「面白い」がすべての判断基準。『有隣堂しか知らない世界』が生まれた社内外の共創の設計
「宣伝したい」という会社側の思惑と、「見てくれる人のためにいいものをつくりたい」という社内クリエイターの気持ち。その板挟みの中で、いつの間にか「誰にも刺さらないコンテンツ」で妥協してしまう……。組織で働いていると、思い当たることがあります。
1909年に横浜で創業し、神奈川を中心に展開する老舗書店の有隣堂。企業YouTubeチャンネルの成功例として注目を浴びる『有隣堂しか知らない世界』の裏側には、そんな企業の思惑を徹底的に排除し、視聴者に対してどこまでも誠実であろうとする姿勢がありました。
時には社内外から寄せられる要望に対して慎重な判断を重ねながら、その姿勢をどう築いてきたのでしょうか? 今回はプロデューサーを務めるハヤシユタカさんと、有隣堂社員の阿部綾奈さんに、社内外の垣根を越えて、組織の中で本質的な「面白い」を共創するヒントを伺います。
「面白いかどうか」がすべての判断基準。会社都合の企画を「断る」勇気
まずお二人の役割と、有隣堂公式YouTubeのチーム体制について教えてください。


阿部
私は、有隣堂の社長室デジタルクリエイティブチームに所属しています。
動画の企画がメインの業務で、企画の一次判断や社内確認の担当です。他には、「有隣堂しか知らない世界」に関連するイベントやグッズ製作などにも関わっています。


ハヤシ
私はフリーランスの動画クリエイターで、有隣堂の社員ではありません。
2020年6月の『有隣堂しか知らない世界』というチャンネルの立ち上げからプロデューサー兼ディレクターの役割を担っています。
プロデューサーと呼ばれてはいますが、いわゆるディレクター業務を全部やっているので、撮影から編集、企画の立案、進行、構成など、動画に関わること全てを担当しています。

今は何人体制でチャンネルを運営しているのですか?


阿部
合計8人で回しています。社外でご協力いただいているのはハヤシさんとブッコローの中の人の2名、有隣堂社内では6名です。
社内スタッフでは、立ち上げからずっと動画の企画やイベントを担当している上司の渡邉 郁と私の2人が企画を担当しています。
あとは、収録中の音声チェックや機材管理をするテクニカルに詳しいメンバー、デザインの知識があるメンバー、そしてブッコローを動かす黒子のスタッフですね。加えて、事業責任者であるチームリーダーがいます。
少数精鋭なのですね!
このチャンネルは企業が運営しているにもかかわらず、100万回以上再生されている動画も多数ありますよね。こういった企画は、どうやって考えているのですか?


阿部
視聴者の層を見てみると、いろいろな年代の方々がいらっしゃるので、専門的な知識がなくても楽しめる点を大切にしています。やはり、より多くの方に楽しんでいただきたいな、と。
ハヤシさんはどうですか?

ハヤシ
とにかく「面白いか」という点です。笑いとしての面白さもありますし、知的好奇心が満たされる、感動する、共感するなどいろいろあると思います。いずれにしても視聴者が面白いと思えるものかを大切にしています。
もう少し付け足すと、このチャンネルの目的は「有隣堂のファンづくり」なんです。書店が扱う「本」という商品は、価格やサービスで差をつけにくい特異な市場なんです。


ハヤシ
だからこそ「どうせ買うなら、あの面白いことをやっている有隣堂に行こう」と考えるお客様を一人でも増やしたい。そう考えると、面白い動画を作らなきゃいけないんです。
当たり前のようですが、これを企業発信のメディアでやり続けるのはとても難しいんですよね。
なぜですか?


