未来を起点にデザインし、現代社会で実行する。「人工エラ」開発の道のり ー 今を問い直し、新たな未来を創るデザイン #1
あなたは今、少し先の未来を想像できますか? ここ数年は特にこの問いに答えにくくなっているかもしれません。感染症の世界的な流行や戦争の勃発など、数年前の私たちが想像していなかったことが起きる中で、未来を創造することは少し難しくなりつつあります。
しかし、未来を想像する行為こそ、「今」を問い直す重要な視点になるのではないか? そんな問いから、産総研デザインスクール主催のシンポジウム「Desining X for alternative future~今を問い直し、新たな未来を創る」が開催されました。全5回のシンポジウムを通して、きたる未来の兆しを探っていきます。
2022年9月16日(金)、シンポジウムの第一回目はバイオミメティクスデザイナーの亀井潤氏をゲストにお迎えしました。亀井氏はイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)でデザインを学び、「都市が水没する未来」を想定した人工エラを開発。現在はイギリスで起業し、人工エラとその技術を活かしたテキスタイル開発に取り組まれています。こちらの記事では、本シンポジウムの様子をお伝えします。
ー亀井潤(かめい・じゅん)
バイオミメティクス・デザイナー。大阪府生まれ。2011年東日本大震災を受け、東北地方初のTEDxカンファレンス TEDxTohokuを共同設立。東北大学にて材料工学バイオミメティクスの分野で研究に努める。2015年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートに留学後、RCA-IIS Tokyo Design Labに特任研究員として合流。2018年、人工エラの基礎技術を開発し、海と人が共生する世界を目指して、英国にてAMPHIBIO LTDを起業。現在は人工エラや人工エラの派生技術を使用した商品開発に取り組んでいる。
自分の研究を社会につなげる術としての「デザイン」
もともと材料科学とバイオミメティクスが専門の研究者であった亀井氏。バイオミメティクスとは、自然にある形や機能をもとに技術開発をする研究分野を指します。昔から自然が好きだった亀井氏は、自然の多い東北大学を選び研究に取り組んでいましたが、在学中に東日本大震災を経験します。
亀井潤(以下、亀井)「大学時代に東北の沿岸部をロードバイクでよく走っていたので、被災した地域はどこも身近な場所。人間と自然がぶつかるとこんなことが起きてしまうのかと衝撃を受けました。震災を通して、もっと文明が自然に寄り添う形で共存できないかと考え、バイオミメティクスを研究するに至りました」
また、当時亀井氏は自分の研究分野に対する限界も感じていたそう。
亀井「素材開発の研究は、場合によっては世間に出るまでに数十年かかります。『自分の研究はもしかすると世間の役に立たないかもしれない』ともどかしさを感じていました。そして、自分の研究をもっと社会に近づけるための方法として、デザインを学ぶ必要があるのではないかと考えました」
亀井氏は知人からイギリスの国立美術系大学院で、デザイン教育に力を入れていたロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の存在を教えてもらい、デザインを学びはじめます。
人間と水との関係性を探求した先に見た「都市が水没する未来」
RCAのプログラムでは1年目にデザインの基礎を学び、2年目はプロジェクトに取り組みます。亀井氏は震災の経験や、地球温暖化の現状から「21世紀は水との共存がテーマになるのではないか?」という問いを立て、「水と人間との共存」を研究テーマに据えます。
亀井「現在は一部の人々が水に近い場所で暮らしていますが、海面上昇が起こるにつれて、水面に近いところに住む人が増えてくると思います。多くの大都市が海辺に近いこともあり、部分的に水没していくと研究で推測されています。そこで、『都市が水没する未来』を想定しながらデザインを考え始めました」
