A DREAMER AND A DOER 「わからない」に挑む行動者であれ ー バイオアーティスト・福原志保さん
この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN EXTRA ISSUE FUTURE IS NOW『働く』の未来」(2020/06)からの転載です。
アーティスティック・リサーチ・プラットフォームBCLのメンバーとして、国際的に活動をするバイオアーティストの福原志保。これまでに、故人のDNAを樹木のDNAに組み込み“生き続ける墓標”にするアート作品「Biopresence」や、遺伝子組み換えで開発した青いカーネーションを自宅のキッチンで増殖させた「Common Flowers / Flower Commons」、また青いカーネーションから青色を発現させる遺伝子を除去した「Common Flowers / Whiteout」などの作品を発表してきた。一方で、Googleとリーバイスの共同研究による導電性デニムのテキスタイル開発(Jacquard by Google)などのプロジェクトにも取り組み、現在はGoogleの研究開発部門Google ATAPのテクノロジー・インテグレーション・リードとしての顔も持っている。アートとサイエンスの両輪で走ってきた彼女は、コロナ禍の東京で何を思うのか。
世界中に散らばったメンバーによるチームで仕事をしているので、もう6年くらい前からテレワーク体制です。もともと家にいることが多かったので、個人としては、自粛期間の過ごし方はさほど変わりません。でも、ミーティングは圧倒的に増えましたね。いまは平均1日5本、多くて8本ぐらい。もう前頭葉のあたりが本当にビリビリしてきます。だから、昼寝の時間を確保するのはマスト。GoogleカレンダーにもSleepingという予定を入れておきます。あとはTo Doリストではなく、DNS(Do Not Schedule)リストをつくって、自分の時間を守って実作業の時間を確保するようにしています。顕微鏡でひたすら写真を撮ったり、ひたすらドキュメントをつくったりする時間ですね。私は「精神と時の部屋」なんて呼んでいますが、気づいたら3時間ぐらいあっという間に過ぎる作業を部屋にこもりっきりで一気にやったりする。作業内容によって、 家の中でも場所を変えるようにしています。
唯一、困ったのは工場やデザイナーさんのもとへ行けないことです。ものづくりをしているので、実際に機械を動かしてもらい、説明を受けないと、図面だけではわからないことがあるんですよね。なので、工場にいる人に遠隔でビデオを撮ってもらったりしますが、なかなか難しい。テキスタイルの質感は画面じゃ伝わらないですから、4Kのゲーミングモニターを買おうかなと考えているところです。
夢を見ながら、とにかく「やる」
いまのテクノロジーのあり方というのは、商品化やサービス化できるかで線引きされてしまっていると思うんですよ。できるかわからないものに大量投資し、長期でやれる体力がある会社なんてほとんどないから、ものを試しにつくってみるという動きが減っているように思うんです。
でも、私は実際にものをつくる派。生物や生命のDIYバイオは、特に「つくってみないとわからない」分野。たった一回の実験で、思い通りに成功したことなんてありません。それぐらい扱いにくい対象だし、そのくせエラーが頻繁に起きる。意図した方法ではなかったのに、たまたまpH値の調整を間違えた結果、本来狙っていたゴールではないけど「成功」してしまうこともあります。でも、それはやってみたからわかったことなんですね。
やっぱり、私はドゥアー(Doer)でいたい。 ドリーマー・アンド・ドゥアーでいることは大事だと思う。夢を見ながらも、なんとかそれを絶対に「やる」。やることで見えてくる問題というのが、本来の私たちが考えるべき問題だと思うんです。
実際にやってみると、何ができないか、どんなエラーが起きるかがヴィジブル(顕著)になってくる。「なんでその問題がそうなっちゃったんだっけ?」っていう因果関係をしつこく分解していって、実現まで持っていく。その姿勢が自分の作品をリッチにしてくれたなと思っています。例えば、2年ほど前からバージョンアップし続けている「Black List Printer」というウイルスを題材にした作品では、パンデミックの危険性と同時にバイオテクノロジーの発展という面も扱っていて「自分たちのリテラシーがどう変わっていくのか」という問題を問い直しています。日本では“難解すぎる”として反応が良くなかったんですけど(笑)、ヨーロッパの人たちには伝わったようで、賞もいただきました。
ネット上にはDNA合成を事業にするバイオ系企業が非公式に作成した、禁止DNA配列の非公式な「ブラックリスト」が存在し、比較的容易にアクセスできるという。このパンデミックを起こす可能性があるウイルスの塩基配列を文字情報として印刷する、オリジナルのDNAプリンター。
みなさんはウイルスというものを嫌っていますが、ウイルスがいなかったら生物は進化できなかったので、そもそも私たち人間は存在し得ない。ある意味、ウイルスとヒトは共生してきたといえるのです。
