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社会と個人の「ヘルシーな関係」を目指す ― Spiber

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with ForbesJAPAN ISSUE05 ALTERNATIVE WAY アジアの新・仕事道」(2019/10)からの転載です。 


アメリカ軍など、世界中が取り組んできたクモ糸の人工合成をはじめとする次世代素材の開発。そんな夢の素材の量産化技術を確立した企業は、山形県にあった。

バイオベンチャーの挑戦 タンパク質に変わる新素材の開発

タンパク質が石油に代わる次世代の基幹素材になるという夢のような話は、今や現実となりつつある。

山形県鶴岡市に本拠地を構える「Spiber(スパイバー)」は、独自の発酵プロセスにより生産される構造タンパク質素材を開発したことで、世界中から注目を集めている。2018年に官民ファンドのクールジャパン機構から30 億円の出資を受けたことも、日本発の新素材に対する、期待の高さを物語っている。クモ糸の人工合成をはじめ次世代素材の開発は、世界中で取り組まれてきたテーマで、アメリカ軍を発端に、ドイツ、スウェーデン、ロシア、イスラエル、中国などで研究が進められてきたものの、実現には至らなかった。

そんな中、スパイバーが量産化技術を確立。21 年には、タイに建設中の発酵プラントで、世界最大規模の構造タンパク質の生産を開始する予定だ。アパレルや自動車を中心に、幅広い業界での脱石油化への貢献が期待されている。

人類が地球で生き続けて行く上で絶対に必要な発明でありながら、国を挙げても実現しなかったこの領域に、なぜ山形のバイオベンチャーは挑戦し続け、成功したのだろうか。その原点は、スパイバーの創業者であり代表取締役の関山和秀の子ども時代にあった。幼少時代は、「何のために勉強するのか」がふに落ちなければ、試験勉強にも身が入らなかったという関山。いつしかその思いは増幅し、「なぜ生きるのか」が分からなければ、生きるモチベーションまでも湧かなくなった。

―関山和秀(せきやま・かずひで)
慶應義塾大学環境情報学部在学時に、先端バイオ研究室である冨田勝研究室に所属。2004年よりクモ人工合成の研究を開始。事業化のために同大学院に進学し、07年博士課程在学中に、スパイバーを設立、代表取締役社長に就任。

そして中学3 年の夏、「人生に意味なんてない」と悟る。宇宙の歴史、地球の生命や人類の歴史から見れば、自分の人生なんて誤差に等しい。何かを成し遂げたとしても成し遂げられなかったとしても、大局的には何の影響もない。ただしこれは悲観的な悟りではなかった。生きる意味もないが、死ぬ意味もない。芽生えたのは命がある以上、「いい状態」を維持しながら生きたいという思いだった。「自分の長期的な幸せや満足を最大化していくうえで、最も投資対効果の高いことに、限られた時間を投下していくことが一番合理的だと思ったんです」

そして、関山はこうつけ加えた。「戦争や紛争、テロによって大切な人が殺されるような状況は、いい状態とは対極にある、最悪な状態。自分の努力や気持ちの切り替えで何とかなる範疇を超えています。そのような状況を回避するために最も効果的だと思えることを探し、行動するべきだと思ったんです」

まず自分いい状態」きる

オフィスの一角には、景色を眺めてリラックスしながら仕事をしたり、ランチをしたりできるようなスペースが設けられている。

食糧問題や環境問題といった資源不足は地球規模の問題であり、戦争や紛争、テロにつながる社会不安を生み出す原因になる。しかし、これから発展しようとしている国の、地球人口の85%を占める人たちに対して、これまで豊かさを享受してきた先進国の人たちが、「これから資源が足りなくなるから消費を控えてほしい」と要請することに、関山は違和感を感じた。

そして、この地球規模の資源不足に対し、自分たちなりのアプローチで新たなアイデアを提示し、貢献していこうと考えたのだ。「社会が抱える問題と、それに付随する社会的要請は、状況に応じて刻々と変化していくもの。その変化を常にキャッチして、自分たちができることと重ね合わせる。そして、最も貢献できそうな領域を見つけ出し、必要な役割を果たしていく。こういう思考回路で生きている人は、社会にとってはすごく役に立つ、ありがたい存在だと思うんです」

