WORK MILL

事業はビジョンを達成するための手段 − 十三代 中川政七

創業は享保元年(1716年)。奈良晒(ならざらし)と呼ばれる手績(う)み手織りの麻織物の問屋として、その歴史をスタートさせた中川政七商店。300年余の歴史を誇るこの老舗は、近年では工芸をベースにした生活雑貨の製造から販売までを手掛けるブランドです。また、企業の経営再生コンサルティングや地域活性事業などにも、活躍のフィールドを広げています。

中川政七商店は、2007年より「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げ、そのビジョンに基づいたプロジェクトを次々と立ち上げました。「ビジョンファースト経営」の先駆者として経済界でも注目を集め、多くの経営者や起業家に影響を与えています。

今回は、中川政七商店が掲げるビジョンの有用性と、そこから生まれたさまざまなプロジェクトについて、また2021年新たにオープンした複合商業施設「鹿狐猿ビルヂング」の目的など、前後編にわたりお届けします。

なぜ、経営にとってビジョンが重要なのか。ビジョンを社内の隅々にまで浸透させ、実行力あるものにするために必要なものは何か。十三代・中川政七さんに聞きました。

ビジョンファースト経営の先駆者である中川政七商店に学ぶ、正しいビジョンの立てかた

WORKMILL:中川政七商店が、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを定めるに至った経緯について聞かせてください。

中川:2002年、28歳で入社した当時、先代が携わっているお茶道具の部門と母が担当していた生活雑貨の部門がありました。経営的にはお茶道具で稼げているので、雑貨は赤字でも仕方ないという状況だったんです。僕が戻ってきて、最初にやるべきプロジェクトは生活雑貨の赤字を立て直すことでした。

―中川政七(なかがわ・まさしち)  株式会社中川政七商店 代表取締役会長 十三代 中川政七
1974年生まれ。2002年に中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任、2018年より会長を務める。業界初のSPA業態を構築し、2009年より「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見焼の陶磁器メーカー、有限会社マルヒロでは新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。現在は奈良の地に数多くのスモールビジネスを生み出し、街を元気にするプロジェクト「N.PARK PROJECT(エヌパークプロジェクト)」を提唱。産業観光によりビジョンの実現を目指している。

中川:経営プランを立て直営にシフトする。といった基本的なことを進めていくと、経営がうまく回りはじめて黒字化し、お茶道具の売り上げも抜きました。経営者という人間は、経営がうまくいっているときは暇なので「そういえば僕たちは、いったいなんのために働いているんだろう?」なんて、余計なことを考え始めることがあります(笑)

そこで、父に家訓とか社是はうちにはないのかと尋ねました。すると「そんなもので売上は一銭も上がらんぞ」と一蹴されました。つまり、ビジョンは「ない」ってことですよね。ならばつくろうと。ビジョンをつくるにあたり、大企業の事例などを調べ始めたんです。

それがビジョン導入のきっかけですね。僕自身お金のためだけに、一生懸命60歳70歳まで働けないなと思っていました。これはスタッフも同じだろうと思ったので、ビジョンをつくり浸透させる必要があるだろうなという考えもありました。

WORKMILL:なぜ、ひとつの企業である中川政七商店のビジョンが「日本の工芸を元気にする!」という、工芸全体を見据えたものになったのでしょうか?

中川:当時そこまでは考えられていませんでしたが、「日本の工芸を元気にする!」という言葉は、振り返って考えてみると「Will/Can/Must」の重なり合いだったと理解しています。Willは、工芸業界が衰退している状況に危機感を持ち、ひとりの消費者として、日本古来の伝統的技術や素材が消えていくのは悲しいと思ったんです。

次にCanは、生活雑貨の部門が赤字だったところを立て直した経験から、他の工芸メーカーも真摯に経営してブランディングをすれば、元気な状態になるのではないかと考えました。

最後のMust。これが一番重要です。というのも、製造の工房や職人さんたちが毎年、廃業の挨拶に来るのを見ていて。当社は自社工場をもたないファブレスメーカーのため、このままではいつか商品が作れなくなるという危機感が強くなりました。そこで、この現状を僕らが変えなければと。

