背伸びの先にたどり着いたのは、工芸と建築の架け橋。インド仏教の「坊主経営者」が語る51:49の哲学(塚原龍雲さん)
2000年生まれのZ世代にして、インド仏教で得度した僧侶経営者。異色の経歴を持つ塚原龍雲さんが経営する株式会社KASASAGIは、2020年の創業以来、オンライン販売から建築・設計施工へと、事業領域を広げてきたスタートアップ企業です。
伝統工芸を単なる「モノ」として扱うのではなく、ひとつの「フィロソフィー(哲学)」として空間に統合させる。効率至上主義からの脱却し、この思想に行き着くまでの試行錯誤の日々、そして仏教的精神に基づいた「豊かな働き方」について聞きました。

塚原龍雲(つかはら・りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに、帰国後の20年に「KASASAGI」を創業。伝統工芸品のオンラインショップや、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。21年、インド仏教最高指導者、佐々井秀嶺上人の許しを得て出家。著書に『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)。
背伸びを重ねたZ世代が工芸×建築に出合うまで
塚原さんが立ち上げた「KASASAGI(カササギ)」はどんな会社なのか教えてください。


塚原
KASASAGIは日本の伝統工芸に使われている技術や素材、手仕事を、いかにして建築や空間と統合するか、という事業に取り組んでいる会社です。


塚原
社名は、七夕の神話で織姫と彦星のために天の川に橋をかけた「鵲(カササギ)」という鳥の名前に由来します。
日本文化の美意識を世界へ届ける架け橋となり、「日本と世界」「作り手と使い手」「過去と未来」を繋ぐという理念を込めて2020年に創業しました。


塚原
ただ、創業当初は「伝統工芸で起業したい」という漠然とした想いしかありませんでした。まずは一番手を着けやすかったオンラインショップから始めたのですが上手くいかず……。
「もっと大口の発注ができる仕組みを作らなければ」と危機感を抱いて結婚式のカタログギフトや、企業の周年記念といった法人ギフトへと事業を広げていきました。
そこから、どんなきっかけで建築というかけ離れた領域に?


塚原
転機となったのは、もともとオリジナルの記念品(贈り物)を製作させていただいていたデベロッパーの方から「物流施設のエントランス空間に伝統工芸を取り入れたい」とご提案いただいたことでした。
建築の知識がない状態だったにもかかわらず、背伸びをして「できます」と答えたのが建築業界への入口でした。
「伝統工芸を現代の空間デザインに融合させる」という現在のKASASAGI事業の軸は、そこで生まれたのですね。


塚原
はい。ところが、作品が完成していざ取り付けの段階になったら、さまざまな問題が発生してしまったんです。建築業界は何かが起きたときに責任の所在を明確にするために、作った人が取り付ける「責任施工」という管理体制があります。
でも、僕らはその常識をまったく知らなかったので、納品はできても取り付け方がわからないし、建設業許可だって持っていない……。
そのときは何とか収まりましたが、「このままでは駄目だ」と認識し、一級建築士と施工管理技士を探し、工芸的な素材や技術を建築・空間へと応用できる設計施工会社としての体制を整えました。

伝統工芸の技術や素材を、現代の空間につなぐ。まさに社名の由来である「鵲(かささぎ)」のように、「渡せる橋」としての体制ができあがったのですね。


塚原
工芸素材は、それが用いられる床や壁、天井といった空間全体の色調やマテリアルと呼応させなければ、本来の価値が伝わりません。
「茶室」をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。季節や来客に合わせて、活ける花や掛け軸が変わる茶室のように、工芸もひとつの空間内ですべてが相互に関連し合って価値が成り立つものだからです。


塚原
「伝統工芸と現代の空間を融合させた」という在り方はイノベーティブに聞こえるかもしれませんが、必死に背伸びをし続けた結果、今の形に行き着いた、というのが正直なところです。
英語力ゼロからの留学、挫折、手探りでの起業
そもそも、塚原さんはなぜ起業を志したのでしょうか?


