「経験」を学びと成長に変える人材育成
前編では、組織における人材育成は、まず「組織」と「個人」の2軸の視点で紐解く必要があること、そして経営課題として人材育成に取り組む「組織」の覚悟と、それを受け止め自分事として捉え成長する「個人」の覚悟をとらえました。そして中でも「個人」が自分のキャリアを自分で描く意識を持つことの重要性を考えました。そこで、後編では人材育成における重要な2つの軸のうち、今回は「組織」、中でも、組織における「経験」に焦点をあてていきたいと思います。
人は日常の中でさまざまな経験をし、成長していきます。実務家の方であれば、自身の過去を振り返り仕事上でのさまざまな経験が自分を成長させたという実感は非常に強いのではないでしょうか。リーダーシップ開発の研究で著名なモーガン・マッコールは「成人の能力開発の70%以上は経験によって説明することができる」といっています。社会に出て、成長し活躍していくには、さまざまな経験、しかも出来る限り自己の成長に寄与する経験をすることが重要であるといえます。そして現場の経験を知ることは、組織において人を戦略的・効果的に育成することへとつながります。
では実際のはたらく現場では、どのような経験が行われているのでしょうか。
経験とは何か、そして経験はどのように学習になっていくか
まず、経験とは何か、について考えていきましょう。誰もが毎日さまざまな経験をしていることと思います。たとえば、あるプロジェクトで客先にプレゼンをしたとしましょう。そのプレゼンをしたという経験は、プレゼンをした事実として本人にインプットされます。と同時にそのプレゼンがうまくいったかいかなかったか、もしうまくいかなかった場合、どうすればうまくいったか、こうしたらうまくいったのではないか、と次回に向けて試行錯誤する時間が発生します。個人の経験とは、このプレゼンをした事実からその結果を受け止め思考をめぐらす時間までを含めた一連の流れと位置づけることができます。哲学者であり教育学者でもあるジョン・デューイは、「経験は個人と個人を取り巻く環境との相互作用である」といっています。これは、先ほどの例でいうと、プレゼンをしたという経験はその行為者である自分(個人)と、その経験を受け取った客先(環境)との相互作用、つまり、経験をした自分と、その経験を受け止め評価をした客先があり、その客先からの反応で自身がまた経験に関しなんらかの思考をする、その一連が経験であるといえるでしょう。経験は、行為と解釈・思考が結び付いた、一連の流れである必要があるのです。
次に、経験はどのように学習になっていくかをみていきたいと思います。先ほどのあるプロジェクトでプレゼンをしたケース、評価があまり芳しくなかったとして、考えてみましょう。プレゼンをした個人は客先の評価を受け止め、自身のプレゼンの時の様子・発言・内容・印象などを振り返り、どこが良くてどこが悪かったのかを改めて自分の中で評価します。そしてその後もし次にプレゼンがあるとしたら、こうしてみよう、という結論を導くとします。これが経験が学習になる瞬間、といえるのです。なぜならここで、今まで個人の中で既にあったスキルが、経験をし振り返り改善点を洗い出し次の手を導き出すことで、ブラッシュアップしていると捉えることができるからです。組織学習・経験学習を研究している松尾睦は、「直接あるいは間接的な経験をすることによって、既存の知識、スキル、信念の一部が修正されたり、新しい知識、スキル、信念が追加されたりする。この変化が学習である」といっています。つまり経験をした結果、その個人の中で既にあった概念に意味づけができたり、既知の知識が新しい価値を持ったり促進されたときに、経験が学習になるのです。
最後にもうひとつ、先ほどの客先へプレゼンをするというケースにおいて、経験をした後に起こる個人の思考の部分についてもみておきましょう。経験が学習になるまでのプロセスの中の振り返り=自分の中で評価をし改善点を洗い出し、次の手を導く(そして機会があったら次の手を試してみる)。この個人が経験をした時に自然と回す思考のサイクルは、経験が学習になるサイクルとして、デービット・コルブによってモデル化されています。デービット・コルブは学習を「経験を変換することで知識を創り出すプロセス」と定義し、次のような経験学習モデルを提示しました。
- 具体的な経験をし(具体的な経験)
- その内容を振り返って内省することで(内省的な観察)
- そこから得られた教訓を抽象的な仮説や概念に落とし込み(抽象的な概念化)
- それを新たな状況に適用する(積極的・能動的な実験)
経験そのものよりも経験を解釈して、そこからどのような法則や教訓を得たかが重要であるといっているのです。
節目の一皮むけた経験が、人を成長へと導く
