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EMBRACE THE CHAOS カオスが生む豊かさを求めて ー 至善館理事長・野田智義さん

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN EXTRA ISSUE  FUTURE IS NOW『働く』の未来」(2020/06)からの転載です。 


22世紀型のビジネスリーダー教育を掲げる大学院大学「至善館」。ロンドン大学ビジネススクールやフランス・インシアード経営大学院など、世界的なビジネススクールで教鞭を執ってきた野田智義が理事長を務める。新型コロナウイルスにより世界が危機に陥っている状況で野田は、社会から“コモンズ”が失われることを危惧している。芸術はもちろん、さまざまな個人店が立ち並ぶ商店街や飲屋街のコモンズが失われると、街、ひいては世界全体が均等化した様相を呈する可能性がある。人間社会の豊かな生態系を維持するために、我々はどうすればいいのか。

2020年2月末から、至善館ではいち早く、テレワークを始動しました。実践して感じたのは、皆さんの体験と同じで、デジタルの世界は想像以上に便利だということ。出社しなくて済むし、業務の支障はまったくといっていいほどない。けれど同時に、大きな懸念を抱きました。生産性の観点では問題ないのだろうけれど、このままでは人間の豊かな感性が失われてしまうのではないかと。

リアルの世界ではいや応なしにさまざまな人とかかわります。会社にいけば意見の合う人もいれば合わない人もいるし、飲み会にいけば嫌いな人もいる。恋愛も偶発的な出会いから始まります。高校のクラスや大学のゼミでずっと一緒の空間を共有するうちに、気になるタイプではないのに好きになってしまうこともある。そうした「出会い頭」の触れ合いでエモーションが誕生し、豊かな人間関係が形成されます。そして人間というものを丸ごと理解します。

一方デジタルの世界では、自分の選択次第で求めていない人間関係から距離を置けます。例えば恋愛にしても、SNSやマッチングアプリでは年齢、容姿、趣味など属性から人を判断します。また、オンラインの飲み会やミーティングがつまらなかったら適当に理由をつけてインターネットの接続を切ればおしまいです。

「デジタルの世界は自由をもたらす」と手放しで喜んでいいのでしょうか。デジタル化が推進されるほど、僕らは「見たくないもののなかに本質があること」を肝に銘じなければいけません。意識的に見たくないものを見て、「出会い頭」がもたらしてくれる豊かさを維持する必要がある。組織の運営や経営のあるべき姿も、根本的かつ長期的に考えなければいけません。

痛みを分かち合い“コモンズ”を守る

新型コロナウイルスによってすさまじい勢いで経済が縮小し、数多くの業界や業種が悲惨な状況にあります。その結果としてぼくが危惧しているのは、“コモンズ”が失われること。コモンズという概念は非常に訳しづらいのですが、あえて訳すなら“華やかな猥雑さ”と言えるでしょうか。例えば新宿ゴールデン街などがそうです。アメリカと比べて日本の都市は、さまざまな趣をもつ個人経営の飲食店、小物屋、雑貨店などがある。それらは海外の観光客にとっても地元で暮らす人々にとっても、その土地の豊かさを象徴するものです。

けれど地方では、大型ショッピングモールが各地に立ち並び、商店街にある個人店のシャッターが閉まり失われていくケースが少なくない。そして新型コロナウイルスに影響を受けた経済危機により、いまだ豊かさの残る地域においても、一部の大企業だけが生き残り、多様な生態系が失われる可能性が現実味を帯びてきました。コモンズは一度失われると、消えてしまい取り返せない脆いものでもあります。

新宿の古き良き飲み屋街「思い出横丁」には、駅近という立地もあってか、常に多くの人々が行き来する。終戦前後にできた闇市をルーツに持ち、そのほとんどが個人経営のお店ということもあり個性あふれる飲み屋が軒を連ねる。ゴールデン街も同じく、やむなく休業していたコロナ禍では盗難防止のため自発的に近隣のお店同士が交代でパトロールを行うなど強固な連帯が存在する。