ウイルスは、確かに怖い。なぜなら、私たち人間の設計図がウイルスによって変えられてしまう可能性があるからです。でも、それは長い時間がかかるので、急には変わりません。変わらないからこそ、体が反応を起こして熱を出したりします。ウイルスは、進化の過程で必要な存在ととらえることもできます。それを否定することは、自分たちの進化を否定することにもなりますよね。だから、ある程度の「毒」を受け入れ、どう自分をしなやかに対応させていくかが大切。その積み重ねによって、種としての強度を増していくことにつながると思うんです。自然が、すでに何千年、何万年という期間でエラーを繰り返しながらリデザインしてきた遺伝子のシステムから学ぶことは多いです。「レジリエンス」という言葉は、いまの私たちにこそ必要なものではないでしょうか。
2004年に発表された「Biopresence(バイオプレゼンス)」。これは、故人から採取されたDNAを、樹木の遺伝子内に保存するという作品。植えた木には故人のDNAが宿されているため、木の寿命が続く限り何十年先の未来でも、故人の一部と触れ合うことができる「生きた墓標」になる。構想した当時とくらべ、解析技術の進歩・普及により 現在DNA解析にかかる金額はおよそ100分の1にまでダウンしたという。
見えないものが浮き彫りに
そうした強さと同時に、いまこそ必要なのが人同士のリスペクトですよね。お互いの違いをどう受け入れるべきなのか、こうした問題がいま世界中で噴出しています。「分断」という表現をよくされますが、最近、その境界を強く意識した出来事がありました。
私にはもうすぐ11歳になる娘がいて、3ヶ月ほど前にオーストリアの義父母のところへひとりで行ったんです。その後すぐに新型コロナウイルスの感染拡大が起きてしまい、国境は封鎖に。娘は日本に帰国できなくなってしまい、いまだに離れ離れの生活を送っているんです。友達にも会えなくて可哀想だし、どうにかして帰国する手段を考えましたが、国境で分断された国ごとのルールが違いすぎて、日本とオーストリアどちらの大使館に連絡しても誰も答えを持っていない。じゃあ、私が無理にでも迎えに行ったらどうなるか。まず空港で出国を認められないだろうし、在オーストリア日本国大使館からはたとえ飛行機には乗れても入国を断られるだろうと説明を受けました。
もともとあった決め事によって「見えないもの」とされていた国交というシステムが、今めちゃくちゃになっていて、エラーがたくさん起きている。つまり、システムとしてちゃんと整備されていなかったし、まったく機能していなかったことがあらためてわかりました。そういう「直さなければいけないこと」は、これをきっかけにあちらこちらで表出しています。それを非難することもできますが、問題がわかったのならあとは直していくだけですよね。今後こういうことが起きたら、国同士でどう対応するか、例えば全世界で共通のシステムやルールをつくっていこうとか、話し合いの材料ができたと思うんです。
問題が表層化したのは、ある意味「いいこと」だと思います。悪かった膿(うみ)を出し切ってきれいになる。肌のターンオーバーと同じような感覚です。「好転反応」というのかな。断食すると頭が痛くなったり、吐き気がしたりするのですが、それがまさにいま起きている。あまりにも急に、自分たちが溜めていた悪いものがぶわーって出てしまっているんですよ。それは例えば、貧富の差だったり、女性の家庭での立場だったり、旦那さんの立場だったりさまざま。
遺伝子組換え技術を用いて作出された青いカーネーションの組織培養。茎の部分を切り取り、殺菌操作を施したあとでミネラル・糖・植物ホルモンを含む培地を含んだ容器の中に植え継ぐ。増えた根を自家増殖させ、青く発色するために導入された遺伝子の効果を打ち消し、もともとの白いカーネーションに戻そうと試みる実験。遺伝子組み換えに関する法令や命、生物のあやふやさに着目し制作に至った。
この期間でテレワークをする人が増えましたが、男性よりも女性のほうが元気になったという話を耳にします。化粧もしなくてもいいし、家で料理をしながら仕事ができるし、観葉植物やインテリアなど部屋のアレンジもできる、なんていう声が聞こえていて。私の知る限りだと、この環境になってからなんだか男性のほうが元気がなくなっているような気がします。仮にその原因が外出できず家にこもりっきりだからだとすると、オフィスのような人が行き交う場で会話することによって日々の元気を保てていたのかもしれません。文字や画像ではなく、同じ空間を共有しているからこそ抽象化された関係性を保てていたという事実は少なからずあると思います。
この後、自分たちがこれからの社会をいかにして変えていけるのか。それがいま、私たちが直面している状況なのだと思います。たとえ積極的に変えないにしても、自分自身がどう向き合っていくか、その姿勢が問われています。具体的な問題を解決していくというより、現状を受け入れ、自分をしなやかにアダプテーション(適応)していけるかが大事だと思うんです。
そうしていくためには、行動しないと何も変わりません。「行動」と「寛容さ」。この2つが、 これからの社会を生き抜くためのキーワードです。混沌とした日々を過ごすなかで、私自身がこれから大切にしていきたいことも明確になりましたし、娘にも今回の経験から感じたこと、学んだことを伝えていきたいですね。
ー福原志保(ふくはら・しほ)
2001年ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ卒業、 03年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了。研究者、アーティストとして活動する一方、 Googleの先端技術研究部門 「ATAP」に参加。
2021年1月27日更新
2020年6月取材
テキスト:神吉弘邦
写真提供:福原志保