【クジラの眼-未来探索】 第13回「日本航空が取り組む健康経営とは!? ~JALの企業理念とウエルネスから学ぶ~」
働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による”SEA ACADEMY”潜入レポートシリーズ「クジラの眼 – 未来探索」。働く場や働き方に関する多彩なテーマについて、ゲストとWORK MILLプロジェクトメンバーによるダイアログスタイルで開催される“SEA ACADEMY” を題材に、鯨井のまなざしを通してこれからの「はたらく」を考えます。
―鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』、『「はたらく」の未来予想図』など。
イントロダクション(オカムラ 安藤絵里子)
安藤:経済産業省は健康経営を「従業員の健康保持・増進の取組が将来に収益性を高める投資であるとの考え方の下、健康管理を経営的視点で考え、実践すること」と定義しています。これまで従業員の健康管理は自己責任、あるいは企業にとってコストと捉えられてきましたが、昨今では、従業員の健康保持・適正化は医療費の適正化、生産性の向上、さらには企業イメージの向上にもつながり、ひいては組織の活性化、企業業績の向上といったリターンにつながると考えられるようになりました。
健康経営を促進するため国は優良な健康経営をしている法人を表彰する顕彰制度を設けていますが、本日お話をうかがう日本航空様はその中から「健康経営銘柄」「健康経営優良法人(ホワイト500)」など多くの賞を受けておられます。同社のCWO(チーフ・ウエルネス・オフィサー=健康経営責任者)として健康経営の推進に尽力されてきた藤田様から健康経営についてご講演いただきます。
プレゼンテーション「JALにおける健康経営について」(日本航空 藤田直志)
健康経営の始まり
藤田:2010年JALは経営破綻いたしました。更生計画を進める中で、大きな傷を負った社員の心を前向きにし、共通の想いを持って進んでいくために企業理念を制定し直すことが必要になりました。このときに策定したJALグループ企業理念が「JALグループは、全社員の物心両面の幸福を追求し、一、お客さまに最高のサービスを提供します。一、企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献します」です。
「全社員の物心両面の幸福」を実現するためには社員の心身の健康が不可欠と考え、私たちは2012年に中期経営計画と連動した「JALグループ健康推進施策」を策定し、2016年度までを目標とした健康推進プロジェクト「JAL Wellness 2016」を立ち上げました。こうして社員・会社・健保が三位一体になって健康づくりの取り組みが始まったのです。
「JAL Wellness 2016」の設定にあたり、私たちは健康問題を抽出するために社員の健康診断データとレセプトデータ(医師の診察費や検査代などの診療内容の明細)を分析し、生活習慣病対策、がん対策、メンタルヘルス対策の三つを施策の柱に据え、それぞれに個別の目標値を設けてPDCAを回してきました。
しかしながら2016年度末に出た結果は満足いくものではありませんでした。そこで私たちは2017年に新たな計画「JAL Wellness 2020」を策定しました。これは、それまでの三つの疾病対策に再び挑みながら、新たに女性の健康とたばこ対策の二つを加えた5つの重点施策からなるもので、2020年度末までを目標に取り組んでいるところです。
JALの取り組み
「JAL Wellness 2020」では、新たに加えたたばこ対策では男性の喫煙率を20%以下にする。女性の乳がん・子宮がんの受診率を40%以上にする、というように施策ごとに数値目標を設定し、その達成を目指して活動を続けています。
また、健康経営の推進体制も強化しています。2017年に私が健康経営責任者CWOに就任し、経営幹部が健康経営について議論・意思決定する「JALウエルネス推進委員会」を新設しました。また従来から展開していたウエルネスリーダーを中心とした職場単位の取り組みについても部門長による支援体制を明確にして強化をはかっています。
病気にならないために
CWOのメール送信
社員に自らの健康のことを意識し日々の健康増進を実践してもらうために、全社員に向けて「ただしのウエルネス日記」というタイトルに私の名前をつけたメールを四半期ごとに送信し、私の想いをダイレクトに伝えています。また、特定保健指導の対象となった社員に対しては個別にメールを送り、将来の疾病リスク・重症化リスクを低減するために、特定保健指導を必ず受けるよう促しています。
地域健康プロジェクト
全国の各職場にウエルネスリーダーを配置し、それぞれの職場に見合った健康増進活動を展開しています。その活動の一環として2018年「地域健康プロジェクト」をスタートさせました。これは地域ごとに役員とスタッフがいっしょになって課題を洗い出し施策を考え実践していく活動です。社員構成や地域によって健康増進に向けた課題は異なるので、全国一斉に行う施策とは別に地域ごとの個別施策も必要だと考えています。
部門・会社を超えた取り組み