その3つの重なり合いから「日本の工芸を元気にする!」というビジョンが生まれました。

ビジョン策定にあたり、企業のビジョンをまとめたビジョン集を読んでいて、気付いたことがありました。それはピンとくるビジョンとそうでないものがある、ということ。「この違いはなんだろう」と考えた所、その企業が掲げているビジョンと実践していることがつながっているものは、良いビジョンだと。

だからもしうちが掲げるなら、ハリボテじゃない、本当に達成に向けて全力で取り組める良いビジョンをつくろうと心に誓いました。そこから2〜3年考え続け、ようやく今のビジョンにたどり着きました。

ビジョンをハリボテにしないために、企業が取るべき方法論

WORKMILL:「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを策定し、社内で共有されたときの、社員の皆さんの反応はいかがでしたか?

中川:最初は社員全員がポカンとしていましたよ(笑)。そもそも自分たちが工芸をやっているという意識もなかっただろうし、「いきなり工芸とか言われても」、「元気にするって何をどうするの?」など、社員は自分ごとにするのが難しかったと思います。

だから、「元気にする」というのはどういうことなのか、それは経済的自立とものづくりの誇りを取り戻すことだ、と一つひとつ噛み砕いて説明しました。それでも体感としてはわからないんですよ。これはもう僕が実践するしかないと覚悟を決めました。そこでコンサルティング事業を立ち上げて工芸メーカーのコンサルを始めました。

コンサル1件目は、長崎県の有限会社マルヒロという波佐見焼※1のメーカー。2009年にコンサルを開始し、2010年にHASAMIというブランドを出すとそれが大ブレーク。倒産寸前の状況から劇的に回復させることに成功しました。

※1波佐見焼とは、長崎県の中央北部に位置する波佐見町付近でつくられる陶磁器

その結果を受けて、いったい何が起きたのか、HASAMIの当事者である馬場匡平さんにうちの本社に来てもらって、ブレークまでの経緯を社員に向けて詳しく話してもらいました。かつての彼は跡継ぎとして期待されるも将来が定まらず、ふらふらと公園に寝泊まりするような生活をしていました。

やがて、馬場さんが実家に戻り、マルヒロを給料わずか7万円で手伝っていたんですね。それでもマルヒロが潰れそうなところから、中川政七商店との取り組みが始まりました。

HASAMIのブレークによって、今では彼も十分な給料がもらえ、波佐見焼の名は全国に轟くようになり、産地をけん引するブランドになった。それは、この馬場さんが作るマグカップをうちのお店でスタッフが一つひとつ売っているからです。それこそが、「日本の工芸を元気にする!」ということなんだよ、という話を社員にしました。具体的なエピソードがあると、やっぱり伝わります。

WORKMILL:ビジョンを「ハリボテ」にしないためには、先ほどおっしゃったようにビジョンと企業が実践していることが、ひとつの道筋としてつながっている必要がありますよね。同時に、実践する社員一人ひとりに浸透させていく必要があると思います。そのために具体的に取り組んでいることはありますか?

中川:中川政七商店として大切にしていることを、「こころば」という十カ条から成る価値基準として定め、それをカードにして社員全員に配っています。それから「政七まつり」と呼んでいる年一回の社員総会です。

これは全国から全社員が集まって、ビジョンや企業、仕事についてなどを、自分なりにアウトプットしたり、みんなと共有したりするための場所になっています。

−中川政七商店こころば十カ条

WORKMILL:ビジョンは繰り返し伝えるのが大切だということですか?

中川:まさにその通りです。とにかく同じことを言い続けるしかない。「こころば」を持ってもらうこともそうですし、年一回の「政七まつり」も同じ目的です。「毎月のテーマ」という、僕が社長時代に毎月配信していたメールもそうです。ビジョンを日々繰り返し伝え続ける。それしかないと思います。口頭で話すよりも、丁寧に文字化して可視化していかないと、なかなかビジョン浸透はしてくれませんからね。

いずれにせよ、「ビジョンが言葉としてわかっている」というレベルから、自分もそこに関与しているんだと深く突き刺さるまで、「ビジョンを言い続けて、僕が実践して、事例を話す」を5〜6年繰り返してやっと届いたかなと思います。