ハヤシ
新商品を売りたい。特定の作家を強く押し出したい。そういう会社の都合が先に来てしまうのが一般的だからです。
でも、僕たちは一本たりとも、会社よがりの情報は発信しないと決めています。そういう会社の都合を断り、プレッシャーを跳ね除け続けることが「面白い」を作り続けるために不可欠なんです。

その「面白さ」を判断する基準はシビアなのですね。


ハヤシ
これは、経験値に基づく判断がとても大切なんです。
今のところ、結構僕の判断によるところは大きいとは思っています。
面白いという感覚は、人によって違いますよね。
企画を考える時、制作メンバー内でのズレはありませんか?


ハヤシ
ズレありまくりですよ(笑)。特に有隣堂では「本に囲まれて育ちました!」みたいな本好きも多いので、どうしても「本大好きっ子よがり」な情報になったりするんです。
そうすると、僕が経験してきたテレビ業界出身のマスメディア的な感覚のなかでは「この情報は明らかに多くの人には伝わらないよ」という企画も出てきてしまう。
だけど、一概には言えなくて。すごくマニアック、超ニッチな情報でも、情報として面白いから「いけるかもしれないね」というのもあります。

阿部
あと、視聴者の目線に立つことは意識していますね。私自身、文房具や文芸にとても詳しい、というわけではないんです。
だからこそ視聴者と同じ目線に立って、「じゃあ、どういう切り口だったら、この人たちが楽しんでくれるだろう?」とよく議論しますね。


阿部
「この本や商品を取り上げてほしい」という売り込みは、本当にたくさんいただきます。
ただ、ハヤシさんに提案する前に相手の方と何度も話し合いをして企画を練り上げることも多いです。もちろん、依頼時点で厳しいものは有隣堂社内で取り上げないと判断することもあります。

ハヤシ
僕と打ち合わせをしてからも、「これは厳しいですね」と不採用になることは多々あります。
視聴者の面白さを優先する以上、そこは譲れません。
豪華ゲストの「素」を引き出す秘策は徹底した事前交渉

北方謙三先生や中山七里先生など、豪華なゲストが登場する回も印象的です。
こうしたコラボ企画はどのようなプロセスで進んでいるのでしょうか。


阿部
出版社さん側からのご提案をいただくケースが多いですね。北方謙三先生の時も、角川春樹事務所様から『三国志』の文庫新装版が出るタイミングでご提案がありました。
「北方先生に出ていただけるなら、どんな企画にするか?」を、プロデューサー含めて一緒に必死に考えましたね……。

ハヤシ
本好きな社員だけで考えると、どうしても「生き様を聞こう」とか「作品へのこだわりを聞こう」といった方向になりがちなんです。でも、それだけだと視聴者は重くて見ないかもしれない。
だから、作家さんを知らない人、作品を読んだことがない人が見ても面白いと思える切り口を考え抜く。
プロモーション目的のご提案であっても、僕らはメディアとして視聴者に面白いものを届けなきゃいけないというスタンスは崩しません。
それは先ほどから企画の際に徹底しているところですね。
北方先生の時はどのように企画をつくっていったのでしょうか?


ハヤシ
北方先生は、執筆中にホテルに缶詰めになられると聞いたので「その中に入らせてもらっていいですか」と提案しました。

ハヤシ
中山七里先生の時は、24時間飲まず食わずで執筆されているというエピソードから、カメラを仕掛けさせてもらう提案をしたり。
その方にあわせて企画を詰めていくのですね。


ハヤシ
作品の紹介だけでなく、その人の「面白さ」をどう引き出すか。
その擦り合わせをご提案いただいた側と何度も行うので、実現するまでは本当に長い時間がかかります。

阿部
長いものだと、本当に半年以上かかることもありますね。
安易な妥協はしません。
半年……!? 本当に厳しい基準で作っているんですね。
それだけ時間をかけて企画をつくる一方、番組のMCを務めているR.B.ブッコローさんは、ゲストの情報をほとんど知らないまま当日を迎えると聞きました。実際はどのような打ち合わせをしているのですか?



