うすきとライフを考えよう 最終回 「キャリアをつくるうえで大切なこと」
このコラムは「ワークインライフ※1 」を今まさに模索中のWORK MILLの薄(うすき)が、試行錯誤の毎日の中で自分なりに感じたこと考えたことをお伝えしていく連載。子育てに限らず、ライフキャリア・ワークキャリアについても自身の経験をもとにお話ししていきたいと思っています。
最終回はキャリアの話。題して、「キャリアをつくるうえで大切なこと」です。
※1「ワーク」と「ライフ」という2つの要素を同列に捉えるのではなく、「ライフ(人生)にはさまざまな要素があり、その中のひとつとしてワーク(仕事)がある」という考え方のこと。ライフを構成する要素としては、ワークのほかにファミリー(家族)、ホビー(趣味)、ラーニング(学び)、コミュニティ(組織・地域)などが考えられる。
2000年の中頃だろうか。日経WOMANの表2見開きに「妹たちへ」という連載があったのを覚えている方はいるだろうか。一つ一つの内容は具体的には覚えていないのだが、まだ若かった私はその連載を非常に楽しみにしていた。佐々木かをりさんや橘・フクシマ・咲江さんやその時代に(今も)ご活躍されている女性の先輩方がご自身のご経験から後輩に伝えたいことを素敵な言葉で伝えてくださっていた。いつか私もこんなことが伝えられるようになれるといいなとも思ってもいた。先輩方の珠玉の言葉を紡ぎだせるかはわからないが、私なりのキャリアの話をさせていただければと思っている。(妹たちへは日経ビジネス文庫で書籍化されているようですね)
めいっぱい仕事をすることがなぜ大切なのか
私の(ほぼ)ファーストキャリアはフリーペーパーの広告営業でスタートした。今はもうないのだが、「escala」というフリーペーパーの本誌とWEB媒体の広告枠を販売する営業職である(その後CM枠を売る経験もした)。私の職歴の昔話はみなさんにお話してもあまり意味があるとは思えないので、ここでは詳しくはお話しないが、私はこの2年半大いに働いていた。
このような時代にこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、朝から17時、18時ころまで営業に出てそれから帰社、そのあとに顧客への提案書作りで気づくと終電の時間。毎日平均して4~6件顧客訪問をしていたのだから、夜遅くまで仕事をし顧客への提案資料や分析資料を作成しないと追いつかない。でも友人や同僚とも飲みにいきたい!そんな私は終電の時間くらいから深夜まで営業している新丸ビルのリゴレットにGOというのを週に2~3回やり(時にはもっと?!)、朝はしっかり定時には自席に座っている。そんな生活をしていた。
本当に若かったなあ、若さってすごいなあ(体力あって笑)と今でも思う。なんでこのような昔ばなしをしているかというと昔の寝ずに働き遊んだ時期を自慢したいわけではもちろんなくて、この大いにうんと働いた時期に、私は自分の仕事の型ができたと思っているのだ。
いま思うと本当にがむしゃらだった。営業という仕事をするのも初めてで、しかも新規開拓営業なので、1日100件のテレアポをし、ビル崩しといって今日はこのビルにしようと、決めたビルの最上階から一番下まで、飛び込み営業をしたりもしていた。もちろん1件もアポがとれなかったときには相当へこんだし、ビル崩しで飛び込み営業をしてすべて断られた(ことはよくあった)ときも、人格を否定された気になって暗い気分になったりもした。ほかにもいろいろ。
ただ改めてよかったなあと思うのは、たくさんの時間を仕事に費やしたことで経験する機会が存分にあったということ。経験のなさ丸出しで仕事に向かい失敗をたくさん、本当にたくさんしたし、お客様に怒られ泣きながら仕事をしたことも、ミスをしクレームが入りお客様を怒らせてしまい謝りにいったことも何度もあった。その経験の一つひとつが今の自分をつくっているなあと本当に思う。思えば毎日お客様に提案する資料をそれぞれのお客様を想像し、つくり、提案し続けた毎日だった。その一つひとつの経験がどれも無駄になることなく、自分の糧になっているなあと思う。
今はなんでもすぐに調べられる時代である。調べて答えがでるとわかったような気になってしまうが、経験し得たものとは雲泥の差となる。最初から正解や最短を目指してしまうと見えにくいものがあるのではないかと思う。今のように、業務時間に限度がある中でも経験値を増やしていくことはもちろんできるし、その中で内省をしていくことで経験をスキルにすることは可能だと思う。ただ本気でこれは!という仕事に出会ったらめいっぱい仕事をしてみることも私はおすすめしたい。