CCLのモーガン・マッコールらは、大規模なインタビュー調査を行い、6つの主要な企業の成功している経営幹部(successful exectives)191名の経験を抽出し分析を行いました。経営幹部に対しては、次のような質問をしました。
「管理職としてのキャリアを振り返り、管理職としてあなたの能力を変化させるようなイベントやエピソードを少なくとも3つ思い出してください。
その時、何が起こりましたか。
そこからあなたは何を学びましたか。
その結果、616個の経験(イベント)とそれに対応する1547個の学習(レッスン)が導き出され、経験は3カテゴリーに分類されました。モーガン・マッコールらはそれらの分析の結果、成功した上級管理職の経験を、「課題(assignments)」「上司(bosses)」「修羅場(hardships)」という3つのカテゴリーに分類しました。そして、高業績者=成功した上級管理職は、他者である「上司」から価値観や社内政治の仕方を学習し、さまざまなチャレンジングな「課題」を遂行することを通じ、自信、独立心、知識、他者との関係性と配慮、タフネス、を身に付け、「修羅場」の経験を通じ内省することで、謙虚さ、ものの見方を学んでいたということを明らかにしました(松尾睦)。
経営幹部の調査から抽出された重要なイベント
CCLのモーガン・マッコールらの研究フレームを使って、日本においても調査が実施されています。2001年に、金井壽宏・古野庸一は、日本の大企業19社の経営幹部20名と、日本を代表するリーディング・カンパニー10社における次世代リーダー候補者である中間管理職26名に対してインタビュー調査を実施しました。インタビューでは、モーガン・マッコールの質問項目に追加して、「過去の仕事経験において、自分が一皮むけたと思う経験を3つ以上抽出してもらい、それぞれの経験で何を学んだか」を聞いています。「一皮むけた経験」とは、自己の成長のきっかけとなるインパクトが大きい経験のことを指します(金井壽宏)。この概念は、モーガン・マッコールらの「quantum leap experience(量子力学的な飛躍となった経験)」という定義をもとにしたもので、今までのステージから次のステージに上がり、より自分らしいキャリア形成につながった経験を指しています。この調査から明らかになった主な発見事実を、金井壽宏・古野庸一は次のようにまとめています(松尾睦)。
- リーダーシップの経験は仕事経験から培われる。一皮むけた経験の中で、研修プログラムを挙げた例は全体の3%であった。
- ある特定のイベント(経験)から必ずある特定のレッスン(学習・教訓)が得られるというわけではない。
- ミドル層とトップ層の「一皮むけた経験」は似通っており、時代背景が異なってもおなじような経験が学習に役立っている
- 「一皮むけた経験」が生じた時期は入社時から退職時まで幅広く分布しており、いくつになっても人は経験から学ぶことができる
- モーガン・マッコールらの調査結果と比較して、日本の中間管理職は「ラインからスタッフへの異動」から多くのレッスンを学んでいる
著名な経営学者であるジョン・コッターは、「最も典型的で重要な経験は、キャリアの初期に本当の挑戦をすること」といっています。これらの研究からいえることは、「組織」の人材育成においては、「組織」が人=従業員に戦略的・意図的な経験をさせることが必要だということです。と同時に、『個人』の側ではそれを「一皮むけた経験」にできたかどうかが自身のキャリア形成に影響を及ぼすといえます。ここで注意したいのは、経験が個人に過剰な負荷をかけてしまうとしたら、その経験はネガティブにはたらいてしまいます。重要なのは、「組織」がその人のその時のスキルや能力を見極め、ストレッチな経験をさせること。その戦略的に考えられた「一皮むけた経験」が「個人」の成長に寄与し、その個人のキャリアをつくっていくうえで、非常に有効なものとなるといえるのではないでしょうか。
【参考文献】
- Dewey, J.(1997)『Experience and Education』 Kappa Delta Pi(市村尚久訳『経験と教育』講談社)
- 金井壽宏(2002)『仕事で一皮むける:関経連一皮むけた経験に学ぶ』光文社新書
- 金井壽宏・古野庸一(2001)「「一皮むける経験」とリーダーシップ開発:知的競争力の源泉としてのミドルの育成」一橋ビジネスレビュー,2001年,SUM
- McCall,M.W.,Jr., Lombardo, M., & Morrison, A.M.(1998)『The Lessons of Experience』, Lexington Books.
- 松尾睦(2006)『経験からの学習:プロフェッショナルへの成長プロセス』同文館出版
- 中原淳(2010)『職場学習論:仕事の学びを科学する』東京大学出版会
- 谷口智彦(2006)『マネジャーのキャリアと学習:コンテクストアプローチによる仕事経験分析』白桃書房