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オランダで実現したヘアサロンの新しい働き方。誰もが持つ「自分の絶対」を信じて

オランダで美容サロンBlatto.(ブラット)を経営する渋谷卓実氏は、学生の頃から「いつか海外に出たい」と漠然と考えていた。

転機が訪れたのは2017年。当時勤めていた会社がオランダに店舗を構えることになった。オランダに来た当初はそのサロンに勤めていたが、縁あって独立。海外でのサロン経営を始めた。

顧客ゼロからマーケティングを始めたBlatto.は、高単価にも関わらず現地の顧客を獲得し、コロナ禍を経ても盛況。また、スタッフの中には週4勤務でも十分な収入を得ている人や、一ヶ月半の休暇を取った人もいる。日本では珍しい働き方ではないだろうか。

柔軟な働き方を可能とする経営スタイルの根底には、渋谷氏が思い描いてきた「美容師の自由で新しい働き方」への渇望があった。

海外で働くということ、そして渋谷氏が思い描き実践する新しい働き方についてうかがった。

オランダで顧客ゼロからスタート。高い技術を誇るスタイリスト集団

Blatto.はオランダのアムステルダムとロッテルダムに店舗を構える。両都市はオランダの中心的な都市で観光地としても有名だ。

可愛らしい住居が立ち並ぶアムステルダム

店名の「Blatto.(ブラット)」には、「ブラっと気軽に入ってきてもらえるように」と願いを込めた。2018年2月にオープンして今年で5年目を迎える。

日本人が経営する美容室なので、顧客も日本人が中心かと思いきや、現地や非日本人の駐在員・移民が中心と聞いて驚いた。オランダには現地人が経営する美容室も多数あるなかで、顧客ゼロの状態からどうマーケティングしてきたのだろう。

渋谷氏「Blatto.を始めるときに、日本人が経営するヨーロッパ中のサロンを調べました。その時に気づいたのは、どんな人が働いていて、どんなカットができるのかわかりにくいということ。

そこで地道にSNSにカットやカラーの写真をアップし、Blatto.のデザインを感じてもらえるようにしました。写真をポストするときは、スタッフのアカウントにタグ付けも行っています」

渋谷氏「うちのお店の特徴に『単価を高めに設定すること』があります。

低価格だと必然的にスタッフ1人当たりの仕事量を増やさなければいけません。1人のスタッフが月に可能な仕事量は、100人のカットがせいぜいでしょう。収益を上げるためにはアシスタントをつけて、さらに多くのお客様に対応する必要があります。

しかし、低価格で回転率を速くするような仕事は、体力的にも精神的にも負担がかかります。気持ちに余裕がないことで、スタイリストの仕事が疎かになってしまわないか心配でした。

そこで、カットの最低価格は70ユーロ(約1万円)と現地の価格感からするとやや高めに設定しています。そして基本的に一人のスタッフがシャンプーからカット、カラーまで全ての作業を担当します」

さらに予約時金の一部を前払いしてもらい、24時間以内にキャンセルになると全額支払いのキャンセルポリシーも設けている。日本のサロンの中には「当日キャンセルは全額支払い」と掲げていても、顧客に「どうしても予定がつかなくなった」「何とかならないか」とお願いされてしまうと、要求に応じてしまうところもあるそうだ。

渋谷氏「キャンセルが発生すると、その時間分が空白になってしまい収益が発生しません。飛行機やコンサートはキャンセルになっても払い戻しはないですよね。僕は、スタイリストの価値を低く見るような働き方は絶対にさせたくないんです」

それでも閑古鳥が鳴かないのは、確かな技術を持っているからだ。

渋谷氏「極論、ダサいか・ダサくないかなんです。お客様の要望に答えつつ、自分がイメージしたスタイルができる人、『なぜこのスタイルにしたの?』と僕が問いかけた時にきちんと意図を説明できる人と一緒に働きたいと考えています」

一人ではできないことを、フリーランス同士が協力して実現する

現在、アムステルダムで働くスタッフは4人、2019年11月にオープンしたロッテルダムは3人だ。

スタッフは全員フリーランスとして契約している。

渋谷氏「僕自身、日本にいた頃からフリーランスで働いていました。フリーランスは自由です。しかし、一人でできることには限界があります。だから、フリーランスでチームを作って働きたいと考えるようになりました。

また、どうせ働くなら同じマインドで、技術力のある人と働きたい。だから、フリーランス同士、協力して働きながらフリーランスのメリットを最大化したいんです」

ちなみに、フリーランスがオランダに住むためには、大使館、移民局、商工会議所に赴いて手続きや事業計画書を提出する必要があり、公的機関からのレターはオランダ語で送られてくることも多い。一人でビザを取得するのは簡単ではないが、Blatto.はスタッフのビザ取得サポートも行っている。

営業時間は10時から18時。オランダは「自転車の国」と名高く、スタッフは美しい街並みの中を自転車で通勤している。さらに、オランダは夏の日照時間が長く22時過ぎまで明るい。このため仕事が終わったらバーやレストランのテラスでお酒を楽しむ人々も多い。Blatto.では、お店のテラスでBBQを行うこともあるそうだ。

