やるなら「オモロい」ほうがいい ─ 組織変革の立役者、フジッコ・豊田麻衣子
「塩こんぶ」「おまめさん」「カスピ海ヨーグルト」などで知られる食品メーカーのフジッコ。2020年11月に創業60周年を迎えたフジッコでは、働き方改革や組織風土改革、健康経営推進など、社員の働きがいを高める施策を推進しています。
その立役者の一人として活躍してきたのが、豊田麻衣子さんです。豊田さんの前職は防衛省海上自衛隊。「外部出身者」としての視点を生かし、入社間もなくから組織改革に携わり、働き方改革「すこやかフジッコ大作戦」、企業理念普及プロジェクト「六さんと語ろう!」、社内報「FUJICCO JOURNAL」といったさまざまなプロジェクトを実行。一般社団法人at Will Workが主催の「Work Story Award 2019」ではテーマ別部門賞、Work Story Award 2020審査員特別賞を受賞するなど注目されています。
そんな豊田さんに話をうかがい、外部出身者が転職先でぶつかりがちな壁「価値観の違い」「新しいことに対する拒否反応」などを乗り越え、組織変革するためのヒントやマインドセットを探ります。前編では豊田さんのご経歴を振り返りながら、フジッコで取り組んできた数々のプロジェクトについて聞きました。
自衛隊から民間企業へ──「働き方改革」って何?
WORK MILL:豊田さんのご経歴を拝見すると、やはり前職に目が留まります。どうしてフジッコへ転職されたのですか?
豊田:私ね、“隠居”しようかと思ってたんです。
─豊田 麻衣子(とよだ・まいこ)フジッコ株式会社 マーケティング推進部 広告宣伝グループ
大阪市出身。2002年3月防衛省海上自衛隊入隊。海上自衛隊幹部候補生学校を経て、横須賀、岩国、市ヶ谷などの各地において、総務・契約・法務・調達などの業務を担当。2017年4月にフジッコ株式会社に入社後、ダイバーシティ推進室において、働き方改革、組織風土改革を推進。総務部門において就業規則の策定、社内報、障がい者雇用、健康経営、社員食堂改革に取り組む。現在、広告宣伝グループにおいて、昆布製品のプロモーションを担当。
豊田:海上自衛隊で15年働き、40歳を目前に、ある程度自分のキャリアの見通しがついてきたのですが、このままでいいのかとふと思って。各地を転々として、24時間ずっと気を張りつめるような仕事をして……不整脈の発作が頻発するようにもなり、地元にそろそろ帰りたいという思いが強くなったんです。
半径2メートルにいる人を笑顔にしたい、周りに還元したい、と余生を送るようなつもりで、関西で転職活動を始めたんです。ある市役所からすぐ内定をもらったのですが、危機管理室だったんです。
これまでの経験を生かせそうだけど、気が休まらなさそうだし、どうしようかなと思って。それで、民間企業も考えてみようと、フジッコを受けました。人事総務部門での採用だったし、これまでの経験を存分に生かして、気楽に働くことができるだろうな、と。
WORK MILL:最初に配属されたのは、ダイバーシティ推進室だったんですね。
豊田:はい。けど、思っていたのと全然違ったんです(笑)。「働き方改革を推進してほしい」と上司に言われたのですが、「ダイバーシティ」も「働き方改革」も、聞いたこともない。「え、ダイバーて潜る?とちゃうん?」って。
多様性、といわれてもピンと来ないし、「20時までに帰れ」と言われても、私はこれまで「働き放題」でしたし(笑)。自分には無理や……と思ったんですけど、「任務は必成」ですから、やるしかない。
それで、まずは政府から発表されている、働き方改革関連の文書を、ひと通り調べて読んだんです。行政文書の体系を探り、関連法規を読み、働き方改革の目的や意図を1週間程度で頭に入れました。結論、企業としてこれをやらない手はない、と。早速これを社内で実行に移そうと、「残業時間を減らしましょう」「金曜日は早く帰りましょう」などと、声かけを始めたのですが、当然のことながら、従業者の意識や行動はすぐには変わらなくて。
新参者ですし、なかなか伝わらないのも仕方ないんですが、これまでの私にとって「組織の指示は絶対」だったんですよ。おかしいと思っても、とりあえず従う。だから、社長の指示をいただき、文書で通達したにもかかわらず、あまり状況が変わらないという現実に衝撃を受けました。どうしたら社内の人に聞いてもらえるんだろうと、半年くらい悩んでいたところ、オカムラの共創空間 Open Innovation Biotope “bee”でコミュニティマネージャーをされている岡本栄理さんにお会いしたんです。