リフレクション(内省)のススメ
仕事で失敗をしたとき、そしてうまくいったとき、みなさんはそのあとどうしているだろうか。少々気持ちが悪いかもしれないが汗、私は(今も)事あるごとに振り返りをし、あれはなんでうまくいったんだろう、あれはどうしてうまくいかなかったんだろうと具体的に思い出す一人反省会をしている。企画や提案がスムーズに通らなかったとき、話すタイミングは適切だったか?話し方や話の順序は?しっかり伝わる構成だったか?不必要な内容が含まれていなかったか?相手のことを考えられていたか?また提案できるタイミングがあるか?などさまざまな観点から考え自分なりに答えを出し、次回に臨んでいる。コルブの経験学習のサイクルのように。日々の小さな経験での内省もおすすめだが、内省は思いもよらぬ異動などの転機や今までの経験を活かすことが難しい修羅場に遭遇した時にもその威力を発揮すると私は思う。
<コルブの経験学習理論>
コルブの経験学習理論は、経験学習の話題の際には必ずと言ってもいいほどに紹介される理論です。その中核は、「具体的経験」「内省的観察」「抽象的概念化」「能動的実験」からなり、この4つのステップを回していくことが経験を学習に昇華する際に必要だと言われています。
<コルブの経験学習サイクル>
「具体的経験(Concrete Experience)」:具体的な経験をする。
「内省的観察(Reflective observation)」:自分自身の経験について多様な観点から振り返る。
「抽象的概念化(Abstract Conceptualization)」:他の状況でも応用できるよう、一般化・概念化する。
「能動的実験(Active Experimentation)」:新しい場面で実際に試してみる。
ほかには…反省はするが後悔はしない毎日を送るようにしている。反省と後悔は似て非なるものであると私は思っている。反省は次があり活かしていけばいいのだが、後悔は次がない。あのとき言えばよかった、やればよかったと思うくらいなら言ってしまって&やってしまって、言い過ぎた&やりすぎたという反省のほうがよいと個人的には思っている。
計画された偶然?! ー ジョン・D・クルンボルツ博士のプランド・ハプンスタンス理論
私の現在の専門領域は組織開発、人財開発である。今の私が天職だ!と思っているこのキャリアは学生のころや卒業して自身の仕事を考える際に想定していたかというと、そんなことはけっしてなかった。自身の経験を振り返りながら、それに関連したプランド・ハプンスタンス理論をご紹介したい。
広告営業をして1年半ほどが経ちフリーペーパー広告営業の業務の大枠が見え自身の仕事についても手ごたえを感じてきたころ、私の中である思いが育っていった。それは、広告業界は自分には合わないのではというもの(1年やそこらで広告の何がわかる!というご意見は多々あると思いますが、若かったうすきの個人的な意見としてご容赦ください)。社会的には重要な業界で広告がないとよい商品もなかなか世に知られることはないし、顧客にしっかり届けるという点で必須なのはわかっていたが、自身がずっとこの業界に身を置くかというと違和感があった。もう少し手触り感のあるような、自分がより身近に感じられる世界に身を置きたかった。
そこでじゃあ次に私は何がしたいんだ?と考えてみたものの、経験値がそのときにあまりなかったため具体的なイメージが湧いてこない。だとするとまずは異動し別の世界をみることが必要、と考え自分なりに選んだのが学生の時とそのあとに少しかじって知識があった法務部だった。異動したい!と思ったものの、組織は私のためにあるわけではなく、当たり前だがそんな簡単に自らが希望する部門への異動はできない。でもできる限りのアクションはしよう!と考えた私は3つの策を考え実行した。
- 年1回の人事の異動希望ヒアリング時期に 「すぐ異動したい」 を選び提出。
- ①のシステムで異動希望を出すだけではなく、いかに異動がしたいか、法務部にいきたいかという熱い想いを3枚にしたため合わせて提出。
- 人事部の知り合いにコンタクトをとり、異動先の状況をそれとなく聞きながら自分が異動したいということをアピールする
