雅楽芸人でエンジニア、カニササレアヤコ — 持続可能な心を持つための幸せマイルール
やりたいことはたくさんあるけれど、どうやって取捨選択すればいいのかわからない。本当にこの道に進んでいいのか、足踏みしてしまう……。そんな悩みを抱えるビジネスパーソンは少なくないのではないでしょうか。
そんな悩みを払拭させるロールモデルになるのが、雅楽芸人・ロボットエンジニアとして活躍するカニササレアヤコさん。雅楽、お笑い、エンジニアと多彩な分野で、自分のやりたいことを諦めることなく活動している一人です。
今回は、多方面で活躍を見せるカニササレアヤコさんの人生を振り返りつつ、多様なスキルと長所をいかに生かしてきたのか、そしてさまざまな選択肢からどうやって道を選んできたのか、お話を伺います。 「自分にとってベストな道に進みたい」そんな想いを抱えている方、必読です!
カニササレアヤコ
R-1ファイナリスト、ロボットエンジニア、現役・東京藝大生とマルチな活躍をする雅楽芸人。サンミュージックプロダクション所属。現在は、週2をエンジニアとして働きながら、大学で雅楽を学んでいる。Forbes JAPANの「世界を変える30歳未満の30人」に選出。
大学生で養成所へ。1分ネタで生まれた雅楽芸人
雅楽芸人として活躍中のカニササレアヤコさん。現在に至るまでの経緯から教えていただけますか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
小さい頃からお笑いが好きで、子どもの頃に放送されていたテレビ番組『エンタの神様』をよく観ていました。
それに影響されて、中学生の頃、文化祭で友人と頭を振り回す漫才を披露したんです。すると、自分でお笑いをするのが楽しくなってきて、学生向けのお笑いコンクールにも出るようになったんです。
当時から「お笑い芸人になるのもいいなぁ」と考えていて、高校の頃、オープンキャンパスのお笑いサークルの紹介が面白かった早稲田大学に進学を決めました。
ちょ、ちょっと待ってください! お笑いサークルを基準に大学を選んだんですか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
はい。お笑いをやりたくて早稲田に入りました。
2年生になる頃には、お笑いの養成所(ワタナベエンターテイメント)に通いはじめて、事務所に所属しながらお笑いと学生生活を両立していました。
芸人街道まっしぐらだったんですね。学生時代から事務所に所属していたということは、サークルでもご活躍だったのでは?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
それが、サークルのほうは幽霊部員になってしまって……。
お笑いサークルで大学を選んだはずが!(笑)
どうして幽霊部員になったのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
学生時代は、お笑いサークル以外に、作曲研究会とアルゼンチンタンゴ演奏サークルにも所属していたんです。
アルゼンチンタンゴは、叔母が好きで、昔から聴き馴染みのある曲がいくつかあったんです。その曲が新入生歓迎イベントで耳に入ってきてしまい……。なんだか心を奪われて、入部しました。
そうしたら、アルゼンチンタンゴ演奏サークルとお笑いサークルの活動時間がかぶっていたので、なかなかサークルに顔を出せなくなりました。
急にアルゼンチンタンゴ! ちょっと整理させてください(笑)。芸人になりたくて、早稲田大学に入学されて、それから雅楽芸人になられたんですよね? ……雅楽との出会いも、大学時代なのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
いえ。母が趣味で雅楽の楽器・篳篥(ひちりき)(※1)を習っていまして。そのお稽古に付き添っていたことが始まりです。それは、私が小学生の頃ですね。
それもあって、大学入学の際に母から「イタリア旅行と笙(しょう)(※2)、どっちが欲しい?」と聞かれて、笙の方に惹かれたんですよね。それがきっかけでカルチャーセンターに通いはじめ、笙の演奏方法を学んでいきました。
(※1)篳篥:雅楽で使用される管楽器の一つ。竹の筒でできた縦笛。
(※2)笙:雅楽で使用される管楽器の一つ。17本の細長い竹管を束ねたような形をしていて、息を吸ったり吐いたりすることでリード(15本の根元にある薄片)が振動し、音が鳴る。
カニササレ
アヤコ
4歳からピアノ、11歳からドラム、中学の吹奏楽部ではアルトサックス、高校でもヴァイオリンをやっていたので、元々音楽は好きだったんです。
作曲研究会では、パソコンで音楽を制作する手法である「DTM」で作曲する人が多かったので、笙とノイズDJ(※3)で合わせて音楽を作っていました。
(※3)一般的には音楽で使われないノイズ音を使ってDJパフォーマンスを行うこと。
多才すぎます(笑)。たくさんの選択肢がある中から、あえて雅楽を芸風に取り入れたのはどうしてでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
お笑い事務所に所属していた時、1分でお客さんの心を掴む「1分ネタライブ」に出る機会が多くありました。そこでは突発力と瞬発力があるネタじゃないと、お客さんに喜んでもらえません。
