どんな無茶な要望も「NO」とは言わない。現役執事に聞く、難しい依頼の上手な受け止め方(新井直之さん)
燕尾服を着て、食事の際にワインや紅茶を注いで……。漫画やドラマで、誰もが一度は見たことのある「執事」の仕事。
お客様の秘密を守るという仕事柄、普段はあまり表に出てきませんが、そんな執事は現代日本にもいるのをご存じでしょうか?
日本で唯一、執事のサービスを提供する会社があります。それが「日本バトラー&コンシェルジュ株式会社」。
代表の新井直之さんは現役の執事であり、これまで世界中の名だたる大富豪や経営者などの公私に関わるサポートを行ってきました。今回は、執事の仕事内容やどんな無茶ぶりにもうまく対応するコツについて伺いました。
新井直之(あらい・なおゆき)
日本バトラー&コンシェルジュ株式会社代表取締役社長。大学卒業後、米国企業日本法人勤務を経て、日本バトラー&コンシェルジュ株式会社を設立。フォーブス誌世界大富豪ランキングトップ10に入る大富豪、日本国内外の超富裕層を顧客に持つ同社の代表を務める傍ら、企業向けに富裕層ビジネス、顧客満足度向上、ホスピタリティに関する講演、研修、コンサルティング、アドバイザリー業務を行う。
料金は月額約250万円! 執事の仕事内容とは?
そもそも現代社会において、執事は一体どのような仕事をしているのでしょうか?
新井
みなさんが「執事」と聞いて思い出すのは、映画や漫画で見るようなお客様にお食事を出したり、送迎をしたりする姿だと思います。
そのイメージでした!
新井
もちろんそれは業務の一つなのですが、ほかにもたくさんの仕事があるんです。
お客様のスケジュール管理、ご子息の学校の送り迎えといったご家族のサポート、資産管理のお手伝い、お墓参りの同行、話し相手など。
一生涯にわたってお客様へお仕えする「プライベート秘書」をイメージしてもらえるといいかと思います。
そんなにたくさんの仕事が! 新井さんは今までどんな方にお仕えしてきたのでしょうか?
新井
お名前は出せませんが、雑誌「Forbes」の世界長者番付億万長者ランキングトップ10に入る大富豪やプロスポーツ選手などですね。最近ではYouTuberの方もいらっしゃいました。
お客様の国籍は日本国籍の方が7割、外国籍の方が3割。主に企業の創業者ファミリーのご家庭に、数世代にわたってお仕えすることが多いですね。
ちなみに、執事を一人雇う場合、どのくらいの費用がかかるのか気になります。
新井
私どもの会社を通じて専属の執事を雇うと、月額約250万円、年間で約2000〜3000万円ほどかかってきます。
そして、この金額を払える方は、年収5億円以上、または資産50億円以上の方々がお客様となっていますね。
一般人にはとても想像できないレベルの金額ですね……。
新井
もちろん決して安くはない金額です。お客さまはそれだけの金額を払っても、生活の快適さを求めていますし、誰でも等しく与えられている時間を節約しているんだと思います。
そのため、こちらも金額に見合うよう、与えられた仕事には期待以上の成果が出せるよう努めています。
なるほど。執事というと、お客様と一心同体になって仕事をするイメージなのですが、休日などオフはあるのでしょうか?
新井
基本的に仕事のスケジュールはお客様の都合にあわせて調節していますので、勤務時間はその日によってバラバラです。
一方で勤務時間が長い日は二交代制にしていますし、もちろん労働基準法もありますから。お客様も休みを積極的にサポートしてくれるので、休めないということはありません。
「執事=特別な仕事」と思われている方も多いのですが、会社員の方と共通する部分もあって。たとえば、私たちの会社の執事は燕尾服ではなく、基本的にスーツで働いているんですよ。
え、燕尾服は着ないんですか……!?
新井
新井
富豪の方は極力目立たないように行動するのが基本です。でも、燕尾服を着るとかえって目立ってしまいますから。
新井
他にも、お客様を高級車で迎えに行くと、誘拐のターゲットになってしまう可能性もあるので、送迎は一般車を使っています。
そんな風に執事は日頃から目立たないようにしているので、皆さんの周りにいても気付かないかもしれませんね(笑)。
執事の仕事をビジネスにしようと思ったきっかけ
新井さんが執事の仕事を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
新井
20代の頃は外資系の会社で営業をしていました。自分が営業に向いていたことや日本がインターネットバブルの好景気だったこともあり、27歳の時に年収が1億円を超えていたんです。
その当時の自分は欲しい物は何でも買えて、著名人とパーティーなど豪華絢爛な生活を送っていました。そんなある日、「お金よりも自分の時間や人との絆がほしい……」と思ったんです。
物質的な豊かさよりも、精神的なものを求めるようになっていったんですね。
新井
はい。当時、私が勤めていた会社では、大きな商談が成立するまで約3〜5年かかっていました。その間に企業の方とは様々なトラブルを乗り越えて、信頼を深めていきます。
けれど、会社員という職業柄、人事異動でお客様が変わってしまうことも頻繁にあって……。共に苦労を乗り越えたお客様と別れてしまうのは寂しく、「特定のお客様と長期的に関係を結んでいく仕事はないかな?」と考えていました。
新井
そんな時、休暇で沖縄にあるホテル「ザ・ブナテラス」に宿泊したところ、ホテルのサービスで「バトラー(※1)」と書かれていたのを見て、「こういうことがやりたかった!」と気付いたんです。
(※1)一流ホテルにある個人秘書ともいえる特別なサービス。お客様が快適にホテル生活を送れるように、要望を聞いて身の回りのお世話を担当する。バトラーとは英語で「執事」を意味する。
新井
そして、2008年に「日本バトラー&コンシェルジュ株式会社」を設立し、ひとりで執事としての活動を始めました。
活動当初から執事の依頼は多かったのでしょうか?
