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日本人はもっと、自由でいていい ー 着物デザイナー・キサブローさん【クジラと考える ー 日本らしい働き方 ー 第弐話】

働く環境、働き方の調査・研究を30年以上続ける業界のレジェンド、鯨井康志による連載「クジラと考えるー日本らしい働き方ー」。日本の伝統文化に携わるキーパーソンへの取材を通じて、時代に左右されない「日本らしい働き方」の行方を、鯨井が探ります。

今回のゲストは、着物デザイナーでアーティストのキサブローさん。異業種から転身を図ったキサブローさんの語る「着物の本質的な魅力」と、ユーモアがあり、柔軟性に富んでいたという「日本人の気質」から、どんな「はたらく」のヒントが見えてくるのでしょうか。

海外で再認識した着物のポテンシャル

「着物」と聞くと、ついかまえてしまう人が多いのではないでしょうか。「着付けが難しい」「季節によって色柄の組み合わせに決まりごとがある」「繊細な生地だから汚さないように気をつけなければならない」──。

けれども実は、着物はもっと「自由」なものだと話すのが、着物デザイナーでアーティストのキサブローさんです。

「日本ってもともと、『ルールに従って生きる!』みたいな考え方だけでなく、ゆるいところもあったんです。日本で洋服が着られるようになったのも、『明日からみんな洋服を着るべし』とかじゃなくて、和洋折衷で『上はモーニング、下は袴』みたいな時代があったみたいなんです。すごくカッコよくないですか?」

―キサブロー(きさぶろー)着物デザイナー
創業90年の仕立て屋「岩本和裁」の〈4代目キサブロー〉は、着物業界の革新的存在であった初代・岩本喜三郎の名を受け継ぎ、和洋のみならず性別のボーダーを越え、全ての人々を既成概念から解放することを目標に、ありのままの自分に寄り添うアウトフィットを提案する。2015 「キサブロー開国展」松屋銀座、2016 「ISETAN×ルパン3世 LUPINISSIMO IN ISETAN2016」 、2017 「滝沢歌舞伎2017パンフレット 衣装提供」、2018 第31期竜王戦・羽生善治棋士着物デザイン NHK「LIFE!」SP 忍べ! 右左ェ門 衣装デザイン、2019 パナソニック100BANCH 第一期フェロー

キサブローさんは1922年創業の仕立て屋「岩本和裁」の四代目。棋士の羽生善治さんが第31期竜王戦で着用した着物のデザインや舞台「滝沢歌舞伎」NHK「LIFE!」への衣装提供、アメリカやイタリア、ブラジルなど海外での展示などアーティストとして幅広く活動しています。

そんなキサブローさんですが、もともとは多摩美大でメディアアートを学び、アートユニット「明和電機」や映像制作会社で働くなど、着物とは無縁の業界にいました。

「小さな頃から行事やお祭りなんかで着物や浴衣を着ていたのですが、親から与えられた柄はしっくり来なかった。女の子として育てられていたので、『また花か……』って、好きになれなかったんです」

「ものづくりがしたい」という思いを抱きながら、その表現手段を模索する日々。転機は映像制作会社でADとして働いていた頃にやってきました。自分好みの着物を自分で選ぶようになったことで、身近な存在だった着物に関心を寄せるようになったキサブローさん。出張で訪れたパリやアメリカでも、合間の自由時間に着物をまとい、街を歩いてみました。すると、道ゆく人々から次々に声をかけられたのだといいます。

「みんな『ステキね!』って注目して、写真を撮ってくれた。着物そのもののポテンシャルを改めて実感したんです」

30歳を前に、自分でも着物を仕立てられるようになろうと、父である岩本好司さんに教えを乞うと、思わぬ言葉が返ってきたといいます。

「着物なんて斜陽産業なんだから、ダメだ」と。

けれどもキサブローさんはあきらめず、一受講生として”実家”の和裁教室に通うことにしました。「月謝を払ったら、教えないわけにもいきませんしね(笑)。教室以外でもわからないことがあったらどんどん父親に聞いて、勝手にいろいろと作品をつくって、ついには展示会まで開いてしまいました」