都市が水没する未来で、人間はどのように生きていくのか。そのヒントはインタビューで知った水上で生活をしているバジャウ族たちとの出会いでした。
亀井「水の上で生まれ育つと、寝ている時に家が少し揺れている方が落ち着いたり、潜水能力が優れていたりなど、陸で暮らす人とは常識が全く異なります。フィールドワークやリサーチを通して、人は環境に適応して生きていけるのだと実感しました。同時に、水に近い場所に住まないといけないとき、体が環境の変化に適応することを待つ前に、テクノロジーの力でそれを手助けできないかと考えました」
リサーチを進めるうちに、亀井氏はマツモムシという動物が水中でも薄い空気の層を表面に作ることで、水中で呼吸ができるエラの機能を発見します。そしてその動物からインスパイアされた「人工エラ」の開発をはじめます。
「人工エラ」の思わぬ使い道
亀井氏は酸素ボンベのような機械ではなく、ファッション要素を考慮したデザインで人工エラを考案し、プロトタイプを発表します。あくまでもプロトタイプとして考えていた人工エラですが、思わぬ反応が返ってきました。
亀井「人工エラはもともと、水没した都市でのライフスタイルを表現する作品だったので、商品開発をしようとは思っていませんでした。しかしプロトタイプを作っていくうちに、ダイバーや人魚を演じている人など海に関係がある仕事をしている人から反響をいただきました。人工エラの技術を特許として申請し、ビジネスで通用できるか試してみることをRCAからも提案してもらい、起業を決めました」
その後、エラの技術は汗を逃がす機能へ応用し、アウトドア用品の環境問題にアプローチできることも判明。現在は人工エラと、100%リサイクル可能な環境配慮型のスポーツウェアテキスタイルの開発を進めています。
亀井「偶然が重なり、未来を想定したデザインや技術が今の時代に必要なテキスタイルに応用できるという気づきにつながりました。今はテキスタイルと人工エラの技術の間に学びの循環が起き、今でもよい相互作用が続いています」
亀井氏が共有した人工エラの開発にまつわるストーリーは、未来を想定したデザインが思わぬテクノロジーを生み、現代社会にも活かせる可能性があることを示唆しています。では、未来を起点にしたデザインを、現代社会での活用につなげるためにはどのような視点が必要なのでしょうか?
現実のエビデンスに基づいた未来像
亀井氏のプレゼンテーションを経て、シンポジウムは産総研デザインスクールの事務局長を務める小島一浩氏と、産総研デザインスクールの企画運営支援を行っている株式会社Laere(レア)共同代表・大本綾氏を交えた対談セッションへ。対談は「なぜ『水没する都市』という未来を考えたのか?」というテーマから始まりました。都市が水没する未来は一見、起こり得ない未来の話に思えますが亀井氏は「この未来は現実に起こりうる未来でもある」と話します。
亀井「都市が水没する未来は、すべて研究に基づいています。今は地球温暖化の進行ペースも研究されているし、気温と海面上昇のペースもおおよそ予測できる。私は研究に基づいたシナリオを描いているので、都市が水没する未来はある程度現実的なものとして捉えています。実は、今起こっている変化を少しずつ繋ぐことで見えてきた未来なんです」
未来洞察やバックキャストなど、未来から現代に必要な要素を分析する手法が知られていますが、現在見えている数値的エビデンスや研究に基づき構想するプロセスは、研究者でもある亀井氏ならではの視点です。現実的な視点を持ちながら未来を構築することで、未来に到達するシナリオが見えやすくなり、それに対する具体的な対応策の発想を膨らませやすくなるそうです。
研究をベースとした現実的な視点と、新たな未来を描くデザインの力で、亀井氏は最終的に「水中と陸の両面で暮らす『両生類的』な暮らし」というシチュエーションと、人工エラのアイデアにつなげていきました。
未来に対する「スタンス」を起点に現代に投げかける問いを見つける
亀井氏が提示する「両生類的な暮らし」に関して、参加者からも次々と質問が寄せられました。その中でも、「両生類的な生活を送るうえで、呼吸以外に必要なものは?」という質問に対し、亀井氏は「水質汚染から身を守る方法」「衛生管理を上げること」と答えます。その視点は現代の社会問題にもつながるヒントだと話します。