その時の自分ができる限りのことをできる限りの方法で実行したのである。結果は、なんと自身の異動希望のタイミングで異動が通ることになる。ただし異動先は研修企画部。いまの私の軸となるキャリアがここでスタートしたのである。
組織は自分のペースで動くわけではもちろんないし、上記の私の3つの策がどれだけ効果があったかは分からない。なぜ私の異動が実現したかというと、社長(広告営業のときの事業部管轄役員も兼任されていた)がどこかで私の異動希望を聞き、研修企画部に異動させろと言ってくださったとのこと。その時に社長がそう言ってくださらなかったら、もしかしたら私は今とは全く別のキャリアを歩んでいたかもしれない。
私は運よく社長のおかげで自身の軸となる領域に出会うことが出来た。ただその時はもちろん、のちに自身の専門領域になることはつゆにも思わず、研修企画部?聞いたことない部署だ、一体なにをやるんだろう?と思っていただけだった。そこからさまざまな経験を経て自身の軸に育て上げていくという自分の努力もあったのだが、私はこんなふうにして今の自身の専門領域に出会ったのである。
<プランド・ハプンスタンス理論>
プランド・ハプンスタンス理論は計画的偶発性理論ともいわれ、“変化の激しい現代において 個人のキャリアの8割は偶然の出来事によって決定される”とし、その偶然を計画的に設計することで自身のキャリアをより良いものにしていこうという考え方です。心理学の権威であるスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ博士が提唱しました。偶発性を受け入れると同時に、自ら偶然の出来事を引き寄せるための実践ポイントとして、次の5つの行動指針が挙げられます。
- 好奇心:興味関心のある分野だけでなく、普段から視野を広げるように努めること。
- 持続性:失敗してもあきらめず向き合い、努力し続けること
- 楽観性:失敗や困難もポジティブにとらえること。
- 柔軟性:こだわりを捨て、常にフレキシブルな姿勢で臨機応変に対応していくこと
- 冒険心:リスクを恐れず行動を起こすこと
プランド・ハプンスタンス理論で重要なのは、偶然の出来事や出会いをキャリアアップにつながる機会ととらえること。自身が計画した通りのキャリアステップでなかったとしても、まずは飛び込んでみようやってみようという姿勢が次のステップにつながることもあるといえます。偶然の機会を積極的に増やすよう視野を広げ自ら行動することで、キャリアが広がっていく可能性が高まることをプランド・ハプンスタンス理論は教えてくれます。
そこから自分の軸となるキャリアにどう育て上げていったのか、そしてそのあと転職し今オカムラにいることもプランド・ハプンスタンス理論の中にあると私は思っている。長くなってしまうのでここでは書かないが、機会があったらどこかで触れられたらと考えている。
終わりに
キャリア論の世界ではよく知られている話なのだが、「幸運の神様は前髪しかない」 という言葉がある。私は初めてこの言葉を聞いたときから大切に心に留めている。意味としては想像に難くないと思うのだが、“幸運は準備をしておかないと気づかずに通り過ぎてしまう。そして通り過ぎてしまったら捕まえることができない(前髪しかないからつかめない)。だからこそ幸運が来た時にしっかりつかめるように準備をしておこう。”そんな意味である。この言葉はライフキャリアにおいて非常に重要なことを教えてくれると私は思う。意識をすることで初めて出会えるものがある。準備をして臨んでこそ感じるものがある。めいっぱい力を注ぎ、震えるような不安や悩みの中で模索し続けた先に見える景色がある。見える景色は人によって異なる。でもその景色を見ることを目指してほしいと私は思っている。そして一人ひとりが見たい景色をみることができるよう、一生を通して支援していけたらと思っている。
■著者プロフィール
―薄 良子(うすき・りょうこ)
広告コンサルティング営業、研修プログラム企画・開発のプロジェクトマネジメントなどの職歴を経て、2015年にオカムラに入社。社内働き方改革、ダイバーシティ&インクルージョン推進、社外との共創活動を中心に、組織開発のプロジェクトに従事する。東京外国語大学ペルシア語科卒。筑波大学大学院経営学修士(MBA)。CDAキャリアカウンセラー。
■うすきとライフを考えようシリーズ 過去掲載記事
2020年9月30日更新
テキスト:薄 良子(株式会社オカムラ)
トップ写真提供:菅原大介(株式会社ライ)
著者プロフィール写真:藤原 慶