部門を跨いだ全社の取り組みに「本気の!ラジオ体操」があります。誰もが知っているラジオ体操ですが、トレーナーの指導によって真剣に実施すると筋肉痛になるほどハードなものです。健康管理だけでなく社員のコミュニケーションの促進にも役立つことから、整備や客室乗務員、営業部門へと広がりを見せています。また、地域の小中学校で採用されたり、東京都の動画サイトにもアップされたりするなど、社外でも注目を集めている活動です。
毎日の取り組み
日々の生活の中に健康行動を取り入れることも大切です。社屋内の階段を上り下りするよう奨励する「階段のスゝメ」。昼寝は午後の生産性を向上させるのに効果があると科学的にも効果が証明されていますので、午後の勤務が始まる前の「昼寝のスゝメ」などを日頃運動不足になりがちな間接部門で働く職場に取り入れ実践しています。
たばこ対策
本社社屋内にあった喫煙所の閉鎖を皮切りに段階的に各事業所の喫煙所を廃止していきました。そのような取り組みを継続した結果、2018年には最大の課題であった就業時間中の禁煙を実現することができました。また、毎月22日を「スワンすわんデー」として一日禁煙を呼びかける、たばこによる健康被害をe-learningで全社員に啓蒙するといった活動などを展開しています。
女性の健康
JALグループは女性の比率が50%ときわめて高く、女性が中心的な役割を担っているため、女性の健康は会社として重要な課題です。そこで、全女性社員に配布する小冊子「Women’s Health Guide」の発行、「女性の健康に関するセミナー」開催、客室乗務員向けた健康セミナー「美・食セミナー」の開催、女性の体と心の健康e-learning「カラコロ検定」や新入社員女性向け教育プログラム「女性のための栄養」の実施など、女性社員に対する様々な施策を実施しています。
病気になった時のために
柔軟な働き方を可能にする制度改革
JALグループでは勤務時間選択制度、フレックス制度、在宅勤務制度、休職制度など時間と場所に縛られない柔軟な働き方を2014年度より順次導入してきました。このような制度を有効に利用することで、生産性の向上のみならず、病気の治療に充てる時間をつくり出すことや不妊治療へ対応することが可能になると考えています。
医療職からの専門的なサポート
病気休業が開始される第一ステップから上司によるフォローが実施されます。主治医による復帰診断が出る第二ステップを経て第三ステップで職場復帰となります。ここで実施される産業医による面談で本人の状況や希望を踏まえ、無理なく復帰することのできる復帰支援プログラムを策定しています。復帰を果たした第四ステップでも産業医によるフォローアップ面談が実施されます。このように社員の段階に応じた医療職によるフォローを実施することで無理のない確実な復帰が可能になるのです。
現在の状況
新型コロナウィルスの感染拡大により航空業界は大きな影響を受けていますが、コロナ禍は社員の健康を考える上で大きな転機となりました。できうる限りの安全対策を実施すると同時に社員一人ひとりが自分の身を護るための行動を徹底することで社業を継続することができています。
感染が発生した直後に対策本部を設置し対策を講じてきました。新型コロナウィルスの特性を医療職と検証した上で、マスク・手袋・消毒液を各現場に配布すべく調達をし、出社前の検温・体調チェックを行った上での出勤を徹底させ、発症した場合の連絡体制や社員への物心両面ケアについても準備を進めました。
その後もさまざまな情報を社員に発信し段階的に必要な物資を届けるなどして、社員の不安を少しでも取り除く努力をし続けています。また、在宅勤務している社員の心のケアも大切です。個々の社員とのオンラインでの会話、経営との話し合いなど積極的なコミュニケーションを展開しています。
今後の取り組み
JALグループは健康経営の取り組みを少しずつ進化させてきましたが、まだまだ道半ばで課題もたくさん残っています。今後は各種のデータを活用することにより予防策をさらに拡充していく予定です。また、ウエルネスリーダーの活動でも具体的な指標を設定するなど、健康経営をさらに前へ進めていきたいと考えています。
健康経営責任者の立場で職場を巡回していて気づいたのは、職場にはさまざまな事情を持った社員が働いているという事実です。これからの経営は、こうした十人十色の社員一人ひとりに寄り添いながら、働きがいのある働きやすい職場を提供することで職場の皆さんの多様性を受け入れていくことが求められると思います。
そのためには、同じ職場で働く社員同士が仲間を大切に思う気持ちが大事です。育児や通院で早めに帰る人が「すみません」ではなく「ありがとう」と言って職場を後にする。まわりの人たちも「お大事にね」と励まして送り出す。そのような職場づくりこそが真の健康経営であるはずです。
社員とその家族の心身の健康を守ることが、働きがいや豊かな人生に、さらには安全運航、お客様への最高のサービスにつながっていきます。今後も健康経営の取り組みを進化させ、企業理念にある「全社員の物心両面の幸福」の達成、さらにその先にある新たな価値の創造に果敢に挑戦して社会への貢献を果たしていきたいと考えています。
クロストーク(藤田 × 安藤)
健康経営を全社に浸透させていくためのコツ
