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「働く幸福度格差」を埋める個々のケアが生産性を上げる ― 慶應義塾大学大学院教授・前野隆司

この記事は、ビジネス誌「WORK MILL with Forbes JAPAN ISSUE07 EDOlogy Thinking 江戸×令和の『持続可能な働き方』」(2022/06)からの転載です。


どのように働けば人間は幸せ、もしくは不幸せになるのか――。そんな、シンプルながら複雑で、誰しもが知りたい答えを研究する科学者、慶應義塾大学教授・前野隆司に働く幸せのいまを聞いた。

ー前野隆司(まえの・たかし)
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、ハーバード大学客員教授、などを経て現職。

前野は、2019年からパーソル総合研究所と共同で「はたらく人の幸福学プロジェクト」を推進してきた。同研究は、先行する学際的な知見と独自の調査・実証研究をベースに、「はたらく人の幸せの7因子」(「自己成長」「リフレッシュ」「チームワーク」「他者承認」「他者貢献」「自己裁量」「役割認識」)と、「はたらく人の不幸せの7因子」(「自己抑圧」「理不尽」「協働不全」「不快空間」「評価不満」「疎外感」「オーバーワーク」)を指標化。最終的に働く人の心の状態を捉えた結果を公開している。 

では、コロナ禍を前後して起きた働き方の変化は、働く人々の心の状態にどのような影響を及ぼしたのか。前野はまず、「幸福度の格差」に着目すべきだと指摘する。

「例えば、リモートワークで無駄な通勤がなくなったり、地方移住で快適になったりした人が増える一方で、協働不全や疎外感から孤独感を強めている人も増加傾向にあります。他の因子を比較しても、中間層が減り、幸せと不幸せの二極化現象が起きています」 

働く幸福度の格差が顕著になる現在、「企業はリモートワークやサテライトオフィスの設置など、形式や方法論にだけ固執すべきでない」というのが前野の持論だ。働き手それぞれが置かれた労働環境や立場、心のありようは実に多様であり、誰も取り残さないための“きめ細かな対応”こそ企業に求められている、という。

「例えば、会社にまだなじんでない新入社員は知り合いが少なく、仕事の回し方にも不慣れ。リモートワークに固執すると孤独感が高まってしまうかもしれません。二極化している状況があるということをまず理解して、声を挙げられず不幸せになっている層を中心にケアする仕組みが必要です」 

前野が幸せに働ける環境づくりを奨励する背景には科学的な裏付けがある。世界各国の諸研究では、幸せな人は不幸せな人に比べて3割ほど生産性が高い、また創造性が3倍高いというデータが存在しているからだ。働く人々にとっても働く幸福度は充実した人生を送るためのバロメーターとなる。

「リテラシーとして重要なのは、幸福度は健康と同じだということ。健康に気をつけていないと病気になりますが、幸せに気をつけていないと不幸せになります。しっかりと対策を講じれば、個人であれ、企業であれ幸福度は改善していくことができるのです」

働く幸せを追求するオフィス

リモートワークが普及し、人と人が直接的に接する機会が減るなかで、リアルオフィスのあり方にも変化が生まれている。例えば、リアルなオフィスを「人と人が交流する場所」として割り切り、創造性を発揮する場所、あるいは多様な意見・アイデアが集まる場として再定義する企業が登場している。

「『来たから働け』ではなく『せっかくだからのんびり話し合おう』と、オフィスの存在理由そのものを一転させた企業もあります。きっと、リアルなオフィス環境の幸福度を上げる施策は業種や企業の数だけあるでしょう。コロナ禍はリアルとオンラインをどう使い分けるか、さらにはそれぞれの企業が幸せな職場とは何かを考える大きな転機となっています」 

また働く幸福度は生産性や創造性のみならず、「離職率にも直結する」と前野は言う。離職率を高める不幸せ因子は企業によって千差万別。仕事はやりがいがあって面白いけれども、オーバーワークだから辞めるというパターン、または報酬は満足していてもチームワークがなく孤立感が強いから辞めるというケースも考えられる。

「ただデータとして明らかなのは、働く幸福度が高い職場は離職率も低いということ。そして幸福度を上げる努力をしている企業は、離職率も下がるということです。なによりもまず、現在の幸福度を複合的に調べてみることをおすすめします。結果を一つひとつ改善していくことが離職率を下げる近道になるでしょう」 

幸福の尺度は世代間によっても異なるが、興味深いのは、若い世代であればあるほど、幸福の尺度に敏感で、幸せ・不幸せのジャッジが早い傾向があるかもしれないということ。成長期に就職した世代と現在の若者世代とでは、幸福の尺度は明確に異なる。すぐ辞める若者を「根性がない」と見限るのではなく、幸福の定義が多様化する現代社会において「変化に適応している」と見方を改めることが離職率を下げるカギになりうる。 

また、働く幸せを追求する際、お金以外の尺度を理解することもまた重要だ。例えば、副業解禁という施策にしても、「お金を目的にした場合は幸福度が下がり、可能性や人脈を広げることを目的とした場合は幸福度が高まることが実証されている」という。

「人間が幸福に生きていくためには、創造性や個性、自分らしさ、人間性、感性を生かして働ける環境が求められます。企業も同じで、新しい環境に適応して新規事業など創造的な取り組みを行うことで幸福度は高まりますし、それができない企業は衰退していく厳しい局面となるでしょう。働く人が本当にやりたいこと、わくわくすることを見つけて幸せになることが、企業にとってこれから先の時代を生き抜く武器になるはずです」

2022年5月取材