2015年、松屋銀座の屋上「ソラトニワ銀座」で開催した「キサブロー開国展」を契機に、和装と洋装、男性と女性といったあらゆる境界を超えたジャンル横断的な着物デザインに注目が集まり、2016年新宿伊勢丹が開催した「ISETAN×ルパン三世」でのコラボ着物デザインやアメリカ・サウスバイサウスウエストなどへの出展、アニメ「鬼滅の刃」スペシャルイベントの衣装制作など、活躍の場を広げていきました。

「サスティナブル」と「粋」に見てとれる伝統文化の本質的価値

キサブローさんがその名を継いだ、初代岩本喜三郎さんは、もともとランプや行灯などの油を売る家に生まれたものの、電気の普及に従って家業が廃業に。奉公先の和裁屋でその技術を学んだ後、独立。「岩本和裁」を創業しました。

柔軟な発想の持ち主だったという初代喜三郎さんは、戦時中、ミシンで軍服を縫った経験から、和裁にもミシンを導入。雑誌『主婦之友』が主催する講座で一般の方向けに和裁教室を開くなど、和装の振興に務めました。新宿にある寺院、正受院に奉納されている針供養の衣装は、初代喜三郎さんによるものだといいます。

「歌舞伎の衣装から色柄を持ってきて、組み合わせたりしていて、いま見てもすごく自由なんです。いまだに曽祖父名義で年賀状が届きますし、存命中からの知人の方が私の展示会へ来てくださったり、親族からいろんな話を聞いたりして、はちゃめちゃでも良いんだな、って。
名前を継いだのも、世襲制や古風な名前に憧れていたからなんです。自分で何か表現するんだったら、『キサブロー』と名乗ろう、と。響きがカッコいいじゃないですか(笑)」

キサブローさんは着物について、お直しすれば何世代にも渡って着られ、直線裁断で布のはぎれがほとんど出ないという、サスティナブルで合理的なつくりが魅力的だと語ります。

「デザインに洋服の要素を取り入れることもあるのですが、無理して現代に合わせようと立体裁断などをすると、着物本来の良さが薄れてしまうんです。直線裁ちで残布を出さずに、反物を余すところなく使う。本質的にエコなものづくりが脈々と受け継がれてきたことに、敬意を表したいと考えています」

着物というと、細かな刺繍や鮮やかな染色などに目が向きがちですが、キサブローさんは、東京ならではの「粋」にも注目してほしいと話します。

「『着物をつくっているんです』とお話すると、やはり『京都の方なんですか?』と言われることもあるんです。京都は西陣織や京友禅が有名ですからね。でも東京は……江戸時代までさかのぼると、武家文化で奢侈禁止令(徳川禁令)などで華美なものは着られなかった。その結果、武士が着る『裃(かみしも)』に由来する江戸小紋が庶民たちにも広がって、人気となりました。一見すると無地だけど、よく見ると細かい模様が入っているんです。そういうのが粋なんですよね」

キサブローさんがこの日着ていたのは、黒地に杜若(かきつばた)文様の入った長羽織。Tシャツの上からサラリと羽織って、まるで薄手のロングガウンのよう。かしこまった着物の印象とはずいぶん違います。

「着物に窮屈なイメージを持っている方は多いですが、海外では逆に『リラックスウェア』として着られていることもあるんです。『キモノスリーブ』としてモードファッションにも取り入れられていたりしますし、もっと気軽にリラックスして着たり、ビシッとモードにも着たり、さまざまなシーンに合うようにデザインしていきたいですね」

「守るべき伝統」という固定観念を打ち破り「日常」を取り戻す

ー着物の羽織をベースにフードを合わせたデザイン

海外でも活動するキサブローさんは、現地の方が自由に着物を捉える様子に、刺激を受けるといいます。

「ブラジルで和裁のワークショップを行なったときは、紐をわざとたらして結べるようにしたり、袖を短くしたり、こちらが何も言わなくても自由にカスタマイズしてくれるんです。私たち日本人に怒られるかも、と不安に思いながらも、やっぱりそういうのが楽しいらしくて。『すごく嬉しいし、インスピレーションが湧きます』とお伝えしたら、安心してくださって」

「アメリカでも現地の方は『着てもいいですか?』と積極的で、逆に日本の方は『えー、こんなのどこで着るの?』とか『今どき、着物ってどうなの?』って、わりと否定的な意見があって……『こうあるべき』という思いが強いのかもしれません」