新井
いえ、当初は執事の認知度が低さもあってか、ほぼ休業状態でしたね。
ただ、2010年代頃から執事が出てくるアニメなどが登場したことやお客様の紹介もあって、徐々に仕事も増えていきました。
エンタメの影響もあるんですね……!
新井
はい、ありがたいことに。
現在は、執事になりたい人も増えていて。1年で100件ほどの応募をいただいていますが、採用するのは1名ほど。とても狭き門となっています。
執事はどんな無茶な要望でも「NO」とは言わない
これまでお仕えしてきたお客様からは、どんな依頼があったのでしょうか?
新井
「子どもを有名学校に入れたい」や「体調の悪い家族のために世界中から名医を探してほしい」など。
他にも、「敷地内で温泉を掘り当ててほしい!」という依頼をいただいたこともあります。温泉掘削会社に頼んで、1年と約1億円をかけて温泉を掘り当てました(笑)。
すごい! いくらお客様のお願いと言っても、実現できないことってあると思うのですが……。
新井
もちろん、たとえお客様からの依頼でも実現できないことはあります。
けれど、執事はどんな無茶な要望でも「NO」とは言わないんです。
どうしてですか?
新井
執事に求められているのは、お客様の「本当の要望」を確認することだからです。
なので、無理難題を与えられた時は、まずはお客様の言葉の裏に隠された「本当のニーズ」を確認するようにしています。
本当のニーズとは?
新井
たとえば、お客様が「ランチで牛丼を食べたい」とおっしゃったとします。
まずは「どうして牛丼を食べたいのでしょうか?」とお聞きします。すると、「会議前に15分しか時間がない。牛丼ならすぐに買えそうだから」と。
その時は、事前に注文しておいたお弁当がすでに屋敷内にあったので、「すでにお弁当の用意があり、すぐにお出しできます。いかがでしょうか?」など、ご要望以外でも適切な選択肢があれば提案するんです。
言われたことの「その先」を理解することが大事なんですね。
新井
そうなんです。要望のその先を理解すると、お客様の選択肢を増やせると同時に、最初よりも満足度を高められるんですよね。
お客様のニーズを知るためにも、普段からただ話を聞くのではなく、疑問に思ったことは全て質問し、価値観や趣味嗜好を探っています。
お客様の中にはあまり自分のことを話したがらない人もいるかと思います。そんな時はどう対処するのでしょうか?
新井
私たちは普段から「ソーシャルスタイル理論(※2)」を取り入れて、相手に合わせて対応の仕方を変えるようにしています。
(※2)1968年にアメリカの産業心理学者であったデビット・メリル氏によって人間関係を円滑に築くために提唱され始めたコミュニケーションパターン。人間の思考や行動を「ドライバー型」「エクスプレッシブ型」「アナリティカル型」「エミアブル型」と4つのタイプに分類し、それに合わせて会話方法を変えていく。
新井
ソーシャルスタイル理論を身につけたことで、私自身素で話すよりも他人とうまくコミュニケーションがとれているな、と実感しています。
無茶ぶりは大チャンスと捉える
読者の中には上司やクライアントからの無茶ぶりに頭を抱えている人も多いと思います。そんな時はどんな方法で応えていったらいいのか、執事目線で教えてください。
新井
無理なお願いはそれだけ信頼されているという証拠なんですよね。そして、それが仮に行えれば、自分の評価も上がるチャンス。
「無茶ぶり=大チャンス」と捉える心構えでいると、案外楽かもしれません。ちなみに執事の場合、お客様から無茶ぶりを言われると「きた〜!」と喜びます(笑)。
たしかに、ポジティブに受け取ると、心が楽になって仕事もはかどりそうです。
新井
もちろん執事は何かの専門家ではないですし、お客様も特定の知識や専門性を強く求めるわけではありません。
なので、仕事は常に完璧を目指さず、「8割できれば合格」だと思って、取り組むのがいいと思いますよ。
最後に、執事の仕事の醍醐味を教えてください。
新井
お客様から直接、感謝の言葉を聞けるというのがやりがいですね。
執事はお客様と長年ご一緒する仕事。お客様の人生の大きな節目を一緒にお祝いし、人生を少しでもいい方向へと変えるお手伝いができた、と感じた時は「執事をやっていてよかった!」と心から思います。
2024年3月取材
取材・執筆=吉野舞
アイキャッチ制作=サンノ
編集=鬼頭佳代/ノオト