【クジラの眼-未来探索】 第10回「“遊びの精神”がもたらす場づくり」
働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井による”SEA ACADEMY”潜入レポートシリーズ「クジラの眼 – 未来探索」。働く場や働き方に関する多彩なテーマについて、ゲストとWORK MILLプロジェクトメンバーによるダイアログスタイルで開催される“SEA ACADEMY” を題材に、鯨井のまなざしを通してこれからの「はたらく」を考えます。
―鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』、『「はたらく」の未来予想図』など。
イントロダクション(オカムラ 花田愛)
花田:本日お話をうかがう小堀哲夫さんは、ニューノーマルな生き方が提唱される今、働くこと、住むことについて根本的な場のあり方や生き方の再構築を考える機会であると捉え、建築の設計を通じて「遊ぶという働き方、生き方」を勧めています。
「遊ぶ」という言葉は自主性と積極性を含んでおり、人間の根源にあるもの。効率ばかりを追ってきた現代は忘れがちだったことです。本来“遊びの精神”とは、成長とイノベーションを生む活力となるものなのです。今回は“遊びの精神”がもたらす場づくりについてお話しいただきます。
プレゼンテーション(小堀哲夫)
小堀: 本日は“遊びの精神”をテーマとしてお話しします。コロナの影響で私たちはテレワークを強いられ、新しい働き方を経験することになりました。そんな中で働くことの意味を再定義すべきではないかと思い至りました。
「働く」ことは苦痛を生むネガティブなものと捉えている人が多いと思います。そんな「働く」を楽しく嬉しいものと認識できたらどうでしょう。そのような思いを持って働けるように社会全体が移行すれば、みんなが幸せに過ごして行くことができることでしょう。このコロナ禍をきっかけにして働くことの意味を皆さんと考えていきたいと思っています。
コロナがもたらした変化
コロナのために何が変わったのかを考えてみたいと思います。私は建築の設計をしていますが、テレワークを余儀なくされ現場に出向く機会が大幅に減りました。そのことによって「勘」が働かなくなったと感じています。そして勘というものが私にとって重要なスキルであったことに気づかされてもいます。
フィジカルな付き合いの中、言葉で表せないものから「この人は信頼できる」「この仕事は危ない」といった大切なことを感じたり、想像したりしていたことが分かってきたのです。たしかにオンライン会議でもある程度のコミュニケーションをとることは可能です。
ところが、新しいプロジェクトを立ち上げてみんなで議論をする場合や創造力を発揮しなければならないときなどには、いっしょにいないとうまく行かないことは皆さんも経験しているのではないでしょうか。オフィスでの会議の前後にしていた何気ない会話の中で重要な気づきを得ていたという話もよく耳にします。
私たちはコロナによって、本当に不要不急なものは何だったのかをあらためて考える機会を得ました。そして一見不要不急なものに見えても実は必要なものがあることにも気づかされたのではないでしょうか。私はそれが「勘」を生み出してくれる言語化されない暗黙知のようなものだと考えています。
変わったことの二つ目は、多くの人が「ノマド(遊牧民)」になったことです。これまで私たちはオフィスと呼ばれる「あそこに行けば働ける」という場所を持っていました。しかしテレワークを強要されるにつれて、オフィス以外の場所で働くことが普通になるにつれ、オフィスに対する帰属意識はすっかり薄れてしまいました。
ノマドは場所に縛られることなく常に一番いい場所へ移動して生活をしていく人々。ですから今一番いい所がどこなのかを知っていることが大切ですし、一番いい所を知っている人を知っている、つまり信頼できる人とのネットワークも重要になっていきます。
これまで私たちはオフィスに行けば仕事があると思ってやってきました。信頼できる人のネットワークもそこにはありました。しかしその場所に行く機会が減った今、信頼関係を構築していろいろな働く場を移動し続けることができるか否かが仕事をしていく上でとても大事なことになっています。
人間の距離感と空間