確かに、旅先などで着物を借りて着てみたら、着物に詳しい人に「帯がだらしない」「生地が安っぽい」「色柄が季節と合っていない」などと指摘され、嫌な思いをしてしまった、という声も聞かれます。「晴れ着」とも言われるように、着物は「ハレの日」だけに着るもの、というイメージが広がり、着物はどんどん日常から遠ざかってしまったのでしょう。

キサブローさんはそんな風潮が変わっていくといいと語ります。

「本当は別に、そんなに気にしなくても大丈夫なんです。着物にススキ柄が描かれて、帯にトンボがいて……『秋の装いだ』って、謎解きみたいなのも楽しいですけどね。『着物を正しく着ましょう』という風潮が広がっていったのは、『バレンタインデーにチョコを贈りましょう』みたいな、ある種業界でビジネスを盛り上げようという意図もあったみたいなんです」

「いま、私たちがイメージする着物の基本的な形は江戸時代後期からほとんど変わっていませんが、それ以前は流行りに応じて袖の形や帯の位置も変わっていました。そもそも『お端折り(帯の下で着物を折り返し、長さを調節すること)』ができたのも江戸時代からです。『衣紋(えもん)を抜く』のも、に鬢付け油がつかないようにするためで、わりと歴史が浅いもの。歌舞伎役者や吉原の遊女なんかを真似して、着こなしが進化していったのだと思います」

いわば、着物はあくまで「ケ」の日常着として、そのときそのときの風俗や流行を反映していたものが、ある一定の時期から「ハレ」のものと見なされ、「守るべき伝統」として、変化することから遠ざかってしまったと言えるのではないでしょうか。

キサブローさんはそんな着物に「日常」を取り戻し、もっと自由に着こなしてもらいたいと考えています。

「いま、多くの人にとってはハレの日に着物か、あるいは花火大会に浴衣を着るか、くらいしか選択肢がありません。もっとTシャツを選ぶような感覚で、日常のファッションに取り入れてもらえるようにしたいんです。『今日はジャケットじゃなくて、羽織にしようかな』って。オフィスウェアにも最適だと思いますよ」

「イタリアのジャパンウィークに参加したときに悔しかったのは、日伊の関係者や政府の方々が視察に来られていて、みなさんスーツをお召しになっていたのですが、どうも日本人は様にならないというか、イタリアの方と比べると見劣りしてしまって。こんなときに着物を着てくださっていたら、どれほどカッコよかっただろう、と。恰幅の良い方でも貫禄が出るし、華奢な方でも寸法がピッタリ合う。反物の幅は日本人の体型に合った形で作られている。着るだけで印象を焼き付けられるんです。相手も『サムライだ!』って喜ぶし、こんな有効なカードを使わない手はない。着るだけでいいんです(笑)」

苦難のときこそ、古来から学ぶべきことがある

ー202008最新作「MAYOKE」(Photo by Kazuha Uemura)

コロナ禍によって、いまやリモートワークや在宅勤務も当たり前になりました。人と直接会う機会も減り、「装う」ことに対する関心が薄れてしまうのではないかという懸念もありますが、岩本和裁が開講している和裁教室は、むしろ受講希望者が増えたのだそう。特に男性からの問い合わせが増え、実際に受講している方もいるのだといいます。

「テレワークになって時間ができたとか、自粛中こそ何かを作ったら楽しいかも……と、チャレンジする方が増えてきたのかもしれません。木曜日の午後と土曜日の朝に教室を開いていたのを、水曜日の夜と土曜の午後にも追加したら、若い方がグンと増えて。大学生の方もいらっしゃってるんですよ」

キサブローさんは、この災禍のときだからこそ、古き日本から学ぶことも多いと語ります。

「日本人って実は、ユーモアのある気質だったはずなんです。明治時代にかけて病が流行ったとき、当時人気だった歌舞伎の演目にちなんで『お染風邪』と呼ばれたそうです。お染さんと恋仲なのが『久松』で、『あなたの久松さんは留守にしているから、お染さんは入ってこないで』という意味を込めて、魔除けとして玄関に『久松留守』とお札を掲げたそうなんです」