初めの頃は「現役大学生による文豪あるある」みたいなネタをやっていたんですけど、ハネなくて。
もともと『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(フジテレビ)のファンだったので、そこからヒントを得て、雅楽師・東儀秀樹さんのモノマネをしたんです。
すると、お客さんウケが良くて! 先輩たちは「何やっているんだ?」と驚いていましたが、あのときは嬉しかったですね。
働きながらお笑いを続けるという選択
大学卒業後は、文系学部からエンジニアという道を選んで就職されました。
こちらも驚きなのですが、芸人としての道ではなく、エンジニアを選んだ理由を教えてください。
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
「お笑いを続けたい」という気持ちがあったのですが、芸人一本で生計を立てるのは難しい。それで、働きながらお笑いを続ける道を探していました。
生計を立てることに重点を置くことを考えると、正直バイトでも正社員でも就労時間は変わりません。「エンジニアのような職業なら、正社員でもフレキシブルな働き方ができるのではないか」と思い、選択肢として考えはじめました。
お笑いを続けるためにエンジニアを選んだわけですね。文系からエンジニアになるのは、大変ではなかったですか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
自分が苦労したというか、周りに迷惑をかけてしまいましたね(苦笑)。
当時はエンジニア人材が不足していたので、文系にも門戸が開かれていました。「未経験でもOK」という会社に入りましたが、未経験者は私以外誰もいませんでした(笑)。
なんと! 結局、その会社で働きながら芸人は続けられたのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
無理でした。仕事に慣れるだけで精一杯で、副業が禁止だったこともあり、事務所に所属することもできなくなって。この状況は良くない、フリーでも芸人活動ができる生活にしようと思い、1年で転職を決めたんです。
転職先はエンジニアではなく、もう少し休みが取れる職種を選んだのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
いろいろ検討しましたが、一番興味を惹かれたのがロボットエンジニアの仕事でした。
面接に行ったら、芸人活動も応援してくれて、働いている人たちがとてもいい雰囲気だったんです。
仕事内容もロボットのシナリオ作りにも関われると聞き、芸人の仕事にも活かせるかな?と。職場の雰囲気と仕事内容に惹かれて、2017年3月に転職を決めました。
そして、転職した後の2018年にはピン芸人コンクール「R-1グランプリ」のファイナルに進出され、テレビ出演を果たします。その時はどんなお気持ちだったのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
正直、「ど〜しよぉ」って気持ちでしたよ(笑)。R-1は学生時代に1回出て、一回戦落ちした以来の出場でした。
エンジニアとして働きながら「このままお笑いをやらないのはダメだ」との思いで出場したのですが、思いのほかトントン拍子に予選を突破してしまって。R-1では、予選から決勝まで同じネタをやり続けていたんですよ。
そうだったんですか!?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
当時は週5正社員で働いていたので、ネタをつくる時間もありませんでした。出場も勢いというか……、「やれることをやろう!」とネタ一本でがんばっていた感じです。
決勝まで進出されたのは素晴らしいことですよ! 周りからの反響もすごかったのでは?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
それがR-1の放送が火曜19時で、職場の同僚は仕事中。誰からもリアルタイムに観てもらえなかったんです。
友人からメッセージをもらって多少の反響はありましたが、翌日も普通に出社して、いつも通り働いていました。
出演中も「R-1の床って意外と汚れてるな」とか変なところ気になっちゃって(笑)。なんだか不思議な感覚でしたね。
1日8時間寝るのがマイルール
ちなみに「よし、今日からテレビいっぱい出るぞ!」みたいな、成り上がる気持ちは出てこなかったのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
自分の意思だけではどうにもならない部分も多いので、流れに身を任せようと思っていました。
就職活動している時、9歳上の夫から「何が自分の幸せか見極めてね」って言われたことがあったんです。芸人として売れることが幸せなのか、仕事で成功することが幸せなのか、自分に合う・合わないを肌感で見極めようって。
素敵な言葉ですね。カニササレさん的・幸せのマイルールは見つかったのでしょうか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
1日8時間寝ることです。
なんと幸せなマイルール!