そこで、他社がどのように働き方改革を進めているかを知る機会を得て、いろいろと参考にしているうち、「わかっちゃいるけどやめられない」というスーダラ節のような意識を変えるには、やっぱり「オモロい」ことをやっていかなくてはいけないと思ったんです。
働き方改革で唱えられていることは正しいけど、何か、よそよそしくて、こそばい感じ。そこに必要なのは「ユニークさ」やな、と。例えば、モデルハウスみたいにきれいな部屋よりも、ちょっと所帯じみていて、こたつから手を伸ばしたらすぐみかんがある、みたいなほうが過ごしやすいじゃないですか。
だからあの手この手で、自分がオモロいと思うことを、なるべくお金をかけずに実行していったんです。退社予定時刻を「カエル急行」というツールに書いてもらって、デスク前に掲げてもらったり、毎週金曜日を「はよかえるデー」と名付けてポスターを掲出したり……。「ふざけてるんか?」と古手の方から詰め寄られたこともありましたが。
フジッコはわりとトップダウンの風土だったので、経営層や管理職を巻き込むことを大事にしました。ポスターに起用したり、自らどのような意識と行動改革を行うかを宣言してもらい、その改革実践度を定期レポートで報告してもらったりしました。すると、社内でも話題になっている様子を耳にしたんです。「〇〇さん、ポスターに載ってましたね」「〇〇さんのところはこんなことをやってるんですね」と。ご本人たちは「あれは豊田に、無理やりやらされたんや」とおっしゃってましたが、こちらとしては、「しめしめ」でした。
WORK MILL:上層部が働き方改革にコミットしていると、組織全体として少しずつ変わっていきますからね。
豊田:働き方改革の先に何があるんだろうと考えたとき、「早く帰れる」ことを受け入れられない人もいることに気付いたんです。「本当に、仕事が命」とか「家に居場所がない」とか、それぞれ理由は違うかもしれないけど。
でもそういう人こそ仲間に巻き込んでしまおうと。「タワーレコード」みたいなかっこいいデザインで攻めました。はじめは、結構強引な勧誘を行ってなんとか協力を仰いでいましたが、携帯を右手に社内を歩いていると「あ、ポスターにされる!」と、あちらから声をかけられることが増えてきました。いつの間にやら、「形勢逆転」してたんです。
そうやって、忖度せずに自分がオモロいと思えることだけをやっていくうち、社外の方からも「面白いね」と言ってもらえるようになって。こうして取材されたり、大学や企業などから講演に呼ばれたりするようになってきました。
「私ならもっとオモロくできる」社内報で社員を主役に
WORK MILL:豊田さんはその後、組織風土改革にも携わることになったんですね。
豊田:入社半年くらいで企業理念を再構築するプロジェクトに参画しました。そこで会社の歴史や文化を学んだのは、やるべきことの本質を掴むための良い経験になりました。
その中で新しい企業理念が策定されたのですが、社内広報で一方的に伝えるだけでは、なかなか真意が伝わらない。そこで、現場レベルで理念を浸透させるために「六さんと語ろう!」というプロジェクトを始めたんです。
全国各地の事業所を社長の福井正一(六さん)と回って、対話形式のワークショップや懇親会を行いました。私自身は、企業理念に込められた「全ての人々を元気で幸せにする」というフレーズを胸に、このミッションを遂行しようと考えました。現場社員の声を引き出し、組織と個人の関係性を再構築し、彼らの仕事に対する姿勢を変革させることが目的だったのですが、私は私で、働き方改革の本質や真意を伝える機会としても活用することにしました。
やっぱり、働き方改革と組織風土改革って表裏一体、両軸で進めるべきなんです。入社初年度に行った社内意識調査では、「早く帰りたいけど帰りにくい」「上司に伝えづらい」という声がたくさんありました。組織風土が変わらないと、働き方も変わらないんです。
全国を回って、いろんな方と出会って感じたのは、オモロいことが好きな人はたくさんいるのに、「どーせ無理」と、挑戦もせずにあきらめることがうまくなってしまっているな、ということ。そんな意識を変えるにはどうしたら良いんだろうと思っていたら、今度は社内報を担当することになったんです。
WORK MILL:「FUJICCO JOURNAL」という社内報ですね。
豊田:そうです。思えば、入社初日に社内報をもらったのですが、「何これ、全然オモロないやん」と(笑)。前任者から引き継ぎを受けた時も、「詳しくは契約先に聞いてください」みたいな感じで。それまで、特に取材をすることもなく、ただ原稿をまとめていただけだったようです。