花田:自宅に閉じこもってオフィスを含めた外の世界に触れない状況で働いていると、「何か見落としているのではないか」「重要なことに気づけていないのではないか」という感覚にとらわれることがあります。勘を働かすのに物理的な場所が果たす役割は大きいのでしょうか。
小堀:自分の縄張りにいて信頼できる人といっしょにいれば、人は安心して最適なポテンシャルを発揮することができるはずです。しかしそのような居心地がいいと感じる場所は人によって多種多様。他の人とそれぞれが望む絶妙な距離感をとりながら私たちは生きているように思えます。
アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは著書の中で、人と人との関係性を整理してソーシャルディスタンスという適度な距離感を提唱しています。その考え方が教育現場でも有効だと考え、これから紹介する梅光学院大学「The Learning Station CROSSLIGHT」を私は設計したのです。
ホールが定義したソーシャルディスタンスとは1.2mから3.6mまでの距離のことで、この範囲にいる人間同士は、自分の世界観を守りつつ仲間の世界観も共有できる。つまり人が過ごすのにちょうどいい空間だと考えられるのです。
梅光学院大学では、先生と生徒に「つかず離れず」の関係が保てるようにするため、ソーシャルディスタンスの上限である半径3.6mを超えない7mグリッドを基本とした空間設計をしています。文科省の基準では40人の生徒を収容できる8mグリッドを推奨しているのですが、それだと先生の目が行き届かなくなるのでさぼる生徒がでてきてしまいます。そこで空間をもう少し小さいサイズ、7m以下にすればそのような行為はしにくくなり、互いの信頼関係が築けるようになると考えたのです。
梅光学院大学の校舎はアクティブラーニングスペースを設けたいという要求に従って設計したもので、一番の特徴は、廊下が無いということです。と言うよりも、教室が無く、すべての空間が移動空間になっていると言うのが正しいのかもしれません。この中で、学生は自分の居場所を自由に決めて、そこで授業を受け、学習し、食事をとり、雑談しています。
利用している状況を見ていて気づかされたのは、人間は「好きな場所に居ていい」となったとき、互いに適度な距離感をとりながら空間を利用できるという事実です。これまでの学校建築は、ここは授業を受ける場所、ここは食事をとる場所などと行為に対してそれを行う場所は固定化されていました。
しかし梅光学院大学の学生のように、自分の居場所を自由に選択してもいい「場」を提供しさえすれば、人はうまくやっていくことができるのです。それは人間が本来的に他者との距離をうまくとりながら過ごしていく能力を備えているからに他なりません。これからの建築には、集まりたい人や逆に一人になりたい人が自然と共存できる、都市のような機能が必要になっていくと私は考えています。
梅光学院大学ではさまざまな授業があちらこちらで行われていて、その様子をまわりに居合わせた人は見聞きすることができます。このやり方はオフィスにも展開できるのではないでしょうか。そもそもこれからのオフィスはプロジェクトスペースの集合体になっていくと私は予想しているのです。
オフィスの運用方式にABW(Active Based Working)というものがあります。これは、仕事に応じて個人が働く場所を選ぶ働き方ですが、その発展形としてPBW(Project Based Working)が今後出現することを私は予測しています。それはオフィスの活動が従来の縦型組織の手から離れ、多くの仕事がプロジェクト単位で進められる働き方で、オフィスはたくさんのプロジェクトの塊で構成されている空間へと変貌を遂げることでしょう。
多くのプロジェクトに入っている人は、日によってノマドのようにプロジェクトスペースを渡り歩くようになります。その中で自らのネットワークは広がり、それによってその人はどんどん成長していく。これがこれからの組織に求められる働き方なのではないでしょうか。
“遊びの精神”と働く場
花田:オランダの歴史家ホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ存在)」と捉え、文化の中に遊びがあるのではなくて、遊びが人間に文化をもたらしたという考え方を示しています。遊びが実は人間の本質なのかもしれません。本日のテーマである“遊びの精神”について最後にお聞かせください。