塚原
高校時代まではプロサッカー選手を目指していましたが、プロへの道を諦めたんですね。じゃあ何をやろうかと考えたときに、自然と「起業」という選択肢が浮かびました。父も祖父も自営業という環境で育った影響も大きいかもしれません。
ただ、起業家の生存率を調べると、10年生き残れるのはごくわずか。それなら、いっそ一度や二度失敗しても「再挑戦の証」と評価してくれる文化があるアメリカで起業について学びたいと思い、高校卒業後はアメリカに留学しました。

その時点で英語は問題なく話せたのでしょうか?


塚原
いえ、まったく。当時は英検3級に落ちるレベルでしたから、まずアメリカの語学学校に入ったんですね。そこで最初に語学力のクラスを分ける試験を受けたところ、6段階の一番下のクラスに振り分けられて。なんと僕一人でした(笑)。
6段階の最上級クラスを卒業できれば大学の入学資格が手に入る仕組みだったので、そこからが必死でしたね。睡眠時間すら惜しんで、誇張なしに1日20時間くらい英語を猛勉強しました。何とか半年後にはアメリカの大学で起業について学ぶコースに入学できました。
若さと体力があった18歳とはいえ、すさまじい集中力と行動力ですね……!
そこからアメリカの大学で、日本の伝統工芸を見直すようになったのはなぜでしょう?


塚原
当初は起業するならIT関係だろうと考えていたのですが、同じクラスで今度は自分よりも圧倒的に頭のいい連中を目の当たりにしたんですね。頭の回転も英語力も自分の意志をプレゼンする力も、僕が彼らに勝てる要素はまるで見つからなかった。
じゃあ、このコミュニティにおいての自分の強みはなんだろうと考えたときに、「日本人であること」しかなかったんです。巨大なマーケットをもつ日本人の視点や意見に、価値を感じてもらえることが何度もあったからです。


塚原
その延長線上で、「日本が持つ文化資本(アセット)って何だろう?」と考えて行き着いたのが伝統工芸でした。だから、最初の頃は「文化を保護したい」といった尊い気持ちは1ミリもなくて、僕の下心による起業です。
単純に、トヨタを超える価値を作るなら、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)のような文化の会社を日本で実現したほうがいいと思えたし、そのためにはITよりも伝統工芸で起業するほうが筋はいいという直感がありました。
全国の職人に送った100通の手書きラブレター
清々しいほどに大きな野望ですね!
とはいえ、それまでの人生で伝統工芸とまったく関わりがなかった無名の若者だった塚原さんが、どのようにして職人や産地と関わりを作ったのでしょう?


塚原
会社を立ち上げる前に、全国の工房や職人を調べて、「取引させてください」とお願いする手書きのラブレターを送りました。
当時の僕は、職人さん=山奥にこもって作業をしている孤独なおじいちゃん、という勝手なイメージがあったんですよ。
だから手書きで送ったら喜んでもらえるのではと思って全国のさまざまな工房に100通ほど送ったのですが……返事が来たのはたった一人だけでした。

2000年生まれ、Z世代の塚原さんは正真正銘のデジタルネイティブ世代ですよね。
なぜ手書きという発想が浮かんだのでしょう?


塚原
そこは父の影響が大きいです。僕の父は贈り物ひとつにしても、「世界一巨大な生きたオマール海老」や「生ハムの原木」といったこだわりの品を突然送りつけては、相手を驚かせて忘れられない印象を残すような人でしたから。
その背中を見ていたので、実績も何もない僕ができることは、手紙で相手の心に残ることだと思ったんです。
返事が来たのは一人だけでしたが、その後は手紙を送った全国の工房をすべて訪ね歩いたんですよ。それでわかったのは、みんな普通に町中で暮らしているし、LINEもしている。だから僕の手紙も単に怖がられていただけだったみたいで……(笑)。