それでまた私の悪い発作が出たんですが、入社初日に「これは、もっとオモロくできる」と思ってしまっていたんですよ。だから、担当になったのは、必然だろう、と。「六さんと語ろう!」で知り合ったオモロいフジッコ社員たちを取材してしまおう、と、「シャインオブ社員」とか「教えて先輩!」とか、社員を主役にして、社内報にどんどん働き方改革や組織風土改革の要素を盛り込んでいったんです。
予算は絶対増やさないという信念の下、企画や物書き、編集、撮影も全部自分でやって、デザインは働き方改革のツールやグッズをつくってもらっていた社外のデザイナーさんにお願いして。社員に出てもらうと、話題にもなるんです。「あんなに気難しい人なのに、よく取材できたね」とか「〇〇さん、すごく喜んではりましたよ」とか……やっぱり、誰でもきちんと注目してもらうとうれしいんですよね。そして、ここが一番気を付けたところですが、きれいごとだけは書かないようにしました。
そうしたら、次の取材先で、また声をかけてもらうようになるんです。「社内報、見ましたよ」「うちの取材も、おもろくしてね」と。社内報には少し「ツッコミどころ」というか、わからない部分を用意しておいて、会話が生まれるような流れをつくっておく。それが私の提唱したい、ヘンテコなコミュニケーション方法なんです。
お金をかけずに実行するのが真の改革
WORK MILL:改革を行ってきて、会社は変わってきましたか。
豊田:フジッコには、もともと引っ込み思案というか、奥ゆかしい性格の人が多いので、劇的に変わったわけではありませんが、少しずつ雰囲気は変わってきた気がします。例えば本社では、部活動を立ち上げて交流している人たちも出てきました。
少なくとも、自分の周りにいる人はそれなりに愉快に働いてくれていると思います。自分自身も入社のときより、怒ったり、イライラする回数が減りました。
WORK MILL:入社以降、未経験の業務に携わりながら、成果を残してこられたのは、なぜでしょう。
豊田:成果を残せたとは思ってないんですよ。でも、たまたま大きな失敗はしていなかった。それだけなんです。
ただ、私は「シミュレーションオタク」なので、あらゆる想定をして、想像以上に準備をしていると思います。明日、このキッチンスタジオでイベントを行うのですが、今話しながら脳内で大会議を行っていますから(笑)。
天気が悪かったらこうしよう、事前告知はこうしようとか……でも今ここで地震が起こったら、皆さんをどうやって避難させようかな、とか。
WORK MILL:前職での経験が染み付いているんですね。それだけシミュレーションして、準備しているからこそ、問題なく業務を遂行することができる、と。
豊田:職業病なのかもしれません。入社して4年半経って、「コイツがやることは、けったいでオモロい」ってある程度の評判を頂けたと思います。その証拠に、私は本社の従業者の代表を務めているのですが、どんなイベントを企画しても、8割くらいの方に参加して頂けるようになりました。1回でも失敗したら、誰も見向きもしてくれない。失敗したら終わりだと思ってやっています。
上司も同僚も、みんなお客様。自分のお得意さんになって、ファンになってもらえば、反対されませんから。だから私はそのお客様に、最高の状態で最高のものを提供するだけ。しかもお金をできるだけかけずに、適正な価格で、みんなが満足できるような企画をする。
WORK MILL:お金をかけずに。
豊田:前職で、とある事務官に教わったんです。「お金と人をかけてできることは、改革ではない」って。お金と人があれば、改革なんて簡単なんですよ。外注すればいいわけですから。でもそれは真の改革ではない、と。
私が改革を行うときは、いつもその視点を入れて考えています。何かをやるのにしても、自分の原価計算と合わないことはやりません。これも前職の貯金です。「講演1回で講師1人に数十万円」みたいなお金の使い方はしません。例えば、社内報では、自分でコンセプトを考えて、文章も考えて、レイアウトも描いて、自分ができない専門的なことのみを外部に発注するようにしていました。社外からは驚愕されるお値段での発注ですし、実際に、私が担当する前より、お安くなりました。
「お金をかけない」のがポイントなんですよ。お金をかけなければ、反対される要素がひとつ減ります。その分、アイデアで乗り切る。妥協せず、自分がオモロいと思うことをやるのみです。
前編はここまで。後編では、アイデアを生み出す秘訣やモチベーションについてうかがいます。
更新日:2021年12月15日
取材月:2021年11月