この社会と個人の関係を、関山は「ヘルシーな関係」と呼び、この関係性をいかに深めていけるかを、自身の最も大切なプリンシプルと位置付ける。極端に言えば、会社の規模が大きくなることには全く興味がない。それらはあくまで、自分が「いい状態」で生きるために活動した、結果でしかないのだ。

「自分が幸せに生きる(well-being)」ことは、スパイバーの仲間にも求めていることだ。一人ひとりが、それぞれの貴重な時間とリソースを使って、スパイバーでいい時間を過ごす。スパイバーと個人が相互に貢献できるならば、一緒にやればいい。もっと貢献できる場所が他にあるならば、そこに行けばよい。一緒に働くことが効果的である者同士が、ここには集っている。「それから」と関山の口から飛び出したのは、取り組むテーマは何でもいいのだという発言だった。「こんなことが実現できたら社会に大きな貢献ができるんじゃないか、というテーマやアイデアはたくさんありました。その中のひとつが、人工クモ糸だった。ただそれだけなんです」

タイミングや実現可能性、さまざまな条件が合致したからこそ、たまたまこのテーマが現在まで生き残っただけ。「失敗したらどうしよう」と思い悩むよりも、「もしかしたらうまくいくかもしれない。成功したら社会に巨大なインパクトをもたらせるかもしれない」という未来に向けた気持ちで、ここまできたのだ。

同社のエントランスには、「ブリュード・プロテイン」ができるまでの過程が展示されている。ファッション性の高いジャケットや樹脂製の自動車用ドアの一部が並び、同社がいかに幅広い素材提供を行っているのかがよくわかる。

そこには、起業家というよりも研究者としての関山が顔をのぞかせる。過去の多くの研究の積み重ねで、現在があるという思いが強いのだろう。もし自分が失敗しても、過去の多くの積み重ねに新たにひとつ、研究結果が加えられるだけだと考えている。「僕たちの失敗も、次の時代の研究者にとって重要なヒントになります。それだけで十分に価値がある。人類という単位で考えれば、いつ誰がそれを成し遂げたのかなんて大きな意味を持ちません」 

実際にスパイバーの研究には、クモや繊維、タンパク質に関する幅広く膨大な過去の研究の知見が生かされている。スパイバーの研究も、過去の研究者たちの活動の積み重ねでできている、大きな時の流れの一部でしかないのだ。失敗であれ成功であれ、誰かがやらなければいけないテーマが目の前にあり、それを自分たちが成し遂げることができるかもしれないと感じるとき、関山は心底わくわくするのだという。「例えば、今からFacebookみたいなソーシャルメディアを作ることは、僕にとっては意味がないんです。多くの人が十分満足しているものが、既にあるから。僕たちがやるべきことではありません」

宇宙や生命の歴史という壮大なスケールの中に自分を位置づけ、ブレない明確な指針がなぜ持てるのかと聞くと「やっぱり、自分自身の幸せ、自分の内側にあるものがすべての判断基準になっているからです」と明言した。とはいえ、資本金は224 億円を超え、株主をはじめ数多くのステークホルダーがかかわり、多くの人に影響を与える会社になっていることは事実だ。しかし、むしろ環境が変化するほどに、いい状態で生きることはより一層確信に迫り、研ぎ澄まされている感覚があるのだという。

サステナブルなのは何も、開発する素材だけではない。自身のwell-beingを追求することは、共に生きる仲間のwell-beingを追求していくことであり、すべてのステークホルダーとの「ヘルシーな関係」を探求し続けるということでもあるのだ。

2019年11月5日更新
取材月:2019年7月

テキスト:伊勢真穂
写真:Donggyu Kim (Nacasa&Par tners)
※『WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE 05 ALTERNATIVE WAY アジアの新・仕事道』より転載