ハヤシ
全く情報を入れない時もあれば、あえて少しだけ伝える時もあります。僕とゲストの間では事前に綿密に打ち合わせをしますが、その内容はブッコローには知らせません。
たとえば、中山七里先生の回で「先生が24時間寝ていない」という情報を僕は知っていますが、ブッコローには伝えない。
でも、その話は絶対に引き出したいので、彼には「どういうスケジュールで動いているか聞いてみて」といったヒントだけを出すんです。
話を引き出す仕掛けはするのですね。


ハヤシ
はい。そして、ブッコローに渡す台本は、ゲストがどう答えるかの部分をわざと「黒塗り」にしています。
だから、彼が質問して返ってくる答えは、彼にとっても完全な「初見」なんです。その驚きや反応をそのまま出すのが一番面白いですから。

阿部
ブッコロー自身が素直なキャラクターなので、思ったことをそのまま口にしてしまうんです。
それが視聴者と同じ目線になるんですよね。

ハヤシ
企業の都合で「こう言ってほしい」と押し付けるのは、一番やってはいけないことです。
ブッコローが本当に面白いと思っているかどうかが画面越しに伝わるからこそ、視聴者が信頼してくれるのだと思います。

「嘘をつかない」ことがブランドを救う
企画を進める中で、どこまで踏み込むかという線引きも企業にとっては難しいのではと感じます。
「ここまでは踏み込める」という共通認識は、どのように築いてきましたか?


ハヤシ
目的を見失わないことで、踏み込む範囲の共通認識を築くことができると考えています。
有隣堂なら、社長の掲げる方針と「有隣堂のファンを作る」「視聴者にとって面白い動画を作る」という目標を決して失わないことです。
【社長の掲げる方針】
・人権侵害をしない
・反社会的なことをしない
・誰かを傷つけることをしない
・著しく品性を欠くことをしない

ハヤシ
過去には、社内から「店舗のイベントを盛り上げるために登壇する人をどうしても動画に出してほしい」と強く依頼されたこともありました。
でも、それでは目的と手段が逆になってしまいます。そこをきちんと断り続けることが大切なんです。

でも目的を見失わないって、とても難しいことですよね……。


ハヤシ
そうですね。僕もぶれることはあるんです。たとえば、イベントで売上が立った時に「もうちょっと収益を狙ってもいいんじゃないか」みたいに一瞬考えちゃう(笑)。
でも、「いやちょっと待て、これはズレてるぞ」と問いかける。常に目的を己に問いかけることが大切です。

阿部
社内でもズレちゃう場合はあります。
そこはみんなで話し合って、共通認識として持とうとしています。

最後に、「もっと面白い企画を作りたい」と思っている企業の担当者の方がいたらどんなことをお伝えしますか?


阿部
まずは目標をしっかり立てて、運営メンバー全員で共有すること。そして、密なコミュニケーションを諦めないことだと思います。
私たちのチームも、「ファンづくり」という目標に真剣に向き合い続けています。それが面白いコンテンツを作るための唯一の道だと思っています。

ハヤシ
「嘘はつかない方がいい」ということです。企業は建前の情報を流したがりますが、視聴者はそれを見透かします。
たとえば、再生数をお金で買うのは、一番ダサいし、視聴者の信頼を損なう最大の損失です。視聴者の目は本当に肥えていますから、バレると「ダサい」というレッテルを貼られてブランドが台無しになります。
たしかに……。


ハヤシ
そうならないためにも、やはり目的を大切にすることですね。それができないなら、もう「そのプロジェクトは閉じたほうがいい」とすら思います。
会社よがりの情報で視聴者を騙してはいけない。嘘のない、誠実な「面白さ」を追求し続けること。それがもっとも重要なことだと思います。
目的をぶらさず、誠実に作り続ける。その姿勢が、有隣堂さんの強さの源泉なのだと感じました。今日は貴重なお話をありがとうございました。


2026年3月取材
取材・執筆=ミノシマタカコ
撮影=栃久保誠
編集=鬼頭佳代/ノオト


