラックス」です。ぜひイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』を見てください。ナチスに追われたユダヤ人が強制収容所に連行される物語ですが、強制収容所のような経済的にも精神的にも厳しい空間であっても、リラックスすると新しいものの見方ができるのだと気付かされます。
しかし、それほどの過酷な環境を生き抜くのは簡単ではないでしょう。そんな時に考えるべきは、世の中には異なる文化があると知っておくこと。異なる言語にはそれぞれの習慣、考え方があると知っているだけで人は随分とリラックスできます。
大本: リラックスすることで、お互いの違う点を受け入れ、その違いに対して好意的な眼差しを向けることができますね。「同じでなければいけない」という考えは緊張感を生み出し、失敗への恐れにも繋がるのかもしれません。
意味のイノベーションの実践、上層部との関わり方
大本: 参加者の方から質問です。 大企業でイノベーションを支える人々は、実は意思決定権を持てず、変わらない上司の指示のもとで疲弊しているように思います。一方で、意思決定を行う人々はなかなかプロセスに関わろうとしません。意思決定者のマインドセットを変えるためには何が重要でしょうか。
ベルガンティ: 組織でプロジェクトを進めるとき、最初の段階で上層部のリーダーに入ってもらいます。ポイントはライトに始めること。例えば意思決定者たちを解釈者ラボに招いて、チームの一員になってくださいとお願いします。そこで彼らもインサイド・アウトになる機会があるのです。
重要なのはリーダーに「あなたがどちらが正しいか、決めてください」と聞くのではなく、「あなたにはどう見えますか」と聞いてフィードバックをもらうことです。継続的にプロセスを経験していくと、リーダーにとって重要な気づきの瞬間があります。
大本: 上司に対して何かを相談するときに「報連相」が大事だと日本の組織ではよく言われることですが、意味づけをする場面でこまめに上司を巻き込むことが大事ですね。
安西: 何万人の大きな会社だろうと、皆人間です。ヨーロッパの会社にもヒエラルキーはありますが、「人間である」ことが根底にあるから、上司と部下ではなくて「同僚」という言い方をします。この感覚を持つことから始めていきたいですね。
日本組織へのエール
パネルディスカッション最後の問いは「日本の技術力と意味をどのように結びつけることができるか」。ゲストスピーカーの二人から日本組織へのエールを送っていただき、シンポジウムは幕を閉じました。
安西: 技術の開発を一方的に頑張ったとしても、社会に浸透するタイミングはコントロールできません。 ただ、一つひとつの試みがどこかで花咲く時が来るわけです。長いサイクルの中で、自分たちが今どこの部分の試みをしているかを意識できるといいと考えます。
ベルガンティ: 日本の文化は意味に深く根付いていると思います。お茶碗、漫画など日本のものには細部に至るまでたくさんの意味が込められていますよね。私はサステナビリティの意味を説明するとき、例として日本の風呂敷をよく使っています。何度も使えて、しかも美しい。素晴らしい例だと思います。
テクノロジーの面でも、日本の原点に戻ってみてはいかがでしょうか。テクノロジーとクラフトの二つの世界を繋げていくことに、日本の大きな可能性があると思います。
Designing X ━ 世界を一歩前進させるデザイン とは
産業技術総合研究所が企画運営する産総研デザインスクールの主宰で、「Designing X ━ 世界を一歩前進させるデザイン」と題する全5回のオンラインシンポジウムを開催します。今日よりも明日、今年よりも来年、その先の未来を少しでもよりよい世界にするためのデザインを探求していきます。ここで用いる「デザイン」は見た目の美しさを表す意味にとどまらず、システムの設計、社会の構想にいたる広義のデザインを意味しています。
本シンポジウムでは、毎回異なる領域「X(エックス)」で活躍するゲストをお招きし世界を一歩前に進めるための実践知を共有いただきながら、ゲストや参加者の皆さまと共にこれからの時代のあり方を探っていきます。
『Designing X ━ 世界を一歩前進させるデザイン』第3回目は、2021年11月17日(水)に開催。テーマは「公共空間のデザイン 」です。デンマークの首都コペンハーゲンにある廃棄物発電所と屋上スキー場を組み合わせた世界初の施設「Copenhill(コペンヒル)」の開発プロジェクトで実行責任者を務めたPatrik Gustavsson氏をお招きし、大型プロジェクトの全容と多様なステークホルダーと歩んだ共創プロセスについてお話しいただきます。次回のレポートもお楽しみに。
2021年10月取材
2021年11月17日更新
テキスト:花田奈々
グラフィックレコーディング:仲沢実桜