デジタル化が推進されることにより個性豊かな文化が花咲く、という予想とはまったく違う現実にぼくらは直面しようとしています。豊かさを守るためには、その現実に抗わなければいけないのです。みんなが自分のことだけを考えると、コモンズは失われます。コロナ禍で生活難に陥ってしまった人もいれば、これまで通りの生活を送れている人もいます。いまこそ、後者の相対的に恵まれている人々のなかで「自分たちでできることをしよう」という機運が生まれなければいけません。

実は先日、ぼくらのインドのパートナーがキャッシュアウトしました。新型コロナの影響によるもので、代表の個人資金もすべて注ぎ込んだ結果、です。しかし彼は前を向いていました。ぼくが「何かできることがあれば言ってほしい」と伝えると、彼は「いままでぼくたちが培ってきた教育で、どうやったらインドの人々をエンパワーできるか考えている」と言うのです。そのとき、ぼくは自分自身を恥じました。彼よりも恵まれている状況にいるのにもかかわらず、自分の組織や身近なコミュニティがいかにして生き残るかしか考えられていなかったからです。

多くの経営者は、大企業でさえ、自分の組織や従業員を守ることで精一杯かもしれない。実際に、なりふりかまっていられない状態に置かれている経営者も多いでしょう。だからまずは生き抜き、自立しましょう。人を助けるためには、自らが自立することが一番大きな武器です。でも、少しでも余裕があれば、同時にコモンズに貢献しましょう。そうしてみんなで痛みを分かち合うことで、豊かな生態系は存続するはずです。

75年間、たまたま恵まれていただけ

困難な状況下でどんな観点からリーダーは意思決定すればいいのか。大切な示唆を与えてくれるのは、唐の第2代皇帝・太宗(李世民)の言行録『貞観政要』で記されている「3つの鏡」です。1つは「銅の鏡」。これは普通の鏡のことで、自らの状態を確認することの重要性を説いています。2つめは「人の鏡」。周囲にいる部下やスタッフの反応、意見を柔軟に受け入れて意思決定をする必要があるということ。最後は「歴史の鏡」。未来から、自らが行った意思決定がどう検証されるか、裁かれるかという観点で、これが求められる最も大切な観点だと思っています。

第二次世界大戦後、ナチス・ドイツは後世の人々によって裁かれました。新型コロナウイルスによる危機が通り過ぎたのち、アメリカのトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領などが下した判断はどう検証されるのでしょうか。同様に、日本に住む私たちの行動も、私たちを知る後世の人々から検証されるでしょう。「古の鏡」の教えから、後世に恥じない行動をすることが求められるのだと思います。

ワークライフバランスを向上させる働き方、遅々として進まなかったデジタル化の急速な普及、医療従事者を応援する運動など、新型コロナウイルスに関連した明るいニュースも聞こえてきますが、ぼくは楽観的になれません。一方で、絶望もしていません。なぜなら、戦後75年間、人類はこうした危機的状況にたまたま陥っていなかっただけだからです。人類の長い歴史は、戦争と疫病の繰り返しでした。現代に生きるぼくらはラッキーだっただけなのです。

だからぼくはコロナ禍で危機的な状況のいまを「大変だ」と嘆くより「人類の歴史を振り返れば、こうしたことは起きてきた。それでも人類は希望を見つけて前進してきた」と捉えています。大きな歴史の流れで人類を捉え、前進するための議論をしましょう。そして、困っている人を支え、自分たちのコモンズを守りませんか。それが現在を生きる私たちに求められていることだと思います。

ーのだ・ともよし
大学院大学至善館理事長。マサチューセッツ工科大学スローンスクールより経営学修士号、ハーバード大学で経営学博士号取得。ハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院特別生、ロンドン大学ビジネススクール助教授、インシアード経営大学院(フランス、シンガポール)助教授を経て帰国。2001年7月、全人格リーダーシップ教育機関であるISL(Institute for Strategic Leadership)を創設。

2021年2月3日更新
2020年4月取材

テキスト:田中一成