キサブローさんはそんな史実からインスピレーションを受け、8月に「るすにする」というオンラインイベントを開催しました。

※アートにエールを!のサイトへリンクしています

持っている服に「いま恐れていること」を添えて送ってもらい、キサブローさんがその服に「魔除け」の文様を施し、またもとの持ち主に返す。そしてその服をオンライン上に奉納する、というものです。

「突然アマビエさまに注目が集まったのも、象徴的ですよね。ゲン担ぎとか神頼みとか、『昔からこうしていたんだ』と聞くと、なんだか説得力がある。苦難のとき、身を守るための手段として魔除けを用いていた。そうやって生き抜いてきたんですよね」

「昔のことを掘り起こしてみると、いまの私たちにも通じるところ、共感できる部分がたくさんあるんです。『鯔背(いなせ)』という言葉も、髷(まげ)を定位置から少しずらす『鯔背銀杏』という髪型がカッコいいとされた美意識から来ているんです。規範や常識とされているものから少し外れることをも良しとして、オルタナティブでいる。そうやって、私も着物以外のジャンルとコラボレーションしながら、着物のあり方を再構築していけたらと考えています」

今回のキーワード「常識」

私の祖母は一年中着物で過ごしていて、自分で仕立てもしていました。母は普段は洋装でしたが、「特別な日には着物」と決めていたようで、私の授業参観日に着物で来てくれた記憶があります。父は会社から帰宅すると着物に着替えていましたが、昭和40年あたりから洋服に切り替えたように思います。日本人の着物に対する意識が現在のようなものに変わったのは私の親世代あたりからだったのかもしれません。

私たちが着物に対して持つ意識や価値観はずいぶんと変わってしまいましたが、かつて日常的だったものがあるときから非日常になってしまう。それまで常識だったことが非常識になる、というのは他にいくつもあります。

かつて男性の喫煙率が8割を超えていたときには、街中のどこでもタバコを吸えました(電車の中ですら!)が、いまではどこに行っても吸えないのが常識になっています。当たり前のように専業主婦となり家庭に入っていた女性たちがいまは社会で大活躍。通信手段の主役だって手紙から電話になり、そしてメールへと、すっかり様変わりしてしまいました。

こうしたことは時代背景の変化や技術の進歩によるところが大きいのだと思いますが、ともかく私たちの日常にある常識はどんどん変わっていくものなのでしょう。着物に対する認識が変わったのもそのひとつなのだと思います。

働き方でいえば、コロナ禍で多くの人が余儀なくされた在宅勤務。これも新しい常識になっていくのかもしれません。オフィスに出社した場合とのメリット・デメリットを比較して、その是非や導入範囲を議論していかなければなりませんが、今後コミュニケーション系の技術がさらに向上すれば「仕事はみんながオフィスに集まってするもの」という常識は過去のものになることでしょう。

着物を纏うのが特別な日に限られてしまっている私たちですが、その分そこで贅沢なひと時を過ごすことができています。同じように家で働くのが常識になった暁には、オフィスも特別なときだけに利用する、ある意味で贅沢な存在になるに違いありません。そのときには、着物の日常使いを勧めるキサブローさんのように、オフィスの日常使いを推奨するコンサルタントが登場しているかもしれませんね。

ちなみに子供時代に着物を日常的に見てきた私は、今の若い人たちよりも着物を身近なものと感じているせいか、寒い時期などには父から譲り受けた着物を服の上に羽織って過ごしたりしています(キサブローさんのように“いなせ”な感じにはなりませんが)。いつの日か気軽な和装で出社する人が現れ、それが新しい常識になることを夢見ている私です。

ー鯨井康志(くじらい・やすし)
オフィスにかかわるすべての人を幸せにするために、はたらく環境のあり方はいかにあるべきかを研究し、それを構築するための方法論やツールを開発する業務に従事。オフィスというきわめて学際的な対象を扱うために、常に広範囲な知見を積極的に獲得するよう30年以上努めている。主な著書は『オフィス事典』、『オフィス環境プランニング総覧』、『経営革新とオフィス環境』、『オフィス進化論』、『「はたらく」の未来予想図』など。

2020年9月10日更新

テキスト:大矢 幸世
写真:小野瑞希
イラスト:うにのれおな
写真提供:キサブローさんFOGHORN