ビジョンの伝え方で印象に残っている出来事があります。それは、2008年に僕が初めて『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』を出版したときに、本を読んだ多くの社員から「社長の考えていることがやっとわかりました」と言われたことです。

「僕が、毎日社員に直接言っていることだけど」と思いましたが(笑)。でも、本やメディアのインタビューを通して、社員もビジョンを客観的に見ることができるため深く伝わるのです。また、インナーブランディングだからといって、会社の中だけでビジョンを伝えるのではなく、一旦外を通すことで真意が伝わる面もあるのだと感じます。

一方、ビジョンを僕のそばで働く幹部社員や本社スタッフだけでなく、地方店舗のアルバイトの皆さん一人ひとりにまで浸透させるにはどうすればいいのか。社員、アルバイトの皆さんも含めて、ビジョンを共有しないと中川政七商店のブランドイメージは維持できません。

そのため、僕が社長だったころ、新店がオープンすると必ずお店に前入りしてオープン前夜に食事会を開き、その会で改めて全員にビジョンの話をしました。

とはいえ、全スタッフがビジョンに共感してうちに入ってきたわけではありません。いきなりビジョンの話をしてもピンとこない人もいる。そこで、僕はこのような場では前述したマルヒロの馬場さんの話をするんです。

そうすることで本社社員だけではなく、地方店舗のアルバイトスタッフにもビジョンを共有できました。その上で、オープン時のメンバーが中心となり、新しく入ったメンバーにも自然とビジョンを浸透させることができたと思います。

いずれにせよ、僕が2002年に中川政七商店へ入社して以降、中川政七商店が20年続いた最大の理由は、良いビジョンが立てられたことであり、それを社内に浸透できたことだと思っています。ビジョンを掲げて、そこに向かって愚直にやることが会社の利益にもつながっている。そして、そのことを社員みんなが信じてくれている。

ビジョンが経営方針や経営判断、社員の働き方やモチベーションにもたらした変化

WORKMILL:掲げたビジョンが浸透したという手応えや、確信に至る出来事などはありましたか?

中川:最初に大きく変わったのは採用ですね。求職者の反応が格段に変わりました。僕が入社した当時は求人広告を出しても応募者が3人しか来ないという状況でした。

それが、あるときホームページで、大規模中途採用として参謀職募集をかけたところ1週間で200人くらいの応募が来たんです。しかも、優秀な方ばかり。大企業出身で、高い給料や良いポジションと引き換えにしてでもうちを選んでくれる方もいました。

ビジョンが中に浸透して、外にも伝わったことを確信しました。変化という意味では、それが1番大きかったですね。すでにビジョンを理解した人が入ってくるようになって、また社内のレベルアップにもつながっていくわけです。

WORKMILL:このビジョンを明確にされたことで、新たに生まれた事業やアイデアはありましたか?

中川:いくら良いビジョンがあっても、それを達成するための具体的なプロジェクトや事業がないとすぐにハリボテになってしまう。逆の言い方をすれば、事業はビジョンを達成するための手段というわけです。

だから、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもとコンサル事業をはじめ、その他に、達成すべきビジョンに貢献できると思ったからこそ、「大日本市」という中川政七商店主催の合同展示会も行いました。経営力を身に着ける家庭教師的な役割をしたり、流通サポートをしたりと、ビジョンを達成するために、僕らなりのやりかたでやっているわけです。

WORKMILL:遠くにビジョンという大きな目標があるから、そこまでの道筋ができていくということですよね?

中川:はい。ただ、目標を漫然と置いているだけでは、いつまでたっても実現できません。「日本の工芸を元気にする!」を本当に実現するための道筋が、数字として明確になっていないといけない。

例えば日本の工芸はピーク時で5400億円の産地出荷額があった。しかし今は900億円まで出荷額が落ちている。

だから、「元気にする」というのは、「日本に300ある工芸産地で平均10億円ずつ」と産地出荷額を仮定すると3000億円まで戻さないと話にならない。3000億円の産地出荷額ということは、小売価格にすると7500億円です。