塚原
そんなふうに全国を歩いてさまざまな職人さんたちと一緒に過ごす中で、工芸に対する僕の認識が大きく変わりました。正直なところ、創業当初は工芸に対してどこか「野暮ったい」というイメージがあったんです。
でも、全国の職人さんたちと話すほどに彼らが自然の素材とどう向き合って、どういう心持ちで仕事をしているのかというフィロソフィー、つまり精神性や哲学そのものにどんどん惹かれていったんですね。
それを何かの形に変えて世の中に伝える方法がきっとあるはずだし、KASASAGIでそれをやっていこうと次第に考えるようになりました。
職人の技術だけに着目するのではなく、そのフィロソフィーにこそ価値を見出して伝える役割を担おう、と思い至ったのですね。


塚原
以前に「メゾン・エ・オブジェ」という欧米最大級のインテリア・デザイン見本市に出展したとき、こんなことがありました。
僕の隣のブースに出展した漆職人の方が、小ぶりのボウルを展示していたんですね。でも、訪れるバイヤーからは「器のサイズが小さい」と指摘されてばかりで。彼は「来年はもっと大きな器を作ってきます」としょげていましたが、僕はそうじゃないと思ったんです。
だから、その職人さんが落ち込んでブースを離れている間にバイヤーが来たときに、僕が代わりにそのブースで勝手に対応したんですよ。
え! それでなんと?


塚原
「なぜ日本人はすらっとした体型の人が多いのかを考えてほしい。このサイズには日本の食文化や身体感覚という背景があるんだ!」
そういう話をバイヤーに真剣に訴えたら、「そうかもしれない!」と喜んで手に取ってもらえたんですね。そんな経験を通じて、「市場のニーズに合わせるのではなく、やっぱりフィロソフィーを伝えるべきなんだ」という実感がますます強まりました。
だって、仮に次の年に大きなボウルを制作してきても、次は「高い。この値段だと他の製品に負けて売れない」と言われるだけなんですよ。それではきりがないから、戦うのであれば他には真似できないフィロソフィーでないと。

流れに乗ってインド仏教の僧侶兼経営者になる
会社としての方向性が見え、経営も軌道に乗り始めた。そんな時期に、塚原さんはインドで急遽「出家」をされたそうですね。


塚原
起業から3年が経ち、会社としては売上が上がるようになっていたのですが、当時の僕は完全にタイパとコスパの呪縛に支配されてしまいました。
決算書の数字を追うあまり、友人の恋バナを聞いても「何も生産されない無駄な時間だ」とイライラしていたし、家でも「自炊する1時間で売上がいくら立つか」と考えるようになり、人間らしい豊かな暮らしからかけ離れていきました。


塚原
社内でも過剰に攻撃的になってしまい、創業時からのメンバーをストレスで声が出なくさせてしまったり、過食に追い込むまで責めてしまったりして、メンタルを崩す従業員が続出するほどで……。当然、自分自身の心身もボロボロになっていました。
そんなときに知り合ったのが、「ジモティー」など数々のIT事業を牽引したベンチャー投資家の小野龍光さんでした。彼に悩みを打ち明けたところ、「じゃあ僕の師がインドにいるから一緒に行こう」と誘われるままにインドへ行ってみることにしたんです。
では、その時点で出家するという発想はなかった?


塚原
まったく考えていませんでした。龍光さんの師であり、インド仏教界の最高指導者である日本人の佐々井秀嶺さんという方に10日間つきっきりでお会いできる機会だと聞いたので、じゃあ人生経験として行ってみよう、くらいの気持ちでしたね。
「塚原、袈裟を着てみたいか?」と佐々井さんに唐突に聞かれたのは、現地3日目の午後でした。僕としては海外からの観光客が浅草で着物をレンタルする感覚かなと思ったので「着たいです」と気軽に答えたんですね。
ところが、翌日に車に乗せられたら『世界ふしぎ発見!』のテレビ取材班も同乗していて、目的地に着く少し前に、佐々井さんから「得度式をやる」と突然告げられたんです。
いきなり!?


塚原
「得度式って何ですか?」「僕、坊主になるんですか!?」って驚愕ですよ。
そんな僕に龍光さんは「まあ、流れに身を任せるのも大切だから」と言うだけだし、現地に着いたら人が大勢集まっているしで、もう断れない状況で……。
でも本気でNOと言えば、おそらく断れたのでは? どんな心情で最終的に決断したのでしょう?