亀井「『都市が水没する未来』を考えたときに重要なのは『水質汚染と感染症から人をどう守るのか?』という問いです。今の街は乾いた土地が前提でつくられているので、もしも水没すると下水道が耐えられなくなります。そのため、私は人工エラのアイデアよりも前に、洪水があるたびに汚染される都市で、ロボットが自動的に水をきれいにするといったシナリオを考えていました。
つい先日、パキスタンで水害が起こりましたよね。おそらくパキスタンで必要になるのは衛生面の視点で、『水質汚染と感染症から人をどう守るのか?』という問いはとても重要なテーマになると思います。この問いは当初未来を想定した問いでしたが、これから現実に起こりうることを考える問いでもあり、考える価値のあるテーマだと思います」
また、小島氏より「未来起点のデザインは、課題解決型のデザインを考える企業には実装しにくいのではないか?」という問いに対し、亀井氏は「未来社会を想定したデザインと、それを現代につなげるクリエイティビティは異なる考え方が必要である」と話します。
亀井「人工エラがスポーツウェアの技術開発に変化した経験から、未来を想定したデザインを現実に繋げるプロセスにも、クリエイティビティが必要になると考えています。未来のシナリオを描いて終わりではなく、そこから現代へつなげる視点を持つことで、今ある問題を違うアプローチから解決する糸口を見つけることが出来ます。未来から自分たちのアクションを逆算して現代へつなげる努力をするプロセスを通して、私たちはいろんな恩恵を受けることができるのではないでしょうか」
想像した未来から逆算して考える過程で発想を広げることで、現代社会につながるヒントが得られるかもしれません。また、亀井氏はいくつもの問いを持ちながら、常にアイデアやプロトタイプを考え、リサーチしたりとさまざまな方法で形にしようとしているのも特徴です。人工エラや「両生類的な生活」は試行錯誤のプロセスと、泥臭い実践のもとに成り立っているのです。
オルタナティブな未来を考えるうえで、何をデザインする?
最後に、本シンポジウムのテーマ「Designing X for alternative futures」になぞらえて、亀井氏はきたる新しい未来に向けて、「水と人間との関係性」をデザインしつづけると力強く表明。また、「イノベーションは、クリエイティブな発想と泥臭い実行が交差する領域である」と前起きしたうえで、亀井氏から会場の参加者に向けて、問いのプレゼントを贈っていただきました。
亀井「もしあらゆることが可能であったとしたら、あなたは世界の何をどのように変えますか?」
未来を起点にしたデザインは、一見現在とは関係のないように思えます。しかし、未来はあくまでも現在が積み重なった先にあります。私たちは今から未来に向けてどんなステップを積み重ねることができるのか。その問いが、今を問い直す第一歩になるかもしれません。
このシンポジウムは5回シリーズとなっており、様々な分野の実践者のゲストと今を問い直すうえで必要な視点を探求していきます。次回はデンマーク発のビジネススクール「KAOSPILOT」創始者のウッフェ・エルベック氏をゲストにお迎えし、社会を変える「人」や「ムーブメント」はどのように育っていくのかを考えていきます。次回もお楽しみに!
Designing X – 今を問い直し、新たな未来を創る とは?
産業技術総合研究所が企画運営する産総研デザインスクール主催で開催しているシンポジウム。今年は「Desining X for alternative future〜今を問い直し、新たな未来を創る〜」と題し、今起きている状況を様々な視点から問い直し、新たな未来を創るデザインに必要な視点を探求していきます。シンポジウムでは毎回異なる領域「X(エックス)」で既存の分野に新たな軸を加えることで概念を変える活動をしているゲストをお招きし、今の世界を見るうえで必要となる視点や実践知をご講演いただいています。
2022年9月取材
テキスト:外村祐理子
グラフィックレコーディング:仲沢実桜