小堀:「遊」という漢字のもともとの意味は「旗を掲げて外の世界に行く」ことなのだそうです。それは本来なら神が行う行為であって、人間の中で許されているのはリーダー。つまり率先してものごとを始め、まわりの人間を巻き込んで率いていく能力を持つ人だけなのです。つまり「遊」はリーダーのみが行える自由で創造的なものだと言えるのです。
梅光学院大学では、学内でゲームをしても韓流ドラマ見てもいいという、教育現場として一般的にはありえない運用をしています。しかし学生たちは、隣で授業をしていれば静かにしなければならないことを覚えるなど、自らがとるべき行動を自律的に考えるようになり、社会性を獲得していってくれているようです。
オフィスの中でも、自ら進んで動こうとしない人間は次第に淘汰され、自主自立する人間だけが残る。そんな先頭を切って走っていく人間が求められる時代が来ているように思います。多くの人が“遊びの精神”を持って働く。そんな社会を私たちは目指していくべきでしょう。
子供時代には遊びが大きなウェイトを占めていましたが、大人になるにつれて遊ぶ時間は減っていきます。それに代わって私たちは「仕事」という生き甲斐を得て生きているのです。コロナによってその生き甲斐であった仕事そのものを失った人は少なくないし、ICTやAIに仕事を奪われてしまった人もいます。それでも遊びの精神、つまりチャレンジし創造する意欲さえあれば人は新たな生きがいをきっと見つけられるはず。こんな時代だからこそ、もっとポジティブに考えていきたいものです。
おわりに ~ 遊び ≒ 仕事 ~
フランスの社会学者ロジェ・カイヨワはホイジンガの影響を受けて執筆した『遊びの精神』の中で、遊びの本質を 追求しています。カイヨワは著書の中で、遊びは次の4つの要素でなりたっているとしています。
- アゴーン(競争:チェス、サッカー、徒競走など)
- アレア(偶然:ルーレット、サイコロ、じゃんけん、など)
- ミミクリ(模倣:ごっこ遊び、仮装、演劇、RPGなど)
- イリンクス(眩暈:絶叫マシーン、ブランコ、サーカスなど)
60年も前に著されたこの考え方が現代のゲーム制作者の間でいまだに参考にされていることに驚かされますが、それはさておき、個々の要素を眺めてみると、どの要素も「仕事」の場面で顔をのぞかせるものであることに気づかされます。
「遊び」と「仕事」はけっして相反するものではなく、それぞれから私たちにもたらされる感情には共通点が数多くありそうです。遊びこそが人間の本質であるならば、“遊びの精神”を善と捉えて私たちは何ごとにも立ち向かわなければならないし、そうであるのなら、自律的で豊かな“遊びの精神”を持った活動を適切にサポートし、促してくれるような「場」が私たちには必要です。街に、自宅に、そしてオフィスにも。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回お会いする日までごきげんよう。さようなら!(鯨井)
登壇者のプロフィール
-小堀哲夫(こぼり・てつお)株式会社小堀哲夫建築設計 事務所代表/法政大学 デザイン工学部 建築学科 教授
法政大学大学院工学研究科建設工学専攻修士課程(陣内秀信研究室)修了後、久米設計に入社。2008年、株式会社小堀哲夫建築設計事務所設立。2017年「ROKI Global Innovation Center –ROGIC-」で日本建築学会賞、JIA日本建築大賞を同年にダブル受賞。2019年に「NICCA INNOVATION CENTER」で二度目のJIA日本建築大賞を受賞する。近作に「梅光学院大学The Learning Station CROSSLIGHT」がある。2020年〜・梅光学院大学客員教授。
-花田愛(はなだ・あい)株式会社オカムラ ワークデザイン研究所
大学院卒業後、オカムラに入社。専門は芸術工学。オフィスや公共施設の空間デザインを経て現職。現在は、コミュニケーションと環境をテーマに、これからのはたらき方、学び方とその空間の在り方についての研究に従事。社内外のダイバーシティ推進プロジェクトを担当。大阪大学招聘教員。著書に「オフィスはもっと楽しくなる – はたらき方と空間の多様性 –」がある。
2020年10月1日更新
取材月:2020年8月
テキスト:鯨井 康志
WORK MILL主催のオンラインセミナー等はこちらでご紹介しています。