塚原
「僕は会社をやっているし、従業員や取引先を捨てられません」と最初は踏ん切りがつかなかったんです。
でも、「じゃあ、何のために会社をやっているんだ?」と聞かれた時、出てきた言葉が「職人さんに恩返ししたい」でした。


塚原
僕の起業の動機は崇高でもなんでもなく、お金持ちになりたいという下心だってあります。でも、突き詰めると恩返しがしたいんです。
お金がなかった時代から家に泊めてくれて、よくしてくれた人たちに、喜んでほしいし、美しいものを作ってほしい。会社を使ってそういう未来を作りたい。
佐々井さんと話し合ったことで、そういう自分の本心も見えてきたし、「じゃあ、坊主のまま経営をすればいい」と言われたので、最終的には受け入れた、という経緯です。
従業員や取引先の方々からすれば、インド旅行から帰ってきた経営者が突然お坊さんになっていた、ということですよね。さぞ驚かれたのでは?


塚原
そうなんです。しかも得度式の様子が全国放送のテレビ番組で放送されましたから、職人さんたちからLINEで「お前は何やってるんだ!?」との問い合わせが殺到しましたし、会社の問い合わせフォームにも見ず知らずの人たちからの悩み相談が相次ぐなど予想外の混乱もありました。


塚原
そんなふうに流れに乗っての出家でしたから僕としても迷いながらの日々が続いたのですが、翌年にまた佐々井さんに会いに行って相談したところ、「偉いぞ」と褒められて。
こう言われたんです。
「お前は経営者と坊主を二足のわらじでやっているんじゃない。仏教精神を基に経営をする、坊主経営者であれ」

塚原
佐々井さんのその言葉がすごく腑に落ちて、スーッと視界が開けました。
坊主経営者というスタンスがはっきりしたことで、進むべき道が見えてきた。だから、結果的には出家してよかったと思っています。
会社経営の指針は「51:49」
では、「坊主経営者」としてのスタンスは、経営にどのように活かされているのでしょう?


塚原
KASASAGIでは「51:49」という指標を大切にしています。ものづくりや文化が「51」で、経済が「49」。
株式会社である以上、経済を否定はしませんが、文化という目的のために経済を機能させるというスタンスを明確にしています。
象徴的な例をあげると、ある職人が作る5,000円のお椀がここにあったとします。そのお椀は口があたる縁の部分が外側に緩やかに反り返っていて、唇に心地よくフィットするんですね。その工夫をなくして、普通のお椀にすれば3,000円にまで値下げできるし、売れるんですよ。


塚原
でも、それをすると、職人さんたちが「作っていて面白くない」と言う。
それならば僕たちがすべきなのは2,000円を削り出して画一的なお椀を作らせることではなく、これまで「無駄」として捨てられてしまっていた2,000円の部分を、文化的な価値やものづくりの豊かさとして消費者に理解してもらうことなんです。
ものづくりをする人の喜びを、僕たちが奪ってはならない。職人さんたちにとっての「面白い仕事」で、売り上げを作っていく。そこがKASASAGIで大事にしているところです。
「会社のために人を使う」のではなく、「人の夢や理想を叶えるために会社という器がある」ということですね。
では、最後にKASASAGIが目指すビジョンを聞かせてください。


塚原
建築業界も伝統工芸も「下請け・元請け」という意識が強い世界ですが、僕たちは設計者も職人も施工者も、横並びでディスカッションしながら新しいものを生み出す「水平分業」の会社でありたいと考えています。
僕たちの会社がお金を稼ぐ目的は、面白い仕事を増やして、人を豊かにすること。この軸が定まってから、伝統工芸と経済を繋ぐ挑戦を迷いなく続けられています。
職人さんの尊厳が保たれ、ものづくりの喜びが循環する。そんな「健康的な美」が日常の中に当たり前にある社会を、これからも建築という大きな器を通して実現していきたいと考えています。

2026年3月取材
取材・執筆=阿部花恵
撮影=栃久保誠
編集=鬼頭佳代/ノオト