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
大学時代は忙しすぎて、眠る時間がなかったのが、すごく嫌だったんですよ。社会人1年目もず〜っとパソコンの画面を見ていたので、ブルーライトにやられて眠りを邪魔されている気分になっていました(笑)。
「あ、私ってたくさん眠りたい人間なんだ」ってわかってからは、絶対8時間寝るようにしています。
「バリバリ働かないと仕事がなくなる」「売れているときだからこそ頑張らないと」という焦りはありませんか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
私の場合、お笑いだけではなく、仕事や家族など、依存先が多いのも影響しているんだと思います。一個がダメでも、他がある。だから、「なんとかなる」という気持ちの方が勝るのかもしれません。
なるほど。自分の軸が1本だけだと「これで一発当てないと!」「これしかない」と強く思いすぎてしまうのかもしれませんね。
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
これはあくまで個人的な意見ですが、「これがダメだったら人生も終わる」と思って生きるのって、大変すぎると思うんです。心が折れる前に、もっと持続可能な心の持ち方を知った方がいいと思います。
いろんなことに興味を持って、やってみて、自分の軸を複数持っておくと、相乗効果も期待できると思いますよ。
相乗効果?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
以前に、エンジニアの知識を活かして、西洋の五線譜を雅楽の楽譜に変えるプログラムを作ったことがあるんです。これも、2つの領域に関わっていたからこそできたこと。
軸をたくさん持っておくことは絶対無駄にはならないし、経験はいつか活かせる時がきっとやってきます。「なかなかやりたいことが見つからない」と思っているなら、「とりあえず何かをやる」って決めちゃう。そうすれば、自然とその方向に進んでいくはずなので。
雅楽を志す若者が夢を諦めなくていい環境をつくりたい
いろんなことをやり続けているカニササレアヤコさんですが、逆に諦めたことってあるんですか?
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
11歳で始めたスポーツチャンバラは半年くらいでやめちゃいました。私、戦えないなって思って(笑)。
でも、向いていないことがわかるからこそ、得意な面が見えてくるものです。何も考えず行動しちゃうのがいいと思います。考えている時間って、もったいないですよ。
私の場合、何か始める前は考えないようにしていますし、やめる時もす〜っとやめちゃいます。
なんだか勇気をもらえました! 最後に、今後の目標を教えてください。
WORK MILL
カニササレ
アヤコ
ここ数年、SNSを通じて演奏会に呼ばれる機会が増えました。それで、もっとスキルを磨きたいと思い、2022年春から東京藝術大学で雅楽を学んでいます。
これからは、雅楽を志す若者が夢を諦めずに音楽を続けられる環境を作りたいと思っています。卒業したらどうなるの? 食べていけるの?って心配になる人が多い世界です。みんなが安心して雅楽を続けられる環境をつくる一助になれればと。
雅楽界隈の方にも大変お世話になったので、その恩返しもしていきたいですね。
2023年2月取材
取材・執筆:つるたちかこ
写真:栃久保誠
編集:桒田萌(ノオト)