それを言っている立場として、うちのシェアが0.1%でいいんですか? という話です。シェア10%をめざすとして700億円ないと、うちが「日本の工芸を元気にする!」なんて胸を張って言えません。

今の事業の延長だけでなんとか100億円までは見えているんですけど、あと600億円はまだまったくのノープラン。「さて、どうする?」と幹部陣にたずねてみると「700億円達成するしかない」とみんな即答してくれた。

うれしいけど、一方で「みんなまだ頭が痛くなるまで考えていないだろう」という思いもあって。だから、改めてこれまで以上に考えてもらわないといけないし、それができないんだとしたら「すみません、中川政七商店は日本の工芸を元気にはできませんでした」と宣言をして、この看板を降ろさないといけないという話もしました。

そして、「最後にそれを決めるのは僕じゃなくて会社。だから、みんなで決めてください」とも伝えました。それほど一人ひとりが真剣に向かわなきゃいけないものだし、だからこそ十何年も同じビジョンを言い続けています。

外部の人たちがうちを評価してくれている点も、おそらくビジョンへ向かう愚直な姿勢だと思っているので、そこだけは譲れないんですよね。

目前の数字だけにとらわれていたら気づけない「産業観光」「まちづくり」といった次なる一手

WORKMILL:工芸の未来について、中川さんとしてはどんな理想を思い描いていますか?

中川:数字でいうと、前述のとおり産地出荷額が3000億円まで戻ってこないと元気になったとはいえないと思うし、そこへたどり着くための手法論でいえば、今「産業観光」がキーポイントになると考えていて、取り組みを始めています。

WORKMILL:「産業観光」という新たな視点も、ビジョンを置いたことで目標が決まって、生まれたのでしょうか?

中川:もちろんです。これまで、産地ごとの組合で補助金事業を活用して「みんなで良くなろう」といった取り組みは山ほどありましたが、それでは良くならなかったんです。

だからこそ僕らは1社コンサルにこだわり、日本の工芸を元気にするための方法論として「産地の一番星を作る」ということを掲げて取り組んできました。

まずどこか1社に絞って徹底的に輝いてもらう。するとそこに引っ張られて2番手3番手が伸びて、結果的に産地全体の平均値が上がる。そうなれば産地は生き残れる。そう考えたのです。その戦略は一定の成功を収め、マルヒロをはじめとした産地の一番星を10社以上は作ってきました。

WORKMILL:なるほど。1社コンサルによる「産地の一番星」作りに一定の手応えは感じていると。

ただ、それ以上に産地の衰退スピードが速く、サプライチェーンが壊れそうだという現実が見えてきました。工芸は分業で成り立っているので、一番星の事業者が出てきても、ものづくりの工程の一部を担う他の事業者が廃業すると、結局産地は衰退します。

そのときにこれは、産地の一番星を作るだけでは解決しないかもしれないと考えるようになりました。

一番星の企業を起点にサプライチェーン全体を中に取り込み、製造背景の垂直統合をやらないといけないと気付いたんです。でもそれをやるための投資をできるかというと正直厳しい。であれば、「その投資にもう少し付加価値を持たせることで成立させる方法はないか」と考えて、「産業観光」が出てきました。

例えば木造平屋の味わいある建物の中で、もの作りの現場を見てもらえる状況を作ることができたら、その投資には付加価値があるよねと。

ところが問題があって、多くの産地は地方にあるんです。ものづくりの現場だけを見に地方まで来る人は、あまり多くはないでしょう。となると、地元の野菜を使った美味しい料理を食べられるレストランや、良い宿があって、その横に産業観光できるような場所を用意しないといけないのです。

それはもはや「街をつくる」ということ。そこまでやらないと産地に人は集まりません。そしてそれをやるなら、自分たちの足元の拠点である、奈良から始めよう。そう考えたのが5年くらい前のことでした。それが「N.PARK PROJECT」につながります。

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前編はここまで。後編は、中川政七商店による奈良のまちづくり「N.PARK PROJECT」や、新拠点となる複合商業施設「鹿猿狐ビルヂング」の全貌について、詳しくお話をうかがいます。

更新日:2021年8月17日
取材月:2021年7月

画像提供:株式会社中川政七商店
テキスト:松島直哉
写真:深村英司