理想の働き方を実現するために、「幸せの軸」を強く持つ

渋谷氏の元には「Blatto.で働きたい」とコンタクトが来ることも少なくない。その際「海外で働くには技術と英語どちらが大事ですか?」と聞かれることがあるそうだ。渋谷氏は「もちろん言葉が話せるに越したことはありません。しかし、あえて何が一番大事かと聞かれたらセンスですね」と即答した。

渋谷氏「センスとは天性のものではなく、後天的にも獲得できるものだと考えています。優れたデザイン、ファッション、グラフィック、映画…さらに言えば会話にもセンスが出ます。旬なものは繋がっているので、時代が何を求めているのかを敏感に感じ取り、さらにそこに自分の芯も持っていることが大事です」

その点で、現在Blatto.で働くスタッフは技術もセンスもあり、自立している。

また、「海外で働く」と聞くと、キラキラしたイメージを持つ人も少なくない。ネット上には「週3勤務でも高収入」など、何となく海外に出れば日本と違う「楽して収入が上がる」といったイメージを持つ人もいるようだ。

実際は、そんなことはない。オランダ人の中には週3で働く人もいるが、その分、収入も少なくなる。短い時間でも高収入を得るためには、確固としたスキルや経験が必要だ。また「欧米人は労働時間が少ない」と言われがちだが、日本人以上に熱心に働く人もいる。

渋谷氏「たまに、海外に来たらなんとなく今より良い生活ができるんじゃないか、と考えてる方からご連絡をいただくことがあります。でも、『どれくらいのお金が欲しいんですか?』と聞いてみると、答えに窮してしまう方が多いです。

僕は、お金を稼ぎたければ稼げばいいし、プライベートを充実させたいなら、多少収入は落ちても仕事時間を減らす、という選択肢があっても良いと思うんです。

オランダで5年過ごして感じたことは、こちらの人はどうすれば自分の人生が満たされるか、自分の欲求をわかっているんです。それは『働かないでお金を稼ぐ』みたいなことではないと思います」

実際に、Blatto.のスタッフの中にも、ワークライフバランスを考えて悩んだ末、週4勤務の選択をした人もいるという。しかし、週5で働く人と同じか、それ以上の収入を得ているそうだ。

渋谷氏「理想の働き方を実現するためには、まず自分の欲求を知ること。それはつまり、自分の『幸せの軸』を強く持つことだと思います。

絶対に5時に帰りたいとか、朝はゆっくりしたいとか、誰しも自分の中に『絶対』を持っているはずなんです。日本にいると、社会のプレッシャーや人の目を気にして『絶対』が霞んでしまうかもしれないけど、譲れない人生の軸を持つことは、とても大事なことではないでしょうか」

渋谷氏の場合は「フェアじゃないことが嫌だった」そう。

渋谷氏「日本の美容室で働いていると、土日が休みになりません。なので、家族と旅行するときは、子供の学校を休ませる人もいます。オランダでこれをやるのは完全にアウト。子供の学ぶ機会を奪っているので…。

子供と旅行に行きたいので、Blatto.は土日が休みになるように調整することも可能です。

また、欧州だと「バケーションは1ヶ月」が普通。「夏休みが1週間ほど」というと、「そんなに短くて大丈夫なの?」と言われることすらあります。

「美容サロンに勤める人は土日は休めない」「心と身体をリフレッシュさせるための休暇が十分に取れない」のは、絶対に嫌でした。フェアじゃないでしょう。そして、もしこれを実現できれば、美容師になりたい人も増えると考えました」

さらに、理想の働き方を実現するためには、「お金の知識も必須」と渋谷氏は語る。

渋谷氏「美容師の中には『休むのが怖い』という人もいます。でも、例えば子供が産まれたら育休を取りたいですよね。プライベートを犠牲にせずに、プロフェッショナルとしても満足する仕事をするためには、お金に関する知識が必須です。

だから、スタッフにも税金のことや収支計画の立て方など、お金に関する知識の重要性を伝えるようにしています。しっかりとした収支計画を作り見通しを立てれば、理想の働き方を実現しやすくなります」

オランダでの成功事例を日本へ。美容師の働き方とマインドを変えたい

最近では、Blatto.のスペースをポップアップにも活用している。オランダでナチュラルワインの販売を始めた友人にスペースを提供し、好評だったという。

渋谷氏「オランダに来たばかりの頃は、トラブルの連続でした。フリーランスで働いたことはありましたが、ずっとプレーヤーとして働いてきたので会社を経営したこともなかったし…。コロナ禍でロックダウンになり、営業を中止しなければならなくなった時は、さすがに『もうだめかもしれない』と覚悟もしました。でも、お客様とスタッフ、家族に支えられ、今があります」

オランダに来て一番「良かった」と感じていることは、理想の働き方を実現できたことだそうだ。

渋谷氏「今後も新しい挑戦をして、オランダでの成功事例を日本でも展開できたら最高ですね。美容師の働き方やマインドを変えていくことが夢の一つです」

2022年8月10日更新
取材月:2022年7月

テキスト:佐藤まり子