安藤:トップダウンとボトムアップの両輪で健康経営を進めておられますが、両方をうまく機能させ全社一丸となって健康経営を進めていくためのコツをお聞かせください。
藤田:健康経営の目的が何かを徹底できたことが一番大きかったと思っています。会社のためではなく、全社員の物心両面の幸福のための健康経営。社員一人ひとりのために実施するものだということを理解してもらえました。健康経営の目的を正しく理解してもらい、その上で職場の皆さんが主体的に活動し、それを経営側が支援する体制を整える。こうして両輪がうまく回っていくのだと思います。
安藤:どのようにして他の経営者の方々に「健康経営」を理解し納得してもらったのでしょうか。
藤田:健康経営の取り組みを中期計画のKPIに組み込みました。会社の利益、定時運航率、機体の整備率などいろいろな目標があるのですが、これらと同じレベルで健康経営の目標も設定しています。経営会議の中でも健康経営の状況がどうなっているのか報告が上がります。健康経営の目標が単なるお題目ではなく、会社の経営目標の一つに位置づけたことが大きなポイントだと思っています。
社員の方の変化 ~特にコロナ前後の変化~
安藤:2012年から健康経営に取り組んでこられましたが、今日までの間で社員の方々になにか変化はありましたか。
藤田:取り組みを始めた頃は「自分の健康は自分で管理する」「会社に言われてやるものではない」と考えている社員が少なからずいました。しかし、健康経営の目的が浸透していくにつれて「自分の健康は家族のためでもあり、職場の仲間のためでもある」と認識を改める人が増えていきました。これが一番の変化だったと思います。
感染症を想定したBCPをつくるには
安藤:これまでBCPは地震や台風などの自然災害を想定して作られるのが一般的でした。今回のコロナ禍で感染症もBCPの対象に加えるべきではないかという意見が出てきているようです。
藤田:2009年、新型インフルエンザが流行したときに感染症に対するBCPを策定しました。11の対策チームをつくって対応するもので、具体的には、情報を収集する総括情報班や社員家族班、健康管理班といった社員に対応するチーム、旅客、貨物、整備などに向けた対策をつくるチーム、運航を維持する体制をつくるためのチームなどになります。さらに、感染症によってどのくらいの影響が発生しているのかを4つのフェーズに分け、それぞれの段階で各チームがとるべき行動を規定したマニュアルをつくり、行動に移せるようにしています。
安藤:これまでさまざまな指標を用意して健康経営を進めてこられましたが、最終的なゴールはどこにあるとお考えでしょう。
藤田:職場には10人いれば10人事情の違った社員がいることになります。それぞれの社員がみな働きやすい環境、職場にしていくことが理想の姿だと思っています。身体の弱い社員もいれば、一日働くことができない人もいます。悩みを抱えた社員もいる。そのような人たちが「今日は仕事をしにいかなければならない」と暗い気持ちで出社するのではなく、職場に行って自身の成長を感じることができたり、自分の夢を実現できると思えたりすることが大事だと思います。そうしたことを実現させるのが健康経営のゴールだと考えています。
おわりに ~「笑顔」の健康経営~
私が社会に出た今から40年前は残業するのが当たり前。晩飯を職場の仲間とかき込んでからもうひと仕事(ふた仕事)平気でしていました。その頃上司に言われたのは「体調管理も君の仕事の内」という教え。つまりその頃は、自分の健康は自分で管理して自分で責任をとるという時代だったのです。社員の健康づくりを経営の一環としてとして捉えるようになった今からすると隔世の感があります。
信頼し尊重し合う仲間と切磋琢磨して十分な成果を上げ自分の成長を実感できる。そんな素敵な職場には笑顔の人がたくさんいるに違いありません。つくり笑いや冷笑ではない本物の笑顔は幸福の証し。心身共に健康である証しです。KPIに笑顔率を取り入れた健康経営が多くの組織で実施される時代がやってくることを期待してやみません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回お会いする日までごきげんよう。さようなら!(鯨井)
登壇者のプロフィール
-藤田直志(ふじた・ただし)日本航空株式会社 取締役副会長
1956年生まれ。神奈川県出身。1981年、日本航空株式会社入社。販売統括本部本部長、株式会社ジャルセールス代表取締役社長などを歴任し、2016年より代表取締役副社長執行役員、2020年4月より現職。2017年より健康経営責任者(CWO=チーフ・ウエルネス・オフィサー)、またJALウエルネス推進委員会委員⻑として日本航空の健康経営に従事。趣味はマラソン。
-安藤絵里子(あんどう・えりこ)株式会社オカムラ 人財開発部 D&I推進室
2005年株式会社岡村製作所(現 株式会社オカムラ)入社。オフィス環境事業の営業支店、人財開発部を経て、2019年3月よりダイバーシティ推進室(現 D&I推進室)に所属、現在に至る。ダイバーシティ&インクルージョンの基礎基盤に従業員の健康があるとの考えのもと、2019年度より健康経営の取り組みにも関わっている。
2020年12月3日更新
取材月:2020年10月
テキスト:鯨井 康志
WORK MILL主催のオンラインセミナー等はこちらでご紹介しています。